じっちゃんと孫
日本の名探偵、金田一さんところの爺さんと孫の事ではない。フランスにルーツを持つ怪盗一族の話である。
フランスの盗賊、アルセーヌ=ルパン。いくつもの顔と名前を使い分け、超一流の腕前で狙ったものを盗み取り、ヨーロッパをも股にかける大活躍をする。
そのルパンの孫であるルパン三世。国籍不明の大怪盗。祖父譲りの変装術と天才的な発明を武器に、それぞれがピンでも国際的指名手配になる様なクラスの連中を仲間にして、世界を舞台に鬼ごっこを続ける。
似ているようで似ていないのだが、実像を探っていくと、意外な共通項や相違点、我々が既にルパンに欺かれている点が結構あるのだ。
例えば、怪盗紳士と言われるこの爺様なのだが、実際の所は紳士じゃない。はっきり言おう、ろくでなしだ。乳母にすら呆れられて、いい歳こいてしょっちゅう説教されている。
とにかく、女にだらしない。孫の事ではなく、爺さんのことだ。いい女を見つけるとすぐに鼻の下を伸ばすのだが、それは男の本能でもあるからしょうがない面はある。だがこの男、顔も戸籍も関係ない能力を持っているせいか、
「次の日には別の顔になり、新しい人生が始まる」
という思想の持ち主のため、その日その日に女に出会い、さらに自分の顔が違うとなると、全く悪びれることなく二股をかける。結婚詐欺もするし、罪悪感もなく女を捨てるし、子供を作って雲隠れする。どっかの俳優なんか可愛いものなのだ。
小説中で、明らかにルパンの子供と思われるのは、息子と娘で一人ずついる。他にも、ルパンの子を生んだと思われる描写がなされた女性もいるので、正直な所、どの国に何人いるのかは定かではない。ちなみに、日本でも女を作っている(原作者は違うけど)。その上、自分勝手な生き方を貫くくせに、時折自分勝手な親心を見せたり、自分の所業のせいで子供に大変な災難を振りまくなど、とにかく家庭人としては駄目男である。明確に、これが子供だと公式でも認める存在がいない孫と比べると、肉親者の存在と言うのは大きな違いだ。
また、この男にひっかかった女は確実に不幸になる。死んだりもするし、ルパンを守るために修道女になったり、お礼参りの犠牲になったり、復讐鬼にされたり、息子が死刑にされそうになったりと、とかく不幸を運ばれている。罪状だけ上げると、非常に性質が悪いとしか言いようがない。
最大のイメージの違いは、「血を見るのは平気」なキャラであることだ。ポプラ社発行による怪盗ルパンシリーズは子供向けのため、ここの所が大幅にカットされているが、原作に忠実なものを読むと、殺人に関しては嫌悪するけど、自分の美学にあわないと言うだけのポリシーと思われる節がある。
大体、ルパンは原作ではっきり人を殺している。「813」では愛する女性をとある事情で絞殺する。「水晶の栓」では、殺人を犯した部下の『処刑を防ぐ』ために自分の手で銃殺する。「虎の牙」では、現地に住む人を無差別に殺しているのだが、これは当時の国際情勢や人権意識でいけばあんなものかもしれない。だが、結構人を殺すことに対しては、イメージするほどのハードルの高さを感じない。直接手を下さないまでも、「水晶の栓」では敵の親玉を精神的に追い詰めて自殺に追い込むし、自分の計画のためになら自分の娘や無関係な若者の人生を平気で手のひらで弄ぶ事もする。ものすごく深い暗黒面を持っているのだ。
この暗黒面は、ルパンの初期に多いものだ。まだこの頃は、作者もルパンに対して深い思い入れもなく、醒めた目でストーリーに合わせた活動をさせていた。だから、作風もものすごく幅がある。変わっていくのは、第一次世界大戦をはさんでから。
現実世界でも作中世界でも、二つは第一次世界大戦まではほぼ足並みをそろえている。現実の国際情勢や市民感情は作中に色濃く反映されているし、作者自身の国威発揚の意もあって、ルパンは超人的に活躍し、敵対国であるドイツにすら喧嘩を売る。
これが世界大戦以降になると、古き良き時代を懐かしむ人にとって、アルセーヌ=ルパンは時代の象徴となる。時代を懐かしむのに暗黒面は必要ない。超人から神格化され、以後ルパンの物語は、スピンオフやアナザーワールドを舞台にし、一人の女性のために無償で駆け回る優しいおじさん、いたずら気分で全校をする陽気なフランス人、騎士道を体現する伊達男、そんな面が生まれていく。
その分、作者が久々に本気を出した正史の作品である「カリオストロ伯爵夫人」は、ルパンのエピソード1となる位置づけで(0は「女王の首飾り」)、二十歳の若き日のルパンが、有名なあのアルセーヌ=ルパンになるきっかけの事件であり、シリーズ最大の敵を迎えることになる(カリオストロは無論これが元ネタ)。若く怖いもの知らず、そして久々の正史とあって、作者もルパンもやりたい放題。付き合っている女がいるのに、カリオストロ伯爵夫人の魅力に骨抜きにされる。だらしない男の復活である。
こんな風に、本当のアルセーヌ=ルパンは、実際にいるレベルのおじさんなのである(かなり迷惑だが)。ただ、日本でシリーズが一番多く出回ったポプラ社シリーズを子供の頃に読んだことで、一般的に紳士=ルパンのイメージが完全に刷り込まれているのだ。この場を借りて言わせてもらうと、あれは訳ではなくて、子供が読むことを前提にしたリライト本である。だから、役とは記されていない。ちょいワルどころじゃないレベルのおっさんの一代記なのである。
では、孫の三世はどうかと言うと、女癖の悪さは血を争えないのだが、相手をその気にさせない、あくまで遊びと割り切っている。本気で詰め寄られると、女好きのくせして深みにはまらない内に姿を消す。不二子とも危険なゲームを楽しむ関係であり、それ以上は踏み込もうともしないし、たまにムキになる。堅気の女になるほど、自制心が出るのか不思議と気のいいおっさんになっていくし、相手が子供になると悪党ヅラは全く見せなくなる。
爺さんと孫の違い。それは、ルパンと言う名に対するスタンスの違いが大きくなって表れている。爺さんにとって、ルパンとはオリジナリティなのである。父親は詐欺まがいの事をして獄中死する。そんな父親を一緒になるため、貴族出身の母親は勘当された身のうえで知人を転々とするが、完全に恵まれない生活の中で次第に体を壊し、幼いルパンを残して死んでしまう。ルパンは、この母を蔑んだ金持ちに仕返しをするという動機で生涯初の盗みを働く。かなり幼い動機でとんでもない宝物を盗み出すのだが、この度胸は父親譲りだろう。だが、その盗んだものを換金して偽名を使って母親に送金するのである。困っ蹄いる人に頼られると、ホイホイと全く割の合わない事をついでにやってしまう彼の優しさは母譲りである。この二つの気質の間で揺れ動きながら、アルセーヌ=ルパンは完成していく。彼にとってルパンとは、アルセーヌである以前に生まれながらの存在なのだ。
では、孫はどうかと言うと、ルパン三世は記号でしかない。ルパンを名乗りながら日本で主に活動している。建前上は人を殺さない祖父とは違い、銃を常に携帯し引き金を引く事に躊躇うはない。あくまで殺人を目的にしないだけで、やる時は平気でやるのだ。彼にとっては、ルパンは名刺代わり以上のものではない。その分、ルパンを名乗ることで得るハードルの高さとスリル、そして社会の裏側にまで顔を覗かせる自由を得る。
だが、その自由と引き換えに、彼はルパンであり続けなければならない宿命を負う。その名に恥じぬ手口、獲物、名と命を狙って来る者との命懸けの戦い。コソ泥としてムショにぶち込まれるか、ルパン三世として永遠の綱渡りを続けるしかない。その果ては、ルパン三世という個人はいなくなり、ルパン三世として生き続ける事自体が目的の「存在」しかなくなるのではないだろうか。
幻の押井守版ルパン三世は、実は存在しなかったルパン三世を描くものだったと言う。存在しない虚構の宝を追い続けるルパンそのものが虚構だった。緑ジャケ、赤ジャケ、人造人間、カリオストロ。スリルのために盗み、宝が欲しいから盗み、手に負えないにも拘らず盗み、結局は少女の心を盗む事しかなくなったルパンに欲しいものはない。現実世界には……。盗むというアイデンティティがあるからルパンなのに、その対象がない以上、彼自身の存在意義がないのだ。最後のルパン三世として企画されたこの作品では、存在しない虚構のものをルパンが追い始め、それに触れた瞬間、ルパンもまた虚構に帰っていくと言う、多分誰も理解できないものになる予定だった。
後の製作者も次第にそこへ追い詰められたのか、OVAに「RED VS GREEN」という問題作が生まれた。街にあふれ変える無数のルパン。この作品では、オリジナルのルパンは一線を引き、我々が知っているのはルパンと言う偉大な存在を追いかける名もない者達のコスプレだったのだ。コスプレ故に心まではルパンになれない。故に、銭形警部に偽物と見抜かれるが、その中からとっつあんに「パチモンなんかじゃない」とまで言わせる赤ジャケと緑ジャケの二人のルパンが台頭していく。
いずれ来るであろう声優の世代交代や、次第に緩やかに行われている「オリジナル」との乖離。それを描いたものともとれる。そして、何よりも強く描かれるのは、ルパン三世とは個ではなく、集合体に与えられる称号であること。オリジナルがいないのに、なぜ彼らがルパンかと言うと、もとよりルパンには国籍や年齢と言った個を規約する物がない。爺さんは、幼い頃のエピソードがある故に、確固たるアイデンティティがあるが、孫はそれがない。逆に、孫はアイデンティティがない故に、ルパン三世と言う「生き方」を問われ続けるし、それがなし得ればルパン三世になる。多くの顔を新たな人生として受け入れる爺さんの人生とは対照的である。
多くの人格や顔を楽しむアルセーヌ=ルパン。ルーツを持たないが故にその生き方に自分を規定するルパン三世。こうまで対照的な祖父と孫だが、華麗な女性遍歴に関しては血は争えないようだ。
「こういう事を言うのかね、いい男と言うのは」




