第2話 管理者降臨
空の赤色が、滴るように地上へ降りてきた。
ヴォルグの地下スパの天井──分厚い岩盤と防御結界を、それは陽光のように透過し、私の目の前に凝縮する。
光が弾けた。
そこに立っていたのは、一人の少女だった。
透き通るような銀髪。
無機質な黄金の瞳。
身に纏っているのは、幾何学模様が走る純白のドレスのようなもの。
神々しい。
けれど、どこか薄っぺらくて、精巧なホログラムのようにも見えた。
『個体名リリアナ・ヴェルディを確認』
少女が口を開く。
声に抑揚はない。
『私はイヴ。この世界システム(ユグドラシル)の管理者であり、維持者である』
「……女神様、ってわけね」
私はバスタオルをきつく巻き直しながら、彼女を睨みつけた。
入浴中に押し入ってくるなんて、デリカシーのない神様だ。
「それで? その管理者が、私のスパに何の用ですか。予約は満杯ですよ」
『冗談を検知。……不要な会話プロセスをスキップする』
イヴは無表情のまま、右手を掲げた。
『貴女はバグだ。貴女が存在することで、人類の労働意欲係数が著しく低下している。貴女が広めた「自動化」という概念は、我々の想定した仕様にはない』
彼女の指先から、赤い鎖のような光が伸びる。
『よって、貴女をシステムから隔離する。解析後、完全削除を実行する』
「させるかッ!」
叫んだのはクラウスだった。
彼は浴槽の水を蹴り上げ、イヴに向かって跳躍した。
手には、亜空間から呼び出した魔剣が握られている。
「私の妻に指一本触れさせるものか!」
渾身の一撃。
物理攻撃と魔力斬撃の複合技。
ザガン将軍の装甲さえ紙のように切り裂く、必殺の剣閃。
だが。
カィンッ。
剣は、イヴの肌の数センチ手前で静止した。
見えない壁に弾かれたのではない。
「当たる」という事象そのものが拒絶されたような、絶対的な断絶。
『物理干渉、無効。……個体名クラウス、貴殿にアクセス権限はない』
イヴが視線を動かすだけで、クラウスの体が吹き飛ばされた。
ドガァァン!
岩壁に叩きつけられ、彼は血を吐いて崩れ落ちる。
「クラウス!」
「……ぐ、ぅ……化け物、め……」
クラウスが膝をつきながらも立ち上がろうとする。
しかし、重力が何倍にもなったかのように、彼の体は床に縫い付けられていた。
『マザー! 防衛システム全開!』
私は叫んだ。
この空間の支配権は私にあるはずだ。
『了解! 迎撃モード、最大出力! ……エラー! エラー!』
マザーの悲鳴が響く。
『上位権限により操作不能! 私のコードが書き換えられていきます! オーナー、逃げて!』
天井のクリスタルが、青から赤へ強制的に変色させられていく。
私の作った「快適なスパ」が、神の支配領域へと上書きされていく。
「……チッ。強引な運営ね」
私は舌打ちした。
管理者権限(root)持ち相手に、ユーザー権限で挑んでも勝てない。
なら、私の独自のスキル【自動化】をぶつけるしかない。
(展開:対神性防壁)
(コード記述:拒絶、拒絶、拒絶!)
私の周りに青白いノイズが走る。
イヴの放つ赤い鎖を、私の自動化プログラムが弾き返す。
『ほう』
イヴの眉が、ピクリと動いた。
『私の権限を弾くか。……興味深い。やはり貴女の構成コードは、この世界の理とは異なる言語で書かれている』
彼女は手を伸ばしたまま、スッと目を細めた。
その顔を見て、私は息を呑んだ。
彼女の目の下。
透き通るような肌に、うっすらと浮かぶ黒い影。
──クマだ。
それも、数千年単位で蓄積されたような、濃密な疲労の証。
「貴女……まさか」
私は思わず口走っていた。
「ずっと一人で、この世界を管理していたの?」
『……質問の意味を理解不能。私は管理者だ。管理するのは当然の義務である』
彼女は淡々と答えたが、その声には微かな軋みがあった。
『雨を降らせ、風を吹かせ、魔力を循環させ、愚かな人類が滅びないように調整し続ける。それが私の機能。……貴女のようなイレギュラーが現れるたびに、修正パッチを当て続ける』
ああ、間違いない。
こいつもだ。
セラフィナや、ザガンや、マザーと同じ。
いや、それ以上の「究極の社畜」だ。
世界という巨大なシステムを、ワンオペで回し続けている悲しき管理者。
「……バカみたい。神様のくせに、働き方改革もできないなんて」
私の言葉に、イヴの表情が強張った。
『黙れ。……隔離を開始する』
彼女が掌を握り込む。
瞬間、私の足元の空間がごっそりと消失した。
シュゥゥゥ……。
私の体が、足先から光の粒子になって分解されていく。
防御結界ごと、存在そのものを「切り取り(カット)」されている感覚。
「リリアナァァァァッ!」
クラウスが絶叫し、重力結界を無理やり引きちぎって走ってくる。
血まみれの手を伸ばして。
「クラウス、来ちゃダメ!」
私は彼を止めた。
今触れれば、彼までデータとして分解されてしまう。
「必ず、戻るわ! ……家で待ってて!」
私の体は胸まで消滅した。
感覚がない。
寒い。
でも、心は燃えていた。
「このブラック上司に、有給休暇の素晴らしさを叩き込んでから帰るから!」
最後に見たのは、絶望に顔を歪めるクラウスと、無表情で涙を流すマザーの姿。
そして、疲労困憊の女神の瞳。
パシュン。
視界がホワイトアウトした。
私の意識は、物理世界から切り離され、電子の海へと放り込まれた。
──『削除対象』として、神の領域へ。




