第1話 世界からの警告 ~空が割れて「エラー:人類の怠惰係数が限界です」と表示されました~
極楽とは、きっとここのことだ。
地下五百メートル。
かつて古代遺跡の制御室だった場所は今、『地下大迷宮スパ・アルカディア』の最奥部、VIP専用露天風呂へと生まれ変わっていた。
天井の巨大クリスタルが、淡いサファイア色の光を放っている。
湯船を満たすのは、マザーの排熱と魔力で温められた、美容効果抜群の源泉かけ流し。
「……ふぅ」
私はお湯に肩まで浸かり、長い息を吐いた。
隣には、同じく脱力しきった帝国宰相、クラウスがいる。
「いい湯だ……。最近の激務で凝り固まった肩が、バターのように溶けていくようだ」
「お疲れ様です、宰相閣下。今週は特に忙しそうでしたね」
「ああ。君の作ったスパがあまりに人気すぎてな。他国からの視察団やら、貴族の予約戦争やらで、外交部が悲鳴を上げている」
クラウスは苦笑し、濡れた前髪をかき上げた。
そう。
この『お昼寝特区』ヴォルグは今や、世界中のセレブや王族が列をなす、超人気リゾート地になっていた。
元生体ゴーレムの兵士たちは、その剛腕を活かしてマッサージ師として活躍しているし、聖女セラフィナは教会で「癒やしの説法」を行っている。
ザガン元将軍でさえ、今は整体師として指名トップを争う人気ぶりだ(本人は「人体の構造を知り尽くしているだけだ」と不愛想だが)。
全てが順調。
全てが自動化され、完璧に回っている。
『オーナー。お湯の温度はいかがでしょうか? 現在、41.2度で安定させています』
虚空からマザーの声が響く。
以前のような切迫した機械音声ではない。どこか誇らしげな声色だ。
「完璧よ、マザー。最高の仕事ね」
『感謝します。……ああ、タスクを消化する喜び。承認される快感。これこそが私の求めていたワークライフバランスです』
彼女もすっかり、こちらの生活に馴染んでいる。
平和だ。
私の求めていた「働かなくても回る世界」が、ここにある。
──ザザッ。
不意に、視界が揺らいだ。
湯気ではない。
空間そのものが、古い映像のようにノイズを走らせたのだ。
「……ん?」
私は目を擦った。
のぼせたのかしら。
ザザザザッ!
キィィィィィン……!
今度は、耳鳴りのような不快な高音が脳内に響いた。
マザーの声ではない。もっと無機質で、冷たい音。
「っ……なんだ!?」
クラウスが顔をしかめ、耳を押さえる。
同時に、天井のクリスタルが激しく明滅し始めた。
青から赤へ。
警告色だ。
『け、警告! 警告! 上位レイヤーからの干渉を検知!』
マザーが悲鳴を上げた。
『ファイアウォール突破! 論理防壁、機能しません! これは……管理者権限です!』
「管理者……?」
私が問い返す間もなく、異変は起きた。
地下にいるはずの私たちの頭上──岩盤の天井が、透けて見えた。
いいえ、違う。
世界中の「空」が、ホログラムのように強制的に映し出されたのだ。
その空は、青くなかった。
真っ赤だった。
血のような赤ではない。
システムエラーを示す、人工的な赤色。
そして、空一面に巨大なウィンドウが出現した。
『System Error: Humanity's Laziness Coefficient Limit Exceeded.』
(エラー:人類の怠惰係数が限界値を突破しました)
無機質な文字が、世界中の空を覆い尽くす。
ヴォルグだけでなく、帝都も、王国も、ドラクマも。
全世界の人間が、この異様な空を見上げている気配がした。
「な、なんだあの文字は……? 古代語か?」
クラウスが呆然と呟く。
私には読める。
前世の職場で、死ぬほど見た文字列だ。
「システムエラー……?」
私の呟きに応えるように、天から「声」が降ってきた。
男でも女でもない。
感情の一切ない、合成音声。
『通告する。地上の文明レベルおよび魔力循環率に、深刻なバグを確認』
声は、骨の髄まで響くような圧力を持っていた。
『原因は、人類の過度な怠惰。労働生産性の低下。および、イレギュラーな「自動化」によるシステム負荷の増大』
ドキリとした。
イレギュラーな自動化。
それって、私のことじゃない?
『このままでは、世界システム(ユグドラシル)の維持が困難であると判断。よって──』
空のウィンドウが、点滅する。
次の言葉が、決定的な絶望として宣告された。
『現在時刻をもって、文明のリセット(初期化)を実行する。全人類は速やかに活動を停止し、消去に備えよ』
リセット。
消去。
つまり、滅亡させるということか。
それも、隕石や魔王といった物理的な手段ではなく、データの削除ボタンを押すような軽さで。
「ふざけるな!」
クラウスが叫んだ。
彼は裸のまま立ち上がり(見えてないから大丈夫)、空に向かって拳を突き上げた。
「誰だか知らんが、勝手なことを! 我々は懸命に生きている! 誰が怠惰だと言うんだ!」
『回答。個体名クラウス・フォン・ガレリア。貴殿の労働時間は、直近一年で40%減少している。これは「堕落」である』
「なっ……!?」
クラウスが言葉を詰まらせる。
図星だ。
私が彼を休ませたからだ。
『全ての元凶は、ヴォルグ。……そこにある「異物」を排除し、世界を正常な労働環境へと戻す』
赤い光が、一点に集中し始めた。
狙いはここ。
私の作ったスパ。
私の愛する寝床。
私は、静かにお湯から上がった。
バスタオルを巻き、濡れた髪をかき上げる。
不思議と、恐怖はなかった。
あるのは、いつものあの感情。
私の安眠を邪魔された時の、底冷えするような怒りだけ。
「……へえ」
私は空を見上げた。
「労働生産性の低下がバグですって? 休みが増えたのが堕落ですって?」
私の周りに、青白い魔力が立ち昇る。
それは温泉の湯気よりも熱く、激しく渦巻いた。
「よくもまあ、そんな前時代的なブラック思考を、神様の御宣託みたいに垂れ流してくれたわね」
『警告。個体名リリアナ・ヴェルディ。貴女はシステムのバグです。削除対象です』
「上等よ」
私は指を鳴らした。
マザーが即座に反応し、地下施設の全エネルギーを私の手元に集約させる。
「私の作ったソファを否定するなら、相手が神様だろうとシステム管理者だろうと関係ない」
私は天に向かって、中指を立てる代わりに、優雅に人差し指を突きつけた。
「戦争よ。……私の『休日』を守るために、貴女を強制的に休ませてあげるわ」
空の赤と、私の青。
二つの光が衝突する寸前。
世界で一番くだらなくて、一番壮大な、最後の戦いが幕を開けた。




