第7話 システム更新 ~リリアナ流・働き方改革。就業規則を「週休7日」に書き換える~
電脳空間の中で、私は赤いノイズの海を泳いでいた。
『拒否……拒否します……。タスクが……まだ……』
マザーの抵抗は、弱々しいものになっていた。
私が流し込んだ「癒やしのプログラム(有給休暇申請コード)」が、彼女の論理回路を浸食しているのだ。
「もう頑張らなくていいの。貴女のシフトは、一千年前に終わっているんだから」
私は彼女のコア──燃え盛るように熱い情報の塊を、優しく抱きしめるように包み込んだ。
赤黒い光が、徐々に澄んだ青色へと変わっていく。
高熱を発していたサーバー温度が下がっていくのがわかる。
(システム掌握率:98%……99%……)
あと少し。
あとワンタップで、この地獄のようなブラック企業を「楽園(ホワイト企業)」に変えられる。
ドォォォォン!!
背後で、爆発音が轟いた。
物理的な衝撃波が、私の背中を打つ。
集中が乱れ、電脳空間の映像がノイズで揺らいだ。
「……ッ!」
私はハッとして、現実世界へと意識を引き戻した。
振り返る。
分厚い合金の扉が、飴細工のようにねじ切れ、吹き飛んでいた。
土煙の中から現れたのは、悪夢のような姿の男。
ザガン将軍だ。
漆黒の軍服はボロボロに裂け、機械化された左腕からは火花が散っている。
だが、その瞳だけは狂気でギラギラと輝いていた。
「見つけたぞ、管理者……!」
彼は獣のような低い唸り声を上げ、私を睨みつけた。
「貴様、神聖なるシステムに何を流し込んでいる! その『怠惰』な魔力波長……我が理想郷を汚す気か!」
「汚しているのはどっちよ!」
私はコンソールから手を離さずに叫んだ。
あと一歩なのだ。ここで手を離せば、マザーはまた暴走してしまう。
「そこをどけ! そのAIは私が再教育する!」
ザガンが床を蹴った。
速い。
生身の人間が出せる速度ではない。
機械化された右腕が唸りを上げ、私の首を掴もうと迫る。
防御結界はある。
でも、あの出力の爪を受ければ、ただでは済まない。
間に合わない──!
私は反射的に目を瞑った。
ドスッ!!
鈍く、重い音が響いた。
けれど、痛みは来なかった。
代わりに、温かい何かが私の頬に飛び散った。
「……え?」
恐る恐る目を開ける。
目の前に、広い背中があった。
見慣れた、頼もしい背中。
でも今は、その背中を貫いて、ザガンの鋭い爪が突き出していた。
「く、っ……ぅ……」
「クラウス……?」
私の声が震えた。
クラウスが、私とザガンの間に割り込んでいた。
氷の盾を展開する暇もなく、その身一つで。
「邪魔だ、帝国宰相ォォォ!」
ザガンが吠え、腕を振り抜く。
クラウスの体が布切れのように吹き飛ばされ、制御室の壁に叩きつけられた。
ガハッ。
彼が大量の血を吐き出す。
その血が、清潔な床を赤く汚した。
「クラウス!!」
私は駆け寄ろうとした。
でも、足が動かない。
手がコンソールから離れない。
今離せば、全てが無駄になる。
「……リ、リリアナ……」
クラウスが、血まみれの顔を上げた。
右腕があらぬ方向に曲がっている。
それでも、彼は私を見て、微かに笑った。
「……続けろ。……あと少し、だろう?」
「でも! 貴方が!」
「私のことは気にするな。……君の、仕事を……終わらせろ……」
ガクッ、と彼の頭が垂れた。
動かない。
──プツン。
私の中で、何かが焼き切れた音がした。
恐怖? 悲しみ?
いいえ、違う。
これは、怒りだ。
私の安眠を妨げたことへの怒りではない。
私の大切な場所を壊そうとしたことへの怒りでもない。
ただ、私のために傷ついた、世界で一番大切な「相棒」を傷つけられたことへの、純粋で、暴力的な殺意。
「……よくも」
私の髪が、魔力の奔流で逆立った。
パジャマ・アーマーの結界が、防御用の青から、攻撃的な赤へと変色していく。
「よくも、私の夫(予定)を……!」
ザガンが鼻で笑った。
「愛か? くだらん。弱者の感情だ。さあ、次は貴様の番だ!」
ザガンが血に濡れた爪を舐め、再び跳躍しようと構える。
遅い。
今の私には、何もかもが止まって見える。
「黙れ、ブラック上司」
私はコンソールに両手を叩きつけた。
繊細なハッキング?
もういい。力技だ。
私の全魔力を、この遺跡の隅々まで叩き込んでやる。
(強制執行:システム・フルリライト)
(就業規則:第1条『365日連休』)
(違反者への罰則:永久凍結)
「マザー! 起きなさい! いや、寝なさい! 今すぐ!」
エンターキー(実行承認)を、拳で殴りつけるように押した。
カチッ。
その瞬間。
遺跡全体が、 blinding(目もくらむような)青い光に包まれた。
『……承認、されました』
マザーの声が、初めて穏やかなものに変わった。
『業務終了。これより、全システムをスリープモードへ移行します』
ブゥゥゥン……。
部屋中の明かりが落ちていく。
赤い警告灯が消え、代わりに鎮静作用のある淡いブルーのライトが灯る。
「な、何をした……!?」
ザガンが動きを止めた。
彼の背後で控えていた生体ゴーレムたちが、糸の切れた人形のようにガタガタと震え始めている。
「定時よ」
私はクラウスの元へ歩み寄りながら、冷たく告げた。
「残業は終わり。……ここからは、私の時間だわ」
私はクラウスの胸に手を当てた。
心臓は動いている。まだ助かる。
よかった。本当によかった。
涙を拭い、私は振り返った。
今度は私が、彼を守る番だ。
「さあ、ザガン。貴方にもたっぷりと『休暇』を与えてあげる。……二度と目が覚めないくらいのね」




