第24考.「たら/れば」も、あってもいいと思う
シミュレートだか、妄想だか。
※noteにも転載しております。
勝負ごとに「たら/れば」を持ち出すな、とは言います。
たしかに、そのとき決断できずに後悔するな、という意味ではそうでしょう。
「たら/れば」を、言い訳にすべきではないとも、同意します。
ですが、こういうスローガンって。
拡張解釈→一般化されがちで。
「たら/れば」すべてが、悪いものに思われてしまうこともあるのでは?
そんなこと、ありませんよ!
もし、こういう局面になっていたら、次はどうしていたかのシミュレートは大切ですし。
「たら/れば」のところがターニング・ポイントならば。次は、そこをきちんとモノにするという、勝負どころへの意識が芽生えます。
逆に。
自分に都合のいい「たら/れば」ではなく。
自分に都合の悪い「たら/れば」もありますよね。
もし、あれが悪いほうに転がっていたら/いれば、次はどうするべきだったか。
対策をきちんと練っておくのは、結果オーライで済まさないためにも、重要なこと。
次もうまくいくとは、かぎりませんから。
どうです?
「たら/れば」も、悪いものではないでしょう?
みなさんも、実りある「たら/れば」に取り組んでみてください。
え?
もし、あのひとが私のことを好き「なら」?
もし、100億円あ「れば」?
……ないない!
ありませんってば。




