第14考.韻を踏もう!
なぞなぞでも、使います。
前回の「嗜好」と「指向」のように。読み方は同じでも、意味の違う漢字熟語はたくさんありますね。
韻を踏みたいときに便利なんですが、こうやって文字にすれば問題ないものの。口で発音する際には、音だけでどの単語か、漢字での表記の判別は難しいものです。
ですが、漢文でも見られるように。漢字の音読みで韻を踏むのは、文学の歴史からいって、正統派なスタイルなのではと思います。
例)「思考」「指向」「嗜好」「試行」
日本語の性質から考えれば、もうひとつ。
用言である、動詞、形容詞、形容動詞。
これらの活用語尾で、韻を踏むことが考えられます。
活用の種類が、限られているのが理由です。活用の種類が同じなら、その行が違っても、活用語尾の母音はいっしょですから。
よって、こちらも韻を踏むのに、適していると言えるでしょう。
例)「跳ねる」「拗ねる」「畝る」「ごねる」
ただ。
これらふたつの、韻の踏みかたって。言語の性質にそぐうからこそ、ありきたりで、面白味に欠けるんですよね。
そもそも、日本語って。韻を踏むことを、ちょっと特殊なものに、位置づけすぎているというか。
駄洒落だの、ヒップホップだの、ってイメージがあって。比喩や、体言止め、倒置とは違って、一般的な技法に見られてはいない気がします。
英語だと、詩や、歌詞(当然、ヒップホップ以外でも!)はもちろん。小説、映画・ドラマや演劇の台詞でも、韻を踏むのは珍しくありません。
英語の性質から考えれば、接頭語や接尾語が使えそうですが。私見ですけれど、どちらかと言えば。これは「韻を踏む=音を揃える」より「語を揃える」感じではないかと。
例)「generation」「situation」「communication」
接頭語・接尾語以外の部分で、発音記号が揃うように韻を踏む。これを主としていくのが、正攻法のように思います。
例)「time【tάɪm】」「lime【lάɪm】」
「prime【prάɪm】」
※ あるいは、声にするのではなく、文字で記す場合は。発音記号にかかわらず、綴りが揃うように…って、発音を無視しては、「韻を踏んだ」ことにはならないですかね。
例)「home【hóʊm|hˈəʊm】」「some【səm 】」
では、日本語に話を戻しましょう。
日本語の、本来の性質から踏まれた韻が、つまらないと断じられてしまうのなら。
そこ以外をつくしか、ありません。
まずは、漢字の音読みと、用言以外での韻踏み。
名詞(代名詞)、副詞、連体詞ってとこでしょう。
とくに、副詞のなかでも擬音語・擬態語のオノマトペは、韻が踏みやすいのではないでしょうか。
例1.)「ぬくもり」「コウモリ」「大盛り」
例2.)「ちかちか」「ぷかぷか」「ずかずか」
また、同じ品詞間だけではなく、異なる品詞間でも韻は踏めますよね。
例)「短冊」「劈く」「ざくざく」
さらに、日本語「本来の」性質ではなく。言語という生き物が、獲得してしまった「本来的でない」性質があります。
それは「混血性」。
カタカナ語や、和製英語はもちろん。アルファベットで、英単語や英文を日本語の中に入れ込むことすら、珍しくはありません(詩や歌詞においては、特に)。
日本語以外の言語の文章に、突然ひらがなが登場したら、おかしなことになるんじゃないでしょうかね。
カタカナ表記に直した他言語と、アルファベット以外の。他の文字や言語が、入れ込まれると。入れ込まれたのが日本語でも、違和感ある気がしないでもないですが。それは「混血された」日本語の性質上ではなく、単に、その、他の文字や言語に馴染みがないせいでしょう。
ちょっと、話が逸れ始めたので戻しますと。「日本語」と「他言語」で、韻を踏むことも「日本語的」に可能だと言うことです。
まあ、ここでの「多言語」は、カタカナ表記…というか、振り仮名としての、カタカナ読みに直して捉えるほうがわかりやすいですが。
表記自体は、アルファベットや他の文字でも。韻を踏むときは、カタカナ読みに直して考えることが普通なのでは?
カタカナ読みを介しての、異なる言語間での韻踏み。
これこそが、日本語の「本来の」言語的性質を超えた、技巧的な韻踏みではないかと考えます。
例1.)「降臨」「calling」
例2.)「可憐だ」「calendar」
まぁ、長くなりましたが。
日本語中に、英語を入れ込めるということは。英語単語どうしの韻の踏み方を含めて。
日本語は、いろんな手法で韻を踏むことができる言語だということです。
それを「使う」も「使わない」も自由ですが、「使える」ことによって。武器だか、選択肢だかを、ひとつ増やしてみるのは、有益なのではないでしょうか。
ていうか。単純に、面白い韻を踏むのは、楽しいもんですよ。
※ 駄洒落と紙一重…も違わないかもしれませんが(笑)
なぞなぞ、好きなんです。




