第12考.先入観を偏見にしないために
前回からの、続きです。
まず、ここでの「偏見」とは。
差別的なものをさすのではなく、もっと広義の。単なる「偏ったものの見方」くらいに、捉えてください。
不当な差別を助長・擁護する意図は全くありません。
さて、引き続き、先入観のお話です。
「先入観」と「予断」が、いかに有用な「事前予測」「経験則」となりうるとはいえ。それがすなわち「偏見」となる危険性を、否定するというわけではありません。
前回で述べたように「決めつけ」をするのではなく。
実際の状態・状況から公平に。、それを修正・訂正し、正確さを向上させる判断が必要となります。
ここで、最も危険なもの。それは
「傾向」の「一般化」
です。
Aという集団には、aという傾向がある
としましょう。
このとき、この命題は紛れもない事実を示しています。
具体的な例で考えてみましょうか。
この町の人間は、リンゴが好きが多い
これをきちんと「傾向」と捉え。アップルパイの店を開くとしたら、それは理にかなった考えに思えます。
だからといって。町の人間、みんながみんな、リンゴ好きだと決めつけてはいけません。リンゴが、苦手なひとだっているでしょう。
このとき
Aという集団は、みんなaである
この町の人間は、みんなリンゴが好きである
これは、事実ではありません。
リンゴ好きが多いという「傾向」
→ あくまで「統計」として正しい
みんなリンゴが好きという「決めつけ」
→誤った「一般化」
なのです。
「傾向」は「統計」や。ひょっとすると数字によらない、肌で感じた「感覚」かもしれません。
どちらにせよ、適切に使えば有用なものです。
しかしながら。それをむやみに「一般化」してしまえば、それは「偏見」になってしまうことでしょう。
「一般化」してしまう危険性に注意をはらい、「統計」として武器にする。
「先入観」を「偏見」にしないためには、それが必要なのではないでしょうか。
ちなみに
「むやみに」「一般化」しない
と述べてきましたが。
この「むやみに」とは。
仮想モデルとして、その「傾向」を盛り込んで「一般化」した人間像を設定するような場合。
「統計」に基づいて、その集団における「一般像」を、フィクションとわきまえてつくりあげ。
それを対象に考察を行う場合。きちんとフィクションであることを、前提にできるのなら。そのような仮想的な「一般化」は、差別に繋がらない配慮は必要ではあるものの、立派な技術だと考えるためです。
とはいえ。
誤った「一般化」を避けて。「統計」による「傾向」に過ぎないと、分別をつけるのは難しいでしょうし。
たあいない「先入観」を「統計」上もたれることを、差別と捉えられることもあるはずです。
かといって「先入観」を排除した考えかたを徹底することは、ふつうの人間には困難ですよね。
われわれにできるのは「一般化」の危険性を、忘れないよう心がけて。
差別と捉えられないように、細心の配慮をもって。
「統計」としての「傾向」を、適切に運用するよう努力するしかないのでしょう。
どうせ排除しきれない「先入観」なら。
排除しきろうとする、無駄な努力より。
ある程度以上は、諦めて。残りの労力は、有用かつ適切に使うための努力に費やすのが、得策ではないのでしょうか。
適切にやるのが難しいから、問題になるんでしょうけど。




