第五十三話 月の迷い
俺は本殿近くにある石段に腰を掛けてそっと首筋を撫でた。
「いてて」
先ほど無理に首を曲げたのが今さらになって痛み出す。
「大丈夫ですか」
そっと、阿冶さんが俺の手の上から手を添えて首筋を見る。
少し腫れてますね。っと、眉をへの字に変えて心配そうにする阿冶さんは、買ったばかりの缶ジュースを首筋に当ててくれた。
ひんやりと気持ちいい。感覚が鈍ったのか、少しだけ痛みが引いた気がする。
「ありがとうございます。阿冶さん」
「いえいえ、こちらこそ。それより、守璃さんは大丈夫でしょうか」
実は守璃さんと爛さんをあの場に放置してからもう数分程が経過していた。
というのも、人目を気にして奥の木々の影に場所を陣取ってお花見を始めたため、自販機があるような本来のお花見会場まで割と距離があったのだ。
因みに本来のお花見会場ではまだ花見客は数グループ来ていてにぎやかだった。
静かなお花見もいいが、ここはここでお花見らしさがあって俺は好きな空気である。
そんな花見客を眺めながら、俺は遠い目で阿冶さんの問いに答えた。
「大丈夫でしょう。たぶん……いい感じにガス抜きできている……はず」
どちらにしろ、守璃さんを置いていったのだ。この後ひどい目に合うのは目に見えている。
俺は薄らと冷や汗を流しながら心にもないことを言って現実逃避をする。
「……夏樹。無事?」
両手いっぱいに飲み物を持ったクロが小走りで俺によってくる。
下が見えてていないのか少しヨタヨタとして転びそうになっているのが心臓に悪い。
「うん。少し痛む程度だから。俺はもう少し休むから二人とも先に行ってもいいよ」
戻るにはもう少しだけ心の準備が欲しかったのだ。
「じゃぁ、私はもう少し夏樹さんを見ていくから、クロちゃんは先に戻って爛さんにお水飲ませてあげて」
「……ん。分かった」
クロは短くうなずくと真直ぐにもと来た道を戻っていった。
その掛けていく姿があまりにも可愛らしくて少し頬を膨らませていると、すぐ隣にいた阿冶さんから思いもよらない口調で声を掛けられた。
「夏樹。何をニヤついているんだ?」
俺は息をのんだ。
振り返ると、月光を支配したかのようにその銀髪を輝かせ、凍てつくように憂いを帯びた瞳で俺を見据える永遠さんが座っていたからだ。
久しぶりの出会い。それもこんな間近に。
遮るものの何もない月夜の下で改めて見るとガラス細工のような繊細な印象を与えられた。
「……驚いたな」
「驚くことなど何もない。私がいつ現れようが勝手だろう」
フンと鼻をならした永遠さんは、さりげなく缶ジュースを俺に押し付けて自分で抑えるように促した。
こういうところを見ると、やはり二人が別の人格であることを認識する。
永遠さん。阿冶さんのもう一つの人格。吸血鬼としての本来の人格。
その全貌は未だよく分かってはいなかった。
「もしかして、話しをしたかったのは永遠さんですか?」
「あぁ、……覚えているか。私の忠告を」
「阿冶さんに血を与えすぎないって言うアレですか」
春休み。初めて永遠さんが表に現れた時に俺はそう言われた。
「貧血で倒れたな」
「もしかして、俺の身を案じて言ってくれたんですか?」
「いやっ――分からない。そうなのかもしれないし。そうではないのかもしれない」
「どういうことです?」
俺は永遠さんが何を言いたいのか分からなかった。
言葉だけでなく表情からもそれは言えた。
何を考え、何を悩み、何に引っかかっているのか。
その真紅の瞳からは、ただ深淵のような底知れなさしか感じられなかった。
それから、永遠さんはもう一度分からないと繰り返したきり唇を閉ざした。
それは、自分の中で一つ一つ答え合わせをしているようだった。
その様子を俺は黙って見ていることにした。
ゆっくりと永遠さんの言葉を待った。
やがて、永遠さんは俺を見て口を開いた。
「私は嫌な予感がしたんだ」
「予感ですか?」
「霧のようにはっきりとしない。本当に唯の勘。嫌な予感がして私はあの時お前に忠告した」
「それが確信に変わったんですか?」
今それを持ち出したとはそう言うことなのではと俺は思った。
しかし、永遠さんは首を横に振る。
「いやまだわからない。ただ少しだけ。もしかしたらと思っていた。だが、もしかしたらが当たっているとも限らないから、今はっきりとお前には伝えておこうと思う――」
確信の無いことは言わない。
守璃さんのように、はっきりと物事を言う永遠さんが回りくどい言い回しをしている。
そのことが、俺に緊張を与えた。
「夏樹。お前と私たちが出会ったのは――偶然ではないのかもしれない」
こんにちは五月憂です。
こんかいは、久しぶりに永遠が出てきました。
最近まったく出てこなかったんですよね。というのも、阿冶が出ていると永遠が出れないんですよね。
なかなか難しい。
最後になりましたが「突如始まる異種人同居」を読んでいただきありがとうございました。
今後とも「突如始まる異種人同居」をよろしくお願いします。




