第三十六話 出産
⦅早く奥方のそばに行ってやりなさい⦆
「えっ、あっはいっ!! っ痛っうわっ!!」
「バウ〜……」
もうすぐスズネが出産すると言われ、急いでテントに向かおうとした。慌てすぎて、地面の水瓶に片足を突っ込んで盛大に転ぶ。
⦅うろたえるな! お主がその様子でどうする。出産中の奥方を、安心させてやらねばならぬのだぞ⦆
「は……はい。すみません……」
ふわりの不思議な力で、立ち上がらせられる。水瓶に突っ込んだ足も、スっと乾いていった。
これは……飛竜がやってくれたのか?
⦅まもなく、掬い手が現れる。魔素の子を取り上げる、精霊のような存在だ⦆
じっと俺の目を見つめながら、飛竜が諭す。
ドラゴンの表情って、全然分からないんだけど……優しくて厳しい表情をしているのを、なんとなく感じる。
⦅出産は時間を要する。どっしりと構え、奥方を支えなさい。そして掬い手が子を取り上げたら、お前が授かり受けるのだ⦆
「……わかりました」
改めて、俺はスズネの元へ向かう。
テントでは母犬の魔物が、スズネを見守っていてくれた。俺が現れたのを確認すると、子犬の魔物たちを連れてテントを出て行く。どうやら飛竜の元へ向かって、待機しているようだ。
「スズネ」
「……ミュ……ミュゥ……」
白銀の魔素だまりの中に、スズネが寝そべっていた。ゆっくりと深い呼吸で、大きなお腹が上下する。
俺はスズネに近づき、顔の近くに腰を下ろす。体を撫でてやると、スズネは俺の膝の上に頭を乗せてきた。
グルグルと喉が鳴っている振動が、伝わってくる。呼吸が苦しいのだろうか……。
「もうすぐなんだな……ずっとそばに居るから……」
「ミュ……」
不安そうに見上げてくるスズネの顔を、ゆっくりと撫でる。気が紛れたのか、スズネの目が閉じ脱力していく。
膝の上でときどき苦しそうに、小さなうめき声をあげるスズネ。俺はスズネの体をさすったり、水を飲ませたりして過ごした。
こうして数時間程度が過ぎたころだろうか。
魔素の霧が濃くなり、俺たちを包んでいく。魔素だまりを覆っていたテントが、ゆっくりと動いて離れていった。
「ミュ……ミュアァッ!」
びくりと体を震わせ、スズネが大きくうめく。俺たちは、すっかり魔素の濃い霧に包まれていた。
やがて人影のようなものが現れる。これが掬い手か……。
掬い手は、人型で全身が羽に覆われている。口元あたりと首肩から手にかけては羽が無く、ほっそりとした女性のようだ。
それはゆらゆらと近づいてきて、スズネの腹に手を突っ込んだ。
「ミュアァァァッ!! ァァァ……」
「スズネ、大丈夫だ。大丈夫だぞ!」
苦しみ悶えるスズネを、全身で受け止める。暴れるスズネに何度も引っ掻かれたが、構うものか。
スズネの腹部から、出血している様子は無い。おそらく掬い手の腕はスズネの体を通過して、魔素の子どもだけに届いているのだろう。
そしてゆっくりと、手を引き上げていく。その手には、小さな光の塊が乗っていた。
取り上げた光の塊を、掬い手は空中に掲げる。光の塊とスズネの腹部は、魔素の流れでまだ繋がっているようだ。
魔素の流れが、スズネの腹から光の塊へと急速に流れていく。
「ミュ……ハァッ……ハァッ……ミッ……ゥゥ……」
痛みや苦しさから逃れるように、スズネが爪を立ててしがみついてくる。俺はスズネの顔や背中を撫でながら、その様子を見守った。
それからまた、数時間程度の時間が過ぎた。この状態、いつまで続くのだろう?
子どもを取り上げてる掬い手は、一言も話さなくて表情もわからないし。
掲げられた光の中に、なんとなく小さな影が出来てきた気はするんだけど……。
「……ハァッ……ミッ……ミアァァァッ!!」
「スズネ! スズネ!!」
突然、強い光と共にスズネの絶叫が響きわたる。スズネのお腹から、最後の魔素の塊が引き抜かれたのだ。
その……もうちょっと手心というものは無いのか、掬い手さん?
あまりの衝撃に顔も上げられないのか、スズネは荒い呼吸で地面に伏している。
そんなことは微塵も気にしない掬い手が、今度は俺に近づいてきた。その手には、まだ魔素の霧で輝くミューアの子どもが乗っている。
「あの子が……俺たちの……」
掬い手に差し出され、俺は我が子を授かり受けた。
両手の上に収まるほどの、とても小さなミューア。クリーム色のフワフワの毛並みで、まだ目が開いていない。
とても可愛くて、この世界で出会ったころのスズネにそっくりだ。
「ミッ……ミーッ!! ミーッ!!」
「おっ……おおっ……!!」
まじまじと眺めていると、我が子が火のついたように泣き出した。思わずたじろいでしまうほどの、大きな鳴き声。
体の割りにはかなり大きい足で、爪を立ててもがいている。
なんて豪気……いや、元気な子なんだろう。
「スズネ、俺たちの子だ……すごく、元気な子だよ」
俺はスズネの顔の近くに、我が子を近づける。
暴れているから少し距離をとったが、スズネに近づけると子どもは大人しくなった。鼻をピクピクさせて、スズネの様子をうかがっている。
息が上がりながらも、ゆっくりと子どもに顔を近づけるスズネ。そして全身を舐めてやると、気を失うように眠ってしまった。
すると魔素の霧が、どんどん薄くなっていく。掬い手の方を見ると、空中に溶けるように消えてしまった。
穏やかな寝息で眠る妻と、手の中で暴れる我が子。無事に出産が終わったんだ……。
こうして俺たちは、異世界に転生して初めての子を授かった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
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飛竜
⦅ずいぶんとケガを負っておるな。どれ、回復魔法をかけてやろう⦆
ヒロアキ
「あはは……妻を支えてたら、いっぱい引っかかれちゃいました」
飛竜
⦅ふむ。ミューアは出産前後、攻撃性が増すからな。あまり近づかん方がよいのだが……⦆
ヒロアキ
「えっ!?」
飛竜
⦅む?⦆
ヒロアキ
(そばで支えろって……精神的なことだったのか?)
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