第三十五話 臨月
「ミュアァァァァッ!」
切り裂くような悲鳴に、目を覚ます。横たわるスズネを見ると、後ろの片足をピクピクさせながら悶えている。
スズネも俺を見つけて、前足をバダバタさせながら縋ってきた。
これってもしかして……足をつったのか?
「ミュッ……ミュッ……」
「こっちの足か? 大丈夫だからな」
俺はスズネのつった方の足の足首を、前に倒すように曲げた。テントの入口では犬の魔物の兄弟が、心配そうに覗き込んでいる。
「こんな夜中にごめんな……大丈夫だよ……」
異常事態ではないと理解すると、二匹はさっと頭を引っ込めた。本当に、賢い子たちだなぁ。
「ミュッ……ミュッ…………ミュウ…………」
しばらく足を曲げて押えてやると、痛みが引いてきたのか徐々に大人しくなる。そしてだんだんと、甘えるように体が丸まっていく。
もう足の方は、大丈夫そうだな。
「お腹すいてないか? 水は飲めるか?」
「ミュア…………」
大きな器に水を注ぎ、スズネの口元に置く。
スズネが眠りについてから、実に三週間が過ぎていた。その間、ずっと飲まず食わずだったのである。
ゆっくりと舌を出して、チロチロと水を舐めてくれた。そんなスズネの姿に、胸を撫で下ろす。
どんどん膨らんでいくお腹に対して、日に日にやせ細っていくスズネが心配でたまらなかった。
「何か食べられる? 肉も、果物もあるよ」
すぐ食べられそうなものを、色々取り出してみる。スズネはぼんやりとした目で、リンゴのような果物を触った。
それを薄く切って、口元に運んでやる。シャリシャリと音をさせ、スズネはゆっくりと食べ進めていく。時間をかけて、丸々一個を平らげた。
「ミュゥ……」
落ち着いたのか、今度は俺の膝に頭を載せたスズネ。ゴロゴロと喉を鳴らしながら、頭を擦り付けてくる。
膝の上で揺らめく頭を、思わずなでてしまう。柔らかく温かい香りに包まれ、多幸感に満ちていく。
「……スズネが無事で良かった……」
「…………ミュ……ミュゥ……」
悲しそうな声で鳴き、スズネはゆっくりと顔をあげる。何かを訴えかける瞳から、ポロポロと涙が溢れてきた。
「ミュゥ……ミュゥ……」
「スズネ……」
切ない姿に、胸が締め付けられるように痛む。この声には、謝罪と後悔の念が込められているんだ。
顔に頭を擦りつけてくるスズネを、抱きしめた。その苦しみは、俺が受け止めなければいけないものなのに。
スズネは生まれてくる子どもが亜人になれるようにと、気にかけていた。
それなのに、あんな事になってしまって――
「俺たちが生きているのは、スズネのおかげだよ。ありがとう」
「ミュゥ……」
ゆっくりと瞳を閉じて、スズネは俺の胸に頭をうずめる。
マドレイに襲われて、俺たちはただただ蹂躙されるしかなかった。
窮地を脱するために、スズネは進化することを決断したんだ。子どもが魔物になるかもしれないという不安と、責任を負って……。
「俺が弱いから……とても辛いことを、一人で決めさせてしまった……本当にすまなかった……」
「……ミュ……ミュウ……?」
俺がもっと強ければ、スズネを守れたのに。人間に追われていることにもっと警戒して、妊娠をさせなければ逃げられたかもしれない。
……違うな、俺がするべきことは。どんなに後悔したって、過去は変わらないんだ。
これから俺は、スズネを――スズネとお腹の子を、守っていく。
「どんな子だろうと、必ず大切に守っていく……だから……」
「ミュウ……」
溢れる涙を何度も何度も拭ってやりながら、スズネの瞳を見つめた。
あんなに恥ずかしかった言葉が……今は伝えたくてたまらないと、こみ上げてくる。
「俺たちの子どもを産んでくれ、スズネ」
「ミュッ……」
顔を合わせて、すり合わせて。愛おしく温かい時間が流れる。
やがて気持ちが落ち着いたのか、スズネは穏やかに眠ってしまった。
■■■
一度目覚めてから、スズネは定期的に起きるように。
毎日ちゃんと起きて、食事もしっかりとっている。体つきも良くなって、ふっくらしてきた。
お腹も大きく張っていて、すっかり妊婦さんといった感じ。
「そういえば、そろそろ出産予定日かな……」
妊娠の影響なのか擬態もしないので、全然会話が出来ていない。
カウントダウンの日数はスズネに聞いていたから、自分ではザックリとしか把握してないんだよな。
こんなことになるなら、自分でもちゃんと記録しておけばよかった……。
⦅落ち着かぬようじゃな⦆
「あっ……」
テントの外をウロウロしていたら、飛竜に声をかけられる。
いつの間に外に出ていたんだ……食事を終えたスズネが眠ったのを見届けて、ほっとしたところまでは覚えているんだけど……。
⦅どれ、そろそろ水が尽きるころではないか? 水瓶を並べなさい⦆
「あ……ありがとうございます……」
あの不思議な技で、飛竜は水瓶いっぱいに水を満たしてくれた。
本当に一方的に助けてもらっていて、なんだか申し訳ない……。
「あ……あの、妻に話があるんですよね? 起きているときに、呼んできましょうか?」
⦅このタワケ者がッ!!⦆
「ひぃっ!?」
良くしてもらってるけど、本気で怒られると怖いっ!!
ちょいちょい地雷を踏み外して、お叱りを受けてしまっている。
⦅妊娠は奥方にとって一大事なのだっ!! 奥方が気を許してる者以外は、会わせてはならぬと心得よっ!!⦆
「俺が至りませんでした!! 以後気をつけます!!」
⦅ならばよし!!⦆
なぜか満足そうに、フフンと飛竜は空を仰いだ。
それにしても、すごい愛妻家なのだろうか。どんな話も、奥方を大切にしろという内容ばかり。
⦅ワシの用は、急ぐものではないのだ。出産を終え、奥方の体力が十分に回復してからで構わぬ⦆
「わかりました」
「ワウンワウン!!」
飛竜と話していると、茶色い子犬の魔物が駆け寄ってきた。そしてしきりに、俺の服の裾を引っ張る。
⦅うむ……いよいよ始まるのか……⦆
「始まるって、何がですか?」
俺の言葉に、飛竜が呆れたような眼で見てくる。服の裾を咥えている子犬も、残念そうな顔をしているような……。
その視線に戸惑う俺に、飛竜の怒号の念話が飛ぶ。
⦅このタワケ者がッ!! 出産に決まっておろうが!!⦆
「はぁ、出っさ……出産!?」
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天の声
《魔素交配 で 生まれた 子ども は
母親 の 身体特徴 を 受け継ぎ
父親 の 能力特徴 を 受け継ぐ》
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