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黄昏英雄譚 ~アナザーワールド・クロニクル~  作者: 憂木 ヒロ
第9章 『ユグドラシル』編

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33  記憶解放

「くっ、凄まじいほどの力だね……でも、単純な力だけじゃ勝負は決まらないよ!」

 

 淀みなく詠唱を続ける青年教師(パール)の隣で、エルは防壁に全身の魔力を注ぎ込みながら叫んだ。

 純白のボディをした機械の少年、カインの顔は目と鼻の先にある。

 魔力のオーラを青く纏わせたレイピアの切っ先を防壁に突き立て、彼はそこから一点突破する気でいるようだった。

 

 ――大丈夫だ。激突の瞬間を乗り切ったのだから、あとはひたすら耐えるだけ。そうすれば彼の勢いも次第に削がれていくはず。


 話は数秒前に遡る。

 背中の(ブースター)の出力を全開にしたカインは、自らも白き「力属性」の魔力を纏ってエルたちへ突進攻撃を仕掛けてきた。

 一本の槍と化して驀進したカインに対し、シルを護る二人はそれぞれの防壁魔法を展開して受け止めようとした。

 直後――隕石が地面を殴った時のような猛烈な衝撃。

 立ったままでいられるなど有り得ない。防壁越しに伝わってきた衝撃波に、エルの小さな身体が耐えられるわけもなく、彼女はなすすべなく吹き飛ばされた。

 しかしそんな中でも、パールは膝を屈さなかった。彼だけは、無二のパートナーであるシルを守り抜くために自分の敗北を許さなかったのだ。


「【幾多の困難、降りかかる災厄、迫り来る巨悪……世界の試練に立ち向かう力を、どうかこの身に。我は守護者(ガーディアン)、世界を包み、全てを愛し、あまねく命を守るもの。星よ……卑小なこの身に、どうか祝福を】」


 彼がその魔法の呪文を唱え終えた、その時だった。

 エルの目の錯覚でなければ、白い光に照らされていたこの部屋全体が暗くなり、天井を見ると夜空のように無数の小さな光点が瞬きはじめていた。

 立ち上がることも忘れて、エルは浮かび上がったその光景を眺めていた。

 銀色に散りばめられた乳の流れ――それは、パールとシルがまだ学生だった二年前にいつもの四人で見た、ある夏の星空そのままで。

 あの夜に青年が語った「シルたちを絶対に守りぬく」という誓いがこうして形になったのだと、エルは胸がじんと熱くなるのを感じた。

 

「パールという一人の人間として、君たちを守り、そしてカインを止めてみせる! ――【ステラ】!!」


 パールが高らかに魔法名を言葉へ紡ぎ、眩いばかりの銀色の光球は流星となって一斉に降り注いだ。


『これは――!?』


 少年の視界は、突如として溢れ出した光によって塗りつぶされる。

 ――目くらまし? あれだけ派手に詠唱した割には、しょっぱい効果じゃないか。

 彼のデータベースにあの魔法はなかった。彼の思考の大本は蓄積したデータからなり、「未知」というものは何よりの弱点である。

 そのためユグドラシル最高のAIの処理速度をもってしても、僅かに対応が遅れてしまった。


『どんな手を使おうと、この僕は止められないよ! 見てみなよ……君の防壁には、既に罅が入っている。その一点にちょっとでも力を加えてやれば――』


 カインは自分の勝利しか信じていない。彼にとって、それは規定事項だ。最強の女王イヴの寵愛を受けて成長した知能であるカインが、ただの人間にどうして負けられるのか。

 口にあたる裂け目を弓なりに歪めた少年は、肩や肘の関節部から火花を散らしながらレイピアを押し込んだ。

 バキッ、と魔力の壁が悲鳴を上げる。

 これで終わりだ――カインは呟き、全体重を乗せて二重の防壁を一気に貫き壊そうとするが、しかしできなかった。

 動かないのだ。どういうわけか、彼の全身は防壁にレイピアを半分差し込んだところで、金縛りにあったかのように硬直してしまっていた。


『君ッ……僕に何をした! 僕は最強の人工知能、人間なんかに負けるはずがないのに……! その魔法のからくりは、一体何なんだ……!?』

「言わないよ。一度でも知られれば対処法を編み出されてしまうからね。だけど一つ言えるのは、君は最強なんかじゃないってことだ」


 パールは半透明の防壁越しに、攻撃の体勢のまま固まった機械の体を見ていた。

 彼の魔法【ステラ】は、平和を求める願いが具現化した「不殺の魔法」だ。

 敵の動きを削ぎ、戦うことを阻む――戦いを終わらせる手段は何も敵を殺すことだけではないはず、そんなパールの考えによって生み出された技である。

 その効果は、降り注いだ光の球に被弾した者の筋肉に作用し、一時的に動きを停止させるというもの。効果はもって十五分といったところで、やるべきことを成し遂げるならば急がなくてはならない。


「エル、大丈夫かい?」


 カインから視線を切ったパールは、床にへたり込んでいたエルを振り返って見た。

 呆然とした顔で見上げてくる彼女に腰をかがめて手を差し伸べながら、彼は首をかしげる。


「エル……泣いているの?」

「え、それは、パール先輩の魔法が凄かったから……」


 ごしごしと目を擦りつつエルは笑顔を作った。

 本当は聞かずとも、その涙の理由をパールは分かっている。彼はそれ以上は問わず、言葉の代わりにエルの頭を優しく撫でてやった。


「せ、先輩……っ」

「あれ、今日は先生じゃないんだ?」

「私にとっては、パール先輩はいつまでも『先輩』なの! そりゃあ外では先生だけど……今くらい、言わせてよ」


 今が試練の時だと意識すると、パールは目を赤くするエルを抱きしめられなかった。

 自分が考えるべきは、シルのこと――彼女が【時幻領域(じげんりょういき)】魔法を再び使えるようにサポートすることだ。

 とはいえ、彼の行動の選択肢はあまりに少ない。

 これはシルの記憶に関する問題であって、彼が直接どうにか出来ることではないのだ。彼女が【時幻領域】を発動させた前後の記憶を呼び起こそうにも、パールは当時そこに居合わせていなかったため大まかにしか分からない。


「彼女の記憶を刺激する何かが、あればいいんだけど」


 そう呟いた彼は、ふとその時。

 空気中に微かに漂い始めた血の臭いに気がついた。


「――ノアさん!?」


 防壁魔法を解除して外へ飛び出し、パールは女傑の名を呼んだ。

 自分達を包み込んでいた壁がなくなって、鉄の臭いはさらに強まってくる。

 まさか、ノアが斬られた――? そして次の瞬間、唇を噛む青年は、その光景を目にして絶句した。


 血の海に倒れる、黒いシルエット。

 その上に馬乗りになったままの、白い金属の体。

 双子の片割れが握る剣の先は、女傑のはだけた胸元に突き立てられ、確かに心臓を貫いていた。

 


 外界の音も、臭いも、見える全てもシャットアウトして、己の内に潜り込む。

 深層意識に残された自分の記憶を手繰り寄せ、そこからかつて使った究極の魔法を掬い出す。

 こうして言うのは簡単な話だが、しかしやってみるとそうもいかない。


 ――『それは、シルさんが自身の「最強」を塗り替えたってことです。あの時の魔法はまさに神業で……一瞬で女王との間合いを詰めて、なんというか七色の光がどばーって出てきて。……あ、せ、説明下手ですみません……』


 ダークエルフのフェイ・チャロアイト少佐は、シルの魔法をそう表現した。

 シルが塗り替えた「最強」。彼女が撃ち放った「神業」。

 一瞬にして敵との距離をゼロにし、それから眩い七色の光が溢れ出す……自分の背後に後光のようなものが輝き出すイメージを、シルは頭に浮かべた。


「大丈夫……必ず、できるわ」

 

 両手で握った杖を前方に掲げ、瞳を閉じたままシルは集中力を高めていく。

 精神統一は魔術の基本……学園時代、試験の直前になるとパールによく言われたものだ。高みに達するなら、まずは基礎から固めなければ意味がない。

 五感などいらない。必要なのは魔力と、己の記憶のみ。

 

「いくわよ……【覚醒(ススキターティオー)】」


《自分の記憶》というものを一つの大きな雲として見なし、その中へ小さな検索者サーチャー)となって飛び込んでいく光景を、ひたすらに想像する。

 それと同時に脳の一部分から生み出される魔力の出力も、一気にメーターを振り切らせる。

 彼女が使うのは生命の体に関わる「命属性」の魔力だ。属性と用途を明確にした上で、鮮明にイメージすれば魔法は形になってくれる。



 そして次には――ぴりっと電流が走ったような痛みと共に、彼女の瞳には虹色の光の海にたゆたう少女の姿が浮かび上がった。

 ほどなくして、視点はシル自身のものからその少女へと移る。

 虹色の空間をプランクトンのように漂う少女が見るのは、浮かんでは消えていく水泡の数々であった。

  

 ――『ん、お姉さんもサボり? じゃあ一緒にこっち来てよ。今日の空はいつにもまして澄み切っているんだ』

『何よ……変な口説き文句ね』


 水泡の表面に映り、さざめく過去の映像にシルはくすっと笑ってしまった。

 これはハルマと初遭遇した日のこと。確かに当時は、自分たちの未来など全く予覚させない快晴だったのを覚えている。

 この頃の記憶ならいつまでも眺めていられるが、あいにく彼女には時間が残されていなかった。目的の過去までアクセスして、時を超える魔法を再びこの手に掴まなくては。


「きゃっ……!?」


 七色の光の海は穏やかに波打っていたと思えば、急に荒々しくなったりと気まぐれだった。

 大波がシルの右手から押し寄せ、ハルマとの記憶を描いた泡をかき消して、続けて彼女をも飲み込んでいく。

 水面からどうにか顔だけは出して呼吸を確保した彼女だが、頭がズキズキと痛んでいるせいで胸を撫で下ろすこともできない。

 これは自分の脳を無理矢理に刺激し、閉ざされた記憶の引き出しを強引にこじ開けるという魔法なのだ。やりすぎれば海馬が負荷に耐え切れず、最悪全ての記憶を失う危険性だってある。


「くっ……あの記憶は、どこに…


 だが、そんなリスクは些細なことだ。あの魔法が成功すれば世界樹の管理室コントロールルーム)に干渉でき、世界を救える可能性があるのだから。

 ――これは試練。それなら……。

 覚悟を決めたシルは荒波が迫り来る右手前方へ、水を蹴って進みだした。

 ただひたすらに、ひた向きに。泳ぎの経験がろくにないながら、取り戻すべき過去のためならシルはそれを苦とも思わなかった。


『きみがシル・ヴァルキュリア君か。話には聞いているが、実物は本当に美人だな。よろしく頼む』


 すぐ脇に浮かんだ泡に映ったのは、にっこりと笑う黄金色の髪をした美男子――神フレイが、部下としてシルを初めて迎えたその日のことだ。

 

『やあ、お姉さん。ボクの歌を聞いてくれますか?』


 次の場面は、とある夕暮れ。エルと何度となく歩いたあの公園の遊歩道にて、一見学生としか思えない少年がシルに声をかけた。

 彼の歌に、ひどく心を揺り動かされたことを覚えている。シルの内なる傷を暴き、それから癒してくれた歌。


『一つ聞いていい? ……あなたも、親を亡くしたの?』

『…………さあ、どうでしょうね。こう見えてボク、長生きしてるもんで。色々わかるんです』


 これは、【神】の端くれでありながら吟遊詩人でもある少年、グリームニルとの出会いの思い出である。

 これは先程のフレイの記憶より、未来の出来事だ。

 シルの直感は正しかったのだ。やはり、こちらに進むほど後の光景が泡に映されている。

 

「はあっ、はあっ……! まだ、負けられない……!」


 息継ぎをしたシルは一旦止まり、呼吸を整えようとした。

 しかし、魔術の開始時から続いている頭の痛みは収まることを知らない。ガンガンと鈍重な何かに殴り付けられるような衝撃が、彼女の脳を絶えず襲っていた。


 ――痛みなど、忘れろ。使命だけを、考えろ!!


 その瞬間から、シルは人であることをやめた。

 私は鬼だ。苦痛など意に介さず、猛進することのみに全てを懸ける執念の怪物なのだ。そう思い込まなければ、この痛みと激流の試練を乗り越えるなど不可能だった。


 必死に水をかき、前へ進む。

 視界の隅ではたくさんの泡が膨らみ、虹色に輝いては消えていく。

 これまでシルが出会ってきた人たちの言葉が、水の中で静かに反響する。


 パールの微笑み。イヴの嘲笑。憂えるフレイの横顔に、妖艶なノートの笑み。

 エストラスの深淵を覗いたような黒い瞳や、フェイ少佐の構えるリボルバー、そしてティターニアが放った暗黒の魔手――。


 もうすぐだ、とシルはぱっと顔を輝かせた。

 ティターニアの攻撃魔法が映った泡の側に、あの時のシルが魔法を撃つ場面が浮かんでくるはず。

 

『貴女が現れなければ僕はティターニアと無心で戦えたのに。なんで、邪魔をするんだ……』

『はぁ……怖じ気づいたの? それとも、あの小娘が何か仕掛けたせいかしら? どちらにせよ、戦いは続けるわ』


 本来平和を愛するフェイ・チャロアイトは周囲の流れに抗えず、神器使いとして先陣に立つこととなった。

 元々は穏やかな性格だったというティターニアは、悪魔ルシファーに取り憑かれ、暴虐な女王として権勢をふるった。

 この紛争で対峙した二人はどちらも、本人が望まないにも拘わらず戦闘する運命にあった。

 

 シルが《ユグドラシル》管理室への扉を開き、世界を変えることができたのなら、こういった不幸な運命をなくせるのだろうか。

 その答えはノーだ。あの時のような民族間の紛争が今後一切起こらなくなるなど、現実的に考えてあり得ない。フェイのように平和を求めながらも戦わざるをえない状況に追い詰められる者も、出てきてしまうだろう。

 それでも、ティターニアのように悪魔に憑かれる悲運はなくせる。

 ユグドラシルの意思に干渉し、刻々と破滅に向かおうとしている運命を塗り替えるだけでなく、その先でイヴ本人と対話して彼女のやり方を変える――悪魔に頼らずに世界を統治する方策にシフトしていけば、悪意に歪んだ支配から脱却できる。

 

「――くっ、はあっ……あと、少しなのに……」


 シルの耳にはテレビの砂嵐のようなノイズが鋭く響き、視野は時おり灰色に霞んだ。

 記憶の世界にいられるタイムリミットは目前だというのに、荒波に揉まれた体は疲弊しきってまともに動かすことも叶わない。

 水面に浮いているだけで精一杯な現状に歯噛みしつつ、それでも活路を求めて周囲に目を走らせる。


 しかしティターニアやフェイの姿は虹色の水膜に何度も過ってきているというのに、シル自身はなかなか映ってくれない。そういえば、これまでも自分から見た他人の姿ばかりだった――そう気づき、シルは体の温度がすうっと引いていくのを感じた。

 もしや永遠に【時幻領域】を発動させる鍵には辿り着けないのではないか。だとしたら、ここまで磨り減らした魔力はいったい何だったのか……。

 鼓膜を震わせるノイズはさらに酷く、砂嵐が視界に過る頻度も増してきていた。頭の痛みは既にない。全身が麻痺したように触覚も痛覚も失われ始めていて、このまま自分はフェードアウトしていくのだろうとシルは察した。


『あなたは正義の人だった。平和を愛し、人々を愛し、世界を愛した……。僕とあなたは分かり合える、そう思ってあなたも過去の記憶を見せたんでしょう』


 ふと、シルの目の前に小さな泡が生まれ、微かな少年の声が聞こえてきた。

 ぼんやりとその表面に揺らぐ黒い長めの髪と、中性的な声からシルはヘズとの記憶だろうかと考えた。

 だが、盲目の神との会話でこんな台詞はなかった。過去の記憶を見せたと言われても、心当たりは全くない。そもそもシルは自分の記憶を視覚的に他人に伝える術を持っていないのだ。

 

 ――これは、幻? 


『幻じゃないさ。ちょっとしたイレギュラーみたいなものかな。シル姉さん、姉さんの探してる記憶はこっちだよ』


 先程よりも質感のある、別の少年の声がシルを導いた。

 こちらはよく知る人物――ハルマの声だ。

 彼の声がシルの精神世界に介入し支援してきた訳は、しかしシルにとってはどうでもよかった。

 彼女にとっては、最早あの時の記憶以外は些事でしかない。


 声が聞こえてきた左手前方へ、最後の力を振り絞って泳ぎ出す。

 持てる力の全てを既に燃やし尽くしたはずなのに、不思議とシルの体は稼働していた。温かく大きな手に背中を押されているかのように、彼女はゆっくりとその泡への距離を縮めていく。

 どうやらハルマの声は文字通りの福音だったらしく、視界の砂嵐も聞こえていた雑音もなくなっていた。

 

 ――ありがとう、ハルマ。


 悪戯な少年の笑顔を思い返し、シルは胸の奥から熱いものが込み上げてくるのを感じた。

 やっぱりあなたは偉大な魔導士よ、と彼女は内心で少年に囁く。

 

「っ、見つけたわ……!」


 ほどなくして、解き明かすべき問いの答えが目の前に現れた。

 泡に映る黒いローブの魔女、対峙するのは漆黒の翼を持つエルフの女。ティターニアの闇魔法を弾き返し、反撃へ出ようと魔女は飛び出していく――。

 間違いない。あれが、【時幻領域】魔法の記憶だ。

 泡が割れて霧散してしまう前に、シルは静かにそこに近づいて顔を寄せた。


『【永久を我が手に】』


 泡の中のシルは、魔法を放つ直前に確かにそう呟いていた。

 たった一言の短い詠唱。その一言を聞いた瞬間――シルの脳裏に電流が迸った如し衝撃が走った。

 次いで、情報のパルスが堰を切ったかのように押し寄せる。

 シルはその刹那の間に全てを理解した。あの極限の緊張状態で組み上げた、己の最大最強の魔術を思い出した。

 そして――自ら名付けた二つ名を、強烈に意識した。


「そう……私は、【永久の魔導士】」


 時を支配し、世界を変える。彼女にはそれだけの偉業を果たせる力があるのだ。

 今この時からシル・ヴァルキュリアは、神をも超える『英雄』になりうる存在へと進化した。

 

「――――――――」


 と、そこで。

 シルを包んでいた温かい光が失われ、同時に彼女の意識はぷつりと途切れた。



『何故、笑ってやがる……。おい、ノアっ、お前……何を仕込んだ!?』


 始終ノアを見下していたアベルだったが、ここに来て初めて狼狽した様子だった。

 切り裂かれた黒い布、突き刺さる銀の刃、どくどくと流れ出る赤い液体。

 心臓を一突きし、何度か捻って確実に仕留めた――はずだった。


「悪いね……あたしは、【アカシックレコード】、だから」


 眼から涙を滴らせながらも、女傑は笑っていた。美しい顔をぐしゃぐしゃにした女の途切れ途切れの声に、アベルは背筋が凍りつく錯覚を抱いた。

 全身の動きを停止してしまった彼の右腕を、ノアはおもむろに持ち上げた左手で掴む。機械の腕は重く固いはずであったが、女傑はそれを難なく押し上げ、心臓を貫いていた剣を引き抜いた。

 穿たれた左胸から栓が外れ、血液がどぷっ、と大量に流出していくがノアは意にも介さない。

 右手でアベルから剣を奪い取り、それを床を滑らせるように遠くへ飛ばす。

 得物を失ったアベルに、機械の体を押し退けて上体を起こしたノアは言った。


「作られた時から、死ねない身体なんだよ、あたしは。神々が使ってる【不老の術式】じゃない、正真正銘の【不老不死】の魔術が、あたしにはかけられてる」


 ノアは腰の上に乗っかっていたアベルを、立ち上がった勢いも加えて思いっきり突き飛ばした。

 イヴがノアを生み出した最大の目的こそが、世界の記憶を保持するということだった。《ユグドラシル》のメインコンピュータには歴史の全てが書き込まれているが、機械であるため万が一にも壊れてしまわないとも限らない。そこで女王は、不死の魔女を作ることで《ユグドラシル》のバックアップとしたのだ。


 驚愕に未だ行動を起こせずにいるアベルの前で、ノアは床に落ちていた自身の武器を拾い上げる。

 そうしている間にも、彼女の穿たれた胸からは水蒸気のようなものが白く上がってきていた。

 アベルの目には、それが治癒魔法と同等の現象であることがすぐに分かった。だが、本当に彼を驚かせたのはそこではない。

 

「ちくしょう……しかし、こんな痛い思いをしたのも久しぶりだよ。機械の癖に人間様を本気でぶち殺そうとしてくるなんて、あんたは罰当たりな奴だ」


 そうのたまいながら、ノアは《白銀剣》の刃の表面に写る自分を眺めていた。

 彼女の足元からじわじわと這い上がってくるのは、アベルのせいで床にぶちまけられた血液である。重力に逆らって勝手に元いた体内に戻ろうとしていく赤い体液――それを見て、今度こそアベルは叫んだ。


『なんだそりゃ……そんなの、反則じゃねえか!』

「文句なら姉さんに言ってくれよ。あんたが人工知能として生まれたように、あたしも不死者として生まれたってだけなんだから。――さぁ、アベル。どうするの? あんたの片割れはもう、動けなくなったみたいだけど」

『はぁ!? ハッタリもいい加減に――』


 ノアは腰を抜かした機械人形を見下ろし、剣を突きつける。

 顎で向こうのカインを示してやると、声を荒げかけたアベルは絶句せざるを得なくなった。

 パールの魔法でカインはしばし束縛されている。シルも今ごろ、自身の記憶から究極の魔術の鍵を取り出せているだろう。

 

 ――勝った。


 ノアはほくそ笑み、剣を握る手に水の魔力を送り込んだ。

 この一撃でアベルを凍りつかせ、双子を無力化してしまえばもう邪魔者はいなくなる。

 そう、彼女が勝ちを確信した瞬間――。


 彼女が手の中に溜めていた青い魔力の光が、音もなく消失した。


「なっ……!?」


 瞠目するノアを見上げる機械の口許に、弧が描かれる。

 これまでの動揺ぶりも嘘のように、立ち上がったアベルは威勢よくノアへ吹っ掛けた。


『はあッ!!』

 

 炎を纏って突き込まれる長剣。

 どうということはない普通の攻撃だ。これくらいは返せる――ノアは当然そう思った。

 が、しかし。

 敵の剣の側面を狙って打ち出した彼女の刃は、目標に()()()()()()()弾き返されてしまう。

 

「ぐっ――!?」

『はっ、もう一発いただくぜ!』


 激しく火花を散らす鋭利な鉄の塊が、女傑の左肩を粉砕した。

 脳天を衝くような強烈な痛みに彼女は絶叫しそうになるも、歯を食い縛って堪える。

 

 なぜ剣に触れられなかったのか、その理由はおおよそ検討がついていた。

 その訳を認め、自分の未熟さも恥じなければならないことも分かっていた。

 だが――そこで諦めるのは違う。逆境だからこそ、今ある力全てを出しきって戦わなければ意味がない。


「新しい魔法かい、アベル……? いつの間に、発動していた?」


 右腕のみで剣を構え直し、次いでやって来る第二撃をどうにか受け止める。

 一振りの剣から放たれるものとは思えない力が、女傑の腕から全身へ伝い、骨も筋肉も震わせる。

 

『発動したのは俺じゃねえ、カインだよ』

『そうさ。ノアも知らない、僕らの新たな魔法……それが【フォールン・エデン】』


 アベルの返答に続き、カインの声がその魔法の名を告げた。

 パールの【ステラ】に縛られていたはずの彼は、悠々と体を起こしながら背中の二対の翅を伸ばす。

 息を呑んで杖をカインに向ける青年と少女もすぐに、あるはずのものがない違和感に気づいた。

 

『ふふっ……君たちはもう、魔法を使えない』


堕ちた楽園フォールン・エデン】。

 それはイヴが双子に与えた、対魔導士において無敵の効果を発揮する大魔法であった。

 その能力は、効果範囲内にいる人間の魔力生成を封じるというもの。もちろん双子は機械であるため、この効果の影響は一切ない。

 遅効性であるのが大きな欠点だったが、その分発動してしまえば絶大な制約を敵に課すことができるのだ。


『そこの雑魚どもはいい……狙うべきは、シル・ヴァルキュリアのみ!』

「――させない!!」


 黒い眼が倒れ伏す魔女を捉え、床を蹴って猛進する。

 同時にノアもアベルを放り出してカインを追走した。

 絶対にシルは死なせてはならない。彼女が殺されれば全てが無に帰す、最悪の結末が訪れてしまう。

 魔法は使えない――それを分かっていながら、ノアがこれしかないと【魔法剣術】の構えを取った、その直後。


 天井から大砲でも撃ったかのような爆音が響き、続いて、床が一揺れした。

 この鳴動が何を意味しているのか――その答えはまだ、この場にいる誰も導き出せていない。

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新作ロボットSF書きました。こちらの作品もよろしくお願いいたします
『悪魔喰らいの機動天使《プシュコマキア》』
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