30 悪の魔女
一族を再興すること、それがイヴの悲願であった。
彼女の他に生き残っているのは年寄りを含めても、もう二十人もいない。このままでは近い将来、一族が滅びてしまうことは避けられないだろう。
そんな中、未来を憂える彼女の前に一人の男が現れた。男の名は『アダム』。帝国の科学者だという彼がイヴに提示した一つの道は、「『魔女の遺伝子を持った人間』を人工的に殖やす」というものだった。
『魔女の力が帝国の役に立てば、君たち一族は誰もに認められ、立場も保証される。強力な魔女を生み出せば僕は富と名声を手に入れられ、君の願いである一族再興も進むだろう。……まぁ純血の魔女が増えるわけではないがね。それでも、『魔女』の血が残ることには変わりない』
イヴとアダムの利害は一致していた。一族の長老たる老婆に許可を貰い、イヴは魔女の隠れ里を出て青年とともに外界へ足を踏み入れる。
アダムは大富豪の家に生まれ、首都郊外に巨大な研究所を有していた。そこでイヴから採取した遺伝子を解析し、人に組み込むための研究が早速始まった。
『やはり君の遺伝子は普通の人間とは根本的に異なっているようだ。……魔力とやらがどうやって生み出されているのかも調べなくてはならないな。やることは山積みだ』
アダムはとりわけ美形というわけでもなく、背丈も平均的で平凡な見た目をした青年だった。
それでもイヴは、白衣姿で研究に没頭する彼を眺めているうちに、自分がこの人に惹かれているのだと自覚するようになった。
初めは自分たちの利益になるならと、青年への嫌悪を封じ込めてついて行くことを決意した。だがいつしかその思いは薄れ、日夜研究に励む彼の姿を美しく輝いたものとして捉えるようになっていた。
アダムが魔女の研究を開始してから一年が経った、ある夏の夜――研究所のベランダで涼んでいた彼にイヴは寄り添い、囁きかけた。
――私とあなたで子供を作りましょう。その子のクローンを生み出せば、魔女の力を持つ人間は増やせるわ。
この時イヴは二十歳、アダムは二十五歳。子供を無理なく産み育てることができる年齢だ。
帝国において人間のクローンを生み出すことは倫理的に認められていない。彼女の計画を聞いたアダムははじめは躊躇ったものの、イヴの「作るのは人でなく魔女よ」という言葉に押し込まれてしまった。
しかし彼女の台詞は事実に即していた。アダムも既に気がついていたことだが、魔女と人間の遺伝子には決定的な差異があった。魔女の脳には魔力を生み出す部位が存在しており、心臓のあたりにはそれを溜め込む『見えざる器官』があるようなのだ。
『魔女』を一言で形容するなら、「進化した人類」と言える。戦乱の時代を生き抜くための力を手にした、特別な存在。アダムたち人類とは明確な別種だ。
だが、この案を実行に移すには一つの障害があった。
それはアダムの長年のパートナー、リリィの存在である。リリィが直接アダムに対して告白していた、という話は聞いたことがなかったが、彼女がアダムに向ける視線を見ていれば嫌でもその好意がわかった。
同時に彼女がアダムの傍らに長くいるようになったイヴを疎ましく思っていることも、とっくに気づいていた。
アダムは計画に一度は頷いたものの、リリィのことを思って中々行動に移そうとはしてくれなかった。
時間だけが過ぎて行き、アダムの魔女遺伝子に関する実験も思うように進まず、もどかしさだけが募っていく。
加えて、追い打ちをかけるように帝国辺境にて内乱が勃発したとの報が入った。つい最近帝国に下った属国で起こった内乱――帝国の力が伸び悩みつつあるのを見抜かれ、足元をすくわれたのだ。
『研究を急がなくては……国が危機に瀕しようとしている今こそが好機なのだ。『魔女』は必ずこの国に栄光をもたらす。何としてでも完全なる魔女を生み出さなくては、今まで積み重ねてきた全てが無駄になってしまう』
青年が焦燥に駆られる中、イヴはただ側で彼を支えてやるしかなかった。
そして、満月が銀色に輝くある夜――イヴの寝室に訪れたのはリリィだった。
『イヴ……話があるんだ。少し、いいかな』
話の内容は概ね察しがつく。イヴは書き物をしていた手を止め、どうぞ、と声を返した。
ドアを開け、隙間から覗いてきた女性の表情は驚くほどに穏やかな微笑みで、イヴは無意識に息を呑んでいた。その反応もさして気にすることなく、白いボーイッシュなショートヘアの女性は静かな足取りでイヴのもとへ近づく。
『キミがアダムに子供を作ろうと持ちかけたことは知っているよ。その上で、私に遠慮してそれを実行へ移せずにいることもね。……もう時間が残されていない、それは存分に理解している。けれど、私にだってずっと前から彼に抱いてきた気持ちがあるんだよ。彼への想いを捨てるなんてできない。だからね……折衷案を用意してきたんだ』
彼女が説明する案というのは、以下のようなものだった。
魔女の血を引く女性――すなわちイヴと、リリィの両方がアダムとの子を作ること。二人の子を『魔女』計画の実験体第一号として、ともに育てること。自分たちはアダムと結婚することなく、あくまでも研究のパートナーとしてともに寄り添っていくこと。
リリィから彼女の計画を聞き、イヴがまず口にしたのは「やっぱり」という言葉だった。
魔女の一族の特徴の一つに、普通の人間には滅多に見られない髪や瞳の色がある。真っ白い髪に血の色のような紅の瞳を持つ者はかつての一族に多くいたというから、初対面の時からもしやと思っていたのだ。
『生まれる子は一人より二人の方がいいだろう? 魔女であることを黙っていたのは謝るよ。私は君たち「緑の民」と対立していた「白の民」の末裔だからね……出自を明かすのが正直、怖かったんだ』
『先祖のことは引きずっていないわ。だから、気にしないで。……あなたの案、私は乗るわ。アダムを巡っていがみ合うより、手を取り合っていった方がいいでしょうし』
『ありがとう。魔女一族の再興のために尽くす君の姿は、ずっと尊敬していたよ』
『ふふ、どうも。私もあなたのこと、とても素敵な人だと思うわ』
二人で笑みを交わし、手と手を握り合う。リリィの肌の柔らかな温もりを感じながら、イヴは彼女への認識を改めていた。
最初はいまいち思考の読めない人物だと思っていた。だが、こうして話し、同胞であることも明確になった今はもう違う。リリィはこの先、イヴが悲願を叶える瞬間まで側に居続ける大きな存在になるだろう。新しい魔女の一族を二人の魔女が作り出す――その未来を思い描き、イヴの胸は熱くなった。
こうして、『魔女計画』は本格的に始動する。
あの夜の約束から二ヶ月も経たずして、まずイヴが妊娠。それから一月遅れてリリィも子を身ごもった。
焦燥から苛立つことの多かったアダムも、また以前と同じく研究に集中できるようになった。
イヴは青年と彼の部下たちが研究室で実験に励む様子をリリィと二人で見守りつつ、彼女と「魔法」について情報交換も始めた。家系の違いから本来なら出会うはずもなかった相手と、それぞれが磨いてきた魔術を語る……これほどまで刺激的なことは他になかった。
『子供が生まれたら、二人で魔法を教えましょう』
リリィと魔法に関する話をするとき、例外なくイヴはそう口にしていた。自分たちの子こそが、未来の魔女一族を築き上げていく希望になるのだ。その子たちが子を生み、その子供もまた……それを脈々と繰り返していけば、長い時間はかかるが一族は歴史の表舞台に復活するだろう。
イヴの人生の絶頂期がいつかと問われれば、まさしくこの時だ。輝かしい展望に胸を躍らせ、腹の中の子の成長を慈しむ。同胞と共に愛する研究者に寄り添い、時に魔女の視点からアドバイスしてみる。たくさんの笑顔が、この短い時間の中で鮮やかに色づいていた。
それから出産日を迎えたイヴは、無事に元気な双子の男の子を出産する。
双子はカインとアベルと名付けられた。母子ともに健康に出産を終え、彼女はリリィをはじめとする皆から祝福を受けた。陣痛が始まってから研究を中断して付き添っていたアダムも、『よく頑張った』と目元に疲労を滲ませつつも笑ってくれた。
――この子達に幸せな未来がありますように。
純粋な慈愛の心で彼女は祈る。その願いが潰えてしまうことを、この時彼女は予覚すらしていなかった。
一月後、リリィもまた出産日を迎えた。だがしかし、彼女にもたらされたのは祝福ではなく、まだ年若い女性に下すにはあまりに残酷な宣告だった。
生まれた子供は既に死んでいたのだ。産声を上げない赤子を胸に抱き、白髪の女性は張り裂けんばかりに声を上げて泣いた。
『私のなにがいけなかった……? この子が何の罪を犯したっていうんだ、なぜ産声を上げさせてもらえなかった……?』
誰にも罪はなかった。これは誰にでも起こりうる不幸だった。にもかかわらずリリィは激しく自分を責め、アダムやイヴの慰めの声も耳に入れなかった。
『私が「白の一族」だったから……忌むべき血筋だったから、神様に許されなかったのかな』
リリィの子が死産したその夜、イヴはベッドでリリィがこぼした言葉に何を返すこともできなかった。
白髪の女性が浮かべていた何よりも優しい微笑みは、既にそこから消え失せてしまっていた。
魔女と人間の子供がどう育つのか、アダムもイヴも一切知らなかった。そのため二人は常に細心の注意を払って双子の世話をしたが、その心配を他所に子供達はすくすくと問題なく育っていく。
カインとアベルの成長速度はアダムや部下の研究者たちを大いに驚かせた。まず結論から言ってしまえば、彼らはアダムの血を引くとはいえ人の子ではなかった。双子にとっての一ヶ月は普通の子供の一年に相当し、生後一年が過ぎた頃には人間の十二歳程度に大きくなってしまったのだ。
さらに驚くべきことに、精神年齢も肉体の成長に比例しているようだった。母親の血を色濃く受け継いだ緑の瞳をした美しい双子は、高い魔力を誇る聡明な子へと成長した。よく本を読み、研究員たちのもとで学業に日々専念していた彼らは、この年齢にして並みの大学生以上の知能を有していた。
まさしく神童――この研究所の誰もが双子をこう評した。天才的な頭脳、優れた運動能力、抜群に整った容姿、内に秘める膨大な魔力、その魔力を完璧に自制する力……『魔女計画』により生まれた子供として、これ以上に素晴らしいものがあるだろうか。
とにかく双子は完璧だった。外の人間たちと違い、彼らは汚れを知らない。純粋無垢な少年たちは両親を敬愛し、同時に愛をたっぷりと注がれて育った。
そのためだろうか、アダムもイヴも双子に対して少々甘くなってしまっている部分があった。
事故が起こったのは双子が生まれて一年と二ヶ月が経ったある日。外の世界を見てみたい――好奇心をついに抑えられなくなった彼らは、両親にそう懇願した。
彼らの願いにアダムとイヴは迷うことなく頷く。この時、二人は『魔女計画』の成果を論文として発表する準備に取り掛かっている最中だった。あと少しで執筆が終わるという山場にあり、中断するのはどうにも躊躇われる。
それに――もういちいち親が監督しなくとも双子はやっていける。なんと言ったって、彼らは「完璧」なのだから。
しかし、研究員たちは念のため付き人を用意するべきだと言って譲らなかった。そのため多忙な両親の代わりに子供たちに付き添うことになったのは、死産の傷が少しずつ癒えてきていたリリィであった。
『私でいいのなら、その役目を引き受けるよ。たまには気分を晴らしたいしね』
外への期待に胸を膨らませていた双子、彼らを見つめる白髪の魔女の微笑み……そのどちらも、この日を境に決して戻らぬものとなってしまう。
交通事故に遭って双子は亡くなった。神童と呼ばれた子の死に方としては何ともあっけなく、誰にでも起こりうるものであった。警察や消防が事故現場の処理を淡々と進める中、双子の保護者であったリリィは呆然とそれを見つめるしかなかった。
彼女にはどうにもならない不幸だった。居眠り運転のトラックが信号無視して突っ込んできたとなれば、誰がどう防げばいいのか。
単なる不幸ならまだよかった。最悪なのは、双子を残してリリィが生き残ってしまったこと。双子はリリィを突き飛ばして庇い、自分たちは回避が間に合わずに命を落とした。リリィを守ろうとしなければ彼らは確実に助かっていたのだ。双子は、リリィが殺したようなものだ。
研究所に一人で戻ったリリィを待ち受けていたのは、これまでとは全く異なる敵意に満ちた視線だった。
アダムたちがこれまで積み上げてきた『魔女計画』の成果の全てが、彼らの愛しい息子たちが、無惨に残酷に失われてしまったのだから、そのショックは何にも代え難い痛みとなって彼らの胸に刻まれた。
『あなたのせいで』『あなたがしっかりしていないから、二人は死んだのよ』『ちゃんと見守っていたのかよ』『そもそもリリィに任せたのが最初から間違っていた』『お前は不幸を身に宿してるんだ、だから双子にそれが降りかかった』
お前のせいだ。お前が悪い。お前さえいなければ。お前は悪人だ。お前は――――。
仲間だと思っていた者たちが、口を揃えてリリィをそう罵倒する。
リリィに非はない。だが、双子を失った悲しみや悔しさ、怒り、全ての感情の捌け口として彼女は格好の的だったのだ。
リリィは何も言い返すことができなかった。そんな彼女が救いを求めて縋ったのは、誰よりも愛してきたアダムと、この場で唯一の同胞たるイヴであった。
『君を信じて任せたのに……これで二度目だぞ、君が僕の期待を裏切ったのは』
アダムならば許してくれると、どうしようもない不幸だったのだと認めてくれると思っていた。
だが、その希望は酷薄にも打ち砕かれた。結果のみを重視し追い求めるアダムにとって、リリィが子を死産した時には既に失望の念が胸に宿っていた。それでも彼はかろうじて許していたが、今回の件で完全にリリィは見放されてしまった。
『イヴの故郷の森で長老に聞いた伝承――白の魔女は禍を齎す存在である。単なる言い伝えに過ぎないと考えていたが、どうやら真実だったようだ。お前は僕たちから『魔女計画』の全てを奪い去った、悪女だ。悪の魔女……それがお前の正体だったのだな、リリィ』
――違う。違う。私は何も悪くない! 悪いのは……悪いのは、……悪いのは、誰なんだ?
心の中で叫びながらも、リリィの体は凍りついて微動だにしない。
イヴはそんなリリィを黙って見つめていた。最愛の息子を亡くした直後とは思えない冷静さで、緑髪の魔女はこの物事を捉えていた。
――カインとアベルは不幸な事故で死んだ。責めるべきはリリィではなく、居眠り運転の運転手だ。そんなこと、よく考えなくても分かることだろう。なのに……皆は目の前が見えず、不幸なリリィを傷つける。彼女を疫病神だと罵り、これまでの付き合いも忘れて突き放そうとしている。
リリィを助けられるのは、イヴしかいない。イヴが皆の目を覚ましてやれば、この事故にリリィの非はないことが自明だと気づくはずだ。
それを理解していながら、イヴは無情にも救いの手を引っ込めた。
イヴにとってアダムを恋慕するリリィの存在は邪魔だった。彼女さえいなければイヴはアダムを独占でき、二人だけの愛を育めるのだ。その愛の間に他の女はいらない。
『研究所を去って、リリィ。私たちにとって、あなたはもう必要ないの。皆も言っているでしょう……あなたは悪の魔女。悪をいつまでものさばらせておくことなんて、許容などされないわ』
イヴの言葉に本心は一切含まれていなかった。魔女計画を進める上で研究に携わる魔女は一人でも多い方がいいし、たとえ不幸であろうとリリィはイヴにとって尊敬すべき友であった。
ただ一人の男を手に入れたい女の欲望のみが、今の彼女を突き動かしている。
悪はリリィではなく、イヴだ。リリィを悪の魔女と決め付けるアダムや研究員たちこそが、悪人なのだ。
その夜、白髪の魔女は荷物を纏めて研究所から去っていった。
最後に門前で彼女を見送ったのは、イヴ一人のみ。緑髪の魔女は親友の白い髪を梳くように撫でながら、その耳元で囁いた。
『ごめんなさい……私は、私欲のためだけにあなたに【悪】のレッテルを貼った。本当の悪人が誰なのかなんて、分かりきったことなのにね』
『いいんだ。私が不幸を呼び寄せることは否定できない。きっと、先祖の悪行のせいで私は呪われてしまったんだ。イヴ……「魔女計画」の今後を頼んだよ』
リリィは自嘲するように小さく笑い、イヴの手をそっと握って言った。
彼女の願いにイヴがわざとらしいほどに重々しく頷く。リリィを魔女計画から排除したのは彼女自身なのだから、その分の責任も負わなければ筋が通らない。
不幸により双子は死んだが、蓄積したデータは残っている。それをもとに、より強い魔法使いを生み出せばアダムの野望は叶うのだ。そしてイヴの悲願も達成に近づく。
――今度は、より多くの子供を作らなければ。
カインとアベルのように不慮の事故で亡くなるケースも想定して、予め多めに子供を産んでおけばよかったのだ。
双子の遺伝子のデータと細胞の幾つかはサンプルを保存してある。それを元手に彼らのクローンを生み、究極の魔導士兵団を結成する――ここまでやって『魔女計画』の完遂と言えるのだ。




