23 ケルベロス
心の中で紡ぎ上げるんだ。精霊たちから継承した、僕の新たな魔法を。
今、僕に手を伸ばして魔術をかけようとしている少女よりも早く、対抗呪文を唱える。そうしなければ、僕はなす術なくこの女の子に倒されてしまうだろう。
「……ッ!」
眦を吊り上げ、目の前の敵を睨む。彼女をも凌ぐ、強い戦意と殺意をもって。
僕たちはここで負けるわけにはいかない。絶対に、突破する!
──【我が名は闇精霊ノクス、暗黒の化身、夜の王】
心臓の奥底から魔力が燃え上がってくるのが分かる。暴れ馬のごとく、その力は今にもこの身体を引き裂いて外へ出ようとしている。
──【深淵より這い出で、あまねく魂を支配せよ】
出来た。あとは、撃つだけ──!
『さぁ、その命を差し出しなさい。《奪魂》!』
「──《闇精霊の奥義》!!」
少女の手のひらが白く輝くのとほぼ同時に、僕はその魔法の名を叫んだ。
彼女の技とは真逆の暗黒のオーラが迸る。僕と少女、二人の周囲が闇に包まれ、直後、その闇が急速に狭まっていく。
中心点となった僕のもとへ集束するように、黒い世界は小さくなる。何が起きているのか咄嗟に理解できなかった少女は、僕を睨み付けながら叫び散らした。
『なっ……何なんですか、これはっ!? あなた、一体……ッ!?』
驚愕する少女に、しかし僕は何も答えなかった。少しでも集中を乱せばこの魔法は失敗してしまうため、今の僕に呑気にお喋りしている余裕はない。目を瞑り、技の終了まで魔力の制御に全力を注ぐ。
『いやっ、こ、来ないで!! きゃあっ──!?』
闇は少女の悲鳴を、次いで僕らを押し潰した。僕がさっき目を閉じておいたのも、この魔法による恐怖を少しでも軽減するという面があった。
ぐにゃり、と全身が文字通り歪む。魔力が生み出した闇の力があらゆる方向から加わってきて、僕も少女もその原型を失う。超常的な圧力に身体はもうバラバラ、物質を構成する粒子の単位まで小さくなり、意識も消失した。
そして──。
「……終わったよ」
世界は、光を取り戻した。闇は完全になくなり、氷の洞窟の景色がそこにあった。
重力に押し潰され、粉々となった身体もすっかり元通りになっている。僕は瞳を開き、先程までと同じ場所でうずくまっている少女に告げた。
『え……? あ、あたしは……?』
「君は生きているよ。ただし、もう全ての魔法の効果は受けられない状態だけど」
しどろもどろになる女の子へ、言葉を続ける。
顔を上げ、彼女はこちらの存在を確かめるように見──それから、信じられないものを見たという様子で目を大きくかっ開いた。
それも当然だ。何せ、一度は闇と共に消滅したはずの僕がそこにいるだけでなく、エルたちと一緒に何事もなかったかのように立っているのだから。
『…………!?』
ただ口をパクパクさせることしか出来ない彼女に、僕は種明かしすることにした。
「僕たちの動きを封じていたはずの氷がどうしてなくなっているのか……それに、今の魔法は何だったのか。知りたいだろう?」
少女の表情は衝撃に大きく揺れていた。それを見て、彼女を精神的に弱らせることが出来たのを確認する。
僕は少女へ向けて、畳み掛けるように説明を開始した。
「闇精霊の奥義……この魔法には二つの効果がある。一つは、対象に幻影を見せるというもの。さっき闇が君と僕を包み込んだのは、全てが虚構だったというわけさ。そしてもう一つは、対象者が使用していた魔法の全てを『なかったこと』にするもの。君が僕らにかけていた氷魔法も、かけようとしていた術も、この瞬間に全部キャンセルされた。──これから君が僕にどんな魔法を使おうと、僕はそれを即座に打ち消せる。君の勝利はあり得ないよ」
魔法の効果については真実だが、最後の脅し文句は大嘘だ。この魔法を使う際に必要な魔力の量はあまりに多い。そのため、すぐにまた使用することは出来ないのだ。少女が同じ技をもう一度出せば、今度こそ僕らは確実に彼女の餌食となってしまうだろう。
「組織の手の者に、僕は容赦する気なんて更々ない。人殺しは嫌いだけど、それでも僕はやる。エルやシアンたちの手を無駄に汚させるくらいなら、僕が」
ブラックホールに吸い込まれ、圧し潰される──つまるところ「死」を疑似体験した少女をさらに追い詰めるため、あえて僕はそう口にした。
ここで彼女に構っている時間はない。絶対的な敗北感を植え付けて、戦う気力さえ奪い取る──彼女との戦闘は、これで避けられるはずだった。
が、しかし。
『あたしの勝利はあり得ない、ですって……?』
白い裸の肩を震わせて、少女は言った。か細い、か細い声。けれど、その言葉には明確な意志が込められていた。
『馬鹿げていますわ。あたしが取れる攻撃手段はなにも、魔法だけじゃないんですから!』
頭を振りながら青い目の少女は立ち上がる。揺れる銀の髪からは強い闘気と殺気が放出され、動揺していたはずの表情も平静に戻っていた。
その様子に僕はぞっと背筋を粟立たせる。
――まさか、あれだけ弱っていたのに、もう再起したっていうのか……!?
「トーヤくん、来るッ!」
「わかってる――神テュールよ、我が身に力を!!」
エルが鋭く叫び、僕は奥歯をぐっと噛み締めた。目の前で微笑む少女を睨みつけながら、左腰の黄金の片手剣を引き抜く。
鞘から刀身を覗かせた途端にまばゆい光が溢れ出した。どくん、どくん、と魔力が僕の体内で脈動し、それは腕を通して剣へと流れ込んでいく。
剣の光が全身を包み、一瞬スパークしたような熱を感じると――次には僕は神テュールの《神化》を果たしていた。
『あら、さっきまでと違って、随分とたくましい姿になりましたね。惚れ惚れしちゃいます♥』
《神化》によって僕の上半身は筋骨隆々となり、衣服も何もない剥き出しの状態に。短いツンツン髪は鮮やかな朱色で、瞳も同じ色だ。下半身の長衣の腰元には黄金の紐飾りがあしらわれ、神の能力を宿すに相応しい華美かつ力強い様相を醸していた。
『でも……姿を変えられるのは、あなただけじゃなくってよ』
少女の右眼の奥から赤色の光が鈍く輝きだしたのを見て、僕は駆け出していた。
これから何が起こるのか――ルノウェルスの戦いで僕は同じ能力を使う相手と戦っている。だから、考えずとも分かった。
《神化》に対抗するためだけに生まれた、人と怪物を融合させる禁術……すなわち《魔獣化》。あのエイン・リューズとよく似た少年が『フェンリル』と化した時と同様、銀髪の少女もその身を変化させていた。
「――ッ!」
『おっそーい♥』
横薙ぎに斬りかかった僕に対し、少女はそうのたまった。剣に何の手応えも感じず、舌打ちしながら相手の動きを目で追いかける。
「チッ……!」
少女は僕が間合いを詰めようとした刹那、地面を蹴って大きく横に移動していた。
ザザッ、と氷の床を削りながら彼女は壁際で止まる。その姿を認めて、僕は目を瞠った。
三面六臂の異形――彼女の姿を形容するなら、これが一番正確な表現だろう。文字通り三つの頭と六つの腕を持った女は、美麗な顔はそのままに髪の下から獣耳を生やし、口には鋭い牙を備えていた。陶器のように滑らかな白い裸体も美しくはあったが、人類が怪物に抱く「忌避感」がそれを台無しにする。
『ふふっ。あたしの攻めについてこられるか、楽しみですよ、「英雄さん」。──他の子たちも遠慮せずにかかってらっしゃい、ぜーんぶあたしが返り討ちにしてアゲルから』
挑発的な目が僕たちを見渡した。
三つの唇に薄い笑みを湛え、怪物の少女は全ての手のひらにそれぞれ異なる色の光を宿す。
これは魔力が発生するときに現れる光だ。赤色は炎、青色は水と色によって属性が決まっている。この少女が生み出したのは先の二色と、雷、風、命、力を加えた六属性だった。
『あら、今さら怖じ気づいちゃいましたか~? トーヤ君、あなたはあたしを屈服させたと思っていたようだけど、それは見込み違いだったわね。さっきのは、初めて体験する「死に方」に驚いただけ。あなたの策自体はよかったのよ、普通のヒトにはかなり堪えるでしょうから。でも……あたしは普通でもヒトでもない』
手の中で魔力を練りながら少女は長々と喋った。
その間、僕らは彼女の台詞を棒立ちで聞いているわけではなく、各自の武器で全方向から少女を狙って攻撃を打ち放つ。
エルとリオの風魔法、ユーミの大剣、ジェードの魔具のガントレット、シアンの炎属性の魔具──形状も特性もてんでんばらばらなこれらの技は、しかし少女に通用することなかった。魔法にはそれに有利な属性の対抗魔法を、剣や拳には力魔法で強引に押し返す。
不敵に笑う少女は、完璧に先の言葉を有言実行してみせた。
僕はテュールの剣で刺突攻撃を行い、神器の持つ能力でそれをそのまま前方へ飛ばす。
「君も死に慣れてる口なのかい! そりゃあ効かないわけだ……全く、失念していたよ!」
『あたしたち《怪物》は死を恐れない。覚えておくことね、トーヤ君。……と言っても、あなたの首もすぐになくなるケド……♥』
壁際から通路の真ん中に陣取った少女は、僕の挙動に身体を右横に捻ることで対応した。
何の迷いもなく即座に避けられ、「やっぱり知ってたか」と内心で舌打ちする。
テュールの剣の能力は、いわゆる「初見殺し」の面が大きいのだ。斬撃を「飛ばす」攻撃を普通は想定などせず、使われた相手はただの空振りとしか思わない。だが、それを理解していれば対処法はすぐに導き出せる。
テュールの剣への対応策──すなわち、剣筋を読んで避ける、もしくは受け止め弾くことである。
『ぬるいですよ、トーヤ君』
『冥界の番犬たる《ケルベロス》の力をもって、あたしは貴方を征服します』
『ふふっ、覚悟は出来ていますよね♥』
少女の三つの顔がそれぞれ口を開き、紅に妖しく輝く瞳で僕を射抜いてきた。
話しながら、女は手の中で育てていた魔法をようやく解き放つ。
炎、水、風の三属性の単純な基本攻撃だが、その威力は甚だしい。渦巻く魔力が溢れだし、この洞窟の壁や床をびりびりと震わせていく。
「──エル! 結界を張れ、皆を守るんだ!!」
僕は魔法が完全に発動される前にそう叫んでいた。
この魔力の高まりに比肩する魔法を、僕は二度しか経験したことがない。あの《リューズ》が使用した【血餓の災獄】と、ベルゼブブの加護を得たエインの【死喰暴牙】。あれらと等しい火力の魔法を食らえば、僕たちは確実に致命傷を負ってしまう。だがまだ目的を果たしていないのに、ここで死ぬわけにはいかなかった。
「ああ、トーヤくん──【戦女神の盾】!」
両腕を大きく横に開き、エルは呪文を高らかに唱えた。
エメラルドグリーンのドーム型をした防壁が、彼女を中心として構築される。
背後のそれを一瞥し、僕はテュールの剣を握る手に力を強く込めた。彼女だけに全ての魔法を受け止めさせられない。リーダーである僕が閔なの前に立ち、守らなくては。
『アハハ、一気に叩き潰してあげる♥ 片割れが敵わなかった神器使いに、あたしは勝つの! ──【三ツ首の魔犬撃】!』
少女の三対の手から放たれたのは、狂犬の首を象った三属性の魔法攻撃だ。
細く尾を引きながら飛来する炎、水、風の弾丸の先頭が獣の顎のように割れ、僕たちを噛み砕かんと襲いかかる。
「はああッ!!」
旋回しながら迫ってくる魔法の弾を捉え、気合いと共に僕は刃を振るった。
斜めに切り上げた剣の斬撃が灼熱の魔弾に命中し、そして破壊する。
本来僕にぶつかり殺すはずだった炎は空中で暴発──そのまま魔法は終わると思われたが、しかし。
一瞬は散り散りとなった炎が、瞬く間に集合し直して再び怪犬の頭を形作った。
えっ、何で──。僕は瞠目しつつもテュールの剣でまた炎を狙う。くるくると回転をかけながら向かってくる炎弾は、さっきと同じく崩れたものの……だがすぐに復活してしまう。
「トーヤくん、この魔法……いつまで経っても終わらない!」
壊しても蘇る炎の弾を食らうまいと剣を振り続けていると、エルの喉の奥から絞り出したような悲鳴が聞こえてきた。
よそ見は命取りになる、けれど彼女たちが心配だ──僕が二つの感情に揺れていると、それを察したのか少女は楽しそうに声を上げて笑った。
『あは、まず自分の身を案じた方がいいんじゃないですか? まあ、案じたところでどうにかなる技でもないですけど』
斬れども斬れども分散した炎は再構成され、僕の身体を焼き尽くそうと迫り来る。
確かにあの子の言う通りだ。今の僕に他のことを気にする余裕なんて全くない。
無限に再生する炎、水、風の攻撃を終わらせる方法は二つある。一つはさっき使った『闇精霊の奥義』をもう一度発動し、敵の魔法の効果を打ち消すこと。二つ目は僕たちがその技をこの身に受けること。
前者のために使える魔力はもう僕の身体には残っておらず、子の策は採れない。ならば後者しか選択肢はないのだが……そんなことをしてみれば確実に致命傷を負う。迷宮内で動けなくなればどうなるか、僕はそれを知っている。これも、進んで採りたくはない方法だ。
「剣で防ぐ僕の体力も、防壁で身を守るエルの魔力も、無限ってわけじゃない……。こうして防御していても、いつかは攻撃を食らってしまう」
『わかってるじゃない。そう、あなたたちはあたしの魔法からは絶対に逃れられない。大人しくやられることね』
僕たちのどんな行動もただの時間稼ぎにしかならないことは、もちろんわかっている。だが時間を稼ぐことが無駄であるとは僕は思わなかった。
戦いにおいて流れを変えるのは、新たなる「技」とそれを生む「閃き」。
弱点のない魔法など存在しない──これはエルが僕に教えた言葉の一つだ。──無敵だと思っていた魔法にも、本人が気づかないだけで弱点はある。戦う相手がそれを自分よりも先に見出だしてしまうかもしれない。だから、傲るな──。
今の少女はきっとあの魔法を信じきっている。僕が『闇精霊の奥義』を使用できないことも見抜いて、勝利を疑いもしていない。
「はぁ、はぁ……厳しいね。でも……僕だって、ただで負けるわけにはいかないよ」
敵の全てを「見る」のだ。彼女の魔法だけでなく、表情や動き全部。
そして「見る」べきは敵だけでなく、自分や周囲にあるあらゆる物もだ。戦況を変える何かは必ずある。それを手に入れた者こそが、この戦いの勝利者となるのだ。
エルは言った──決して傲慢になるなと。
カイは言った──相手から目を離さず、「観察」し続けるのだと。
ヴァルグさんは言った──読むべきものは「流れ」であると。
オリビエさんは言った──何より役に立つのは「知識」であるのだと。
リリアンさんは剣や魔法だけを頼るなと教え、フロッティさんは武器の声を聞けと告げた。
また、ヘルガ・ルシッカ女史も「声」を聞くのだと口にした。皆が気にも留めないどんなに些細な音でも、それが自分にとって役に立つものかもしれないのだと。
「そう……か。最初から、そうすれば良かったんだ」
そこまで考えて、僕はやっと気がついた。
口許をきつく引き結び、紅き魔炎と少女を静かに見据える。




