22 憤怒の悪魔
カルは笑う。背後に炎を立ち上らせ、手には白銀の長杖が握られていた。
「カル! お主、何を……!?」
リオは、黒煙を上げて炎上する天幕を見て叫ぶ。
燃えているのは彼女とリヨスさんの住む大天幕で、既に半分以上が焼けてしまっていた。
「ゲホッ、ゲホッ……。火が、すごい勢いで……」
熱気と煙に、僕達は口元を押さえて咳き込んだ。
炎は普通じゃない速度で燃え広がっており、こうしている間にも周囲の木々を火の海に変えている。
「何だ!? 何が起こっているんだ! ?」
近くの天幕にいたエルフ達が飛び出してきて、辺りを見回して蒼白な顔になった。
自分達の森が、燃えている。
怒りと憎悪の業火が、エルフ族の森を今まさに呑み込もうとしている。
「にっ、逃げろ!!」
怪物のようにうごめく炎の手から、我先にとエルフ達は逃げ惑った。
「悪魔の炎だ……トーヤくん、彼女には悪魔が取り憑いている!」
防衛魔法を用い、怒り狂う赤い炎から僕達の身を守るエルはそう断言した。
しかもこの炎の出力からすると、相当強力な悪魔であることは間違いないとも彼女は言う。
「カル! 森を燃やして、どうするつもりじゃ!? お主は、全てをここで終わらせるつもりなのか!?」
「そうだ! こんな汚らわしい森、もう無くなってしまえばいい!」
リオが顔を歪ませて悲痛な声で訊き、カルは血走った赤い目でリオを睨む。
カルの青かった右目も、今は赤い。両目が悪魔の眼へと変わってしまった彼女は、今や悪魔そのものとも言えた。
「ふふふっ……。力が溢れてくるのが分かる。この力が、私をもっと強くしてくれる……!」
カルが杖を掴んだ右手を横に振るった。
危険をいち早く察知したエルは鋭い声を飛ばす。
「みんな、伏せて!!」
次の瞬間、爆音が僕達の耳を満たした。あまりの衝撃に聴覚が僅かの間失われてしまう。
地面に伏せた僕が顔を上げると、そこには別人に変貌したカルの姿があった。
金色に染められた髪は、血と炎の深紅に。
整った相貌は怒りに歪み、更に鋭く尖ったような印象を見る者に植え付ける。
彼女は赤い両眼を静かに閉じ、そしてゆっくりと開いた。
蛇のような瞳孔がある一点を捉え、そこで止まる。
「……あれっ、エル? どーしてあんたがここにいんの?」
「……サタン」
蛇のような印象の悪魔サタンは、以前僕が戦ったアスモデウスのように、カルの身体を乗っ取って話していた。
サタンに声をかけられたエルは固い表情を作り、瞬き一つせずに彼女を見つめる。
「あー、もしかしてあたしを止めるためにここに来ちゃってたりしてる? それとも、あたしと一緒にあんたも一暴れしたいとか?」
「私が君と手を取り合うとでも思ってるの、サタン?」
「ははっ、そうよねー。じゃあ、邪魔だからぶっ潰しちゃおうか」
サタンは唇を捲り上がらせて牙を剥く。カルが持っていた杖を振るい、赤い炎をそれに纏わせた。
「ははっ、ウォーミングアップ、ウォーミングアップ。誰から潰そうかなー?」
「トーヤくん、ここで悪魔と戦うことになるなんて、正直想定外だけど……。戦おう。私達が支援するから、君は『神化』でサタンを倒すんだ!」
僕は頷いて、背から【グラム】を抜いた。
すかさず魔力を剣に込める。
神器は紫紺の輝きを発し、形を変えていった。
黒き神の長槍が、ここに誕生する。
「グングニル……頼んだぞッ!」
「いいねぇ、『神器使い』! 潰し甲斐があるよ!」
僕のグングニルを目にして、サタンの瞳がぎらりと光る。期待以上の対戦相手に狂喜しているようだ。
「はあああッ!!」
炎の中を突っ切り、思いっきり槍を突き出す。
炎を纏う銀の杖を回し、サタンは僕の攻撃を防いできた。杖に纏う炎が槍の魔力を殺し、杖自体を破壊するまでの力を加えられない。
「ははっ、まだまだだねぇ! このあたしに勝とうとするなんて、あんたには千年早いよ!」
言い返す間は与えてくれない。サタンは長杖を槍のように巧みに操り、激しく攻めてくる。
防具を軽装しか身に付けていなかった僕は、一撃を食らうだけでもかなり痛い。弱い防具を炎の杖は簡単に破壊し、その下の身体さえも抉っていく。
「ぐっ、あっ……!」
この人、槍術にかけては相当の実力者だ……!
グングニルで守っている筈なのに、限られた隙間を潜り抜けて攻撃を届かせてくる。
杖がかすった脇腹が痛い。胸の辺りから血が流れて来ているような気もする。
圧倒的な実力差。あのアスモデウスなんかとは比べ物にならない。悪魔として槍使いとして、彼女は恐ろしく強かった。
そして僕を追い詰めるのはサタンの杖だけではない。
彼女が放った憤怒の炎。それが森にどんどん燃え広がり、激しい熱波を浴びせかけてくる。熱で頭がぼうっとする。煙を吸い込み、喉や肺が損傷している。
「ふふっ、いつまで持つかな?」
これ以上長い時間は戦えない……ッ。
汗が滝のように流れ、視界は朦朧としてきている。
僕は立つことで精一杯、槍を振る力などもう殆ど残っていない。神器に溜めた魔力も尽きそうだった。
と、その時。
「トーヤ、これを受け取れ!」
エルの防衛魔法の中から、リオが一筋の白い光をこちらに飛ばしてきた。
光は僕の周囲に渦を巻き、僕を熱と煙から守ってくれる。
その光はよく見ると、風であった。風は、僕の底に沈んだ戦う力を呼び起こす。
「……リオ、ありがとう!」
僕は素早く後退し、サタンから十分な間合いを取った。グングニルを構え直し、相手をじっと見据える。
「……カル。絶対に勝って、君を悪魔から解放する!」
「はッ、やれるものならやってみな!」
再び、唸る銀閃。
サタンは人間離れした速さで間合いを詰め、炎の杖を肉薄させてくる。
普通だったらそれはかわせない。防げない。
「なッ、馬鹿なっ!?」
でも僕は今、リオの風を受けている。風となった僕は高速でサタンの杖を避け、グングニルの柄を渾身の力でカルの背中に叩き付けた。
「あっ、う、がッ……!?」
エルフの少女の身体は、槍の柄をぶつけられた衝撃で吹っ飛ばされる。
燃える地面を数回転し、彼女は崩れ落ちた。
そして、それと同時に森を燃やしていた炎の火力が一気に弱まった。
どうやらサタンの炎は、彼女の状態に連動して威力を変えるらしい。
さらに空には雨雲が前触れなしに現れて雨を降らし、森の火を消火していく。
「誰かが魔法で、雨を降らせたのか……」
炎の危険が去り、防衛魔法を解いたエルが空を見上げて言う。
降る雨は渇いた身体には心地よく、戦いで傷付いた部分も少しは癒してくれた。
「サタンは……!?」
炎の危険が去ったとはいえ、それは一時的なものだ。サタンが再起すればまた炎は燃え上がる。
僕はグングニルを横に構えて、いつでも攻撃に備えられるようにした。
だがサタンの声も、カルの動きも無い。
僕が焦げた地面に横たわるカルを見ると、彼女の姿は元の金髪に戻っていた。
……サタンは彼女からは離れた、そう解釈していいのだろうか。エルに視線で問うと、彼女は小さく首を縦に振った。
「カル……」
リオは、気を失っているカルを心配そうに覗き込む。
悪魔に取り憑かれ、変貌してしまったカルを最も思ってきたのは彼女だった。リオはカルの上体を抱き抱え、彼女の胸に顔をそっと埋める。
カルの閉じた瞼からは、静かに涙が流れ落ちていた。
* * *
「あなた達、一体何があったのですか!? リオ、カル! 無事なのですね!?」
髪を振り乱し、顔を煤だらけにして走り寄ってくるのはリヨスさんだ。
娘達をとても心配して来たのだろう、目には涙が浮かび、娘達の姿を確認したとたんに堰を切ったように溢れ出す。
「ああ、リオ、カル! 良かった、本当に良かった……」
「母上、泣きすぎじゃ。トーヤ達も見ているのじゃぞ」
リオが苦笑いしてもお構いなしに、リヨスさんは彼女らを抱き締めて泣き続けた。
そして、僕達の前に現れたのはもう二人。
「お姉ちゃん! エルさん、トーヤさん! 森が燃え出して、ホントどうなるかと思いましたよ……!」
「うむ……。悪魔の仕業と見えるが、どうだったのだ? トーヤ、エル」
安堵の息を吐くナミと、『スルトの大刀』を肩に担ぐウトガルザ王がこの森にやって来ていた。
ナミはユーミやエルの元へ飛び付き、ウトガルザ王は森の惨状を深刻そうに見回している。
「ウトガルザ王。その通りですが、ここに来たのは神器が反応して……?」
「ああ。スルトの大刀が珍しく赤い光の点滅を発したんでな。何事かと光が示す方向のこの森へと足を運んでみたというわけよ」
リヨスさんは涙で顔をぐしゃぐしゃにしていたが、ウトガルザの名を聞き驚いて振り返った。
目は見開かれ、巨人の王の巨大な姿を瞳に映し出している。
「あなたが、巨人の王……」
「そうだ。俺が、ヨトゥン渓谷の巨人族を纏める王よ。アールヴの森のリヨス・アールヴヘイム族長は、あなたで間違いないな?」
「ええ、私ですが……。何用ですか、巨人の王よ」
リヨスさんは地面に座った体勢のまま、五メートルはあるウトガルザ王を見上げた。
ウトガルザ王は、困惑した様子のリヨスさんに笑いかける。
そして彼はエルフの女王に大きな手を差し出して言った。
「リヨス・アールヴヘイム族長。巨人族の長である俺から折り入って頼みがある」
僕も、ユーミもリオも、リヨスさんも一瞬信じられずに硬直した。
巨人の王がエルフの女王に直接頼み事をするなんて、前代未聞。一体、何を頼むというのだろう。
僕達が息を飲んでいる中、ウトガルザ王は躊躇することなく続ける。
「単刀直入に言おう。リヨス殿、俺達と手を組んで、人間達と戦って欲しい」




