それより少し前の陛下と殿下と隊長さん。
「陛下はまだいらしてないな?」
私は部屋付きの侍従に確認する。
今夜は姫様のご両親を主賓とした晩餐会だが、その時間を前に私は陛下に呼び出されていた。
今夜の晩餐会には当然と言っては何だが、私も招待されている。そのため姫様の護衛は女騎士に任せていた。招待客の私が姫様の護衛をするわけにはいかないから仕方がない。
本来なら主賓側の席に招待国の人物が入るということまずないのだが、如何せん姫様側の人数が少なすぎてバランスが取れずこうなった。間違いなく数合わせだ。だが、私としてはその方が安心だ。姫様の近くにいる方が何があっても対処がしやすい。招待側として椅子に座ると、どうしても姫様とは席が離れてしまう。そうなると何かあったときの対応は後手に回ることは間違いない。それは受け入れがたいことだ。
本来なら姫君を相手にこのような心配はしないものだし、普段の姫様なら心配ないと思うのだが。姫様は時々、本当に時々こちらが思い付かないような、とんでもないことをされるので目が離せないのだ。
そんな心配をしている自分に苦笑いが溢れる。昔の自分ならこんな心配をするなんて考えられないことだ。私も成長したのか、それとも『姫様だから』この心配をするのか。どちらだろうか? 自分自身でもわからない。この思いと同時にもう一つ、なんとも言い難い気持ちを持っている。今後は姫様も成長されていく。それに合わせて私では護衛できない場所も増えていくのだろう。その事についても少し寂しいような、物悲しいような気分がしている。姫様の成長は喜ばしいことなのに、この気持ちはなんなのか。そんな姫様事情を考えていると陛下と殿下が入室された。
「座ってくれ、忙しいところを悪かったな」
挨拶の後陛下からの言葉で話しは始まった。随分と砕けた口調だ。この話し方は叔父として話すという現れなのだろう。
今回私が呼び出された場所は執務室ではなく居間だった宰相も同席していない。要するに今から話す内容はプライベートな話だと言うことだろう。そうなると話題は決まっている。姫様の婚約の件だ。殿下に、と話が上がっているところに母の横やり。陛下は、殿下は、その事についてどう思われているだろうか?
そのことも気になるが、まずは叔父として対応してくれている陛下へ同じ形で返答をする。
「いえ。私自身は大げさな仕度もありませんし。大丈夫です」
「そうか。今日は姫の付き添いは不要なのだろう?」
「はい。さすがに両親を押し退けてまで私が付き添うわけにはいきませんので」
「そうだな」
陛下は薄く笑われる。話し方もゆっくりで緊張している様子はない。姫様の話だと思ったが違ったのだろうか? 私の勘違いか? 私は陛下の様子を見ていると困ったような仕方がないな、というような表情で陛下は相談がある、と切り出された。
「相談? 私にですか?」
「そうだ。聞いているのだろう? 姉上が、思いもよらぬことを言い出された。本当に、あの姉上は何を考えているのやら」
陛下は瞑目し天井を見上げる。本当に困っておられるようだ。この様子から察するに、母の突拍子のない行動は今までも多々あったのだろう。息子として申し訳ない気持ちになると同時に、この陛下にも弱みがあるのかと思ってしまう。
それが私の母とは。なんとも言葉がない。このままでは話しも進まないので私も理解していることを伝えなければ。
「思いもよらぬとは、姫様と私の件でしょうか?」
「そうだ」
「やはり、その話ですか。私も驚きました。そのような事は考えたことがなかったので」
「そうか。息子も驚くか。そうだな。本当に、あの姉上は」
陛下はもう一度言葉を呟かれる。本当に困っておられるようだ。
この様子を見ると、息子の立場だからこそ申し訳ないと思う気持ちは積み上がっていく。
「いや。気にするな。そなたの責任ではないからな」
私の言葉は無意識に口から放たれていたらしい。陛下に気を使わせてしまうとは。だが、陛下にこう言われては、これ以上なにかを言うこともできない。私は二の句も告げず口を閉ざすしかなかった。
私が口を閉ざしている間に陛下は気を取り直されたのか、身体の向きを変えられた。
どうするか決断されたのだろうか? 殿下の事もある。陛下は殿下のお相手として姫様を、と考えておられたのだから。私に話しが上がるなど思ってもおられなかったはず。実際に私自身も思っていなかったのだし。
何を言われるのだろうか。私も緊張を隠せない。場合によっては私が不敬罪に問われる事も考えられるのだ。
今回の件を言い出されたのは母上だから可能性は低いがあり得ない話ではない。少し緊張気味に陛下の言葉を待っていると 、苦笑いをされた陛下が口火を切る。
「そう緊張しなくてもよい。二人の考えを聞きたいと思っているだけだ。さて、本題だが。そなた自身は今回の件、どう考えているのだ?」
執務中の陛下からは考えれないほどの柔らかい話し方だが、正直に話して良いものか。でも、叔父として対応してくれているのだ。その話し方に背を押され知っていることを正直に話す事にする。
「私自身が聞いている話では、殿下との話が纏まらなかったら、という前提です。全てがその後ではないでしょうか?」
「それは答えではないだろう。どう思っているのか。考えを聞いているのだ」
確かに。私の言っていることは考えではなかった。陛下が私に気を遣っているのは間違いないだろう。もしかすると、気を遣っているのは私の後ろに母がいるからかもしれないが。だが、どちらでも良い。気を遣っている間に私の考えをはっきりさせておこう。
「陛下。陛下なら理解されてくださると思うのですが、婚姻について。私は自分の意見を汲まれるとは考えていません。我が公爵家にとって相応しく、周囲の方々が納得してくださる方であれば、と考えております。今回は母が姫様を、と言われました。もちろん、殿下とのお話も承知しておりますし、殿下が優先されると言うことも。そうなれば殿下のお考えが優先されるべきかと。殿下のお考えはいかかでしょうか?」
「まあ。その意見は妥当な話だな。実はこれにも聞いてみたが、なんとも中途半端な返事でな。今まで考えた事もなかったと。その返答に呆れたものだ。本当に自分の息子なのかと心配になったほどだ」
陛下は深い息を吐かれた。殿下の事を思っておられるのは間違いない。その横にいる殿下は渋面を作っていた。この席がプライベートな場所だとわかっているからこそ、この表情なのだろう。この頃は大人になろうと成長しようと努力を感じていた。その結果豊かな表情は見えなくなってきていたので、久しぶりに豊かな表情を見せていると思える。
まあ、これがよいかどうかは別問題だが。
「陛下や殿下のお考えはどうなのですか? 本来なら私もそうですが、殿下もお相手に意見をのべる立場にはないはずです」
私はこの雰囲気ならば言えるだろうと、陛下の前で率直な意見をのべる。
そう、我々の立場では婚姻について自分の自由意思はない。決められた話しに頷くだけだ。こんな風に意見を求められるとは露ほども思わなかった。それは殿下も同じ思いだろう。私の言葉に陛下は困ったように笑われた。
「そなたは知らなかったか。私は結婚するとき。妻は自分で選んだのだ。その事に後悔はないし、それで良かったと思っている。大変な事も多くあったが。それでも、良かったと思っているのだ。だからこそ、そなたたちには自分で、自分の気持ちをできるだけ優先させたいと思う。まあ、全てを自由に、というわけにはいかないが。ある程度意思を尊重させる事はできると思っている。まあ、これは今だからこそ言える話だ。本当は少し前まで、こちらで決めてしまうつもりだったからな」
「陛下」
思いもよらぬ話を聞かされて陛下を見つめてしまう。そんな経緯があったからこそ陛下は妃殿下を今でも思っていらっしゃるのだろうか? 本来なら再婚されてもおかしくはない。むしろ再婚を勧められることの方が多い陛下だが、今でもお一人だ。だからこそ私たちの意見を聞かれるのだろうか。
「本来なら私が決めれば問題ないのだろう。まあ初めは私が決めるつもりだったのだし。だが自分は自由に選んだのに、そなた達には自由がないのはどうだろうか? と思ってな。長い人生を過ごすのだ。お互いに負担が少ない方がいいだろう?」
結婚後の生活を言われているのだろう。我々の結婚に離婚はない。するとなれば国同士に問題が上がった時だけだ。
私たちはそれでいい。だが、姫様はどうだろうか? 殿下との婚約はない、と言い切られていた。それは殿下との相性もあるが自分にその立場は相応しくないから、とも言われていた。だが、本当は自分の自由がなくなるから、という理由も大きいと思ってる。その点については、私ならある程度の自由は保障して差し上げられるが。私が相手となった時、姫様はどう思われるだろうか?
本当なら帰国したいと思っているのではないだろうか? こちらでの生活も長くなっている。一度帰国したいと思うのは自然な話だ。そうなったら私はどうするべきか? 護衛としてご一緒できるのが一番いいのだが。そう思う自分に驚いてしまう。姫様の傍を離れがたいと感じているのだ。自分より随分と年下の少女といっていい年齢の姫様に。もちろん今までの時間を過ごした中で姫様を少女と思ったことは一度もないが。
何はともあれ、この話は姫様の意見も聞く必要があるだろう。陛下には姫様の気持ちも大事にしてほしいと思う。
「陛下。では、姫様の意見はどうでしょうか? 私たちには意見を聞かれるのに姫様の意見は聞かれないのですか?」
私は思わず姫様の立場で話しをしてしまっていたが自分の失態に気がつき俯いてしまう。思わず口にしたが本来なら私にその権利はないのだ。陛下に叱責を受けるかと思っていたが陛下は声をあげて笑っておられる。
「なるほど。そなたからそのような意見を聞けるとはな。息子とは大違いだ。私に意見が言えるほど姫の事が心配なのだな」
陛下は決めつけるように言われる。その表情はニヤニヤというか面白いものを見た、と驚いているような感じだが。自分でも失敗したと思っているのだ。そんな顔で私を見るのは遠慮してほしいと思う。
「へいか」
途方にくれた気分だ。こんな事は初めての経験で、どうしていいのかわからない。
「気にするな。では、姫との話しは、そなたとの方向で進めていこう。そなたとの方が姫とも馴染みがあるし姫の方も安心だろう」
「ですが」
「勘違いするな。我が国では、の話しだ。ここでは本人に意見を聞けるが、姫の方は姫自身と、その国としての問題だ。我らが口を挟める問題ではない」
「はい。申し訳ありません」
そうだった。姫様と長く過ごしたためか、姫様は我が国の人間のつもりでいた。だが、姫様は異国の方だ。先ほど自分で帰国したいのでは、と思ったのに。それを忘れてしまっていた。私は心配する事はできても姫様の事は姫様の国が決めることだった。私としたことが忘れているとは。
思い上がった自分が恥ずかしく違った意味で顔が上げられない。
陛下は私を窘めるだけでそれ以上の追求はなかった。話のどさくさに紛れてしまったが、婚約については姫様と私で、と話しは進んでいる。だが、殿下はよいのだろうか? 決められない、とのことだが。まだ学生の殿下は自分の今後についてイメージがわかないだけではないだろうか。
そう思うと殿下の事が心配になる。姫様の事を随分と気にかけておられた。知らなかったとはいえ、ご両親の旅費を負担する、と言い出すほど気にされていたはず。殿下はこれで良いのだろうか?
「殿下。殿下はこのお話をどう思われているのですか? 陛下の言われるように決められないのですか?」
「従兄弟上。私にはまだわかりません。やっと自分の事を考えられるようになりました。それは姫のお陰だと思っています。その事には感謝していますが。それ以上の事はまだなにも。それに姫は僕によい感情はないと思います。それも僕が原因ですが。それなのに婚約なんて、引け目を感じてしまいます。だから僕は」
話している間に取り繕うことを忘れてしまったのか殿下は一人称が僕に戻ってしまっている。私が気が付いているのだ、当然陛下も気が付かれているのだろう。だが、今はプライベートな時間だ。そこまで細かい事を言う必要はないと思っている。それよりも殿下は姫様に気後れ感じているのは間違いないようだ。姫様に気後れを感じているのであれば、今後の関係性を作り上げるには時間がかかるし上手くいかない可能性もある。そのリスクを考えるのであれば私の方が良いのだろうか? 私を選んだ理由は関係性と言われていた。
行儀の悪い話だが私は陛下を伺い見る。姫様の言われるところのチラ見というやつだ。
陛下と視線が合う。陛下は私の視線に気づかれたようで苦笑いをされる。
「この調子では息子と姫とでは夫婦としての関係を作るのは難しいだろう」
陛下のこの言葉は理解ができる。今後は誰にもわからないものだが現状よい関係性ができている相手の方が今後も関係を構築しやすいと判断するのは妥当で、そうなればその相手と婚約させる方がよいと考えるのは自然の摂理だ。
この陛下の言葉は決定ということだ。
こうして姫様の婚約相手は私へとスライドされる事が決定した。





