次の災難は
二人で微笑み合いながら見つめ合っていると母君の方から話しかけてきた。
「姫様のお話。お聞きになったかと。長く離れていた娘様のお話です。成長著しく喜ばしい事と思われるのでは?」
母親は返答に困る、というよりは相手の思惑が掴めず困惑する。これは試されているのだろうか? それとも取り込みの一環? 相手の出方がわからないながらも話しを合わせてみる。
「そうですわね。驚く事ばかりでしたわ」
「そうだと思いますわ。入学前の話もありますし、子供の行動とは思えないものもありますし」
「本当に。とても娘の話とは思えませんでしたわ。どなたかとお間違えでは?」
母君は深く頷き、同意を示し気持ちに寄り添うように、だが事実は変わらない事を話す。
「ええ。ええ。お気持ちはとてもわかりますわ。ですが、すべて事実ですのよ」
「すべて? 商売をしたり料理をしたり?」
「ええ。陛下と交渉をされたのも。陛下から直接伺いましたもの。間違いありませんわ」
「そうなのですか」
ため息のような吐息が溢れる。それを誤魔化すように同意するしか無かった。なんということを娘はしたのだろうか? では軍部と関係があると言う話も事実なのだろう。母親には娘が出国できるイメージが湧いてこない。これは早く夫と相談しなければならないと気が急く自分を感じていた。
その母親に追い打ちが掛けられる。
「じつは、ご相談させていただきたい事がありますの」
「相談、ですか?」
母親の方へ身を乗り出し、内緒話のように話しかけてくる。相談される覚えのない母親は困惑するが、別な話も聞けるかも、と可能性を考え前向きに切り替える。
「二の姫様に、殿下との婚約が打診されているかと思います」
「はい。伺ってはいますが」
本気なのかと母君を伺い、見つめ返す。母君の方は余裕の表情で頷き肯定を示した。つまり、この場は陛下の本気を示す場であり、明日は正式に話しを進めるからそのつもりでいてほしいという、前段階なのだ。
鈍器で頭を殴られたかのような衝撃を受ける。ここまで本気とは。
いや、母親も理解はしていた。国家間の縁組だ。気軽に話す問題ではないし、冗談で出る話題でもないが、やはり本気なのかと思い知らされる感覚があった。
先程から逃げ切れる気がしなかった母親だが、その事実を上書きされたかのようだ。
どうするべきか。帰国させるつもりだったが実現できるだろうか?
これ以上ない追い打ちをされた気分の母親だったが、本当の追い打ちはここからだった。
「そのことですが、もしも、もしも姫様が殿下との婚約に不安を覚えていらっしゃるのなら、息子といかがでしょうか?」
「え?」
思いがけない話に、聞き返すというあり得ない失態をした母親だが、相手の方は気にする様子もなく、ニコニコと人好きのする笑顔を浮かべながら続ける。躊躇うことも隠すことも何も無い、と言わんばかりだ。
「大きな声では言えませんが、今でこそ姫様と殿下との関係性は改善されていますが、以前は、その、まあ良い関係は作れておりませんでした。ですので姫様も思うことがあるかと思いますの。気の合わない方との縁組って、気が進まないものですし」
思わせぶりに言葉を濁らせる。
「何かあったのですか?」
「そこは、まあ、年齢も近いですし。多少は。ね」
問題については明言せず話しを続ける。
「ですので。幸い、姫様はわたくしの息子と仲良くして頂いているようですし、せっかく縁を結ぶのですもの、良い関係であることが大切だと思っています。ですので姫様と息子とならお互いに良い縁にすることができると思っていますわ」
いい笑顔で断言する母君がいる。一方の母親は困惑しきりだ。
殿下との話だけでもどう対処するか、を考えなければいけないのに、殿下を断った場合の代替え案も示されているのだ。完全に想定外だ。
どちらにしろ『国力が違いすぎる』という断り方がより一層難しくなった。国力が合わない、と言う話をしても、それなら隊長と、と言われるだけだろう。夫は娘の代わりに令嬢との話しを勧めようと検討していたが、それは無意味になりそうだ。それなら、やはり隊長とどうか?、と言われるだけだ。本気の囲い込みを見た母親だ。何を思って娘をここまで囲い込もうとしているのか? 陛下の真意がわからない。
「そのお話は、陛下からですか?」
「いいえ。実を申しますと、わたくしの考えですの」
「まあ」
母親は再び驚きを隠せない。勝手に代案を出すなど行き過ぎた行為だろう。陛下の姉だからできる事なのだろうか? だが、少しだけ光明が見える。陛下の知らない話なら逃げ道が探せないだろうか? それとも、この方は逃げ道を塞ぐためにこの話しをだしたのだろうか? 母親は小首を傾げ意味を問う。
相手は苦笑いをしながらも本音を話してくれた。
「陛下には提案はしていませんが、姫様が殿下との話しを辞退されましたら、わたくしから陛下に息子との話しをお願いしようと思っています。幸いなことに息子には婚約者もおりませんし。姫様とのお話に問題はありませんわ」
「公爵家の継子、なのにですか?」
「ええ。殿下のお話がまとまってから息子の話を、と思っていましたの。ですが息子の年齢を考えると、そろそろとも考えていました。今回のお話ですが殿下を押しのけてまで、とは考えてはおりません。ですが、息子にとっても良いお話だと思っていますの」
「そうですか」
母親は他に言葉が出ない。想定外だった。母君の方は思っていることを話せたことが嬉しかったのか、楽しそうに話しを続けていく。
「本当なら、今すぐにでも我が家に姫様をお迎えしたい気持ちがあるのですが、勝手に話しを進めるわけには行きませんでしょう? ですから殿下との方向性が決まってからと考えております」
「そうまでして娘を迎える必要があるようには思えませんが?」
「今までの姫様をご覧になっておられないので、そう思われるのも無理はありませんわ。ですが、姫様は素晴らしい方ですのよ。お母様にわたくしがこんな事を申し上げるのはおこがましいと思いますが」
息継ぎなく、言葉を悪く言えば捲し立てる勢いで話し続ける母君がいる。
「娘が陛下に気に入られているからでしょうか?」
「もちろん、それもありますが。素晴らしい方だと思っているの間違いはありません。ですが、本当の理由は息子が姫様に好意的だからです。それが一番の理由ですわ。今までは女性に積極的な態度を見せたことのない息子でした。仕事に行っても公爵家の仕事を学んでいても、楽しそうにしていたことは一度もありません。もちろん、仕事に手を抜くような事はありませんし真面目に取り組んでおります。部下との関係も良好です。ですが、夢中になる、自分の熱意を向ける、ということのない息子だったのです。ですが、姫様の護衛を引き受けてから少しずつ変わって行きましたの」
どのような? と聞き返す必要もなかった。母君は熱に浮かされたかのように、その頃の話しを語ってくれる。
「姫様が必要としているものはなにか。日常を快適に過ごしていただけるよう気をくばったり。女性のことなど気にした事もない息子がですのよ。わたくしに教えを請うてくるのですもの。驚きましたわ。ですが、一番驚いたことがありましたの」
母君の話は終わらない。いたずらっぽく微笑みながら語りだす。
「姫様のドレスを選ぶのにアクセサリーやドレスアップどうするのか? 華やかでも品位のあるものを選ぶのはどうするのか? とわたくしに聞いてくるんですもの。眼の前にいるのは本当にわたくしの息子なのかと疑ったほどです」
「そうですか」
他に返しようがない。母親の頭には真面目そうな隊長の顔が浮かんでいる。娘も頼りにしているような雰囲気だった。確かに関係は良好のようだ。
「姫様のお相手に息子は不足でしょうか?」
言外にそんなことはないですよね? と小首を傾げて聞いてくる。母親は知らないが自分の娘も同じような対応をされている。流石は姉弟、と言うべきだろう。
夫との相談もなく勝手な返答はできない。それが今するべき返答だった。
「夫の許可もなく、わたくしの判断で返答はできません。相談しませんと」
「そうですわね。ですが、ご自身だけのお気持ちとしてはいかがですか? ここだけのお話として、息子は姫様のお相手としていかがでしょう?」
「申し訳ありませんわ。わたくしはまだご子息のことをよく承知しておりませんの。どうかと問われても難しいですわ」
母親はお茶を濁す。ここだけの話と言われても色よい返事をすれば陛下に話が流れるのは、ほぼほぼ確定だろう。娘の不利になるような失態は犯せない。慎重な母親だった。話し相手の方もそのことは承知している。迂闊な返答はしないか。と納得しつつも息子の売り込みに余念がない。
姫様と出かけるのは息子だけだとか,一緒に料理をしただの、殿下を諌めて姫様の味方をしただの、姫様が聞いたら誰から聞いたのか、と言わんばかり詳しい話をしてくる。
その話を聞きながら少しだけ布石が打てればと母親は思い、不安を口にしてみる。
「お話しを伺うとご子息は娘に好意的な様子は理解できますが、お仕事だからと言う可能性はありませんか? 真面目な方のようです。仕事に真摯な結果の様な気もします」
「息子をご存じない方なら、ごもっともな心配ですわね」
母君は肯定を示し二人の会話は進んでいく。面白い事に二人はお互いの話を否定する事は決してなかった。お茶会の基本だろう。相手を否定せず会話から糸口を掴んでいく。会話のテクニックの一つだ。
湯気が昇っていたお茶はそれが消え去り、新たな湯気が立ち昇る。
お互いに傾聴しつつ母親はもう一つの不安を口にする。
「それにもう一つ不安な事もありますわ。この国の方々からすると、わたくしたちは二の姫にとって大きな後押しになるとは思えません。難しいと考えていますわ」
迂遠に辞退が出来ないか小さな小さな打診を入れてみる。だが、それは笑顔と共に払拭された。
「ごもっともな心配かと。他国に嫁がせるとなれば、子供にとっていい環境を作りたい、そう思うのは当然の親心です。もちろん、不安がないよう後ろ盾は準備させていただきますわ」
「そこまで配慮されると?」
「もちろんです。わたくしたちが望んでいるのですもの。少しの憂いもないよう準備させていただきます。
決然と言い切られた。
本来なこの返答は一国の王妃に対し失礼な発言だ。貴国はわが国ではなんの力もない、と断言しているようなものである。だがそれは事実だ。
姫様の国では、国力だけで考えるなら隊長の公爵家と同等、もしくは少し劣る可能性もある。
母親は事実は事実として受け入れているので、気にはしていない。そう割り切っているのだ。
それよりも次にする質問のほうが大切だ。
「予定としてはどなたが? 後ろ盾を承知してくださっているのですか?」
嘘を話しているとは思わないが予定は未定だ。今はその予定でも、後から変更になったと言われても不思議ではない。それでも予定だけは聞いておきたかった。
「殿下とお話が勧めば我が公爵家が。息子と話しを進めてくださるのなら、侯爵家、令嬢の実家になりますが、引き受けてくださる事になっています」
その断定的な言い方は決定事項のようだった。
母親はただただ聞くしかなかった。というよりも話の中から総合していくと、概ね娘の噂話しと母君の心つもりは事実だろうと。という結論に至る。
これは、娘に直接確認する必要があると判断を下した。





