殿下暴走中
殿下は姫様の気持ちを楽にしてあげたいと思い、練習室を後にすると宰相の執務室に赴いていた。
ドアの前で宰相専属の護衛に自分の訪問を伝えていた。その言い方は、やや尊大な物言いではあったが、以前は来訪を告げることなく入室していたので、殿下の成長を感じられる護衛達は反感を感じることなく応対していた。
入室は速やかに告げられ、ドアは音もなく開かれる。
「宰相。少しいいだろうか? 姫の事で相談したいのだが。宰相が了承してくれれば父上にも許可をもらおうと思う」
「姫様の事で、ですか?」
「そうだ」
「どうぞお入りください」
殿下の性急な物言いをいぶかしげに感じている宰相だが、姫様の件は慎重に確実に進めたいので殿下の話を聞かないわけにはいかなかった。
宰相は殿下と姫様が喧嘩でもしたのか? と不安に駆られる。以前の事が思い出された。
対する殿下は宰相が快く招き入れてくれたので早速とばかりに入ってくる。
宰相の心配は的外れではあったが気苦労が減るわけではなかった。
殿下の相談は思いもよらないことだったのだ。
気が逸った宰相は問い詰めるように殿下に質問していた。
「いかがなされました? 姫様のこととは? 姫様となにかありましたか?」
「姫が、ご両親がこちらに来られることを心配していた。ご両親が来られるのは間違いないのだろうか?」
「はい。陛下と相談しまして、ご招待する事となりました。2ヶ月後には到着される予定です」
宰相の断言に殿下は頷きを返す。
賛成でも反対でもない様子だが殿下の反応に宰相は警戒していた。
態度が改まったとはいえ、今までのことがある。なにか突拍子もない事を言い出すのではないかと思わずにはいられないのだ。
殿下は宰相の胸の内を知らないが自分から時間を作ってもらったのだ、時間は無駄にはできないと思っているが話の切り出しを迷っていた。
そんな殿下に宰相は助け舟を出す。と同時に探りも入れていた。相手はあの姫様だ。こちらが考えてもいないような方法で何らかの手を打って来ることも考えられる。用心するに越したことはない。
「姫様の事と言われていましたが、姫様からお願いされたのですか?」
「いや、姫には何も頼まれてはいない。今日の練習会でご両親がこちらに来られることを姫が気にしていたのだ。自分に会いに来るだけで、費用も時間も使って申し訳ないと」
「そうでしたか」
宰相は姫様は嘘はついていないが、心配は8割は婚約のことで残りの2割が費用と時間についてだろうとあたりを付けていた。そしてその考えは間違っていない。だが、その事を殿下に言う必要はないとも思っていた。
殿下は姫様の事を本気で心配していた。その気持ちが本物のためか、宰相も思いつかないことを言い出した。
若さゆえの思いつきなのか、それとも心底姫が心配なのか、爆弾発言するところは陛下と同じで親子なのだと思ってしまうような事だった。
「殿下。もう一度よろしいでしょうか? 本気で言われていますか?」
宰相は殿下の発言が信じられず普段なら考えられないような聞き返しをしていた。
「勿論だ。姫のご両親は私が招待したという形にしてもらいたい。その上で費用は私自身の個人資産から出してほしいのだ」
「殿下」
宰相は唖然としすぎて言葉が続かない。何を思ってこんな事を言いだしたのだろうか? いや【姫様のため】というのは間違いないのだろうけど。
宰相は驚きを隠せなかった。そして殿下自身は、その事が何を意味しているのか知っているのだろうか? そう思わずにはいられなかった。
血気盛んなのは親子ならではなのだろうか?
宰相は殿下がここまで他人のために気を回すなんて思ってもいなかった。というのが正しいだろう。姫のために、と殿下は言っている。純粋に姫の憂いを晴らしてあげたいっと思っているのだろう。
だが、殿下は気がついていない。慣例で【未婚女性の両親が来るために費用をすべて賄う】ということは、婚姻の意思を表しているのと同義だという事に。正式な婚約ではないが、ゆくゆくはその意思があると言っているのと同じなのだ。
宰相は殿下が気がついていない事を感じていた。もしその事を知っているのなら自分からこの話を持ち掛けてくる事はないだろう。宰相は慣例を説明をしようと思ったが、殿下自身が言いだしたことなので、そのままにすることにした。婚約を進めたい方としては好都合だし、殿下も自分から言いだしたことだ。まだ、婚約とは思っていなくても姫に好印象を抱いていることは間違いない。このまま進めば良い感情をもったまま婚約もできるだろう。
この意思表示は姫様の両親にも好感をもってもらえるはずだ。
宰相の判断は早かった。ただし、これには陛下の裁可が必要となる。
陛下が反対するとは思わないが許可は必要だ。殿下は自分でも父親の許可を取ると言っていたのだ。その言葉は守ってもらおうと宰相は思っていた。
「わかりました。殿下がそうおっしゃるのなら、陛下の許可があれば問題ないと存じます。陛下の許可をいただいてください」
「わかった。父上に相談してみよう」
宰相の言質を取った殿下は陛下の許可を自分で取るつもりで行動を起こす。
その日の夜、殿下は陛下と夕食を一緒に取りたい旨を申し込んでいた。親子なのに一緒に食事を摂るために申し込みをしないといけないくらい陛下は忙しい人だった。
最近の殿下は陛下の事情もわきまえて手順を踏む事を怠らない。陛下にとってそれは喜ばしいことで、同時に殿下との時間が増えることを喜んでいる。
悲しいかな、陛下はその事を殿下に言ったことはなかった。姫様がそのことを知っていれば【自分の気持ちを話してください】と言っていたことだろう。
二人の関係は少しずつ改善している。それは殿下が陛下への反発と卑屈な態度が薄れて行ったからに他ならない。それは殿下の成長を如実に表していた。
陛下自身も殿下の変化を歓迎していた。今まで息子への接し方がわからなかったが、殿下の態度が軟化するに連れ陛下も息子への接し方を学んでいた。そんなぎこちない状態ではあるが二人の関係を確実に改善させていた。
陛下が姫様に拘る理由はコレが原因と言えなくはない。
そんな中、殿下は話を切り出した。
「父上。お忙しいのに時間を作ってくださってありがとうございます」
「なに、気にするな。今日の予定はずらせるものだったからな。そなたから話があるとは珍しいな。なにか理由があるのだろう? どうしたのだ?」
「じつは姫のことなのですが?」
「姫? 何かあったのか?」
殿下の考えを聞いていない陛下は姫の事を切り出されるとは意外に思っていた。姫が息子に何かを相談したのだろうと予想をつける。
だが、白々しい父親は姫が困っている事など承知なのに、息子には後ろ暗いところを見せたくないのか素知らぬふりをする。
まだ純真な息子はその事に気がついていない。
「父上は姫のご両親を招かれるとか」
「ああ。姫は長くご両親と会っていないのでな。学校生活も落ち着いてきたようだし、久しぶりにどうかと思ってな」
「そうですね。僕もよいことだと思うのですが、姫は自分のためにご両親が国を離れることを気にしていました。国政が滞る事も費用が嵩むこともです。自分のためだけに時間もお金も使ってほしくないと」
「そうか」
陛下はさも姫の考えに感心するかのように頷いていた。姫様なら白々しいと思うが、腹黒い考えを持たない純真な殿下は父親が姫様の気持ちを理解してくれたと思い、畳み掛けた。
「父上。相談なのですが、姫のご両親が来られるにあたって、期間はどうしようもありませんが、せめて費用だけでも僕が負担するわけにはいかないでしょうか?」
「なぜだ?」
息子の申し出に純粋な疑問を感じると同時に驚きと疑問を感じる。何を思ってこんな事を言いだしたのか。その理由を知りたいと思っていた。
「姫はいつも頑張っていますし、僕にもいろいろな事を教えてくれます。皆は僕を父上の息子として接しますが姫だけは僕を見て話してくれるのです。姫はいつも人のことばかりで、せっかく両親と会えるのに喜ぶ前に国の事を心配していました。久しぶりに両親と会うのです。少しでも気苦労が減ってほしいと思うのです。楽しんでほしいと思います」
「そうか」
陛下は感動していた。人に気を使えず我儘で自分の事だけしか考えていなかった息子が、ここまで人のことを考えられるようになったとは。
姫の為せる技なのだろうと結論を出していた。
そして、陛下も気がついている。費用の負担は婚姻の意思を示していることを。そして宰相との違いは殿下自身もその事を理解していて、この事を言い出したと思っている点だった。
つまり陛下は息子が自分の意思で姫を選んだと思ったのだ。
陛下は父親として国主として俄然やる気になった。
息子が自分からこんな事を言いだしたのだ。何としてでも希望を叶えてやりたいと。
すれ違いばかりだった親子。関係が改善したばかりに、できることをしてやりたいと思うのは父親として当然なのかもしれない。
殿下は姫様への純粋な好意で行動を起こしているが、この行動が姫様を苦しめるとは一ミリも思っていない。が、姫様包囲網はできつつあった。
地獄への階段は善意で作られる。
誰の言葉だっただろうか。姫様は階段の入口に立っていた。
突破口はどこに。





