ある女のその後
コミック発売記念。
おかげさまでコミックの発売日を迎えることが出来ました。
発売記念として、ある人のその後を見て頂けたらと思います。
よろしくお願いいたします。
その女は黙々と仕事、写本と言う仕事に取り組んでいた。
真面目に仕事をしているようだが本心はわからない。それでも結果だけ見れば真面目な仕事ぶりに間違いはないだろう。
この写本一つ一つが給与に換算され、その給与が女自身の罪である横領額から減算されていく。その事を思うと真面目に仕事をするしかないだろう、という事になる。
女の真意は分からないが、それでも仕事は続けていた。
女には頑張らなければならない理由があった。そのためには手段を選んではいられないのだろう。
女は罪を犯すまでは王宮に勤めていた。しかも他国の姫をお世話をする「侍女長」という肩書をもった仕事だった。華やかな花形の仕事ではない。それでも信用と実績がなければ勤まらない仕事だ。女はその役職に相応しいだけの技量と能力と責任感を持っていた。
それが狂い始めたのはいつからなのだろう。
答えは簡単だった。
女の子供が体調を崩してからだ。そこからは坂を転げ落ちるように女は落ちていった。
子供の病気は重く簡単には快癒しなかった。良くなるための薬はとても高価なのに効果はなく、状態は一向に改善しなかった。蓄えは簡単に底をつき、自宅にはお金の数より請求書の数のほうが多くなっていた。女はその紙を見るたびにため息が出ることを隠すのに一苦労だったのだが、それでも子供の前では笑顔を絶やさないように踏ん張っている日々が続いていた。それが女にできる数少ないことだったからだ。
女の努力も虚しく子供は咳が出続け身体は痩せ細り、女は自分の子供を見送らなければならないかもしれないと感じていた。その事を思うと戦慄で身体が震え、その震えを抑えるために自分の身体を抱きしめながら、どんな手段を取ってでも自分の子供を助けようと誓っていた。
女はどんな事をしても子供を助けたいと思っていたが、現実的に先立つものが必要だった。医者を呼ぶのも、薬を買うことも子供が食べられそうな美味しい食事を作るためにも、全てにお金が必要なのだ。
女は一般的な女性よりも収入は良いはずだった。信用もあった。そのせいだろうか、夫は彼女に頼ることを覚え仕事もせず遊び歩くようになった。頼るべきはずの夫は、お金を稼ぐことはせず借金を作ってくる始末。家にある請求書の半分は子供ではなく夫が原因だった。いや。元夫というべきだろう。
子供の病気が判明し治療が思うように進まず苦労していた時、病気の子供に向かって【金食い虫】と罵ったのだ。
病気は本人のせいではない。女は子ども自身も辛い思いをしているのに、そんな非道なことを言うのは親ではないと、夫を家から追い出し離婚したのだ。その事を後悔はしていないし、正しい選択をしたと思っている。それからは子供の心配だけをすれば良い生活だったが、病気がよくならない。それが女の肩を重くする。
お金がほしい。誰かお金をちょうだい。
そんな事を毎日考えながら仕事をしていた。
家に一人残している子供のことも心配だったが、女には助けてくれる人も、子供を預かってくれる人は誰もいなかった。離婚した女を助けてくれる人はいなかったのだ。頼れる人も相談できる人も誰もいないのだ。
暗く重い気持ちで仕事をしていた。
女の仕事は侍女長だ。姫と呼ばれる女の子の世話をするのが仕事になる。
目の前には自分の子よりは少しだけ年長の女の子がいる。
この子も親と引き離されて可哀想だと思っていたけど、何不自由のない生活が約束されている。欲しいものは買えるだけの金銭も保証されている。病気になれば真っ先に優秀な医者が来て診察してもらえるし、薬も十分に用意してもらえるのだろう。
自分の子供には許されていないのに。
悔しい、悔しい。妬ましい。
そんな暗い思いが湧き上がってくる。
女はそんな事を考えるのは間違っていると分かっていた。女の子に妬ましさを感じることが間違っている事も分かっている。
たが、正しさだけで感情は制御できない。
女は自分は理性的な人間だと思っていた。
だが、理性と感情は別物だと初めて理解する事となっていた。
自分の禍々しい感情を重い荷物として抱えながら、表面上は出さないように仕事に励んでいたある日、金庫番から品格維持費の年間使用額が通知された。その額は自分の借金を支払い、子供の治療費まで賄える十分な額だった。
その書類を見ながら女は泣きそうになっていた。
自分の子供は、今日食べられる食事も明日飲む薬も心配しないといけないのに、この離れに住んでいる女の子は潤沢な金額が用意されている。しかも留学まで許されているのだ。今は準備期間ということで離れ住まいだが、いずれは違う部屋が用意されるのだろう。
あの子も自分の子供でなければ、こんな辛い思いをしなくて良かったのだろうに。
自分の不甲斐なさに女は胸が締め付けられていた。
そして、後ろ暗い考えが頭をよぎる。
自分が全て申請、処理するのだ。金庫番さえ巻き込めばバレはしない。あの金庫番は昔なじみだ。話せば乗ってくるだろう。
このお金があれば家の借金も薬も子供の食事も良くなる。子供もすぐに元気になるはず。
子供のためなら。
女は申請書を手に金庫番の元へ向かっていた。
女のいる小さな部屋は簡素だった。装飾もなく使用されている机も椅子も実用的なものだった。
それは当然なのだろう。その部屋は罪人のための部屋なのだから。
強いて言うなら監視人の机と椅子がマシな程度のものだ。
「今日の分は終わりだ」
女の斜め前の机で、監視をしながら別な仕事をしていた男から告げられる。
黙々と仕事をしていたら今日の分は終了していたらしい。女はノルマがこなせたことにホッとしていた。
そして女の思いを見透かしたかのように監視役の男から言われる。
「明日の分まで問題なく終了させれば今月も面会は許可されるはずだ」
「ありがとうございます」
「礼は自分ではなく姫様にすることだ。まあ、姫様は子供のためだとおっしゃっていたがな」
「はい。ありがたいことです」
女は項垂れながら背中を丸め返事をする。
女の悪巧みは長く発覚する事はなかった。その間に子供の病気は快癒していた。そこで悪巧みを終わらせればよかったのに女は欲が出てしまった。
病気が治ったら今度は借金を、借金が終わったなら今度は子供の成長のために良い食事を服を。
女の欲望は止まらなくなっていったのだ。
横領問題が発覚し裁判が行われる事となった。
裁判制度そのものは策定されていたが使用されることはなかった。女はこの国初の裁判となったのである。
当然注目されることとなった。だが、理由が全て子供のためだった事、頼るべき夫が足を引っ張り頼れなかった事、その後も協力者がおらず助けてもらえなかった事。その全てに同情が集まり極刑から終身刑となった。
同罪だった金庫番の男も終身刑だが鉱山送りとなっている。女より刑が重いのは自分の欲望のためだったからだ。他の仲間達は期間が短い事、金額も少額だった事から倍額の罰金を支払い地方の教会で奉仕活動を行うこととなった。
女は横領額を労働で支払うこととなった。
そのための労働は写本だった。女は字が書け読めることから写本をすることとなった。本は高額であり写本は高収入だ。そのため労働として写本が選ばれたのだ。
毎日のノルマがありノルマを欠かさずクリアすることで月に一回の報酬が与えられる。
その報酬は少額の現金と子供との面会だった。
女は処罰を当然だと思っていた。発覚したときは極刑を覚悟していたので終身刑も罰金も受け入れていた。このまま子供に会うことも諦めていたのに、面会を条件付きで許可されると聞いて奮起したのは間違いない。
「お母さん」
子供が母親に向かって走ってくる。子供はまだ、母親の罪状を知らない。ただ仕事で会えないだけだとしか聞いていなかった。今は親戚の家に引き取られていた。本来なら孤児院へ行くはずだったのだが女に同情した親戚が引き取ることになったのだ。
面会の場所は小さな日当たりの良い庭で決まっている場所だ。面会時間は限られた時間。それでも親子には失うことのできない大切な時間だった。
「姫。罪人の処罰について他に希望はないかな?」
「いえ、横領された分も返済してもらえるようですし、特にはないのですが一つだけ相談が」
「相談? 被害者の姫のお願いだ。できる範囲でなら問題はない」
「ありがとうございます。陛下の判断にお任せするのですが、侍女長が反省していると判断されましたら、子供との面会を許可していただきたいのです」
「犯罪者にか?」
「親が犯罪者でも子供には罪はありません。それに親と面会できないのは子供にとって辛いことかと。親のためではありません。子供のためです」
「まあ、子供に罪はないな」
「はい」
「考えておこう」
「よろしくお願いいたします」
親子が初の面会を果たしたのはそれから半年後だった。





