幼馴染
アベルたちは訓練を終えて騎士団本部へ行くと、大勢の人がいた。
どうやら兵士の集団のように見える。
ガトゥが事情を聴くと、王道国に囚われていた捕虜が解放されて、中でも怪我や病気などで除隊になる兵士たちが馬車で城まで送られてきたということだった。
騎士道には捕虜の心得がある。
皇帝国は王道国を国としては認めていないのだが、戦いに敗れて、命を守るために降伏する騎士や指揮官がいる。
場合にもよるが、おおむね捕虜になったときには、身代金を払うことで解放される。
もっとも、金すら払えない兵士であると殺されたり、あるいは奴隷業者に売り飛ばされる場合も多々あった。
またその逆があって、王道国の上級貴族を捕虜にできれば、多額の身代金を得られる可能性がある。
敵同士でも金の遣り取りで融通を利かせる……。
現実社会とはそうしたものだった。
そうして幸運な場合にだけ身代金が払えないような下級兵士は恩赦があったり、一定期間を労務者として働ければ解放されることがある。
今回がそれに当たるだろうか。
アベルは何気なく解放されて帰還した兵士たちを見ていたが、その中に見知った顔を見つけた。
見間違えかとも思ったが、確かに彼だ。
リックだった。
テナナ村から、一緒にポルトへやってきた幼馴染。
魔力など全く無いのに、騎士に憧れてアベルに意地でも食らいついて離れなかった少年。
でこぼした芋みたいな顔で可愛げなどないけれど、懐かしくて仕方なかった。
「リック! リックだよなっ?!」
アベルの叫びにリックが振り向いた。
「あっ、アベル!」
二人は駆け寄るが、アベルは異常に気が付いた。
リックは負傷しているらしく跛行している。
その歩き方は、まるでぬかるんだ泥濘に足を取られたようだった。
「どうした。足を怪我したのか」
リックが照れたように言う。
「いや、おれが間抜けなんだ……」
「見せてみろよ。治してやるから」
「ふふっ。多分、治らないぜ」
リックが裾を上げた。
そこには、捻じれるように変形した左の足首がある。
アベルは治癒するイメージを強く持って、淡く輝く掌を押し当てたが、足首は治らなかった。
アベルは愕然とした。
「な。無理だろ。こうやってさ、下手に治るともう治癒魔法を掛けても元に戻らないんだと。なんか刃物で肉を切り開いて、骨を砕いたり削ったりして治癒魔法をかければ治る場合があるけれど、すごく上手い医者じゃないと……もっと酷くなったり、悪くすると命に関わるらしい。だからもう、何もしないほうが良いってさ」
アベルは絶句する。
何も言えない。
そんな外科医紛いの高等技術、自分にはない。
「父上なら……」
「ウォルター様か。別に信頼してないわけじゃないけれどさ。おれはもう、この足をこれ以上痛めたくないんだ。諦めはついている」
アベルは視線を遠くに飛ばしたり、地面に移動させたりした。
やっと絞り出した謝罪。
「リック、すまない……おれが……、殴ってでも止めれば」
「何でアベルが謝るんだよ! おれが好きで兵士になって好きに怪我しただけさ」
リックは屈託なく笑っていた。
そこにはアベルを恨む気持ちなど少しも見えなかった。
「だけれどさ。その体じゃ農作業も大変じゃないか」
「農家? 農家なんかやらねぇよ」
「え、だって実家ぐらいしか行く当てがないだろう」
「おれ、五男だぜ。畑なんか継げないんだ。一生、下男か作男やるのか。冗談じゃねえよ。それが嫌だからアベルに頼み込んでテナナを出たんだぞ」
「じゃあ、また兵士やるのか」
アベルは痛めた体を駆使して傭兵稼業をしている人間を、いくらでも街で見ている。
可能かもしれない。
「いや、兵士はもうこれにて廃業する。実はさ……ちょっとこれ見てくれよ」
リックは雑嚢から何かを取り出す。
それは木彫りの動物だった。
精巧な出来とは言えないが、どこか温かみのある作品。
「おれさ。戦場で穴に落ちて、足を折ってさ。味方からも置いていかれて、倒れて死にかけていたんだ。そこをガイアケロン様とハーディア様の軍勢に助けてもらったんだ。手当てもしてもらって。食事もちゃんとした物を頂いたよ」
「うん、それで?」
「傷が取り合えず治ってからは捕虜労働させられてさ、王道国の橋を造ったり家を造ったりしていたんだ。その合間に木彫りの牛とかを造ってみたのさ。けっこういいだろ」
「うん。味があるっていうか……悪くないよ、ほんとに」
「おれ、これからはこれで食っていくつもり」
リックは朗らかに笑っていた。
生死の境を彷徨ったせいなのか、人間がまろやかになっていた。
「ガイ様とハーディア様……。立派な人だったぜ。さすがに話しまではしなかったけれど、ガイ様なんか兵士と一緒になって家を建てたりするんだぜ! 王子様なのにだぜ? 信じられないだろう!」
「そうだな。珍しいな」
「いやしないよ、あんな人。体がでかくてさ。ウォルター様より大きいぐらいだったかなぁ。顔もカッコいいんだぜ。強いのに優しそうなんだ」
リックの顔には英雄に対する素朴な憧れというようなものだけがあった。
「リック。ガイアケロンって一応、敵将だぜ……」
リックは少し顔を曇らせる。
「そうなんだよな~。でも……凄いんだよ!」
リックはすっかりガイアケロン王子に感化されているみたいだった。
それから話し込みアベルは戦場のことなど、いろいろリックから聞き出す。
だが、他の帰還兵士とそれほど違いの無い内容だった。
日々はほとんど雑務で過ぎていくこと。
とにかく広大な中央平原を歩き続けたこと。
戦地に着いてから半年足らずで捕虜になったので、虜囚生活の方が長かったという話しだった……。
とにかく、死なないで良かった。
アベルはひたすら、そう思う。
怪我をしたリックは簡単な取り調べはあったものの、即日除隊になった。
とはいえ、しばらくは城内の兵舎で暮らせる。
リックは彫刻職人志望ということで、アベルはカザルスの父親が魔法の使えない彫刻家なのを思い出す。
カザルスと相談して、リックを助手として雇えないか打診してもらうことなった。
木工職人組合にも伝手があるというので見習いぐらいならやらせてもらえるだろうとカザルスは請け負う。
リックはとても嬉しそうにしていた。
これで新しい人生の始まりだと……。
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解放された捕虜がポルトに帰還した翌日。
カチェは一通の手紙と荷物を受け取った。
バース伯爵からのものだった。
よほど重要な手紙だったようで、騎士フォレス・ウッドがわざわざ帝都まで往復して、運び人を務めたほどだ。
カチェは受け取った手紙を開く。
内容は難しく、簡単には理解できなかった。
それに自分あてに任務の依頼まである。
とてもではないが単独で解決できるものではなかった。
相談がいる。
ロペスとモーンケは領内巡回で二、三日は帰還しないだろう。
アベルしかいない。
カチェがイースの部屋がある建物に行くと、運よくアベルがいる。
アベルは何かをしていた。
洗濯みたいだった。
アベルは籠に入れられた衣服を手洗いしていく。
洗濯も従者の仕事なのだ。
もう立場は騎士見習いだけれど。
洗濯というのはもっとも面倒な家事労働かもしれない。
衣服を一枚一枚ヘラで叩いたり手洗いして、丁寧に洗っていくしかないのである。
その中にはイースの下着もある。
自然と笑顔になってしまう。
――やべぇだろ、これ。
甘くて、脳が蕩けるような香りがする……。
やめられねぇ!
アベルはイースの下着を顔に押し付けて深呼吸をしようとしたときだった。
「アベル」
「ぎゃああぁあぁぁ!」
アベルが血走った眼で振り返る。
カチェが驚いた顔をしていた。
「なによっ! どうしたの?!」
「あっ、カ、カチェ様!」
「アベル……、なに?」
「う……」
アベルはやや混乱しつつ思う。
――助かった?! ぎりぎり見られてない?
「カチェ様! 僕はちょっと……いま仕事でして!」
「見れば分かるわ……。そんなの洗濯女に頼めばよいのではなくて? なんか変ね。アベル、何か……わたくしに隠し事をしていない?」
アベルは、そっと下着を籠に戻した。
冷や汗をかきながら何事もなかったふりをする。
ばれたら、とんでもねぇことになる。
「なんにも! ないですっ!!」
カチェはじろじろと紫の瞳で何かを読み取ろうとしていたが、幸運にも下着の匂いを嗅ぐなどという行為は思いもよらないらしく、やがて話しを再開させた。
「ま、いいわ。ちょっと至急の要件なの。まず、この手紙を読んで。とても重要な秘密を含んでいるから、絶対に人に言わないで。あとアベルのお父様のことも少し書いてあったわ」
「父上のこと?」
アベルは封書に入った手紙を受け取る。
見覚えある流麗で、かつ男性的な雰囲気もある筆跡。
教養のある貴族の文字だった。
バース伯爵の署名と日付があった。
アベルは何か、とんでもなく厄介なことが書いてある気がした。




