01.少女は空腹に負けていた
「つまりだな、あの美味なるサンドイッチとは砂漠の魔女が作った一品らしいのだ。知っていたか? ネオンよ」
「…………」
風変わりな黒と金の服装をした声の大きい男は、白黒調の衣服に包まれた静寂なる少女と共にとある森の小道を歩いていた。
世話になった宿屋を離れてから数日後、二人は次なる街へと向かっていた。
医者の消えた街で調査をするもこれといった情報は得られず、ひとまず通り魔の噂の出所を探す事を目標に旅を続けていたのだ。
ネオンと呼ばれた少女は男の声など気にもせず、黙々と片腕に引っ掛けたバスケットからサンドイッチを取り出しては頬張っていた。
全く。と隣を歩く男が溜め息を付いていると、黙々と食べ進めていた少女が突然スッと腕を上げ、その指先を森の小道の奥と向けていた。
「なんだ……?」
少女の華奢な指の先。小道の中腹で何かが道を遮っているのを見つけた。
男は警戒心を抱きながらゆっくりと歩みを進めてみると、なんとそれは乗り手を失った馬車であった。
こんな所で放置するなど人の迷惑を考えない奴もいたものだ。などと考えていると、どうやら馬車は訳ありの様子。
馬車に繋がれた馬が何をするでもなく立ち止まり、地面へと転がっているものへ鼻を寄せ臭いでも嗅いでいるようであった。
「何をしているのだ……?」
男はじりじりと近づく。馬が小突いているものの正体を知った時、男は思わず驚きの声を漏らす。
「おい、大丈夫か!?」
馬が小突いていたのは物ではなく、意識を失った少女であったのだ。
男は少女の綺麗な黒髪を分け表情を伺う。そして息を確認するため口元へ耳を近づけると、どうやら僅かに呼吸はあるようだった。
「どうした? 何がった!?」
男は倒れている少女の身体をゆすったり軽く頬を叩いたりして、急いで意識の確認を行う。
「……が…………た」
「なんだ? 何と言っている!?」
少女は薄っすらと意識を取り戻し、絶え絶えの息を吐きながら男へ何かを伝える。
「……が…………した」
「どうした?」
「…………ました」
「……?」
「お腹が、空きました……」
張り詰めていた緊張の糸が、プツリと音を立てて切れ落ちる。
スーッと息を吐くと、男はぽつりと興味を失ったように呟いた。
「……そうか」
男は真顔になったまま、とりあえず苦しそうな少女の背を抱え刺激しないようにその身を起こした。
そして近くで見ていたネオンを指先で呼ぶと、彼女が片腕に抱えていたバスケットからサンドイッチを一つ奪い去った。
「…………!」
ネオンは咄嗟にサンドイッチを奪った男の方へ振り向く。
その表情に全く変化はない。しかし彼女の放つ存在感は、尻尾を踏まれた猫のように怒りを帯びていた。
男はそんな大食い少女の事など気にもせず、奪い取ったサンドイッチを倒れていた少女の口元へ近づけた。
すんすん、と弱っていた少女の鼻がぴくりと動く。
それと同時に食べ物の存在へ気づいたのか、やっと見つけた獲物へ食らいつく餓えた獣のように大きく口を開けた。
そして。
「いっただきまーすっ!!」
ガブッ!! とその口はシキの指ごと噛みついた。
男は思わず痛みで仰け反り、馬車の近くを転げ回る。
後ろ足で襲い掛かる馬に二度三度と蹴られそうになりながらひとしきり悶えると、男は荒れた息でやっと言葉を口に出した。
「痛……っ!? な、何だお前は……まさかこの私もろとも食らい尽くす気なのか……!!」
男は目を丸くする。指をかじってきた元衰弱少女と食べ物を奪われ機嫌の悪いネオンに挟まれながら、恐ろしい存在と出会ってしまったように恐怖を覚えガタガタと震えていた。
「す、すみません!! ここ数日、何も口にしていなかったもので……」
黒髪の少女は口をモゴモゴさせながら起き上がり、手首を掴み上げ四つん這いになって痛みに苦しむ男へと近づいた。
「じっとしていてくださいね!? 今すぐ冷やしますから!!」
そういうと少女は近くに落ちていた木の杖を拾い上げ、先を赤く腫れあがった男の手へと添える。
「いきます!」
少女はゆっくりと目を閉じ、杖の先に意識を集中させた。
「|氷結精製:氷の塊《フリージングビルド:アイスブロック》!」
少女の掛け声と共に、男の赤く腫れた指は片手ごと氷の塊へと閉じ込められた。
「なっ……。氷の……魔術? お前まさか、エーテル使いか?」
男は氷に覆われた己の片手と、その氷を生み出した少女を交互に見つめる。
術を使い終えた少女は、黒髪へ小さな雪の結晶をキラキラと浮かび上がらせながら、血の気のある表情を取り戻していた。
「はい、そうです。私はエリーゼ。この先にある魔術雑貨屋で働いている店員です。あなたは……」
少女は若干の申し訳なさを覚え少し身をすくめながら、氷に覆われた男の手と怒りに覆われていた男の表情をチラチラと覗き見る。
痛みが引き徐々に冷静さを取り戻した男は、少女の無事と自分の片手の無事を確認するや否や、彼女の挨拶へ応えるように自らも自己紹介をした。
「私はシキ。そして隣で私を睨み続けているのはネオンだ。私達はある物を探して各地を歩き回っている。ざっくり言うと旅人だ」
二人の旅人は、とある森の小道にて空腹で倒れていた一人のエーテル使いと出会った。
こうして、新たな物語は幕を開けるのであった。




