第十話 『リューザス・ギルバーン』
――愚かな魔術師の話をしよう。
その魔術師は、オンリィン王国の端にある小さな村に生を受けた。
名前をリューザス・ギルバーン。
くすんだ赤い髪と、目付きの悪さが特徴の子供だった。
父親は村を守る兵士、母親もそれを支える魔術師だった。
両親は兵士の指揮を取る、リーダー的存在だった。
そんな二人の背を見て育ったリューザスは、荒い気性ながらも面倒見の良い少年に育っていった。
そんな彼には、十歳下の妹がいた。
サーシャ・ギルバーンという、赤毛の少女だ。
生まれつき体が弱く、サーシャは病気がちだった。
仕事のために家を開ける両親に代わり、リューザスはサーシャの世話をした。
変わったことは何もないが、リューザスはその小さな村でのどかな生活を送った。
仮初めの平穏が崩れたのは、リューザスが十四歳の時のことだ。
王国に、魔王軍が攻めてきた。
四天王"裁断"の率いる軍と、王国軍が激しくぶつかり合う。
その中で、魔王軍からハグレた魔物が村へやってきた。
それを迎え撃ったのは、村を守る兵士だ。
当然、その中には彼の両親もいた。
村を襲った魔物は、多くの犠牲を払いながらも何とか撃退できた。
魔物が村の中に入ってくることはなく、リューザス達は守られたのだ。
けれど。
『これでも、母さんは凄腕の魔術師なのよ。魔族なんてイチコロよ』
そう言っていた母親は、魔物に喰われて死んでいた。
魔術を発動する合間に襲われたらしかった。
右半身はなく、残ったのは左半身だけだった。
『父さんは村一番の剣士だからな。何の心配もいらないさ』
そう言っていた父親は、致命傷を負って帰ってきた。
母親が死んだ瞬間に気を取られ、魔物から攻撃を受けてしまったらしかった。
父親を見た時、その顔は真っ白で、リューザスは助からないと分かってしまった。
シーツを血で真っ赤に濡らし、口から赤い泡を吹きながら、父親はリューザスの腕を強く握って言った。
『リューザス……お前は、お兄ちゃんだ。だから……サーシャを、守ってやってくれ』
それが、父親の最期の言葉だった。
リューザスは、両親の死をサーシャに隠した。
しかし、幼いながらも、サーシャは両親がいなくなってしまったこと悟ったのだろう。
目が腫れるまで泣いて、そのまま眠ってしまった。
瞑った瞳から溢れる涙を拭ってやりながら、リューザスは眠るサーシャを見た。
肌は白く、体は細い。
寝返りをうち、リューザスの服を掴む指の力は、本当にか弱かった。
父親の最期の言葉を思い出す。
そして、リューザスは誓った。
サーシャは何があっても自分が守る。
そして、幸せにしてやると。
妹の世話は、簡単ではなかった。
リューザス一人では手が回らず、何度も村の人に助けてもらった。
両親の残した金は少なく、生活は苦しかった。
それでも、リューザスは挫けなかった。
妹の世話をし、村長に頭を下げて仕事をもらい、自分に出来ることは何でもやった。
両親が兵士の指揮を取っていたからだろう。
村の人達は二人に同情し、面倒を見てくれた。
「……えへへ」
サーシャは、いつも笑っていた。
辛いはずなのに、悲しいはずなのに。
決して弱音を吐かず、堪えるように笑っていた。
そんな笑顔を、させたくない。
そう思いながらも、リューザスにはどうすることも出来なかった。
両親が死んでから、一年が経った頃だ。
仕事を終え、リューザスが家へ帰ってくると、サーシャはまだ起きていた。
「おかえりなさい、お兄ちゃん!」
帰ってきたリューザスを、嬉しそうに出迎えてきた。
いつもなら、とっくに眠っている時間だというのに。
「……早く寝ねェと駄目だろ。また風邪引くぞ」
「で、でも……お兄ちゃんの顔がね、見たくてね……」
そう言ってすぐに、サーシャは首を振った。
「……ごめんなさい。ちゃんと、寝るね」
何かを堪えるようにして微笑むと、サーシャは寝室へ帰っていこうとする。
「……待て」
「……?」
「……寝るまで、一緒にいてやる」
ぶっきらぼうな態度で、ワシワシと乱暴にサーシャの頭を撫でる。
ぱっと顔を輝かせる妹に、リューザスは頬を緩めた。
「お兄ちゃん、ご本読んで!」
「……仕方ねェな」
それは、もう何十回も読み聞かせたことのある、サーシャのお気に入りの本だった。
それは、悪い魔王に支配された世界を、一人の青年が倒す話だった。
青年はある日、神から力を授かり、勇者となる。
しかし、彼は臆病で要領が悪く、途中で何回も失敗してしまう。
そのたびに、青年は泣いてしまうのだ。
だけど、彼は決して諦めなかった。
お前には無理だと笑われても、青年は立ち向かい続けた。
そんな彼の姿に多くの人が惹かれていく。
青年はそれから何度も失敗を重ねながら、いろいろな人に支えられ、英雄へと成長していく。
やがて誰もが英雄と認めるようになった青年は、仲間とともに魔王を打ち倒すのだ。
悪い魔王は消え、待っているのは誰もが幸せに過ごすことの世界。
人間も、亜人も、魔族も、皆が笑うことの出来る世界だ。
リューザスは、知っていた。
そんな世界を作ることなど出来ないと。
魔王を倒したって、誰もが笑える世界なんて訪れない。
人間と魔族は、決して分かり合うことは出来ない。
いつもは読み終えると、サーシャはすぐに眠ってしまっていた。
だけど、その日は違った。
「……私ね。この絵本みたいな、幸せな世界を作りたいな」
ポツリと。
小さな声で、サーシャはそう言ったのだ。
「その世界だとね、みんなケンカせずにね、毎日楽しく遊ぶんだぁ……」
「…………」
「甘いお菓子とか、皆で食べてね。それで、一緒にお昼寝とかして」
「…………」
「パパとママもね、冥界でそれを笑って見てるの」
「……………」
「……そんな楽しい世界が、あったらいいのにね」
その横顔は、どうしようもなく悲しそうで。
「……作るよ」
「え?」
――無理をして笑う彼女を見た。
大切な人達を失って、傷付き、悲しみ。
それでもなお、無理をして笑う彼女を。
その悲しい笑顔を、本当の笑顔に出来たらどれだけいいだろうと。
そう、思ったからこそ。
「――俺が作るよ」
彼は誓った。
彼女を笑顔に出来る世界を作ろうと。
英雄になって、幸せな世界を作ろうと。
それが、彼と彼女の約束だった。
◆
魔王を倒して、人間と魔族の戦争を止める。
リューザスは、そう決めた。
そのためには、力が必要だった。
その日から、妹の世話と仕事に加え、強くなるための修業をするようになった。
最初は絵本の青年のように、剣士になろうとした。
木刀で素振りをし、父親の友人だった兵士に剣を教わったりもした。
しかし、リューザスには剣の才能はなかった。
基本を覚えても、応用に繋げられない。
敵を前にすると、どうしても足が竦んでしまうのだ。
リューザスは、絵本の青年のようにはなれなかった。
その代わり、彼には魔術の才能があった。
それも、人並み外れた才能が。
母親の形見の魔道書を読み、リューザスは魔術を覚えた。
本を読んだだけで、初級の魔術は完璧に使えるようになった。
それどころか、より効率の良い使い方を編み出したりもした。
リューザスは魔術の修業を初めて一年も経たない内に、村一番の魔術師になった。
村の周辺に出る魔物を倒し、リューザスは金を稼いだ。
質素な生活から抜けだして、家事手伝いを雇えるようにもなった。
やがてリューザスの名は王都へ伝わり、王城に来ないかという誘いが来た。
――英雄になるための、第一歩だ。
リューザスは、王城へ行くことにした。
王国魔術師になって名を上げ、いつか魔王を倒して英雄になるのだ。
「お兄ちゃん、おめでとう!」
リューザスが王城へ向かうことになった、前日。
サーシャから、プレゼントをもらった。
それは、手作りのネックレスだった。
「これは……」
「えへへ、お兄ちゃんに内緒でね、作ったんだよ」
それは、決して上等なものではなかった。
見窄らしい、と笑う者もいるかもしれない。
それでも、リューザスにとって、それはどんな宝よりも価値のあるものだった。
「ね、嬉しい? 嬉しい?」
「…………」
「わ、お兄ちゃん。ど、どうしたの? どこか痛いの? 泣かないで!」
小さな手で自分を撫でる妹が、どうしようもなく愛しかった。
「……もう少しだけ、待っててくれ」
サーシャを抱きしめ、噛み締めるように言う。
「絶対に、俺が幸せな世界を作ってやる」
「……うん」
「英雄になって、お前を世界一幸せにしてやるからな」
「……うん」
結局。
か弱い力で服を摘むサーシャの意図に、リューザスは気付かなかった。
◆
王城にやってきてからの、リューザスの勢いは凄まじかった。
村では得られなかった知識を、瞬く間に吸収していく。
二十になる頃には、全属性の上級魔術を習得していた。
文字通りの天才だった彼を妬む者は多くいた。
理不尽に絡まれることも、一度や二度ではなかった。
しかし、リューザスは折れない。
彼らを意にも止めず、功績を残し続けた。
やがて、王城でリューザスの名を知らぬ者がいなくなった時。
"宮廷魔術師"候補に、彼の名前が上がるようになった。
宮廷魔術師の称号は、王国の魔術師の誰もが憧れる名誉ある称号だ。
この頃には、王城の中にリューザスの派閥が出来つつだった。
宮廷魔術師になれば、王城での立場はより盤石なものになる。
英雄へより近付くことが出来る。
それに、サーシャを王都へ連れてくることも出来る。
現在の王都には、魔王軍の脅威から逃れようと、王国中から人が集まってきている。
そのため、権力を持つ貴族や大商人、その親族が優先されているのだ。
平民出のリューザスは、後回しにされてしまっている。
それに王都で暮らすには相応の大金が必要だ。
リューザス自身は、魔術師用の宿舎で寝泊まり出来ているが、まだ王都に居を構えられるほどの金はない。
だが、宮廷魔術師になれば話は別だ。
必要なだけの金が手に入り、平民出だからと後回しにされることもなくなるだろう。
数年前の襲撃以来、村人全員が金を出しあって警備は強化した。
現在に至るまで、魔物や魔族の襲撃は受けていない。
それでも、自分の目の届く王都へ連れてきた方が安心できる。
この頃、オルテギア率いる魔王軍の侵攻は激しさを増しつつあった。
そう遠くない内に、人間と魔族の決戦が起こる。
リューザスは、そう確信していた。
「待ってろ、サーシャ。もう少しで――」
そして。
リューザスが英雄の称号を手に入れる、その前に。
異世界から、勇者が召喚されることになった。
◆
国王に、そして重鎮の貴族に、お告げがあったそうだ。
"聖光神"メルトから、世界を救うために"召喚陣"を使いなさいと。
召喚陣の扱い方も、そのお告げで明らかになった。
夢で聞いた通りのやり方で、これまで転移陣の亜種ということしか分かっていなかった召喚陣を作動させることに成功し、異世界から勇者が召喚される運びになったのだ。
密かに王城に忍び込んでいた魔族が召喚陣を破壊しようとするトラブルが発生したものの、駆け付けた騎士、ルシフィナ・エミリオールによって事なきを得た。
予定通りに、無事勇者は召喚されることになった。
――何が神のお告げだ。
――そんな不確かな物に縋ろうとするなど、どうかしている。
内心でそう思いながらも、リューザスには召喚を阻止する権限はない。
そうして、異世界から勇者が召喚された。
やってきたのは、アマツと名乗った黒髪の少年。
地を砕き、空を割り、魔を滅ぼす。
それが、伝承に残っている勇者の力だ。
王国はアマツを戦わせようと手を回したが、彼はそれを拒否した。
騎士が訓練に引っ張りだしたが、手を抜いてまともに戦おうともしない。
そんなアマツに、王城内で不満が燻り始めた頃だった。
魔王軍が動いた。
四天王"裁断"率いる、一万の軍勢が王都に向かって進軍を始めたのだ。
勇者の存在を悟り、軍を出したのだろう。
王国は、慌てて戦力を王都に集中させ始めた。
任務で王都を離れていた、ルシフィナを始めとする実力者にも招集が掛かった。
当然、リューザスにも待機命令が出ていた。
魔王軍がどの道を使って王都へ向かってきているのか、すぐに明らかになった。
対策会議が開かれ、そこで説明された。
そこで、リューザスは自分の耳を疑った。
「……そん、な」
魔王軍が通過する道に、自分の村があったからだ。
「端の村に手を回している余裕はない。今は、戦力の集中を優先する」
それが、国王の下した決定だった。
一万の軍勢を止めるには、王国は総力を以って挑まなければならない。
とてもではないが、田舎の村に戦力を割いている余裕などないのだ。
「陛下ッ! ま……待ってください!」
リューザスは異議を唱えた。
魔王軍が国土を荒らす前に、迎え撃つべきであると。
当然、異議は受け入れられなかった。
戦力の問題もあるが、今からでは、とてもではないが間に合わないからだ。
それでも食い下がろうとしたリューザスだが、
「弁えろ! 一介の魔術師風情が、無礼であろう!」
「ですがッ! せ、せめて避難の誘導だけでも」
「リューザス。王国の……いや、人間の存亡が掛かっているのだ。そのような瑣末なことに、時間を割くわけにはいかん」
「さ、まつ……」
そう切り捨てられ、リューザスは退出させられた。
王城から出るなという、厳命付きで。
すでにリューザスは、王国で十指に入る実力者だ。
その戦力がなくなるのは、困るという判断からだろう。
「……瑣末なんかじゃ」
リューザスは隙を見て、同僚に頼み込んだ。
妹を助けるために、力を貸して欲しいと。
誰一人として頷く者はいなかった。
「いい気味だ」
「調子に乗っているから、そういうことになる」
リューザスを快く思っていない者達は、そう彼を嘲笑した。
彼は、絵本の青年のように、仲間に支えてもらうことは出来なかったのだ。
唯一協力してくれる可能性があったであろうルシフィナは、まだ王都に帰ってきていなかった。
待っていては、とてもではないが間に合わない。
「サーシャ……ッ」
誰も協力してくれない。
あの村は、国に見捨てられた。
そんな現実を突き付けられたリューザスが最後に縋ったのは、
――異世界の勇者、アマツだった。
監視の目を掻い潜り、リューザスはアマツの部屋へ向かった。
相手は、一万の魔物だ。
対抗出来るのは、もう勇者しかいない。
「アマツ殿ッ!」
ドンドンと扉を叩き、リューザスは叫んだ。
「お願いしますッ! 貴方の力を貸してください!」
リューザスは、アマツにすべてを説明した。
魔王軍が進軍してきていること。
このままでは、村が軍に呑まれてしまうこと。
村には、妹がいることを。
王国は、村を捨てたこと。
「もう、貴方しかいないんです。お願いします! 貴方の、勇者の力を貸してくださいッ!」
絵本の中の、勇者になった青年は言った。
人が傷つくのを、見たくないと。
きっと、アマツは助けてくれる。
その希望は、
「そんなの、俺の……俺の知ったことかッ!」
勇者のその一言で、砕け散った。
「戦えないって、何回言えば分かってくれるんだよッ!」
「で、でも……貴方は勇者で……」
「急に知らない世界に連れてこられて、戦えるわけがないだろ! ……何が勇者だよ。騎士に殴られただけで、骨にヒビが入ったんだぞ……!」
「そん、な」
「それを……手を抜いた、やる気がない、臆病者――そんな風に怒鳴りつけて、一体どうしろっていうんだよ」
扉の向こうから帰ってきたのは、勇者として呼ばれたはずの少年の憤怒の叫びだった。
「頼むよ……。帰してくれ。元の世界に……帰してくれよ」
「妹が……サーシャが――」
「知らないって言ってるだろうがッ!」
それが、アマツの答えだった。
これが、現実だ。
絵本のようにはいかない。
あの青年のような人間なんて、この世にいない。
『リューザス……お前は、お兄ちゃんだ。だから……サーシャを、守ってやってくれ』
父親の言葉を思い出し、一人で頷いた。
「俺が、サーシャを守るんだ……ッ」
◆
そうして、リューザスは一人で王城を飛び出した。
馬車を持ち出し、制止を振りきって、村へと向かう。
サーシャを守ってやれるのは、自分しかいない。
村に近接する山へ辿り着いたリューザスは、村から避難してきた人達とあった。
荷物を背負って、迫ってきている魔物達から逃げているようだ。
その中に、金を払ってサーシャの世話を任せていた女の姿があった。
サーシャの姿は、ない。
「サーシャは、どうした」
「それは……」
「まさか……置いてきたのかッ!? ふざけんじゃねェぞ、おいッ!! あいつが一人で逃げれねェことぐらい分かってんだろッ!?」
「いや、サーシャちゃんの友人が自分が避難させると名乗り出たから……」
弁解しようとする女を突き飛ばして、リューザスは進む。
ここに来るまでで、馬は疲労しきってしまっていた。
治癒魔術で誤魔化してきたが、それにも限界がある。
もう、馬車で進むことは出来ない。
リューザスは走った。
村に取り残されたサーシャを救うために、走って、走って、
「――――」
村の目の前にまで迫っている、魔物の軍勢を見た。
報告にあった通り、数は一万に届く。
地平を埋め尽くさんばかりの、魔物の軍勢。
サーシャは、村の外れにいた。
「サーシャッ!」
「お兄、ちゃん……」
荷物を背負い、一人きりで逃れようと歩いていた。
足取りは覚束かず、すでに息を乱している。
さっきの女が言っていたような、友人の姿はない。
咄嗟にでまかせを言ったのだろう。
こんな様子のサーシャを見捨てて、あの連中は自分達だけ逃げ出したのか。
「お兄ちゃん……ッ」
涙を浮かべながら、サーシャが抱きついてきた。
小刻みに震えるその体から、どれほどの恐怖を感じていたのか分かった。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん!」
「遅くなって悪かったな。もう大丈夫だ」
そう言いながら、すでにリューザスは分かっていた。
このままでは、サーシャを救えないと。
想定よりも、魔王軍の侵攻速度は遥かに速い。
この速度では、すでに避難した村の人間達は逃げきれないだろう。
当然、自分達も逃げきれない。
馬が走れるようになるまで、まだ時間が掛かる。
もう、そんな時間はない。
このままでは、自分達はここで殺されるだろう。
「……させねェ」
「お兄ちゃん……?」
震える足を殴り、歯を食い縛る。
「サーシャには、手を出させねェ」
リューザスを突き動かしたのは、その思いだけだった。
そこから、リューザスは何でもやった。
魔物が入れないように、村に結界を張った。
村の周囲に、思いつく限りの罠を仕掛けた。
高台へ移動し、そこから攻撃を仕掛けた。
津波を発生させ、進軍する魔王軍へ叩き付けた。
間髪入れず、巨大な雷を落とした。
地を揺らし、風で切り裂き、炎を放ち、濁流で飲み込み、雷雨を発生させる。
地を進む魔物を吹き飛ばし、天を飛ぶ龍を叩き落とす。
このタイミングで襲撃されるとは、微塵も思っていなかったのだろう。
リューザスの不意打ちによって、魔王軍は大混乱に陥った。
蓄えていた魔石を、惜しみなく使った。
持ってきた魔力付与品は、一つ残らず使い潰した。
寿命が削れるのを承知で、反動の強い魔術も行使した。
――これまでの人生は、すべてこの時のために。
後方に陣取っていた四天王"裁断"へ向けて、最大火力の魔術を連発する。
飛びそうになる意識を縫い止め、ポーションを飲み、血反吐を吐きながら後方へ魔術を撃ち続ける。
「……血がっ」
「だい、じょうぶだ。心配ねェ……」
多勢に無勢――どころの話ではなかった。こちらは一人きりで、援軍は来ない。
それでも、リューザスは戦い続けた。
喉が嗄れる程に叫びながら、すべてを出し尽くした。
そして。
「――――」
村を囲っていた結界が砕かれた。
村へ、魔物の軍勢が雪崩れ込んでくる。
畑が踏みにじられていく。
立ち並んだ家が砕かれ、見知った風景が破壊されていく。
「……ちく、しょう」
当然の結果だ。
リューザス一人で、一万の軍勢を止められるはずがないのだから。
「お兄、ちゃん」
「心配、するな。お前だけは、絶対に俺が守ってみせる」
サーシャを抱え、高台から飛び降りる。
罠を仕掛けながら、想定していた道から逃走を開始した。
『ギイイイイイイィィィ!!』
魔物には、すぐに見つかった。
空から、無数の怪鳥がリューザス目掛けて降りてくる。
「お――おォおおおおおおおおおッ!!」
空中へ魔術を掃射し、怪鳥を撃ち落とす。
落下する怪鳥へ、気を取られた一瞬だった。
「ぁ、がッ」
死角から飛んできた雷に、脇腹を抉られた。
激痛が走り、意識が飛びかける。
バランスを崩し、リューザスは崖を滑り落ちていく。
薄れゆく意識の中で、それでもサーシャを離すまいと、腕に力を込めて。
◆
それから、どれだけ時間が経っただろうか。
リューザスは、脇腹の痛みで目を覚ました。
頭上には、木々が生い茂っている。
途中の木々が勢いを殺したため、あの高さから落下しても生きているのだろう。
周囲に魔物の気配はない。
木々のお陰で死角が生まれ、魔物達に気付かれなかったのかもしれない。
そこまで考えて、リューザスはようやくサーシャの存在に思い当たった。
「サーシャッ!」
「お兄、ちゃん」
「!」
傍らから聞こえたサーシャの声に胸を撫で下ろし、
「――ぁ?」
リューザスの表情は固まった。
サーシャは、すぐ隣で横たわっていた。
服が赤かった。
白かった服が、真っ赤に染まっていた。
「お兄、ちゃん……。大丈夫……?」
「俺なんかのことはいいッ! クソ、今すぐ治してやるッ!」
赤く染まった服を捲り、サーシャの傷口に視線を落とす。
「――――」
肉が裂けていた。
傷が内臓にまで達している。
さっきの雷を、サーシャも喰らっていたのだ。
そして、それだけではない。
木の枝が、何本も突き刺さっていた。
落下の途中で、刺さったのだろう。
切り傷はあれど、リューザスには枝など刺さっていない。
つまり、自分はサーシャを盾にして枝から身を守った――――?
「あ……あ、ああああ」
治癒を掛けた。
何度も何度も、治癒魔術を使った。
傷口が緩やかに、塞がっていく。
高位の治癒魔術を使おうとしたところで、限界が来た。
「が、ぼッ」
限界を越えた魔力の行使により、突き刺さるような頭痛がリューザスを襲う。
視界が定まらなくなり、耳鳴りが鼓膜を揺さぶる。
「もう……ね、大丈夫だよ」
それでもなお治癒魔術を使おうとしたリューザスを、サーシャは止めた。
震える手が、傷だらけになったリューザスの手を優しく包む。
その冷たさに、息が止まりそうになった。
「ありがと……ね。ずっと……守ってくれて」
「……喋るな」
聞きたくない。
「お兄ちゃん……あんなに、強かったん、だね……。かっこ、よかったなぁ」
「喋るなッ」
聞きたくない。
「ほんとはね……寂しかったんだ……。お兄ちゃんが、村を出て行ってから……あんまり、会えなくて。だから…お兄ちゃんが来てくれて……嬉しかったなぁ……」
「――ッ! だ、だったら、もうどこにもいかねェ! ずっと、ずっとお前と一緒にいるからッ!」
「え……へへ。うれしい、な」
血を吐き、細い息を吐きながら、サーシャは微笑んだ。
どれだけ疲れていようと、どれだけ辛い思いをしようと、サーシャの笑みがあったからやってこれた。
かけがえのないその笑みが、遠くへ失われていく――。
胸を掻き毟りたくなるような焦燥感に、リューザスはどうすることも出来なかった。
「ごめん……ね。お兄ちゃんには、迷惑かけて……ばっかで」
「気にするんじゃねェよ。俺は、お前の兄貴だ。妹の面倒を見るのは、当たり前だろ?」
「……うん」
そこで、気付いた。
サーシャの目が、自分を見ていないことを。
視点が、合っていないことを。
「お前、目が……」
「あのね……お兄ちゃん」
その言葉を遮って、サーシャはゆっくりと手をあげた。
宙を彷徨い、何度も空振りながら、小さな手がリューザスの頬に添えられる。
「お兄ちゃんと……一緒にいられてね……とっても、幸せだったよ」
聞きたくない。
そんな台詞、まるで、もう会えないみたいじゃないか。
「嫌だ……。待って、くれ」
「ご飯……ちゃんと食べてね。服も洗って……しわしわにしちゃ駄目だよ。あと……お兄ちゃんは勘違いされやすいから……気を付けて……ね」
「駄目なんだ……お前がいなきゃ、俺は……」
頬に添えられていた手が、リューザスの髪に触れる。
かつて彼がやったように、サーシャは優しくリューザスの頭を撫でた。
愛おしそうに、慈しむように。
「お兄ちゃんは……強いから、私がいなくても大丈夫……だよ」
「サーシャぁ……」
指から、少しずつ力が失われていく。
下がっていく手を、リューザスは縋るように掴んだ。
「もう少しなんだ……! もう少しで、お前の望んだ世界が作れる! 王国で、勇者を召喚したんだ! 勇者が戦えば、魔王なんてすぐに倒せるさ!」
「…………」
「お、俺は、俺は英雄には、なれなかったけど……あの勇者がきっと――」
サーシャの瞳から、涙が零れ落ちた。
「お兄ちゃんは、ね――――」
その言葉を最期に、サーシャは何も言わなくなった。
「サー……シャ?」
穏やかな笑みを浮かべたまま、サーシャは深い眠りについた。
「あ……あぁ……」
目を覚ますことは、二度となかった。
「あぁ、ああ……」
ガリガリと胸を掻き毟り、血が滲むほどに拳を地面に叩き付ける。
動くことのなくなった最愛の妹の亡骸を抱え、魔術師は慟哭した。
「あぁ、あァあああああああああああッ!!」
誰もいなくなった崖下で、血を吐くような怨嗟の叫びが響き渡った。
天を衝くように、いつまでも、遠く、高くまで。
◆
魔王軍の進軍は、中断された。
村での攻防によって、軍勢の四割が削られていたからだ。
リューザスはたった一人で、一万の軍勢を撤退にまで追い込んだのだ。
サーシャを置いて避難した村人達は助かった。
魔王軍は村を蹂躙した後、損害の具合から撤退を選んだからだ。
助からなかったのは、サーシャだけだった。
独り、王国へ戻ったリューザスを待っていたのは、王の命に背いたことへの罰ではなかった。
たった一人で魔王軍を撤退させたことへの賞賛だった。
「リューザス・ギルバーン。貴殿に、宮廷魔術師の称号を授ける」
国王から、賞賛とともに宮廷魔術師の称号が授けられた。
王国魔術師の誰もが憧れる、名誉ある称号だ。
「たった一人で魔王軍を……」
「魔導……いや、"大魔導"だ!」
「"大魔導"リューザス・ギルバーン!」
リューザスを知った人々からは、惜しみない賞賛が送られた。
"大魔導"という呼び名とともに、リューザスの名は瞬く間に王国全土へ広がっていく。
王国でリューザスを知らぬ者は、いなくなった。
「……違う」
どちらも、リューザスが求めていたものだ。
「違うッ」
欲しくて、たまらなかったものだ。
「俺は……俺は、こんなのが欲しかったわけじゃ……」
全部、全部、全部。
何もかもすべて、サーシャのためだった。
サーシャを幸せにしたい、ただそれだけだったのに。
授与式を境に、王国は"大魔導"の話題でいっぱいになった。
役立たずの勇者に変わって、リューザスを称える声で溢れかえったほどだ。
だが、それも一月も絶たない内に止んだ。
アマツが、その真価を発揮したからだ。
引き篭もっていたはずの勇者は、部屋を出て戦いに参加した。
再度攻めてきた魔王軍を、迎え撃ったのだ。
そして初陣で、魔王軍を撤退させることに成功した。
騎士たちと協力し、六割近くの戦力を削ってみせたのだ。
「――――」
リューザスは、単独で四割削った。
騎士の協力こそあったものの、アマツは六割の戦力を削ってみせた。
つまり、あの時。
あの時、アマツが協力してくれていれば――――。
「……何が戦えねェだ」
一騎当千と言わんばかりに、魔術で魔物を吹き飛ばすアマツの姿を見た。
たった一振りで、大地を裂くほどの斬撃を放つアマツの姿を見た。
勇者と呼ぶに相応しい力で、魔王軍を蹂躙するアマツの姿を見た。
「何がッ!! 戦えねェだッ!! お前がッ!! お前が戦ってくれれば、サーシャは……ッ!!」
逆恨みだ。
身勝手な要求だ。
アマツが来ていても、助けられた保障はない。
そんなことは分かっている。
そんなことは、分かりきっている。
だけど――そう思わずには、いられなかった。
◆
それから、人間の反撃が始まった。
アマツを旗印にして、魔王軍の支配を打ち破っていく。
魔術師の代表として、リューザスはアマツと行動をともにすることになった。
せめて、サーシャの望んだ通りに魔王を倒そう。
そして、自分が英雄になるんだ。
冥界のサーシャに、自分の名声が伝わるように。
それだけを支えに、リューザスは戦った。
王国への不信も、擦り寄ってくる同僚への苛立ちも、弱音を吐くアマツへの憎悪も。
何もかもすべてを飲み込んで、妹への誓いだけを頼りに戦い続けた。
そして、その誓いが叶うことはなかった。
――世界は、アマツ一色に染まったからだ。
ルシフィナとディオニスが加わる頃には、"英雄アマツ"という名前が世界に広まっていた。
そう、英雄。
英雄の名は、リューザスではなくアマツの物になっていた。
憎かった。
アマツが、憎かった。
それでも、リューザスは堪えた。
自身が英雄となる一縷の望みを託し、戦い続けた。
旅の途中、魔族に占拠された教国の聖都ファミナにやってきた時のことだ。
ディオニスとルシフィナが負傷し、アマツも二人を助けるためにいなくなった。
まともに戦えるのは、リューザス一人だけ。
この都市を救えるのは、リューザスただ一人だけ――。
「一人じゃなきゃ、駄目なんだよ……。俺がこの街を救うんだ。俺の名前を、広めるためによォッ!!」
そうして、リューザスは単独で襲い来る魔物と魔族を滅ぼした。
途中からアマツがやってきたが、ファミナを救ったのはリューザスだ。
リューザスが敵を討ち滅ぼし、人々を救ったのだ。
「く、はは。やった。やってやったぞ……!」
アマツじゃない。
リューザスが、この街を救ったのだ。
そうして、シュメルツに帰ったリューザス達を待っていたのは、
「勇者様達が来たぞ!」
「あれだけの魔族を倒した英雄……」
「"英雄アマツ"だ!」
"英雄アマツ"を称える声だった。
「……あぁ」
嫌でも理解した。
いや、とっくに理解していた。
何をしようと、自分は英雄にはなれないのだと。
アマツがいる限り、英雄と呼ばれることはないのだと。
――それでも。
それでも、サーシャが望んだ世界を作りたい。
せめて、それだけは。
それだけは、俺が実現させてみせる。
最後に残ったのは、その心象だけだった。
なのに。
戦いの後、メルト教団の教皇は尋ねた。
何のために、戦っているのかと。
それに、アマツはこう答えた。
堂々とした、決意に満ちた表情で。
誰もが憧れる、そんな英雄に相応しい面持ちで、こう答えたのだ。
妹を見捨てた男が、その口で、こう言ったのだ。
「――皆が笑える世界を、作りたいんです」
或いは。
この瞬間に、その男は壊れたのだろう。
なんで。
なんで、なんで、なんで、なんで。
ふざけるな。ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなッ!!
駄目だ、それだけは、それだけは、その心象だけは――――。
その時に、リューザスは汚濁の衝動に呑まれた。
「……てめェが、サーシャの夢を語るんじゃねェ」
抑えていた憎悪を、どうすることも出来なくなった。
――そうやって、自分から生きる意味すら奪おうというのなら。
――妹を見殺しにしたお前が、そんな世界を作ろうと言うのなら。
「……どんな手を使おうと、てめェだけは、絶対に殺してやる」
そう、誓った。
これが、愚かな魔術師の顛末。
英雄を志した男の、末路だ。




