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祈話 『一つだけ、わがままが許されるのなら』


 ――誰も傷付かない世界が在りますように。


 そんな世界を作るために、私は戦う。

 どれだけ傷付いても、最期の瞬間まで戦い続けられる。

 ずっと、そう自分に言い聞かせてきた。

 

 そんな誓いを形にした心象魔術を見て、彼は言った。


「――俺はもう、ルシフィナにその魔術を使って欲しくない」


 悲しそうに目を細めて、そう言ってくれたんです。



「じゃあ、乾かすぞ」


 そう言って、伊織が濡れたルシフィナの髪に布を押し当てる。

 ポンポンと布で髪の水分を取ると、今度は魔術を使った。

熱風バーニング・ブラスト”という魔術の応用だ。


「ん……」


 梳くように、伊織が髪を撫でた。

 少しくすぐったくて、心地良くて、思わず声が出てしまう。

 恥ずかしい。


 伊織に髪を乾かしてもらうのは、これが初めてではない。

 切っ掛けは、四天王“氷結”との戦いで、自分が負傷したことだった。

 心象魔術を使って、伊織達を守ったは良いものの、両腕に大きな傷を負ってしまった。

 幸い、リューザスの治癒魔術で元通りになったが、しばらくは腕が痺れてしまっていた。

 日常生活に支障はないが、細かい作業がやり辛い。

 そんな時に、伊織に髪に乾かしてもらうことになったのだ。

 

「……手、大丈夫か?」


 そんな中、伊織が心配そうな口調で聞いてきた。 

 罪悪感で、ルシフィナの胸が少し胸が痛んだ。

 だって本当はもう、腕は元通りになっているのだから。

 こうして伊織に髪を乾かしてもらいたくて、嘘をついているのだ。


「は、はい。もう大分回復しました」

「そっか。じゃあ、もう髪も自分で乾かせそうか?」

「ん……んー……それはその……もう少し、伊織さんにやってもらえたらな……なんて」


 流石に図々しかっただろうか。

 不安に思って、伊織の顔を見る。

 

「じゃあ……もう少しの間、俺が乾かすよ」

「……っ。は、はい。お願いします」


 少し顔を赤くしながら、伊織は嬉しそうな顔をしていた。

 それを見て、ルシフィナの鼓動が早くなる。

 かぁ、と顔も赤くなるのを感じた。

 伊織に、気付かれていないだろうか。


 そんなことを思っていた時だった。


「なあ、ルシフィナ」


 不意に、伊織が真面目な表情を浮かべた。


「……前にも言ったけど、俺はもうルシフィナに心象魔術を使って欲しくない」

 

 ルシフィナの心象魔術は、周囲の仲間をあらゆる害悪から守る結界だ。

 しかし、その結界の中にルシフィナ自身が入ることはできない。

 この魔術が必要になる時には、決まってルシフィナだけが負傷していた。


「ありがとうございます。……でも、そうはいきません」


 現状、防御魔術を使えるのはルシフィナとリューザスだけだ。

 大体の場合、リューザスの防御魔術で事足りる。

 だが、四天王と戦う時のように、リューザスの防御が突破される場合がある。

 そういう時に、皆を守れるのはルシフィナだけなのだ。


「私は怪我を負うかもしれませんけど、その代わりに他の皆を守ることができます」


 自分が傷付くだけで、他の三人が守れるのならそれは良いことだと思う。 

 自分なんかより、他の三人の方がよほど大切なのだから。


「俺は、ルシフィナに傷付いて欲しくない」


 酷く悲しそうな表情を浮かべ、伊織はハッキリとそう言った。


「だからさ」


 ルシフィナの両手に視線を落とした後、伊織は言った。


「ルシフィナが心象魔術を使わなくて良いように、俺が防御魔術を使えるようになるよ」

「伊織、さん」

「どんな攻撃からも仲間を――ルシフィナを守れる、絶対に毀れない盾を作れるようになる。そうしたら、ルシフィナは、心象魔術を使わなくても良くなるだろ?」

「――――」


 新しい魔術を覚えるのは、伊織が言うほどに簡単なことではない。

 魔術を使うには才能がいるし、形にするまでは相当な努力を重ねなければならない。

『勇者の証』を持つ伊織でも、それは変わらないはずだ。


「でも……それは、凄く大変なことで」

「確かに、そうかもしれない。でも、もう決めたんだ」


 それでも、伊織は強い意志を双眸に浮かべて。


「――ルシフィナが俺達を守ってくれるなら、俺がルシフィナを守るって」


 そう言い切った。


「――――」


 きっと、伊織でも分からないだろう。

 この時、どれだけ嬉しかったか。

 気持ちが溢れて、自分がどうにかなってしまいそうだったことを。


(あぁ、やっぱり)


 伊織を見て、思う。


(……どうしようもないくらいに、この人が好きだ)



 鋭い氷柱が、地面から凄まじい勢いで突き出してくる。

 只人ならば、反応すらさせずに貫く氷の杭は、しかし一つとして当たることはない。

 

 灰色の髪を揺らしながら、勇者が戦場を駆ける。

 一秒後に突き出す氷杭を、圧倒的な速度で置き去りにし、天月伊織は敵へと迫る。


「……おのれ!」


 呻くのは、四天王“氷結”。

 炎と水の魔術を融合させ、自由自在に氷を生み出す魔族だ。

 数百の軍勢を瞬く間に屠る“氷結”をして、目の前の男は常軌を逸していた。


「ふ――ッ」


 伊織は氷を避けながら、魔族の戦士をあっさりと倒していく。

 止めようと魔族が不意打ちを仕掛けるが、背後から追随してきていたルシフィナがそれを許さない。

 駆ける二人へ、上空から龍種がブレスを撃とうとするが、後方のリューザスが魔術でそれを弾く。

 ならばと、リューザスを攻撃しようとするも、ディオニスが剣技と魔術で敵を近寄らせない。


 ほんの十数分前まで、魔族が圧倒的な有利に立っていたはずなのだ。

 あの四人が現れた途端、戦況が一転した。

 魔族の側からすれば、まるで悪夢のような光景だった。


(――あぁ)


 道を切り開く伊織の背中を見て、ルシフィナは思う。

 まったく怖くない、と。

 今までは、戦場に出ることが、泣き出したくなるほどに恐ろしかった。

 それが今は、むしろ体と心が軽く感じる。


 遠距離から魔術で支援してくれるリューザス。

 中間に立ち、戦況を見て皆をサポートするディオニス。

 そして、真っ直ぐに戦場を駆け抜けていく伊織。


 ――彼らの存在が、この体を軽くしてくれる。


「おのれおのれおのれおのれッ! このままでは終わらん!」


 その時だった。

 追い詰められていた“氷結"が、両腕を天に翳した。


「業腹だが、貴様の結界を貰い受けるぞ――“千変”ッ!」


 刹那、空を巨大な結界を覆った。

 何の効果も持たない、ただの魔力の壁だ。

 しかし、その中には膨大な魔力が内包されている。


「魔力、変換」


 その魔力がすべて、巨大な水に変換された。

 ただ地面に降り注ぐだけの水だ。


「追いつめられたのは貴様らの方だ……!」


 そのに、“氷結”が魔力を叩き込んだ。

 瞬く間に水が氷に変わり、雫の一粒まで鋭利な氷の刃と化す。

 それが、戦場一面に降り注いだ。


「――ッ! やべェぞ、おい!」

「うわ、無理だ。あれ、僕防ぎきれない」


 リューザスが魔術を空に放つが、焼け石に水だった。

 氷が落ちてくるまで、あと数秒。

 大魔術や、『天理剣』を解放するには時間がなさすぎる。


「心象魔術を……ッ」


 せめて、皆だけは守ろうと、ルシフィナが空に手を向けた時だった。

 その手を、前に立っていた伊織が掴んだ。

 そして、優しく微笑んで言った。


「大丈夫だ」


『勇者の証』が輝き、バチバチと魔力を放出する。

 なんて温かい魔力なんだろうと、ルシフィナが息を呑んだ直後。


「――“魔毀封殺イル・アタラクシア”」


 魔力で構成された巨大な盾が、ルシフィナ達の頭上に現れた。

 頭上を丸ごと覆い隠すほどの盾に、膨大な量の氷がぶつかる。

 大魔術ですら貫くであろう攻撃を受け、伊織の盾は小揺るぎもしなかった。


「もう、ルシフィナだけが傷付く必要なんてない」

「――――」


“氷結”の攻撃を完全に防ぎきり、伊織が静かにそう言った。

 その言葉に、


(……どうしよう)


 戦場だというのに、顔を真っ赤にしながらルシフィナは思う。


(……泣いてしまいそうです)


 つい最近まで、知らなかった。

 嬉しくても、涙が出るなんてこと。


 それから、半刻もしない内に勝負は付いた。

 伊織が“氷結”を討ち取り、人間側の勝利となった。


 この戦いで初めて、“魔毀封殺イル・アタラクシア”が使われた。

 ルシフィナが、心象魔術を使わなくて良いように、伊織が編み出してくれた。

 それを考えるだけで、ルシフィナは胸が一杯になった。



 氷結との戦いが終わっても、旅は続く。

 村や街で快適に過ごすこともあれば、作戦のために山や森の中で野宿することもあった。

 野宿にも色々あって、携帯していた食料で手早く食事を済ませることもあれば、動物や果物を見つけて自分達で料理をすることもあった。


 どちらかと言うと、ルシフィナは村や街よりも、野宿が好きだった。

 いつもと違う、天井のない場所で寝泊まりするのはワクワクする。

 それに、皆で料理をするのも楽しかった。


「僕、今日は煮物が食べたいな」

「んー……食材的には問題ないが、味付けをどうするかだな。何かあったか?」

「塩があれば十分だろ。面倒くせェ」


 味付けに悩んでいるようだったので、ルシフィナが手を挙げる。


「じゃあ、『エミリオール印』の薬草煮込みとかどうでしょう?」

「「「それはない」」」

「えー……」


 なんて会話をしながら料理を作って。

 皆でワイワイ騒ぎながら、それを食べて。

 近くの川や泉で体を洗って。

 お酒なんかを呑んで話してから、寝袋や、草木のベッドでゆっくり眠る。


 ルシフィナが野宿が好きな理由は、もう一つある。

 それは、皆と一緒に眠れることだった。

 当然ながら、普段は部屋を分けられてしまい、ルシフィナだけ仲間外れになることがある。

 それは寂しかった。


 伊織はもう寝ただろうか。

 皆が寝静まった後、こっそりと隣を見る。

 そこで、ちょうどこちらを向いた伊織と目があった。


「っ」


 びっくりして、思わず布団を被ってしまう。

 それから、ゆっくりと顔を出して、もう一度伊織と視線を合わせる。

 伊織も自分と同じようにびっくりして視線を逸していたことに気付いて、それが妙におかしかった。


 しばらく、二人で笑って、小声で会話して。

 少し眠い時に、伊織の囁き声を聞くと、すぐに眠ってしまいそうだった。


 もし……。

 伊織と一つのベッドで眠ったら、どれだけ心地良いだろうか。

 

 手を繋いで、お互いの温かさを感じて。

 腕枕なんかしてもらうのも、良いかもしれない。

 伊織の細くて、それでも逞しい腕の中で眠れたら、きっと最高だろう。


 それから、耳元でお互いの想いを囁きあったりして。

 それで……それから…………。


「~~~~っ」

   

 思わず悶絶して、ジタバタと悶えるルシフィナ。


(なんてはしたない……)

 

 伊織は、自分のことを一人の女性や、仲間として見てくれるのと同時に、『騎士』としても見ている節がある。

 清廉潔白で、正々堂々としている……というイメージだ。

 はしたないことを考えてジタバタしている自分を見て、伊織はどう思うだろう。


「……うぅ」


 恥ずかしさに再び悶えながらも、何とか煩悩を振り払う。

 それから、、隣に視線を向ける。

 伊織はもう眠りに落ち、小さく寝息を立てていた。

 伊織の寝顔を見て、頬が緩む。


 戦いの中では勇ましく、頼もしい。

 そんな伊織の寝顔は、ルシフィナから見てとても可愛らしいものだった。

 伊織の寝顔を見られるのも、野宿の良いところだと思った。


 こっそりと手を伸ばして、灰色に染まった髪を撫でる。

 サラサラしていて気持ち良い。


「……伊織さん」


 誰も気付かないくらいに小さな声で名前を呼んで。


「大好きです」


 口の中だけで、想いを告げる。


 しっかりと口にするのは、戦いが終わってからが良い。

 全部終わらせて、戦争がなくなったら。

 その時に、ちゃんと――。

 



 伊織さんとの関係も。

 皆で賑やかに騒ぐのも。

 全部、どうしようもないくらいに心地良かった。


 だから。

 過程にも、結末にも、後悔はありません。

 だって、自分には勿体ないくらいに、恵まれた人生だったんですから。


『天理剣』がお腹に刺さるのを感じながら、私はそう思いました。


 ただ。

 一つだけ、わがままが許されるのなら。

 









「もう一度、伊織さんと旅がしたかったなぁ」



 

これにて、閑話終了です。


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