信頼
早朝の大通りに並ぶ、あるレストランの個室には、アダムともう1人の姿がある。
当然まだこの時間ではどこの店も開いていないのが普通で、このレストランも営業時間外ではあったが、無理を言って開けて貰ったのは、この時間が彼等にとって最も都合がいい時間であった為である。
暫くすると入り口の小さな鐘がカラカラと鳴り、呼び出した人物が入って来た事を告げた。
「ああ、はじめましてルーカスさん。こんな時間にもかかわらず、来てくれた事に感謝します」
アダムが立ち上がり、入って来た人物‥ルーカスに手を差し出すと、彼はその手を取り軽く握手を交わした。
「いえ、私としても以前からお会いしたいと思っていた所です。貴方の方から呼んで頂いて、むしろ感謝するのは私の方ですよ」
一見すると感じのいい笑顔を浮かべているルーカスだが、その瞳の奥には探る様な鋭い輝きが宿っている。
勿論それに気付かないアダムではなかったが、これは彼にとっては想定内で、むしろルーカスに存分に探りを入れて貰おうと思っていた。
これから話す計画には、彼からの信頼が必要だったから。
「ところで、そちらの方はどなたですかな?」
アダムの隣に座るもう1人の人物に、ルーカスは視線を向ける。
にっこり笑ったアダムは少し強調する様に、もう1人の紹介を始めた。
「彼は留学時代の友人で、ハイネンのアンダーソン男爵家の嫡男、ヒューイ・アンダーソンです。以後お見知り置きを」
「よろしく!私はハイネンで輸入代理店を経営しています。と、言ってもこの国ではアダムの所以外との取引はしていないので、ご存知ないとは思いますが」
人当たりのいい笑顔で握手を求めるヒューイに、ルーカスも素直に応じた。
けれど少しだけ片眉が上がったのを、アダムは見逃さなかった。
"私の所以外"という言葉に、彼はどう反応するかな?
彼が商人である以上、この言葉は聞き逃せない筈なのだが。
そう思った瞬間、ルーカスは疑問を口にした。
「ほほぅ、ミューラー卿が貿易業をなさっているというのは初めてお聞きしましたよ。差し支えなければ商会名を教えて頂けませんか?」
フッと笑みを漏らし、たっぷりと間を置く。
そして挑む様な視線をルーカスに向けると、アダムはゆっくり口を開いた。
「‥私のもう一つの名前がエイダム・ヒュールである‥と言えばお分かりですかな?」
一瞬の間の後、ルーカスは口の端を上げる。
「ククク‥ハハハハハッ!なるほど、なるほど。そうですか‥貴方がラーム商会の。しかし、以前お見かけした際、エイダム氏は別人の様でしたが?」
「まあ、そう仰るのも無理はありません。私の様な若造がトップにいると知ったら、貴方も含め他の商会の方々は、相手にするとは思えませんから、いつも信頼出来る部下を代わりに立てているのですよ。ですが‥貴方には知っておいて頂きたい。私がエイダムである証拠として、こちらの札をご確認下さい」
スッとルーカスの前に差し出された、長方形の金属で出来たプレート。
それは国から発行された商会主の許可証だった。
「‥確かに貴方は、エイダム氏で間違いない様ですね‥。しかし、この様な物まで私に見せて、私に何を求めているのでしょうか?」
「ある計画の協力‥。ですが一時的にそちらの商会は、被害を被る可能性がある‥と言ったら、貴方はどうします?」
問われたルーカスは暫く沈黙した。
しかしアダムは目を逸らさず、真剣な眼差しでルーカスを見つめる。
この根比べの様な時間が続いた後、ルーカスは深い溜息を吐いた。
「‥もしかして貴方の言う計画というのは、ナターリアお嬢様に関係する事ですか?」
「はい。私は‥ナターリアの為に出来る事を、全てやるつもりです。なので目障りなヘルベルトを、罠にかけてやろうと計画しているのです」
フッと笑った笑顔は、まるで氷の様に冷たく感じて、ルーカスは何やら背筋が冷たくなる様な錯覚に囚われた。
けれども、アダムの心情を理解するには十分で、信用するに値する相手だとルーカスは悟る。
「正直に言いますと、私はナターリアお嬢様の見る目の無さを痛感しておりまして、またくだらない相手に騙されているのではないかと、貴方に対して不審感を抱いておりました。けれど‥‥貴方は違う様だ。きちんとお嬢様自身を大切にしてくださる」
「それでは‥」
「ええ、聞かせて頂けますか?貴方が立てた計画の内容を」
アダムは立ち上がり、再びルーカスと握手を交わす。
そして立てた計画について話し始めた。
一通り内容を聞いたルーカスは、眉間に皺を寄せながら溜息を漏らす。
「‥なるほど‥。まあ、あの浅はかな男ならば、目の前に出された餌に飛び付く事は容易に想像出来ますな。おそらくは貴方の予想通り、我が商会をアテにするでしょう。しかし、私も商会を預かる者として、防げる物は事前に予防線を張らなければなりませんが、一時的にとはどういう意味でしょうか?」
「予防線は張らずに、傍観して欲しいのです。彼の前にぶら下げた餌は、活かし様によっては大きな利益を生む事が出来る物ですから。けれど彼にはその価値が理解出来ないというだけなのですよ」
「活かし様と仰いましたが、どの様に活かすつもりなのですか?」
「それはこれからナターリアに考えて貰うつもりです。彼女は私の元で働きながら学び、活かす術を身に付けつつある。ですからここでその成果を、ヘルベルトにも見せ付けてやりたいと思うのですよ。もちろん、十分なサポートはするつもりですから、その辺はご安心下さい」
アダムの言葉に驚きの表情を浮かべるルーカスは、暫くの間黙り込んだ。
そして今度は納得した様に、頷きながら口を開く。
「なるほど、なるほど。ミューラー卿、貴方は勝算があると踏んでいるのですな。しかし驚きましたな、まさか貴方の元でお嬢様が働いていたとは‥。確かにお嬢様は優秀ではあります。が、この国の制度では考えられない事ですよ?」
「これからの時代、その古臭い制度を打ち壊して、もっと女性が表に出て活躍出来る世の中を作っていかなければなりません。そしてその最初は、ナターリアであって欲しいと私は願います。彼女には胸を張って生きていって欲しいですからね。その為なら私は、どんな困難でも打ち破ってみせると誓いますよ。その証としてここちらをご用意させて頂きました」
アダムはそう言うと、一枚の紙をルーカスに渡した。
受け取ったルーカスはそれに目を通す。
渡されたそれはシュミット商会にナターリアが関わり、万が一負債を負わせた場合、ラーム商会が全ての責任を負うという内容の記された誓約書だった。
「この事は‥伯爵様には?」
「連絡はしましたが急な事の為、まだ返事は頂いておりません。なにしろ昨夜ヘルベルトが我が家を訪れ、ナターリアに会わせろなどという暴挙に出ましたもので」
「なんと!あの男‥よくも今更お嬢様を訪ねられたものだ!自分のやった事すら分からないのか!そんな事をする前に、もっとやる事があるだろうに!」
これまで感情をあまり面に出さなかったルーカスが、語気を荒げて怒りを露わにし、アダムは思わず苦笑を漏らした。
おそらくシュミット商会でのヘルベルトの姿勢に、ルーカスも思う所があるのだろう。
「ミューラー卿、伯爵様の方は私に任せて、貴方は思う存分あの男をこらしめて下さい。私は全面的に貴方に協力致します!」
「ありがとうございます!」
と言って笑顔を浮かべるアダムに、ルーカスは気になっていた思いを口にした。
「しかし、貴方程魅力的な男性なら、大層おモテになるのでは?それがどうしてナターリアお嬢様と‥?」
すると黙って聞いていたヒューイが、クスクスと笑い出す。
「ルーカス氏、それを聞くのは野暮な話ですよ。アダムは学生時代から、彼女の事しか見えていませんでしたからね。大体ハイネンに来たのだって、彼女が婚約してしまったから‥」
「ヒューイ!」
「ああ、照れるなよアダム。こういう事は正直に言うべきだ」
さっきまで堂々としていたアダムが、顔を真っ赤に染めて少年の様な恥じらいを見せている。
それを見てルーカスは、漸く本当の意味でアダムを、信頼に値する人物と判断した。
忙しい彼等はお互いに連絡方法を確認した後、それぞれに店を後にする。
この日ルーカスはヘルベルトが来てから初めて、機嫌を損ねる事無く仕事に取り組めたのだった。
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