来客
トントントントンとアダムの書斎の扉をノックし、返事が返って来るのを待つ。
返事はすぐに聞こえたが、入る前に一度深呼吸をして、伝える事を頭の中で整理した。
扉を開けた私の姿を目にすると、柔らかな笑顔を浮かべて立ち上がるアダム。
その姿に何故だか胸の真ん中辺りが、キュッと締め付けられる様な感覚を覚えた。
「まさか君だとは思わなかったよナターリア。どうしたんだい?」
添え付けのソファへ座る様促すアダムに、素直に従いながら、ここへ来た目的を私は口にする。
「貴方に‥お話があって来たの」
「うん?‥それは君が‥ヘルベルト達を邸から追い出した事についてかな?」
言われて一瞬言葉に詰まる。
今回の事は私の単独で、特にアダムには報告していなかった。
けれどアダムは全てお見通しで、まるで探る様な目線を私に向けている。
「‥知っていたのね。でも、それなら説明をする必要は無いわね」
「ああ、知っていたよ。だからといって、君がやった事を肯定も否定もしない。ただ、一つだけ言える事はある」
「一つだけ言えることって‥?」
「それはまず君の話を聞いてからだ。ナターリア、君はどんな話をしに来たんだい?」
スーッと息を吸い込んで、ゆっくり吐き出す。
そしてこれから話す事が、正しい選択なのだと自分に強く言い聞かせた。
「私、この邸を出ようと思うの。あの2人もいなくなった事だし、我が家の邸へ移る方がいいと思うから」
そう言ってアダムを真っ直ぐに見つめると、彼の驚いた顔が目に飛び込んで来た。
それからアダムは長い溜息を吐き、暫く黙り込む。
彼の反応は予測しなかった訳ではないけど、怒らせてしまったのではないかと思うと、やはり良心が痛む。
それも当然だ。
散々世話になっておきながら、相談もなく勝手に決めているのだから。
「‥君にそこまで嫌われているとは思わなかったよ‥。それはつまり、私の顔など見たくないという事だね?」
「ち、違うわ!そんな、貴方を嫌うなんて絶対に有り得ないわ!」
まさかそんな風に解釈されるとは思わず、力一杯に否定する。
「それなら他に‥どんな理由があるんだい?君が理由もなくそんな事を言い出すとは、考えられないからね」
「理由‥」
コクンと頷くアダムの視線に、鋭い光が宿っている。
これでは適当な理由を付けても、全て嘘だと見抜かれてしまうだろう。
「ネリーに‥聞いたのよ。貴方には忘れられない人がいるって。それなのに、貴方の友情や好意に甘えた私は、貴方とその人が過ごす時間を奪ってしまったわ。だから私の贖罪として、出来るだけ早くここを出て行き、貴方に恩返しをしなければいけないと思って‥」
「ちょっと待ってくれ!君は大きな誤解をしている!」
私の言葉を遮る様に、アダムは酷く焦った様子で声を上げた。
「誤解?」
「そう、誤解だ。ネリーの言った事は真実ではない。あれはネリーを遠ざける為に言った言葉で、彼女がそれを信じただけなんだ!」
「えっ!!」
驚いて思わず口元を手で押さえ、目を丸くする私に、アダムは困った様な顔を向ける。
「行動に移す前に、私に言ってくれたら良かったのに」
「そ、それは‥言える訳ないわ。だって貴方は優しいから、迷惑だと思ってもそんな事口にする筈ないもの」
「それも誤解だよナターリア。私は誰にでも優しい訳ではない。時には、非情なまでに冷酷な対応を、しなければならない相手だっているのだからね。まあ、君がその枠に入る事は永遠に無いが」
言いながらアダムは熱っぽい瞳を私に向けた。
これではまるで私だけが特別な存在なのだと言われている様で、途端に頰が熱を帯びる。
私の反応を見たアダムは、立ち上がって私の隣に腰を下ろすと、口元を押さえていた手をそっと外す。
そしてその手に軽く口付けをした。
体から火が出る程全身が熱くなり、戸惑いながらアダムを見つめる。
そこには慈愛に満ちたアダムの整った顔。
そしていつもと違う熱い瞳に、思わず息を飲んだ。
「‥今度から、1人で悩んでいないで、私に相談して欲しい。出来れば私は‥君との関係を、違う物に変えたいと思っているからね」
「違う物‥?」
聞き返すとアダムは頷き、少し照れた様な顔をした。
その言葉にどんな意味があるのか、なんだかそれ以上は聞けなくて、お互いに無言のまま暫く見つめ合う。
するとその沈黙を破る様に、扉を叩く音が聞こえた。
「旦那様、お忙しい所申し訳ございません。お約束の無い方が訪ねていらしたので、どの様に対処致しましょうか?」
声の主はこの邸の執事、アーノルドの声だ。
アダムは一瞬訝しげな顔をして、それから私を見ると、一つ溜息を吐いてから立ち上がって扉に向かった。
開けた扉の向こうに立つアーノルドは、私を見ると軽く頭を下げ、それからアダムに用件を伝える。
「ヘルベルト・フォン・リューケンバッハという方が、旦那様に合わせてくれと言って聞かないのですが‥」
扉から漏れ聞いたアーノルドの声に、私は一瞬耳を疑った。
「ヘルベルト‥ですって!?」
思わず立ち上がり、私もアーノルドの元へ駆け寄る。
「大丈夫だよナターリア。彼の行動は予測しなかった訳じゃない。後は私に任せて、君はもう休むんだ」
「で、でも‥」
「大丈夫。この事は明日ゆっくり話そう。私にも考えがあるからね」
不安の色を露わにする私に、落ち着いた声で宥めたアダムは、ハンナを呼んで私を部屋へと送らせた。
ベッドに入り灯りを消すと、やはりヘルベルトが何故やって来たのかを考えてしまう。
ごちゃごちゃと色々な憶測が頭を駆け巡り、中々寝付けずにいたのだけれど、最後にはアダムの"大丈夫"という言葉を繰り返し頭に浮かべて、その日の夜はやっと眠りに就いた。
久しぶりの投稿になってしまいました。
かなりスランプです。
けど、読んで頂いてありがとうございます。




