表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/33

帰省

馬車から降りたエリスの目に飛び込んで来たのは、この邸の執事を務めるヘルマンの姿。

いつもならエリスが戻っても、特に出迎える事はないのだが、今日はどういう訳か玄関の前で待っていた。

「あら、珍しいわねヘルマン。貴方が私を出迎えるなんて。どういう風の吹き回しかしら?」

少しからかう様に問いかけるエリスに、ヘルマンは首をゆっくり左右に振り、それから小さく溜息を吐いた。

「私としても、待ちたくて待っていた訳ではありません。ですがエリスお嬢様を、お届けする様に申しつかりましたので、こうして待つ他無かったのですよ」

ヘルマンの言った言葉に、エリスは目を丸くする。

「は?届けるですって?何を言っているの?‥‥ああ、分かったわ!大方ヘルベルトにでも連れて来いと言われたのでしょう?まったく困った人ねぇ。お姉様には随分とあっさりした態度だったのに、私には異様な程執着するんですもの。魅力の差って、こんなにもはっきりするものなのね」

クスクスと笑いながら、勝手な解釈で口を開くエリスに、ヘルマンは特に否定も肯定もせず淡々と続けた。

何故ならエリスがそう思っている事が、ヘルマンにとっては好都合だったからだ。


「エリスお嬢様、とにかくもう一度馬車へお戻り下さい。詳しくはこちらの手紙に書いてありますので、後で目を通して頂ければよろしいかと思います」

懐から取り出した一通の手紙を、ヘルマンはエリスの手に渡す。

既に日も暮れ暗くなった外では、差出人の名前など、はっきり読む事は出来ない。

もちろん、ヘルマンはそれを知った上で渡したのだ。

そしておそらくさっきの口ぶりから、エリスが思い込みにより、すぐに手紙を見ようとしないだろう事も、ヘルマンには分かっていた。

予想通り手紙を受け取ったエリスは、そのまま肩から下げたビーズのバッグの中に放り込み、面倒くさそうに馬車に戻った。

それを確認したヘルマンは、玄関の扉に向かって大きな声で呼びかける。


「ヘレン!」

ヘルマンが叫ぶとすぐに扉が開き、外出用の支度を整えた一人のメイドが姿を現した。

それからヘルマンと目を合わせて、お互いに頷き合った後に、エリスの向かい側へすっと乗り込む。

キョトンとするエリスに、ヘルマンは早口で一気に喋った。

「行き先はヘレンが心得ております。それでは時間も迫っておりますので、急いでお出かけ下さい。いってらっしゃいませお嬢様!‥お気を付けて」

言うだけ言うとさっさと馬車の扉を閉めて、御者に合図を送る。

御者も軽く頷くと馬に鞭を振るい、目的地へ向けて馬車を出発させた。

事前に打ち合わせていたお陰で、全てがヘルマンの計画通りに進んでいる。

ヘルマンはもう既に見えなくなった馬車の進んだ方向を見ながら、珍しく口元に笑みを浮かべていた。

「これで当分の間は、この邸も平和な日常を取り戻せるだろう。奥様とナターリアお嬢様がしっかりなさっていて、本当に良かった‥」

誰に聞かせる訳でもなくポツリと呟くと、いつもの無表情に戻ったヘルマンは、邸の中へ消えて行った。


エリスの乗った馬車は、結構なスピードで町の中を走り、中心部にある王都中央駅の前で停まった。

着いた途端にヘレンはサッと立ち上がり、エリスを連れて馬車から降りる。

「随分と乱暴に走らせたわね。‥お陰で馬車に酔ってしまったわ」

少し顔色の悪いエリスが、先に降りたヘレンに文句を言う。

「時間が無かったので止むを得ずです。さ、急いで下さいお嬢様、乗り遅れてしまいますから!」

「乗り遅れるって‥どういう事?それに、ここは一体‥?」

「説明は後でしますので、今は私に付いて来て下さい!」

「ちょ、ちょっとヘレン!」

エリスの手をしっかり掴み、ヘレンは有無を言わさずグイグイと引っ張って行く。

もう一度文句を言おうと口を開きかけたエリスだったが、酔ってしまった所為で吐き気の方が先に立ち、上手く喋る事が出来ない。

抵抗らしい抵抗も出来ないまま、駅の構内へ連れられて行った。

慣れた様子のヘレンは、いつの間に用意したのか二枚の切符を取り出し、停車している汽車の中へと進んで行く。

そして辿り着いたのは、コンパートメントの一室だった。


「なんとか間に合いました。お嬢様は気分がお悪い様ですので、寛いでいて下さい。今冷たい水を貰って参りますので」

確かにヘレンの言う通り、酔って吐き気を催したエリスは、冷たい水を飲みたいと思っていた。

それに外出先から戻った足で連れて来られたので、かなり疲れてもいる。

素直に頷き、ドサリと座席に腰を下ろして、そのまま横に体を倒した。

そんなエリスの様子を尻目に、ヘレンはさっさとコンパートメントを出て行く。

それとほぼ同じタイミングで汽笛が鳴り、汽車はゆっくりと走り出した。

横になりながらその音を聞いたエリスは、ここで初めて今の状況に違和感を覚える。


休暇が取れる様な時期でもないのに、汽車に乗って行く程の遠方に、仕事上で余裕の無いヘルベルトが呼び出すとは思えないわ‥


そんな風に考え出すと急に不安になり、ヘルマンから渡された手紙の事を、はたと思い出した。

そこで慌ててバッグの中から手紙を取り出し、差出人の名前を見る。

しかしそこに書かれていた名前は、自分の予想とは全く違う人物の名前だった。

差出人はエマ・フォン・シュミット。

伯爵夫人である母親の名前だ。

差出人が母親である限り、良い事が書いてあるとは到底思えない。

エリスは今自分の置かれている状況が、母親によるものだったのだと気付き、自分にとって悪い事が起こっていると直感した。

乱暴に封を破って中の手紙を読み始めると、みるみる表情を曇らせ、持つ手を震わせる。

そうして読み終わった頃にコンパートメントの扉が開き、ヘレンが水差しとコップを手に戻って来た。


「ヘレン!貴女とヘルマンで私を嵌めたわね!」

怒りで真っ赤に染まった顔を、ヘレンに向けたエリスは、手紙を持つ手をワナワナと震わせている。

「何を仰るのですかお嬢様?私達シュミット伯爵家の使用人は、ご主人様の命令に忠実に、速やかに実行する事をモットーとしております。ですから私もヘルマンさんも、奥様の命令を実行したまでですが?」

「それはお母様からの命令で、主人であるお父様からの命令じゃないわ!貴方達はそれを分かった上で私を嵌めたのでしょう!?」

エリスは怒りを抑えられず、持っていた手紙をグシャリと丸めた。

怒りの矛先を向けられたヘレンだったが全く動じる事もなく、冷静にエリスへ返事を返した。

「お嬢様、最後まで奥様の手紙を読まれましたか?きちんと読まれれば私の言った意味がご理解頂けると思いますが?」

「‥最後まで‥ですって‥?」

そう言われて丸めた手紙を広げ、もう一度手紙を読み返す。

最初に小言から始まって、王都から戻る様に諭す言葉と、再教育が必要だという怒りの文章。

そしてエリスを戻す為の手筈を整えたという所まで読んで、さっきはグシャリと丸めたのだ。

その先に目を走らせ、読み進めていくうちに、エリスの顔色は赤から青に変わって行き、読み終わった頃にはワナワナと全身を震わせていた。


「王都の邸が‥お母様の物ですって‥!?お姉様が‥管理を任された‥ですって‥!?」

「ご理解頂けた様ですね。王都の邸に勤める私達にとって、今現在奥様こそがご主人様なのです!」

ヘレンはニッコリと笑いながら、キッパリと言い切った。

その笑顔が癪に障り、エリスはキッと睨み付ける。

けれどもヘレンは気にした様子は無く、更に追い討ちをかける様に言い放った。

「ああ、次の駅で降りて、戻ろうとしても無駄ですよ。既に最終列車は出ておりますので、降りたとしても戻る事は出来ません。それから仮に他の手段で王都の邸に戻ったとしても、ナターリアお嬢様の許可が無い限り、門すら開けて貰えないでしょう」

言い終わったヘレンは何事も無かったかの様に、水差しからコップへ水を注ぎ、それをエリスの前に置く。

それを乱暴に手に取って一気に飲み干すと、エリスは不貞腐れた顔でゴロンと座席に横になった。

ヘレンは意外と簡単に大人しくなったエリスを見て、若干拍子抜けをした感はあったが、自分のやるべき事をやり切った満足感からか、エリスの呟いた言葉を聞き逃していた。

それはエリスの性格を、完全には理解していなかったからとも言え、完全に油断していたせいとも言える。


「この程度で私に仕返ししたつもりなんて、お姉様ったら優しいわね‥」


横になりながらニヤリと笑うエリスの顔は、ヘレンの位置からは見えなかった。

読んで頂いてありがとうございます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ