依頼
母からの返事は数日後に届いた。
内容は期待していた通り、私の希望が全面的に通る形になったと、母からは喜びの言葉も綴られている。
最初は難色を示した父も、母の持つ切り札によって、従わずにはいられない状況に追い込んだとも書いてあるが、その切り札が何であるのかは、触れてはいないので分からない。
こうしてやる事が決まった私は、先ずは一番重要な人物へ向けて、二通の手紙を書き始めた。
手紙の宛名はオリバー・フォン・リューケンバッハと、その妻クララ。
家督を継いだヘルベルトの兄夫婦である。
本来なら敬遠したいヘルベルトの身内ではあるが、兄夫婦には婚約期間中に何かと気遣って貰った事もあり、信頼出来る相手であると確信している。
特にクララには目を掛けて貰って、婚約解消の際には一番悲しんでくれた人でもあった。
他にも兄夫婦はかなりの額の慰謝料を、不誠実な弟の代わりに支払ってくれたという経緯もある。
「何か困った事があったら、遠慮なく頼って欲しい」と、婚約解消後に届いたクララの手紙には、慰めの言葉と共にそう綴られていた。
だからその気持ちに甘えて、今回は利用させて貰おうと思う。
調べた所ヘルベルトの現在の収入源は、実家からの援助が殆どで、後は我が家の商会から、僅かばかりの給料を貰っている程度だ。
給料についてはルーカスが厳しく査定し、他の従業員と同等の金額が支払われているらしい。
私は王都の邸でかかった経費を、この少ない給料の中から支払って貰うつもりだ。
つまり、兄夫婦に書いた手紙には、実家からの援助を絶って欲しいとお願いしたのだった。
兄であるオリバーは真面目で実直な人柄で、おそらく理解を示してくれるだろうとは思うが、やはりそこは肉親、完全に断ち切れない情という物に流されてしまう恐れがある。
そこで頼みの綱はクララだ。
身内とはいえ義姉の立場なら、血の繋がりに関係無く、一人の女性としての公平な判断を下してくれるだろうと、私は後押しをお願いする手紙を書いたのだ。
ヘルベルトの非常識な振る舞いには、邸の者がどれほど迷惑をかけられているのかという事と、私の立場でそれは我慢ならないという事を強く訴えて。
実の所クララには、本当に良くして貰った。
リューケンバッハ家で私が家族になる日を、一番楽しみにしていてくれたのは、クララだと言っても過言では無い。
折に触れ手紙をくれて、私に会いに来てくれたのは、クララの方がヘルベルトよりも遥かに多かったと思う。
だからその分、ヘルベルトの不誠実な行為にはかなりの憤りを見せ、エリスと二人でさっさと王都へ旅立ったヘルベルトの代わりに、オリバーと共に何度も謝罪に訪れてくれた。
アダムと婚約してからは、遠慮してか手紙も来なくなったが、クララという人との繋がりは、ヘルベルトとの婚約で得た唯一の収穫だと言えよう。
書き終わった手紙に封をして、一目で私だと分かる様封蝋を押す。
それから呼び鈴を鳴らすと、ハンナが部屋へ入って来た。
「お呼びでしょうかお嬢様」
と、言うハンナに、書き上げたばかりの手紙を託す。
「この手紙を出して欲しいの。出来れば早急にね」
「分かりました。では明日一番に送る手配を致します」
受け取った手紙をトレーに乗せ、部屋を出て行こうとするハンナに、気になっていたもう一つの件について尋ねてみる。
「‥エリスの方はどうなっているのかしら?確かトーマといったわよね?」
途端に口元をニヤリと綻ばせ、満足気に笑うハンナ。
「すこぶる順調です。邸の者から聞きましたが、どうやらヘルベルト様には、目もくれていない様ですよ」
「‥そう。なら余計に、ヘルベルトにはダメージを与えられるでしょうね。一度そのトーマには、会ってお礼を伝えなければいけないわ」
「それは‥私から伝えておきますよ。お嬢様とトーマを会わせたら、アダム様に叱られますから」
「アダムもトーマには会わなくていいと言ったけど、何故私は会わせて貰えないのかしら?」
つい疑問を口にしたけど、トーマを選ぶ際からアダムは、「私に任せてくれ」の一点張りで、集めた役者はおろかトーマの顔すら見せてはくれない。
私はその理由を知りたかった。
ハンナはハアと一つ溜息を吐くと、呆れた様な顔で口を開く。
「トーマは危険な程魅力的ですからね。あのエリス様が夢中になるのも、分からないではないと言える位に。ですからアダム様は、お嬢様に会わせたくないのですよ。中々に独占欲が強い方ですからね」
それだけ言うとハンナは、手紙を持って部屋から出て行った。
一人になった部屋で、言われた言葉の意味を考えてはみたけれど、結局理由は分からないままだった。
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