利用
あれから商会に戻った私は、残りの仕事を手早く片付け、アダムより一足先に帰路に着いた。
そして私の部屋へ帰り着くと、レターセットを取り出し、二通の手紙を書き上げた。
二通の内一通の封筒には念の為封蝋を押し、宛先の人物以外には開封出来ない様工夫する。
最後に差出人として自分の名前を書き、呼び鈴を鳴らしてハンナを呼んだ。
「お呼びでしょうかお嬢様」
呼んで直ぐに姿を見せたハンナは、息一つ乱していない。
おそらく、戻って早々食事も摂らず、部屋に籠る私を心配して、部屋の外に待機していたのだろう。
「明日早急にこの手紙を、ヘルマンに届けて欲しいの。一通はヘルマン宛だから、読めばもう一通をどうすべきかは分かると思うわ」
「分かりました」と言いながら、手紙に書いてある宛名を見ると、ハンナは片方を手に取り首を傾げた。
「お嬢様、こちらは奥様宛のお手紙ですが‥ここまで厳重にされる理由を伺ってもよろしいでしょうか?」
ハンナが質問するのは分かっていた。
いつも母宛の手紙は鉄道郵便で送り、糊で貼っただけの簡単な形で出していたのだから。
「‥そうね、ハンナには話しておくべきよね。この手紙には、お母様にしか頼めない事が書いてあるの。今迄の送り方では、お父様に読まれてしまう恐れがあるから、確実にお母様に渡る様、ヘルマンにお願いするのよ」
「奥様にしか頼めない事ですか‥。という事は、旦那様が反対なさる様な事なのですね?」
少しだけ考えてハンナが聞き返した言葉に、さすがに私の事を良く知っていると感心する。
「ええ。少し前から考えていた事を、実行しようと思っているの。その為には、お母様の協力無しには出来ないのよ。ハンナ、私は王都の邸を、管理する権利を得るつもりなの。そしてあの邸から、まずはヘルベルトを追い出そうと思っているわ」
やっとと言おうか、私は私のやるべき事を、一つずつ確実に実行する事にした。
その為に王都までやって来たというのに、仕事を覚えるのが忙しいとか、何だかんだ理由付けてはアダムの優しさに甘えて、他力本願になっていたのは間違いない。
それにアダムに甘えているうちに、いつの間にか抱いてはいけない感情が顔を出し、心の底では仄かな希望まで抱くという、浅ましい自分になっていたのだ。
今日ネリーと話したのは良かったと思う。
お陰で叶いもしない希望を抱いている事に気付いて、もう一度冷静に自分と向き合う事が出来たのだから。
「お嬢様、管理するとは、具体的にどの様な事をするつもりですか?それをする為に、私に出来る事は何でしょう?」
ハンナは想像した通りの問いかけを口にする。
どんな時でも私に忠実で、決して裏切る事の無い、心から信頼出来るパートナーは、やはりハンナを置いて他にいないと改めて思う。
「エリスは身内だからこの際除いて、今現在ヘルベルトがいるせいで、王都の邸には一人分の余分な経費が掛かっているのよ。それにハンナが聞いて来た話から想像すると、恐らく何かしらの物を壊していると考えられるわね。これらはヘルマンに調べて貰う様手紙に書いたから、ハンナは私とヘルマンの連絡係をして貰いたいの」
「経費‥ですか。成る程‥お嬢様のやろうとしている事が、何となく分かって来ました」
珍しく口の端を上げて笑みを浮かべるハンナに、私も思わず苦笑を漏らす。
きっともっと前から、私にこういったシビアな対応を望んでいたのだろう。
「まあ、ハンナがどんな想像をしているのかは分からないけど、ダメージを与える事にはなると思うわ。だって私はヘルベルトに掛かった今迄の経費を、全て請求するつもりですもの。もちろん、宿泊費用や食事代含めてきっちりとね。我が家への滞在なら、王都の高級ホテルと同じ相場で計算しても、問題はないわよね?」
私の言葉に深く頷き、賛同と賞賛を送るハンナ。
けれど気になった事があったらしく、それについての質問をして来た。
「しかしお嬢様、どうして旦那様でなく奥様宛なのですか?許可を下すのは最終的に旦那様ですから、奥様に頼むより旦那様に直接頼んだ方が早いかと思いますが?」
「ヘルベルトの滞在は、お父様が許したのよ。もちろん、これほどヘルベルトが好き放題するとは、思いもしなかったでしょうけど。でもお父様の性格上、一度許可した物を、簡単には取り下げる真似はしないと思うわ。だからお母様に頼むのよ。ハンナからの報告で腹を立てているでしょうし、お母様の性格ならば既に飛んで来て文句の一つを言っていてもおかしくないもの。それなのに未だ現れないのは、お父様が何かしらの手を打ったせいだと思えない?」
「成る程‥つまり言い方は悪いですが、奥様は旦那様に足止めされているという事なのですね」
「ええ。大方慈善事業のパーティの手配辺りを、押し付けられたのでしょうね。もしくは遠方の親戚を呼んで、邸に長期間滞在させているとか。お客様がいたら、邸を離れる事は出来ないでしょう?」
「確かにそうですね。邸の者も奥様の訪問を心待ちにしておりますが、都合が付かないとの連絡があっただけになっております。しかし、旦那様がそこまでの事をする必要があるのでしょうか?ヘルベルト様の滞在は、どう考えても不利益にしかならないと思いますが‥?」
ハンナに言われるまでもなく、私も父の行動が腑に落ちなかった。
けれど、父にそこまでさせるのは、きっとエリスが絡んでいるに違いないという、確信があったのだ。
「ハンナ、私達が王都へ来る前、お父様がエリスに援助していると聞いて、お母様が大層お怒りになったのを覚えている?」
「ああ、そういえばそんな事がありましたね。あの日の奥様は、お買い物で落ち着かれたと記憶しております」
「きっとお父様は、その事をエリスに報せたでしょうね。そうでないと、援助についての話が出来ないもの。それはさすがにエリスも困ったと思うのよ。でも、お父様が誰よりもエリスに甘いという事を、エリスも良く知っているの。恐らく援助の減額を飲む代わりに、お母様に乗り込んで来られるのだけは、阻止して欲しいとでも頼み込んだのではないかしら?お父様も二人が顔を合わせたら、どんな騒ぎになるかは想像出来たでしょうし、板挟みにはなりたくないだろうから」
渇いた溜息を吐きながら、ハンナは私の言葉に深く頷く。
エリスは子供の頃から甘やかされてはいたけれど、それはほぼ父からで、どちらかというと母は無関心を貫き、放置していた様な印象がある。
母の関心はもっぱら私で、それがエリスには面白くなかったのだろう。
私の物を奪い始め、私に敵意を向ける様になっていったのだから。
そしていつしか奪うのは当然だと、本気で信じる今の姿になったのだ。
だから唯一エリスに意見する母を避け、父に上手く取り入る術を身に付けた。
「とにかく、エリスがお父様を利用するなら、私はお母様を利用させて貰うわ。エリスはお母様が乗り込むのは拒否していると思うけど、私を拒否した訳ではない筈だから、そこら辺はお母様が上手くお父様を言いくるめてくれるでしょう。尤も私が手を下すとは、エリスも思いはしないでしょうけどね。だから下準備をしっかりと進めて、エリスに悟られる前に行動に移すわよ」
ここまで聞くとハンナは、サッと手紙をハンカチに包み、戸口へ向かって歩き出した。
「ではお嬢様、明日とは言わず、今から届けて参ります。早ければ早いほど、皆の苦痛も軽くなりますから」
言うが早いか部屋から出て行くハンナを、私は気持ちを強くしながら、祈る様な気持ちで見送っていた。
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