役目
「ククッ‥アッハハハハハ!」
腹を抱えて盛大に声を上げて笑う男性に、アダムは厳しい視線を向けている。
その様子を眺めたお陰で、私もいくらか冷静になれた。
さっきの女性のセリフ‥「私の結婚相手は貴方以外に考えられない」が頭をよぎり、本来自分のするべき事を思い出す。
私はアダムの縁談避けの為に、仮の婚約者になったのだったわ。
なるほど‥アダムは既に演技を始めて、婚約者に対する独占欲を見せ付けたのか。
そう理解すれば私もやる事は一つだ。
愛しい人に甘える仕草を、この二人に見せ付けなければならない。
けれどもそんな経験もスキルも持ち合わせていないので、以前観た芝居の一幕から引用させて貰う事にする。
「アダム‥この方々はお知り合い?」
潤ませた上目遣いでアダムを見上げながら、片手をアダムの胸元へそっと触れる。
少しだけ驚いた顔をしたアダムだけど、次の瞬間眩しいくらいの笑顔を見せた。
その笑顔にまた胸が熱くなったが、どうやらこれで正解の様だ。
「ああ、彼はハイネン留学時代の友人で、ヒューイ・アンダーソン、そして彼女は妹のネリーだよ。ヒューイは輸入代理店を営んでいるから、ハイネンからの品物は彼を通して仕入れているんだ」
さっきとは打って変わって優しい声で、私に説明するアダムを見て、ヒューイと呼ばれた男性はやっと笑うのを止めた。
「いや、笑ってすまない。あんな風に怒るエイダムを見たのは初めてだったから‥ついね。ネリー、邪魔をしないでこちらへ来なさい!」
「どういう事なのお兄様!?婚約者って‥そんなの嘘でしょう?」
「私は来る前に説明した筈だ。それを信じず無理矢理着いて来たのはお前だろう?ネリー、私を怒らせる前に、こちらへ来た方がいいという事は分かっているね?」
口調は柔らかだが、鋭い眼光で妹を見つめるヒューイに、ネリーはビクリと肩を震わせ、すごすごと兄の横へ歩いて行く。
パッと見ワガママに見えたネリーも、実は兄に従順で、しかも全権を兄が握っている様に思えた。
男と女の兄妹だからだろうか?
私とエリスとは余りにも違う。
「改めて自己紹介をさせて貰いますよレディ。私はヒューイ・アンダーソン。ハイネンのアンダーソン男爵家の嫡男です」
言い終えると同時に差し出された手は、握手を求めているのだと伺える。
私の知っている知識では、ハイネンの礼儀で自己紹介の時に握手をするのが常だという事。
「初めまして。私はアダムの婚約者、ナターリア・フォン・シュミットと申します」
差し出された手の上に手を重ねると、ヒューイは私の手を握りそのまま屈む。
何をする気なのかと思い様子を見ていると、ヒューイは私の手に口付けようと顔を下ろした。
シュッ!
空気を切る音がして微かに風を手に感じ、パチクリと一度瞬きをする間に私の手首はアダムに掴まれていた。
「ア、アダム‥」
見た事がないほど怖い顔で、ヒューイを睨みつけるアダム。
それはヒューイにも予想外だった様で、呆気にとられた顔をしていた。
横にいたネリーにはもっと意外だったらしく、オロオロとしながらヒューイとアダムを交互に見ている。
「ヒューイ、何のつもりだ?わざとナターリアに触れようとしただろう?」
怒りを露わにするアダムは、周囲を圧倒する迫力がある。
するとヒューイは口角を上げ、フッと笑みを漏らした。
「驚いたよエイダム。君にこんな一面があったなんてね。けどまあ、本気だって事はこれで確認出来た。ナターリア嬢、驚かせてすまない。貴女は随分と大事にされている様だね。ネリー、分かっただろう?お前の入り込む余地は無いって」
ネリーは兄の言葉にコクコクと頷くと、そのまま兄の腕にしがみついた。
まるでまだ怖い顔をしたままのアダムから、自分の身を隠す様に。
「まあ、そう怒るなよエイダム。君なら私がなぜこんな事をしたのか分かる筈だろう?」
ニコニコと笑顔で言うヒューイに、アダムは溜息を吐いた。
「‥分かるが‥やり方が悪い。さっきのは冗談でも許し難い行為だ」
「分かった分かった、悪ふざけが過ぎたのは謝るよ。今日の所はこれで帰るから、後日改めて出直すとしよう。ナターリア嬢、お騒がせして申し訳ありませんでした」
「い、いえ‥こちらこそ‥」
ヒューイは軽く頭を下げると、しがみついたままのネリーを引っ張り出口の方へ歩き出した。
彼等が見えなくなるまで怖い顔を崩さないアダムを、私は躊躇いながらおずおずと見上げる。
それに気付いたのかアダムは顔を緩め、申し訳なさそうな笑顔を向けた。
「驚かせたね、すまないナターリア。せっかく気分転換になればと思ったのに、彼等のせいで台無しだ。まさかこんな所で彼等に会うとは思わなかったのだよ」
「いいえ、驚いただけで特に気分を害したという事は無いわ。むしろ貴方の方が気分を害したのではなくて?」
「‥ヒューイは‥友人ではあるが、時に悪ふざけが過ぎるのだよ。さっきだって私を利用したのだからね」
「利用‥?」
首を傾げる私にアダムは説明を始める。
ネリーは夢見がちな性格で非常に惚れっぽく、少しでも理想に近い男性と出会うと、運命の相手だと言って聞かないのだとか。
アダムがハイネンにいた頃は、少々辟易するほど付き纏われ、国に戻ってからも熱心にアプローチをされたのだそうだ。
ところがネリーに縁談が舞い込み、その相手の家がアンダーソン家やヒューイの事業に多大な影響を及ぼす家となると、放っておく訳にはいかなくなった。
そこでヒューイはネリーに諦めさせる為にアダムを挑発し、わざと険悪な雰囲気を作り出したのだという事だ。
ネリーの前で怒った姿を見せた事の無かったアダムが、本気で怒りを露わにすれば夢から覚めるだろうと見込んだ上での行動だったのだと。
「‥何だか可愛そうな気がするわ。貴方に恋をしていただけなのに‥」
「いや、ネリーの場合、恋に憧れているだけで、恋ではないよ。私の前にも二人ぐらいが同じ目に遭っている。どれも理想と違うと気付いた時点で、一気に覚めたらしいがね。だから今回も目が覚めただろう。やり方は気に入らないが、ヒューイの手法は間違ってはいない」
「私はきちんと役目を果たせたかしら?貴方の婚約者として、変ではなかった?」
アダムは掴んでいた私の手首を離し、そのまま手を繋いだ。
そしてギュッと握りしめてから、私に笑顔を向ける。
「これ以上ないくらい、君は私には過ぎた婚約者だよ。贅沢を言えばもっと甘えて欲しいぐらいだが」
「そ、それなら次は、もっと甘えられる様に努力するわね」
向けられた笑顔が眩しくて、みるみる熱くなる頰を抑える私に、アダムは繋いだ手を持ち上げ、私の手に口付けた。
「うん、次からはこれぐらいが普通だと思って、努力してくれないか?」
色気たっぷりに言うアダムを前にして、早くも私は耐えられるだろうかという不安を抱えて、ただ無言のまま頷くのが精一杯だった。
読んで頂いてありがとうございます。




