外出
ラーム商会で働き始めて、そろそろ三週間が経とうとしている。
最初は戸惑うばかりだった仕事内容にも、段々と慣れていくに連れて、効率良く片付けられる工夫も出来る様になって来た。
とはいえ、まだまだヨゼフさんのサポート程度の仕事しか出来ない事には変わりが無い。
そこで休みも返上して、この所ずっと教わった事を復習していた。
「ナターリア、明日の休みは私と出かけないか?」
帰りの馬車で不意にアダムが提案する。
「‥お休みは、復習に使いたくて‥。そうしないと追い付けないもの」
肩をすくめながら申し訳なさそうに微笑む。
次々と新しい事を覚える為には、復習を怠る事は出来ない。
だから優先順位はどうしてもそちらになってしまうのだ。
「それなら尚更私と出かけよう。実は私もハンナに叱られたばかりでね。婚約者を働かせるばかりで、どこにも連れて行かないなんて有り得ないって。私も少し溜まっていた仕事があって、休日返上で仕事をしていたから、ハンナに言われるまで君のそんな様子に気付けなかった。すまないナターリア、反省しているよ」
「そんな!アダムは何も気にする事はないのよ!私が好きでやっているだけだもの。‥帰ったらハンナには私から言っておくわ。アダムを注意するのは間違いだって」
「いや、ハンナの言う事は尤もだよ。君と離れたくないからと言って王都へ連れて来たというのに、私は放ったらかしにして仕事ばかりしていたのだからね。それに、君も根を詰め過ぎるのは良くない。だから明日は気分転換の意味も込めて、二人で出かけよう」
確かに王都へ来た理由はそれで、両親もハンナもそう信じ込んでいる。
としたらアダムの言う通り、仲の良い様子をハンナに見せ付ける必要があるだろう。
もしこのままお互いに、仕事ばかりしている所を見せて、ハンナから両親に報告されたら、連れ戻される事だってあるかもしれない。
父はともかく、母は私が働くのをとんでもないと言う筈だから。
「‥そうね、そうした方が良いかもしれないわね。商会以外で貴方と出かけた事は、無かったんですもの。ところで、出かけると言っても何処へ行く予定なの?」
「ああ、ハンナから勧められてね、王家所有のクリスタル宮が解放されているから、是非君を連れて行ってやってくれと言われたよ。君ならきっと喜ぶだろうからと」
「クリスタル宮!ええ、一度行ってみたいと思っていたの!」
クリスタル宮は王家の所有する巨大な温室で、中には世界中から集められた珍しい植物が栽培されている。
普段は王族が外国からの賓客をもてなす場として使っているが、年に三回一般庶民や貴族達に解放されるのだ。
中でも珍しい蘭の花が何種類もあり、前々から機会があれば一度は見たいと思っていた場所だった。
「さすがにハンナは君の事を良く知っているね。悔しいがこればかりは私の勉強不足だ。こんなに喜んでくれるなら、もっとハンナに聞いておくのだったな‥」
本気で悔しそうな顔をするアダムが可笑しくて、思わず笑いが込み上げる。
「ありがとうアダム!凄く嬉しいわ!」
ウキウキとする私を見て、アダムが目を細める。
何だかとても優しい顔で見るものだから、途端に恥ずかしくなり、胸の辺りが熱を帯びた。
アダムは最近、こんな風に私を見る事がある。
それを目にする度に落ち着かない気持ちになり、胸で熱くなった血が上って、顔まで熱を帯びるのだ。
この気持ちの正体には思い当たる所があるけれど、それは認めてはいけない感情で、私はいつも気付かないふりをしながら、その感情に蓋をする。
認めたらきっと、この関係が終わる時に立ち直れなくなってしまうだろうから。
気を逸らす為にもクリスタル宮について、知っている知識を目一杯話し、出かける時間やその後のスケジュールについても打ち合わせた。
翌日はゆっくりと朝食を摂ってから、侯爵夫人とハンナに流行の髪型やドレスを選んで貰った。
今日は黄色を基調とした控えめのバッスルで、頭には薄いベールの付いた小さな帽子がピンで留めてある。
髪は細かく巻いたアップで、うなじが目立つ仕上がりが最近流行の外出スタイルだそうだ。
すっかり出来上がった自分の姿に、いつもながら別人の様な違和感を覚える。
けれどアダムはまた目を細めて、魔法の言葉を何度も口にした。
それはクリスタル宮に着いてからも変わる事はなく、花を美しいと褒めると「君もね」と返して来る。
まるで砂糖を山盛りにした上に、ハチミツとジャムを乗せた位に甘くて、少々言い過ぎではないかと感じた程だ。
そろそろ耐えきれず抗議をしようとアダムを見上げると、うっとりする程甘い笑顔を向けられ、何も言えなくなった。
暫く歩くとシダ類や椰子といった南国の植物が栽培されているエリアに出た。
二人で立ち止まり椰子を見上げていると、少し離れた場所から聞き覚えのある名前を呼ぶ女性の声がする。
「エイダム!」
まさかと思って二人で声のする方を見ると、一組の男女がこちらを見ていた。
「エイダム!やっぱりエイダムだわ!」
女性は私達の方へ駆け寄り、スルリとアダムの腕に腕を絡ませた。
私は呆気にとられアダムを見ると、アダムも驚きと戸惑いを隠せない顔をしている。
どうやら女性にはアダム以外が見えていない様で、甘える様な表情でアダムに話しかけた。
「エイダム、会いたかったわ。貴方を追いかけて海を越えて来たのよ。だって私の結婚相手は、貴方以外に考えられないんですもの」
緩やかなウェーブの艶やかな腰まである栗色の髪をなびかせ、パッチリとした目に長い睫毛の人形の様に可愛らしい女性は、うっとりとした目でアダムを見つめている。
私はズキズキと痛む胸元へ手を当てて、アダムと女性の姿から目を逸らした。
「ヒューイ!黙ってないで何とか言ってくれ!これは一体どういう事だ?」
眉間に皺を寄せたアダムが、女性と一緒にいた男性に呼びかける。
すると男性は近付いて来て、楽しそうに口を開いた。
「やあエイダム!久しぶりだね。君との取り引きだと言ったら、妹が強引に着いて来たんだよ。‥それにしてもタイミングが悪かった様だね。こちらの美しいレディは君の連れかな?」
ジロジロと値踏みする様な目で私を見る男性。
取り引きと言ったからには、仕事が絡んでいる関係なのだろう。
私は何とか胸の痛みを抑えて、ニッコリと愛想笑いをしてみせる。
するとアダムは女性を振り解き、私を引き寄せ男性に向かって言った。
「私の婚約者をジロジロ見るな!彼女を見ていいのは私だけだ!」
途端に険しい表情をする女性に、益々楽しそうな様子の男性。
何がなんだか分からない私は、引き寄せられて回された腰に感じるアダムの手の感触に、跳ね上がる心臓を必死に抑えていた。
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