選出
それから二日後の午後、フィッシャー侯爵邸のサロンには、見目麗しい若者が一列にズラリと並んでいた。
その正面には侯爵夫人とアダムが座り、後ろにはハンナが控えている。
アダムがパチリと指を鳴らすと、一人ずつ前に出ては入れ替わりながら、それぞれが同じセリフで演技を始めた。
若者達は全部で9人。
皆見た目もさることながら演技力も高く、いずれも甲乙つけがたい演技力の持ち主ばかりだ。
この中からアダム・ミュラーを演じる一人を選ぶとなると中々に難しくはあったのだが、最終的に選ばれたのはトーマ・マルクルという若者だった。
決め手となったのはトーマの声。
彼の声はアダムに非常に良く似ていて、少し声音を変えれば聴き分ける事も困難なほどに似ている。
それに髪色こそ違えど瞳が同じ色で、まだ舞台に上がった経験がないという事も、決定を下す上での決め手となった。
「トーマ・マルクル、君にはアダム・ミュラーという男を演じて貰う。暫くの間は叔母上の元で、礼儀作法や所作を学んで欲しい。そして叔母上から許可が下り次第、アダム・ミュラーとして夜会へ行って貰う事になるだろう」
トーマは瞳を輝かせ、アダムの言葉に礼を言う。
「私を選んで頂いた事を、光栄に思います。しかし、アダム・ミュラーと仰いましたが、旦那様の身代わりという事でございましょうか?」
「いいや、アダム・ミュラーは私とは別人だ。詳しくは、ここにいるハンナが説明する。私は仕事に戻らなければならないからね。叔母上、後の事は頼みますよ」
侯爵夫人は頷いて、トーマや他の若者達にテキパキと指示を与え始めた。
アダムは忙しそうに玄関へと向かい、ハンナは見送りの為にその後を追った。
「アダム様、お忙しい中ご苦労様でございます。これは私個人からの感謝なのですが、お嬢様の為に色々と考えて下さって、本当にありがとうございます」
「大した事はしていないよ。今回の計画は私の私情も挟んでいるからね。二度とナターリアを苦しめ様などと、思えない仕打ちを考えているだけさ」
笑顔でそう言いながら、背筋がゾクッとする程冷たい目をして、アダムはターゲットとなるエリスにはっきりとした嫌悪を示した。
ハンナは一瞬怯んだが、それもナターリアを思うが故の言葉だと理解し、もう一度丁寧にお礼を口にした。
「そこまでお嬢様の事を思って頂けるとは、心から感謝致します。アダム様は本当に、お嬢様の事を愛していらっしゃるのですね。‥お嬢様も最初からアダム様と婚約していれば、もっと早く幸せになれたでしょうに‥」
フッとハンナの言葉に、笑顔を浮かべるアダム。
その笑顔はさっきのとは違って、少し切なそうな物に変わっていた。
「‥人の気持ちという物は、理屈で動く物ではないんだ。こんな事でもなければ、ナターリアは決して私と婚約などしなかっただろうね。さて、それでは出かけるとしよう。後の事は頼んだよ」
馬車に乗り込み邸を後にするアダムを見送り、ハンナは踵を返してサロンへ向かった。
けれど出かける前のアダムのセリフが気になって、ハンナは既に見えなくなった馬車の方向を振り返る。
アダム様は何か誤解していらっしゃる。
さっきのセリフはまるでご自身が、お嬢様から愛される筈が無いと言っている様に聞こえた。
なぜその様な事を仰るのだろう?
側から見ればとてもお似合いで、仲睦まじいカップルではないか。
むしろ愛される訳が無いと思い込んで来たのはお嬢様の方で、それだってアダム様のお陰で少しずつ変わって来ている。
私から見てもお嬢様は、確実にアダム様に惹かれているというのに、それにアダム様はお気付きではないのだろうか?
ハンナは子供の頃から今に至るまでのナターリアを、思い返してみた。
昔から何かと陰湿な嫌がらせをエリスから受けながらも、人一倍責任感の強いナターリアは自分の立場や役割をしっかりとこなして来た。
その為恋愛などという物を経験しないまま、流されるままにヘルベルトと婚約したのだ。
きっと愛する事が出来ると信じて。
裏切ったヘルベルトは勿論悪いが、ナターリア自身にも悪い所があったのかもしれない。
責任を果たす為に都合の良い相手というだけで、ヘルベルトからの申し出を受けたのだから。
いずれにしろそんな関係は、長くは続かなかっただろう。
ナターリアの為にはヘルベルトとの仲が壊れて、返って良かったとさえ思える。
けれど恋愛に関する経験不足から、今回アダムに不安を与えているのかもしれない。
せっかくお互い惹かれ合っているというのに、これでは二人共が片思いをしているのと同じだ。
「これは‥お節介を焼くべきなのでしょうね。お嬢様には、自分の気持ちと向き合って貰わなければなりません」
誰に言うでもなく、自分に言い聞かせる様に、ハンナは呟くより少し大きめな声を出して、サロンへ続く廊下を歩いた。
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