代役
「会わせてやるべきとは、どういう事でしょう?まさかアダム様ご自身が、会いに行かれるおつもりなのですか?」
私が一瞬思った事を、ハンナはすぐに口にした。
けれどアダムは静かに首を振り、ハンナの問いに笑って答える。
「わざわざ茶番に付き合ってやるほど、私は暇ではないよ。まあ、直接会って釘を刺してもいいのだが、今はもう少し泳がせておいた方が良い。だから、アダム・ミュラーという人物を作って、彼等の相手をして貰うつもりだ」
人物を作る?
それは一体どういう事なのだろう?
アダムの言った言葉がどういう意味なのか分からず、首を傾げる私の様子を見て、アダムはその説明を始めた。
「アダム・ミュラーという人物は実在しない。けれど彼等は私をアダム・ミュラーだと思い込んでいる。だったら彼等の想像通りの人物を、彼等の前に出してやろうと思ってね。つまり、アダム・ミュラーという役を、演じてくれる人物を送り込むんだ」
ああ、なるほど、そういう意味で言ったのかと、やっと理解する。
という事はエリスを騙せる程の演技力と、出来るだけアダムに似た人物が必要だ。
エリス自身はアダムに会った事はないが、カールという男はあの夜会で、アダムを至近距離で見ているのだ、全く違う容姿では別人だと気付かれてしまう。
「演じてくれる人物に‥アダム、貴方には心当たりがあるの?」
「心当たり‥というか、叔母上が才能ある若者のパトロンをしているのを知っているかい?」
「いいえ、知らなかったわ」
「あー‥多分私に気を使ったんだな。皆中々に見目麗しい連中ばかりだから、君に会わせたりしたら、私がヤキモチを焼くと思ったのだろう」
「貴方がヤキモチを焼く?」
キョトンとする私に、アダムは極上の笑みを浮かべて、まるで愛しい人に語りかける様な甘い言葉を口にした。
「こう見えて私は嫉妬深いのだよ。もし彼等の内一人でも君に気に入られて、君の口から賞賛でも聞こうものなら耐えられないからね。君には私だけを見ていて欲しいんだ」
途端にドキドキと痛い程早鐘を打つ鼓動。
そんな顔でそんな声でこんな事を言われたら、落ち着いていられる筈もなく、鼓動と同じ早さで顔も熱くなった。
ハンナは私の反応を、満足気に見て頷いている。
それに気付いてアダムの甘い言葉に、どの様な意味があったのかを理解した。
アダムはハンナの前だという事を心得た上で、婚約者を溺愛するふりをして見せたのだ。
ハンナは私付きのメイドではあるけれど、父や母からの信頼も厚く、私達のお目付役としての役目も兼ねている。
だからどれだけ私が愛されているのかを、わざわざハンナの前で見せる必要があったのだ。
普通に考えれば分かりそうな事なのに、つい舞い上がりときめいてしまうなどという情けない私。
契約の関係である私達には、愛などという感情は存在しないというのに、何を舞い上がっていたのだろうか。
アダムが私を愛するなどという事は、絶対に有り得ないというのに。
「そんな事はないから、安心してアダム。それより侯爵夫人がパトロンになっているという、話の続きを聞きたいわ」
「ああ、そうだね。叔母上が支援している若者の中には、役者の卵もいるんだよ。その中から私と背格好の良く似た人物を選ぼうと思ってね。まあ、髪色は染め粉でなんとでもなるが、瞳の色だけは変えられないから、同じ色の人物を探して頼むつもりさ」
「‥でも、その役者の卵という人達は、舞台に立った事はあるのかしら?もし一度でも立った事があるのなら、頼むのをやめておいた方がいいわ。どこで誰が見ているのか分からないのだから」
「そうだね、その辺は注意深く選ぶとしよう。後は出来るだけ君の妹が、夢中になる様な演技をして貰う必要がある。君の妹はどんなタイプの男性を、理想としているんだい?」
アダムに聞かれて、私とハンナは顔を見合わせ、殆ど同時に頷いた。
私もハンナも考えている事は同じで、どちらが言うのか目で合図したのだ。
「エリスには‥私の婚約者だというだけで、価値のある相手になるわ。私から奪って私より幸せになる事が、あの子の喜びなのだから。‥そうね、でも昔からチヤホヤされて来たから、少しぐらい素っ気ない相手の方が良いかもしれないわね。冷たくされた事など無かったのだもの、きっと本気で自分の物にしようと努力するでしょう」
私の言葉を聞いたアダムは呆れた様な顔をして、深い溜息を一つ吐いた。
「なるほど‥。君に呪いをかけた魔女は、随分とワガママで理不尽な考え方をする様だ。それなら余計にお仕置きが必要だろうな。最初は騙すだけにしようかと思っていたが、そういう事なら予定変更だ」
眉間に皺を寄せて話すアダムは、少し怒っている様に見える。
こんなアダムを見るのは初めてで、私は慌てて問いかけた。
「魔女って‥アダム、何をするつもりなの?」
「さて、どうしてくれようか?これからじっくり考えるとするよ。君を傷付けて幸せになろうなんて、思えない様にね」
口元に笑みを浮かべてはいるけど、目は怒りに燃えている。
余計な事を言ってしまったと反省する私に、アダムは近付き私の頰にそっと手で触れた。
「そんな顔をしないでおくれナターリア。君に怒っている訳ではないのだからね。とにかく、この事は私に任せて、君は君のやる事に集中して欲しい」
コクンと頷きアダムを見れば、優しく微笑み私を見ている。
どういう訳かそのまま見つめる事が出来なくて、頰から伝わる熱が妙に熱くて、私は暫く目を閉じて、気持ちが落ち着くのを静かに待った。
読んで頂いてありがとうございます。




