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魔法

朝目覚めて最初に飛び込んで来る見慣れない天井を眺めながら、自分が何処にいるのかを思い出す。

ここはフィッシャー侯爵邸の、私に用意された部屋。

汽車での旅を終えた私達は、フィッシャー侯爵邸へ到着し、それからこの邸宅で新しい暮らしを始めたのだ。

侯爵夫人は初対面の私をまるで身内の様に歓迎してくれて、到着した翌日から三日程は、私の身支度に必要な物を、何だかんだと世話してくれた。

その為邸にいるより買い物へ行っている時間の方が長かったのだが、アダムが「叔母から流行を学ぶいい機会だ」と言うので、私もそれならばと侯爵夫人の言うままに、沢山の店へ足を運んだのだった。

侯爵夫人は母の言った通り素晴らしいセンスの持ち主で、ハンカチ一枚選ぶだけでも圧倒的なセンスの差を見せ付けられた。

そういえば私は今まで機能性しか重視して来なかったなあと、改めて思い返し目から鱗が落ちる。

さすがにアダムが頼るだけの人だと、感心する事しきりで、この方から多くの事を学べる事が、ありがたくもあり嬉しくも思う。


「お嬢様、お目覚めでしたか」

既に起き上がり着替えのドレスを選ぶ私に、部屋へ入って来たハンナが声をかける。

「ええ。だって今日からアダムの商会へ行くのですもの、ゆっくり寝てなんかいられないわ」

「あまり張り切り過ぎない様に、程々になさって下さいね。お嬢様は一つの事に夢中になると、寝る時間を削ってまで夢中になりがちですから」

「分かっているわ。でも、私が商会の仕事を手伝う事は、お父様やお母様には秘密よ。絶対に言わないでね」

「分かっておりますよ。その事について私は、良い傾向だと思っております。引きこもりがちなお嬢様が、毎日外へ出て人と接するだけでも、かなりの進歩だと思いますし、それがアダム様と離れたくないという理由と聞けば、尚更反対する筈がございません」

そう満足気に言うハンナに、思わず苦笑いを返す。

実はハンナと侯爵夫人には、アダムと一時でも離れたくないという嘘の理由から、商会を手伝う事を認めて貰ったのだ。

やはり貴族令嬢が働くというのは、常識では考えられない事なので、働くというよりは側にいるだけだという言い訳をして、なんとか納得して貰った。

ハンナは侯爵夫人から指示されたドレスを選び、私の身支度を手伝い始めたが、嘘をついている事はやはり心苦しい。

けれどこの事はいずれ私とアダムの関係が解消されても、誰にも話さず胸に閉まっておくつもりだ。


「お嬢様、お嬢様が商会へ出かけている間、私も少し外出しようと思いますがよろしいですか?」

突然何かを思い付いた様にハンナが言うので、珍しい事を言うものだなとは思ったが、反対する理由はない。

「構わないわよ。そうね、せっかく王都にいるのですもの、ハンナもたまには羽を伸ばす必要があるわね」

「いえ、私は王都のお邸へ顔を出そうと思ったのですよ。奥様から様子を見て来る様、頼まれておりましたので」

「王都の邸って‥エリスとヘルベルトがいる邸?」

「はい。奥様はまだ大層お怒りですから、私の目で見た物全てを報告する様言われました。私も個人的に心配ですので、早い所確認したいと思いまして」

そういえばそうだったと思い出し、途端に心配になる。

この所準備に忙しくて、その事をすっかり忘れていた。

王都にはあの二人もいるのだ、運悪く二人と遭遇する可能性だってある。


「ハンナ、邸へ行ったらエリスの出かけそうな所も聞いて来て頂戴。出来ればあの子とは顔を合わせたくないの」

「ええ、お任せ下さい。仲の良いメイドが大勢いますので、あの方々の行動範囲を聞いて参ります」

ハンナの頼もしい言葉に、ひとまずホッとする。

もしも今エリスに会って、いつもの様に見下したセリフを吐かれたら、せっかくアダムのかけてくれた魔法は一瞬で消え去るだろう。

汽車の中で宣言した通り、あれからアダムは何度も私を"美しい"と言う様になった。

その言葉を全て鵜呑みにする程愚かではないけど、少しずつ自信には繋がっている。

だから私は魔法の言葉だと信じて、少しだけ胸を張ろうと思ったのだ。


「さあお嬢様、支度が整いましたよ。アダム様もお待ちでしょうから、朝食へ向かいましょう」

「アダムはもう起きていたの?」

「はい。完璧に身なりを整えて、新聞に目を通しておいででした」

しまった!と顔に出ていたのか、ハンナは宥める様に続ける。

「そんな心配をされなくても、ご婦人の支度には時間がかかる物だという事ぐらい、アダム様ならご存知ですよ。きっとお嬢様を見て、笑顔で賞賛なされるでしょう。今日のお嬢様もとても美しいですから。お嬢様は本当に愛されておりますね」


ニコニコと嬉しそうに言うハンナに送り出されて、私は階下のダイニングへと向かった。

そこには既にアダムがいて、真剣な表情で新聞を読んでいる。

私の足音に気付いたのか顔を上げたアダムは、柔らかな笑顔を浮かべながら、魔法の言葉を口にした。

「おはようナターリア。今日のドレスは君の美しさを際立たせて、他人に見せるのが勿体ない位だ」

ほんのりと熱を帯びた頰を手で隠しながら、その魔法の言葉にくすぐったさと胸の高鳴りを感じる。

きっと近い将来仮の王子であるアダムなら、本物の姫君となる伴侶に巡り合うだろう。

でもせめてそれまでは、この優しい魔法にかかったまま、少しばかりの自信と夢見心地に包まれていたくて、はにかみながらも精一杯の笑顔を向けた。

読んで頂いてありがとうございます。

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