呪い
婚約が成立してから慌しく準備を始め、四日後の今日はいよいよ王都へ向かう日だ。
ハンナが頑張ってくれたお陰で、早い段階で荷物を纏める事が出来、そのハンナは荷物と一緒に一足先に王都へ向かっている。
そんな訳で大きな荷物を乗せて馬車を走らせる必要の無くなった私達は、アダムの提案で汽車を使う事にした。
汽車は昨年末に開通したばかりで、王都へ行くのに随分と時間が短縮出来る様になったと聞いている。
あまり遠出をしない私は当然汽車に乗った事がなく、旅立つ前にその事を話すと、アダムがせっかくだからと勧めてくれたのだった。
評判通り汽車は、馬車とは比べ物にならないスピードで走って行く。
次々と変化する車窓からの景色を眺めては喜ぶ私を、アダムは満足そうに見ながら、ふと、口を開いた。
「そんな風に喜んでくれると、汽車を選択した甲斐があるよ。君にはもっと色々な物を見て、体験して貰いたいんだ。そこで感じた事は、きっと今後のアイデアに繋がるからね」
「アイデア‥?その、アイデアというのは、仕事上のという事?」
「そう。商売していく上ではその時々の流れを読んで、今後どういった物が求められるのかを、敏感に感じ取らなければ生き残れない。君が優秀なのは知っているが、机の上だけでは何も生まれないのだという事を知って欲しいんだ。私も実際色々と経験して来た中から、アイデアを生み出して来たからね」
「‥なるほど‥これはもう既に、私の教育が始まっているという事なのね。少し待って、今メモを用意するわ」
「いや、今はそこまでしなくてもいいよ。何をして嬉しいと感じたか、どんな事が楽しかったのかを、記憶に残してくれればそれでいいんだ」
「記憶に残すだけ?‥そんな事で今後に活かせるのかしら?」
その言葉だけでは腑に落ちない様子の私に、アダムは少し考えてから話を続けた。
「そうだな‥例えば君の前に好きな菓子と嫌いな菓子があるとする。どちらかを選べと言われたら、君はどちらの菓子を選ぶ?」
「それは、迷わず好きな方を選ぶわ」
「そう、大抵の人は好きな方を選ぶ。嫌いな物を無理矢理渡されても嬉しくないからね。これを商売に当て嵌めると、"多くの人が好む物とは何か?"という事に行き着くんだ。そんな時に自分の楽しい、嬉しい、欲しいと感じた記憶が、役に立つんだよ」
「‥なるほど‥。そういう意味があったのね」
「まあ、偉そうな事を言っても、私にも苦手な分野はあるけどね。特にご婦人の好む宝飾品やドレス等は専門外だから、いつも叔母に協力を依頼しているんだよ。私が叔母の邸にいるのもその為さ。だから君にはその分野を、任せたいと思っているんだ」
「‥待って、私もその分野は苦手だわ。そもそも不器量な私が着飾っても、みっともないだけで、嬉しいと感じる事はないんですもの」
そうなのだ、私には一番相応しくない分野で、こればかりは努力しても無駄な事柄。
けれどアダムは怪訝な顔をして、私の発言について問いかけて来た。
「ナターリア、君はどうしていつも自分の容姿を卑下した言い方をするんだい?誰もそんな事は思っていない筈だし、私はいつも君を美しいと思っているよ」
「‥私に同情してお世辞を言わなくてもいいのよ。不器量である事はずっと言われ続けて来た事実ですもの、私が一番良く分かっているわ」
「ずっとって‥一体誰に言われ続けて来たんだい?そんな事を言う相手は、悪意を持って意図的に君を貶めようとしたとしか考えられないね」
「悪意‥というよりは、本気でそう思ったから、言い続けてきたのだと思うわ。遠慮がないのも血が繋がっているからだし、私は譲る為の存在なのだと、決め付けているのですもの」
そう言うとアダムは黙り込み、私も納得したものだと思った。
けれどもそれはほんの少しの間で、次に聞いたのは意外な言葉だった。
「‥なるほど‥そういう事か。それを言い続けてきたのは、君の妹なんだね。一番身近な妹という立場を利用して、常に自分を優位に立たせて来たという事か。ナターリア、その考えを今すぐ改めるんだ。そうしないと君は、目的を達成する事は出来ない」
「改めるって‥事実だからどうしようもないわ」
「そういう所だよナターリア。君は妹の言葉を、まるで呪いにかかった様に信じ込んでいる。君の妹にとってはそれが思うツボで、劣等感を植え付ける事に成功したと思っているだろうね」
「それは‥どういう事なの?」
「君が妹に劣等感を抱いている限り、自分にとって無難だと思える事しか受け入れられないだろう。それは商売をする上で致命的な欠陥となる。新しい物を取り入れる事が出来ないという事だからね」
「だって‥事実比べられて‥」
「比べたのは多分、妹の交友関係だけだろう?それだって妹の仕組んだ事さ。重要なのは君が、私の言う事を信じるという事だよ。君の中で私と妹のどちらが信頼に値するんだい?」
この質問には、はっきり答えられる。
答えは考えるまでもないのだから。
「アダムよ」と、答える私に、アダムは満足気に頷いた。
「それなら私の言葉を信じて、考えを改める努力をしてくれないか?君の呪いが解けるまで、私は何度でも言い続けるよ。君はとても美しいのだとね。これはお世辞ではなく、心からそう思った言葉なのだから」
そんな言葉を突然言われても、どうしたらいいのか分からなくなる。
一度だって自分の事を美しい等とは思った事がなく、不器量だと信じ続けて来たのだ。
そこで私もハッと気付く。
やはり不器量だと言われ続けて来た言葉は、呪いの様に深く突き刺さり、そのせいでどこか自分に自信が持てなかったのだと。
アダムの言う事は信じたいし、信頼に足る人だという事も承知している。
けれどもやはり全てを信じきれる程には、圧倒的に自信が足りないのだ。
「複雑な顔をしているね。それでもいいんだ、私は何度でも言い続けるから。本来呪いを解くのは王子の役割だが、君が本物の王子に巡り合うまでは、私が呪いを解く手助けをしよう。まあ、余計なお世話かと思うかもしれないが、君の目的の為には避けられない事だからね。覚悟しておいてくれよ」
少し悪戯っぽく微笑むアダムに、何と答えたら良いのか分からない私は、無言で頷き返すのが精一杯だった。
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