十一話「素直な気持ち(後編)」
脇目も振らず商店街を駆けていた。道行く人々は全速力で駆け抜ける俺のことをじろじろ見てくる。
例えどんなに見られても、街中で全力で走ることが恥ずかしいことであっても、道を塞がれたとしても止まる気は一切ない。
自分を今突き動かしているのはとても強い感情だ。体力だとか、自分の意思だとか、そんなもの何一つ関係ない!
走りながら、俺はそもそもどうして比奈に惚れたかということを考えてみた。
彼女と出会ったのはこの商店街だ。ここでトラブルに巻き込まれていた彼女を救い、同時にまた別のトラブルに巻き込まれた。最初はそもそも自分にも責任があるといった理由、それと「非日常」を味わってみたいという個人的な所以で公開恋愛を始めるに至った。しかし、甘い気持ちで始めたのを見透かされたかのようにあっさりと失敗に終わる。もう駄目かと思われたが、俺は改めて彼女の気持ちを知った。夢を叶えた彼女が叶えた夢を終わらせるのは嫌だ、と。そこで俺は「公開恋愛」に本気で取り組もうと決意した。
次に彼女の交友関係の問題が発生した。そこまでの俺はアイドルとしての彼女しかほとんど知らなかったから、彼女の知られざる一面を見て驚いたものだ。俺にとって夢を叶えることは尊敬に値する。当然彼女もその一人となっていたんだけど、凄い人物でも庶民的な可愛い悩みがあるものだ、と以前よりも親近感が湧いたのを覚えてる。
比奈と過ごす時間に慣れ始めた頃にアイドルの卵である恵ちゃんと出会った。彼女はデビューのための最大のチャンスで失敗し、アイドルになることを諦めるほどに追い込まれた。絶望状態の恵ちゃんと対面し、俺と比奈は大きなダメージを負った。けど、周囲のサポートによって何とか立ち上がり、比奈は普段見せないような気迫で恵ちゃんを叱咤して立ち直らせた。俺はこの件で彼女の強い意志を感じることが出来た。
ここ最近で最も輝かしい思い出となっているのが比奈のライブだ。当日になるまで順風漫歩だったのに、車の事故、高速道路の交通状態によってライブが出来るか否かの状況に立たされてしまった。けど当の彼女は何が何でもライブをすると言い張っていて、俺達のネガティブ思考は何だったのかと思うほどに心配は不要だった。どうにかこうにかライブを始めた後は、彼女自身が最高のライブにすると宣言したとおり、体の芯が震えるような素晴らしいライブを作り上げた。彼女の情熱をそこではっきりと知ることが出来た。
そうして彼女と過ごしているうちに、いつしかただの友達という認識は俺の中でなくなっていった。
彼女と出会ってからの日々は大変なこともあったけれど、どれも充実した日々であったと断言できる。灰色の景色がカラフルになったといっても過言ではない。それぐらい彼女と過ごす日々は刺激的で、憂鬱な日も乗り越えられたってもんだ。
こうして考えてみると惚れるポイントなんてたくさんあったのだな、と思う。まず彼女の容姿に一目惚れしていたとしてもなんらおかしくはなかった。もちろん俺が彼女を好きになったのは容姿が決め手ではない。夢を持った女の子の雄弁な心に触れ、いつしかそれに憧れ、もっと近くで見たい、感じたいと無意識に思っていたのだろう。「公開恋愛」を利用して彼女の隣に居続けて、輝く彼女を特等席で独占していたかったのだろう。
ここ一ヶ月の件は気が付けば彼女を好きになっていた俺が自分の気持ちに気付こうともしなかったくせに勝手に嫉妬していたのが原因だと思う。
河北慶という男が比奈の隣にいたことに怒りと焦りを感じた。いつも俺を頼ってくれていた比奈が隠し事をしていて、どうして話してくれないんだとこれまた焦燥していた。
それでも彼女のために何かしたい、俺は君の事を考えているんだと知ってもらいたくて公開恋愛を止めることを提案した。結果、全部が裏目に出て離れていく彼女に恐怖し、後悔した。
その日から比奈と音信不通の日々が続いた。世間ではクリスマスに近づき、俺は偉そうにクリスマスは彼女と過ごすんだと心のどこかで意気込んでいた。だから若菜ちゃんとクリスマスデートの約束を取り付けるとき、それとクリスマスイブ当日は比奈の顔がふとした瞬間に浮かんできたんだろう。
クリスマスイブのデートで申し訳ないと思ったのも、香月比奈という女の子がいるのに、他の女の子とこんなことをしてていいのか、と感じていたからだろう。勝手に彼氏面して、一人で勝手に悪いことをしたと考えていたんだ。
公開恋愛を止めようと提案したのは俺なのに、一番それに反対していたのはきっと自分自身だ。だって公開恋愛があればおこがましく彼氏面出来るのだから。公開恋愛をやめようと言えば、比奈ならきっと止めてくれると信じていた。彼女がああも怒るのは予想外だったけど、あそこまで感情的になってくれたのはむしろ嬉しいと感じていたのかもしれない。
ああ、俺はなんて醜い人間なんだ。醜悪で汚くて、無意識に自分のために大切な人間すら利用する愚かな人間だ。結果、大好きな人間を突き放して後戻り出来なくなるギリギリまで追い込み、また自分も追い込まれてしまった。俺みたいなクズな人間には相応しいしっぺ返しなのかもしれないが。
けれど――俺はこんなところで比奈との関係を終わらせたくない。自分勝手かもしれないけど、まだまだ彼女のすぐ隣でずっと彼女のことを見続けていたい。
だって、気づいてしまったんだ。この想いに。自分の感情に。素直になって、恋をしてると自覚できたんだ。どんなに最低といわれようと、この気持ちだけは――諦めたくないんだ!
一歩一歩、確実に地面に足をつき、蹴り上げる。推進力を利用して走る姿は「走る」よりも「跳ぶ」という表現の方が正しいかもしれない。
そんな風に一歩進むたび、地面に足が触れるたび、「好き」という気持ちが大きくなる。
心のうちで「好き」という感情がどんどん膨れ上がり、膨らんだいくつもの感情の風船がぶつかり合い、一つになっていく。そうして出来た大きな風船は今にも破裂しそうなぐらい膨れ上がっている。
息はとっくのとうに上がっている。それでも足は止まらない。止まってくれない。喉からは苦しそうな呼吸音しか出ていないのに、気が緩んだらそこから風船が今にも飛び出してきそうだった。
何で俺はこんなにも強い感情を押し隠すことができていたんだろう。不思議でならない。
気持ちを抑えていた反動が来てるのだろうか。それでも構わない。溜めていた「好き」が今の俺を動かす原動力になるというのなら、それを利用してただ前に進むだけだ。
ああ、好きだ。
大好きだ。
香月比奈のことが好きだ。大好きだ!
好きだ、好きだ好きだ好きだ好きだ――――!!
いつしか商店街を抜け、撮影が行われているはずの水上公園にたどり着く。公園内を走って周り、人だかりが出来ている場所を見つける。きっとこの群集の中心に彼女がいる。
一度だけ止まって、息を整える。荒れていた呼吸が少しでも整うと群集の人々を突き飛ばす勢いで突撃していく。
「すまない! どいてくれ! 道を空けてくれ!」
何事だと人々がこちらを見る。まだ状況を理解してない彼らの波に突っ込み、無理矢理奥へ奥へと進んでいく。
「頼む! 行かせてくれ! 通してくれ!」
力ずくで人と人との隙間を作り出し、そこに体を侵入させる。そうこうして、ようやく群集を抜けて中心にたどり着く。そこには群集が見ていた「何か」があって、その「何か」の関係者達みたいな人たちがいたが――今はどうでもいい。
凄い勢いで視線を巡らせ、ついに、ついに一番会いたかった人物を見つけた。
比奈は雑誌で散々見た生の河北慶と見つめ合っていた。
「比奈!」
「か、カズ君!?」
彼女はこちらに気づくと驚いて目を見開く。
「カズ君がどうしてここに!?」
「な、君勝手に入って――」
ごちゃごちゃうるさい河北慶を無理矢理どかして、俺が比奈の前に立つ。
「か、カズ――」
「好きだ!」
比奈の両肩に手を置いて、叫んだ。
「俺は比奈のことが好きだ! 異性として、一人の女性として、好きなんだ! 俺は、君が他の男と一緒にいる姿を見たくない! 嫌なんだ! 俺にとっては、君が隣にいることが当たり前だった。これからも俺の隣にずっとずっといてほしい! だからどこにも行かないでくれ! 俺の隣に――いつも手が届く場所にいてほしいんだ! そのために、俺と付き合ってくれ!」
思いのままに言い切った。それは告白なんて生ぬるいもんじゃない。好意の押し付けだ。
「あの、君……」
「うるせえ! 取り込み中だ!」
押し出された河北慶が申し訳なさそうに声をかけてきたので一喝して追い返そうとする。
「いや、こちらも取り込み中なんだけど」
「ああ!? 取り込み中って何がだよおい!」
「えっと、ドラマの撮影」
「ドラマの撮影だと!? そんなの――……」
どら……ま? ドラマ? ドラマの撮影?
彼女の肩に手を置いたまま、首だけ回す。目に入ってくるのは、こちらをポカンと見ているカメラマンさんやテレビの中で見たことのある人物、台本を手に持つスタッフのような人間。
オーバーヒートしていた機械を冷凍庫に入れるかの如く頭の熱が下がっていく。
つまり、何だ。俺が意気揚々と突撃した現場は、比奈と慶の熱愛現場ではなく、ドラマの撮影現場だったっていうことか? そういえば、若菜ちゃんはここに比奈がいるとはいっても、どうしてここにいるのかまでは言ってなかった気がする。
なるほど、大体状況は理解した。ようやく冷静に物事を考えられるようになった俺が取った行動は。
「――すいませんでしたあっ!」
全力で頭を下げることだった。
え、だって、何? 俺は撮影中に突如現れた邪魔者で、テレビの関係者や何十人もの部外者に一世一代の告白姿を晒しただけとでもいうのか!?
何だよ、それ! 俺って馬鹿なの!? 死ぬの!? いやいっそ死にたい。誰か俺を殺して! キルミープリーズ!
混乱しながらもここにいたままでは醜態を晒すだけなのですぐさまこの場を離れようとする。身を翻して一目退散しようとしたところで、
「おい少年! 帰るな! まだ返事貰ってないだろ!」
とお告げみたいな謎の声が飛んでくる。見ると、サングラスをかけたいかにも監督です、みたいな人が俺を見ていた。
「比奈ちゃんも! 男の心からの告白を受けたんだ。しっかり返さないと駄目だぞ!」
彼は続いて比奈にも言葉を飛ばしていた。そういえば比奈はどうなってる。彼女の方を見ると、
「……え? 比奈、泣いてるのか?」
「…………え?」
比奈はポカンとした表情で固まったまま透明な涙を流していた。
「あれ? 私、何で? 何で、泣いてるの?」
彼女は自分でも泣いていることに気づいていないようだった。
「わ、悪い。そんな泣くほど嫌だったか? ああ、それに力加減とかしてる余裕なかったから――」
「えっと、違う。そうじゃない。そうじゃ、なくて」
彼女は待ったをかける。
「私、そ、その……う、嬉しくて」
彼女は瞳を逸らして、手をモジモジさせながらゆっくりと言葉を吐き出す。
「わ、私、もう諦めてたから。カズ君に迷惑かけちゃって、私も迷惑かけさせちゃってて、もう公開恋愛は止めた方がいいって考えてたから。それでもやっぱり名残惜しくて、苦しくて、切なくて……でもどうしようもないと割り切ってて。なのに、なのに、カズ君は私のことをその――す、好きって……言って、くれて」
彼女は意を決したように俺の瞳を見つめてくる。頬を朱に染め、瞳をうるわせ、震える唇を開いた。
「わ、私も……カズ君のことが好きです! 大好きです! 私もカズ君の隣にずっといたいです。こんな私ですけど、いさせて下さい。そのために私と付き合って……下さい!」
彼女の発言を理解するのに長い時間を要したと思う。バラバラの破片となって耳に届き、それを組み上げてようやく彼女の言葉を全て理解すると同時、
「カーット!」
監督の爽やかな声が空に響き渡った。




