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九話「別離の時」

<side Hina>


「カーット! 駄目だ、駄目! どうした比奈ちゃん? 昨日まで凄く調子良かったのに」


「えっと、すいません。少し疲れがあるみたいで……」


「……うーん。分かった。とりあえずまだ時間あるから後で撮ろう。比奈ちゃんと慶は休憩。別のシーン撮るぞー。シーン八十六の準備して!」



 監督の掛け声で周りは慌ただしく動き始める。

 申し訳ないと思いつつも、私はテーブルの椅子に腰をかけた。



「はあ……」



 水を一口喉に含んでからため息を零す。

 今日の不調の原因はどう考えても昨日の出来事のせいだった。

 クリスマスツリーの前で見た光景。若菜が私の想い人に告白している瞬間を見てしまった。聞いてしまった。

 彼女の言葉を聞いた直後は固まってしまったけど、二人に姿を見られたらマズイと思い、すぐにその場を離れた。その後は何ともなかったように恵と合流して帰った……けど。



「こればかりは……」



 人の告白を――しかもどちらも知り合いで、片方は好きな相手だなんて……昼ドラのような展開を経て、いつものように過ごせと言われても無理がある。

 撮影中は意識しないように頑張ってみたけど、今回ばかりはどうしても邪念が浮かんでしまう。特に今日はあのシーンの撮影もあるし……。



「どうかした、比奈ちゃん?」



 物思いに耽っていると、ここ最近一番よく聞く人物の声が飛んできた。



「河北さん……」


「何だか調子悪そうだなと思って。席大丈夫?」



 頷くと彼――河北さんは向かいの席に腰掛けた。

 今回のドラマで主演を勤める役者さんだ。初めて一緒に仕事をさせてもらって、彼にはこれ以上ないくらい良くして貰っている。尊敬に値する人だ。なのに……。



「その……すいません。私のせいで中断させてしまって……」


「気にしてないから大丈夫。むしろ比奈ちゃんのお陰で昨日は久々のオフを貰えたから感謝してるよ」



 ははは、と河北さんは笑う。



「それで、何かあったのか? 僕なんかで良かったら相談に乗るけど」


「その……ごめんなさい。あまり公言できる内容じゃないんで……」


「簡単には言えないような内容ねえ。例えば、恋愛事とか?」



 図星を突かれて思わずドキリとする。



「あ、やっぱりそうなのか」


「……なんでわかったんですか?」


「一応長年役者をやってるしね。表情を見ればあらかた分かるよ。どんなに隠そうとしていてもね」



 河北さんは小さい頃から役者の道を目指していて、今は私よりも四つ年上だ。タレントとしても、人間としても先輩の彼には頭が上がらない。



「それに昨日はクリスマスイブだったし、確か公開恋愛だっけか。その彼と喧嘩でもしたんじゃないかなと思ったわけだ」


「大体そんなところです……」



 正確には喧嘩中の所にさらに追い打ちをくらったって感じですけど。



「それに、実を言うと博美さんから今の比奈ちゃんは不安定だって言われてたんだよね」


「博美さんって……私のお姉ちゃんですか?」



 香月(かづき)博美(ひろみ)。それが私の実の姉のフルネームだ。



「河北さんとお姉ちゃんって知り合いだったんですか?」


「随分前からね。この前も彼女と一緒にパーティに行ったよ。冬なのに正装っていうことで身だしなみを整えてさ。凄く寒かった。博美さんのドレス姿は美しかったけど」



 この前令嬢のような格好をして家を出て行ったのはそれか、と納得する。



「まあ、個人の恋愛にとやかく言うべきじゃないんだけど、比奈ちゃんは女優じゃなくてアイドルだからね。特に気をつけないと駄目だよ。……この前だって油断していたせいで」


「……あれですよね」



 中々狙い通りに撮れなくて、予定時間を思い切り延長してしまった日がある。夜に女の子一人では危険だから、と言われ途中まで方角が同じ河北さんと夜の道を歩いたことがある。その道中、怪しい人影が追跡しているのに気づいた。きっとゴシップを狙った人間だろうと予測し、追跡を撒くために仕方なく賑わう夜の街に逃げ込んだことがある。

 その時の写真がある週刊誌に載っていた。……以前のスキャンダルのように顔がはっきり映っていなかったせいかあまり大きな騒ぎにはならなかったからよかったけど。



「その節では迷惑をかけました」



 頭を下げて謝罪する。



「あんな時間に男女二人で歩いていたら勘違いされても仕方ない。比奈ちゃんといたのに、いつものように気にせず歩いていたのが原因……つまり僕のせいだ」


「いえ、大きな騒ぎになりませんでしたし、気にしてないですから大丈夫です」



 それにこの話題は私たちの間で何度も交わしたやり取りだ。お互い反省してるし、これ以上の議論は不要だと思う。



「それで元々の話題は比奈ちゃんの恋路だっけか。こればかりは僕が下手に口を出さない方が……」


「……いえ」



 河北さんと幾らか言葉を交わして少し考えが変わった。

 私が不調なのを誰よりも早く見抜き、この前も帰路についてきてくれたし、他にも仕事でミスした時はいつも優しくアドバイスをしてくれる。彼ならば……信じてもいいのかもしれない。全て事細かに吐き出すのは難しいかもしれないけれど、彼なら何かしらヒントをくれるかもしれない。



「凄く曖昧な表現でしか説明出来ないんですけど、聞いてくれますか?」



 彼は一瞬驚くも、すぐに微笑を浮かべてその先を促した。



「私には大切なものがありました。それは私だけじゃない、私とあるもう一人のものです。今まで二人でそれを続けてきました。けど、もう一人にもうやめようって言われました。最初は意味が分からないって思ってたんですけど、もう一人がやめようと言った原因の意味を知ったんです」



 カズ君は公開恋愛をやっている限り、異性間の交遊を縛られると言っていた。それは当然私だけでなく、カズ君もだ。

 昨日、カズ君は若菜に告白されていた。けどこのまま公開恋愛を続けるとなると、彼が若菜と付き合いたくても付き合えない。それはカズ君だけじゃない。若菜も被害者でとても辛い思いをするはずだ。

 つまり、この公開恋愛は想像以上に私達の自由を制限している。私はたまたまカズ君のことを好きになったからむしろ幸いだったんだけど、他はどうか。カズ君も、カズ君のことを好きな他の女の子もあまりに報われなさすぎる。そんなの絶対駄目だよ。



「そこでようやく私は気付いたんです。彼の言ってたことは正しかったんだって。それを続けて幸せになれるのはきっと私だけなんだって。私はそのことに気付いて、どうしたらいいのか迷っているんです」


「……なるほどね」



 かなり大雑把な内容だったにも関わらず、河北さんは理解しているようだった。



「比奈ちゃんの性格にも寄るんじゃないかなこれは。比奈ちゃんが我侭な人間なら続けることを選ぶし、謙虚な人間ならその反対になる。さあ、比奈ちゃんはどっちだい?」


「私は……」



 他人の気持ちを無視して私の良いようにやる。それが出来たらどんなにいいことか。いくら頑固な私でも人の想いを踏みにじってまで欲しいものを得たいとは思えない。


 カズ君は何だか自分のことを見下げているみたいだけど、そんなことない。

 彼は一度やると決めたことは最後まで諦めなかった。

 一番顕著なのが公開恋愛を始めた時だ。一度失敗に終わったそれを立て直すことが出来たのはカズ君の奇策のお陰だ。

 恵が失意に落ち込んだ時、私は恵を助けられないと思っていた所を彼が叱責してくれた。お陰で勇気が戻り、恵を立ちなおさせることが出来た。

 ライブの開催が遅延した時、彼は私を迎えに来てくれたばかりでなく、更に奮起させてくれた。彼の言葉が胸に響き、やる気がいつも以上に湧いて最高のライブが出来たと思う。

 それ以外にもカズ君はいつも私に手を差し出してくれた。それこそ公開恋愛の範疇を超えて。今こうしてドラマの主演を務めることが出来るのもカズ君がいたからだ。


 カズ君は人間的にも素晴らしい人間だ。私なんかが独占するのはもったいないぐらいに。

 彼のことだ。公開恋愛を止めることを思いついた時も自分のことよりも私のことを優先して考えた上での苦渋の決断だったのだろう。本人もそれに近いことを言ってたような記憶がある。何を言われても言い返せるようにしてあると。それは裏返すと徹底的に熟考した上での言葉であると簡単に判断できる。

 なのに私はまた自分の都合だけを考えてカズ君に迷惑をかけてしまっている。そもそもこの公開恋愛そのものも、私がもっときちんとしていれば回避出来てたことじゃない……!

 これ以上迷惑をかけてはいけない。高城和晃を縛り付けてはいけない。私だけが解放されるんじゃない。カズ君も鎖から解放してあげないといけないんだ。

 願わくば、これからも彼の隣に居てもっと色々な世界を見てみたかった。事情は分からないけど、彼は「夢」というものに固執しているみたいだから、今度は私が彼に手を差し伸べてあげたかった。

 でもそれは彼の隣にいなくても出来ることだ。私がアイドルを志したのは、彩さんに私の生きがいをもらったように私も夢を与えたいから。例えカズ君と離れることになっても、彼のことだから私のことを応援してくれるはずだ。もっともっと私は精進してアイドルとして私を見てくれたカズ君が自分の夢を見つけてくれればそれ以上に嬉しいことはない。おこがましい願いなのかもしれないけど、それぐらいは許してほしいな。


 答えはもう出ている。私がどちらを選ぶかどうかは明白だ。



「……河北さん、ありがとうございました。お陰で胸のつっかえが取れました」


「少しでも役に立ったのなら大満足だ。もう大丈夫なんだね?」


「――はい」



 それでもやっぱり、公開恋愛をやめることを考えると悲しくなってきて、涙が滲みそうになる。けれど今は泣いちゃ駄目だ。我慢しないと。

 どんなものにも終わりは来る。それは私のアイドル稼業だって例外じゃない。今回はたまたま公開恋愛が終わるだけだ。カズ君もこう思ってたんじゃないかな。もう潮時だ、と。

 私は前を見る。今振り向いたらきっと涙が止まらなくなる。後ろを見て立ち止まるのは私が許さない。私は自分の強さを皆に見てもらう側の人間だから。大多数の人に悲しい顔を見せたりするなんて言語道断。昨日恵にも言われたものね。皆には――カズ君には私の笑顔を見て欲しいから。


 これで終わりのような感じが出てるけれど、カズ君とは学校でまた普通に出会う。その時は今度こそきちんと謝ろう。彼がもし誰とも付き合っていなかったらその時は私のほうからちゃんと想いを伝えよう。

 今はその時までこの想いは封印する。またいつか――せめてこのドラマの撮影が終わるまで。自分の心に鍵をかけよう。



 その前に、一つだけ。直接あなたに言えないのが悔しくて仕方ない。けど、これ以上うじうじしてたら踏ん切りが付かなくなりそうだから。あなたに感謝の言葉を。



 今までありがとう、カズ君。

 あなたと過ごした日々はとても楽しかった。

 これからもこんな私と仲良くしてやってください。

 公開恋愛をやめても、いつものように接してくれたらとても嬉しいです。



 この言葉をもって、私たちの公開恋愛は終わりにする。


 公開恋愛は終わり。



 本当にありがとう、高城和晃君。


 そして、











 さようなら。












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