八話「彼女のクリスマスイブ」
<side Hina>
「お疲れ、比奈ちゃん! 今日の残りの時間は楽しく過ごせよ!」
監督はガハハハ、と豪快に笑う。
今日は世間ではクリスマスイブと呼ばれる日だ。けど、私には恋人の有無に関わらず、祝日として楽しめる立場ではないはずだった。
ドラマのクランクインが近づいており、年末まで全て仕事で埋まっていたからだ。
本当は今日も一日撮影……のつもりだったんだけど、予定が狂った。というのも、それはどうやら私のせいらしかった。
ある日を境に私のやる気が見違える程変わったようだ。その「ある日」は自分でも予想がつく。カズ君と最後に会ったあの日……そこから私は変わったのだと思う。
突然カズ君から公開恋愛をやめようと言われた時は何かの冗談かと思った。けど、彼は真剣そのものだった。
カズ君は私のためにと言ってた。けど、私にとっては大事なものを奪われたような、私を形成する何かを無理矢理引き剥がされたような気分だった。
カズ君の言葉が詭弁のようにしか聞こえず、私は激昂した。あの時の私は自分がわからないぐらいメチャクチャになっていた。あの時ばかりはカズ君の顔など二度と見たくないと本気で思ったほどだ。
あの日から二週間近い時間が流れた。その日から今日まであの時のことを考えなかった日はなかった。
あの時のカズ君との会話を思い出す度に少々の怒りや悲しみなど、負の感情の塊が私の中に渦巻く。
仕事中、それが表に出ないように、あるいはあの時のことを思い出さなくてすむように。私は今迄以上に演技に熱を入れた。
結果、撮影のスケジュールが予想より早まり、こうしてクリスマスイブに時間を貰うことに繋がる。
監督は残りの時間を楽しんで来いって言ってたけど……とても楽しめるような気分じゃない。まだ仕事をしてた方が楽なのに。
仕方ない。この前店で見かけて思わず買った、彩さんのアイドル時代のライブ映像でも見よう。
帰宅後の予定を練って帰路に着こうとしたその時、
「やーっと捕まえた」
長いツインテールを小柄な親友が私の前に立っていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「それで、何があったのかたっぷり教えてもらおうか」
私と恵は場所を移して向かい合っていた。
「その前にどうして恵は私の所に?」
「……この前のラジオ収録の時、比奈が泣きながら去っていってどうしようか聞きたかったけど、結局その日はそっとしておこうと思って。代わりに彩さんに比奈に時間が空いたら教えて下さいって頼んでおいたわけ。そしたら今日撮影が早く終わったって連絡が来たから会いに来たの」
「わざわざ私のために……けど、恵は今日予定は?」
「ないよ!」
彼女は清々しいくらいキッパリと言い放った。
「そういう比奈こそこの後予定はないの? お兄ちゃんと会う約束とか」
「カズ君とは……」
彼の顔を思い描いて思わず苦い顔をしてしまう。
「……まだ仲直りしてないの?」
「うん。……過程はどうあれ、散々な別れ方しちゃったから、直接会ってきちんと謝りたいと思ってるんだけど……」
「忙しくて会う時間がないとか?」
彼女の言葉に頷く。
あれから何度かカズ君から電話やメールが来ていた。前者の理由とどう返事したらいいのか分からないという二つの理由で連絡を返していなかった。もう少し時間が経って落ち着いたらちゃんと連絡しようと考えていたんだけど、結局今日まで来てしまった。
「……ほんとに何があったの? 比奈もお兄ちゃんも何だからしくないよ」
「それは……」
「出し渋らないの、比奈。比奈の悪い癖だよ、それ。私がアイドル辞めるって言った時みたいに……今度は立場が逆かもだけど、何でもズバッと言ってくれていいんだよ? 友達として力になりたいって本気で思ってるんだから」
彼女は平らな胸をドンと叩く。私よりも小さい体格なのに、まるでお姉さんのように思えた。
「……恵、ありがとう」
「お礼はまだ早いから。というか、言ってて私も何だか恥ずかしいからとっとと話して」
「……分かった」
恵に促され、事の経緯を話す。それを語るには私の想い、考えなども語る必要があったので、それも口に出した。
全て語り終えると恵はまず、
「……比奈、本当にお兄ちゃんに恋しちゃったんだ」
と驚いた。
「うん、しちゃった」
「なるほど。それがあの時比奈が泣いた原因なのね」
「そうだね。あの時、見放されたような気がして……悲しくなっちゃって」
「そっか、そういうことだったんだ。ならあの時の比奈の態度は分かる気がする。お兄ちゃんの真意は図りきれないけど」
恵は腕を組んでうーんと唸る。
「比奈の目線で立つとお兄ちゃんが酷い人に見えるけど、お兄ちゃんの目線で見るとお兄ちゃんが一概に悪いとは言えないなあ」
「それは私も同じこと考えてる。カズ君が公開恋愛をやめようって言ったのも、私が隠し事――自分の想いを制御出来なかったのが原因のはずだから。どちらかというと私が悪いよ」
「そうかもしれないけど、今はどっちが悪いかどうかを議論する必要はないと思うんだよね。考えるべきなのは、これから比奈はお兄ちゃんにどう対応するのかだと思う」
一度起こってしまったことはしょうがない。過去のことは後で謝るとして、これからどういう行動をしていくのかが重要なんだ。この辺は公開恋愛のきっかけになったスキャンダルに似たものを感じる。
「比奈はあれからお兄ちゃんと一度も連絡取ってないんだよね?」
「時間が出来たら私からしようとしてるんだけど、中々勇気が出なくて。それにさっきも言ったけど、直接会って話したいから……」
「見上げた精神だけど、今回はちょっと駄目かもしれない。お兄ちゃんもあの時、色々思うことはあったと思うし……とにかく一言でも言っておかないと、本当に取り返しのつかない事になるかもしれない」
恵の言ってることは正論だ。
だって、結局私は逃げてるだけだから。謝りたい、話したいのも本音だけど、同時に公開恋愛をやめる話の続きをされる事が怖いんだ。
だから時間が流れて何もなかったことになるのを期待して、今日まで連絡を返さなかったという思いもあるんだと思う。
私はきっと――臆病で、救いようのない馬鹿なんだ。
「ひーなー」
顔を上げると目の前には恵の顔があった。すると唐突に頬を引っ張られる。
「い、いひゃいいひゃい」
「比奈、何か後ろ向きな事考えてるね?」
恵は私の必死な訴えを無視して続ける。
「今回の出来事は恋愛事だから私も対処しようがないし、そもそも比奈とお兄ちゃんの問題だから私が介入するべきじゃないんだけど、でも!」
「にゃ、にゃに?」
「アイドルがこんなことで暗い顔してちゃ駄目でしょ。お兄ちゃんだって元気なアイドルを救うために公開恋愛に乗ったんだから。救われた立場なのに暗い顔するのはよくないよ!」
恵は私の目を真正面から見据えて言葉を突きつけた。
感銘に近いものを受け、一瞬頬の痛みはどこかに消える。
「第一、ドラマのヒロイン勝ち取った癖にそんな顔してたら怒られるでしょうが!」
彼女は更にほっぺたを引っ張ってくる。
ほ、本当に私を励ましてるだけなんだよね? 信じていいんだよね!?
「分かった?」
「は、はい……」
痛む頬を抑えながら返事をする。
恵はそれからふう、と息を吐いて、
「とにかくここまで来ちゃったなら仕方ないお兄ちゃんへの連絡は明日絶対にすること」
「え、でも、明日も仕事が……」
「終わるのは何時?」
「夜の九時ぐらい」
「なら、九時以降に会う約束を取り付けておく! 会えない時間じゃないんだから! これ以上会うのを先延ばしにしない!」
「は、はい!」
恵が何だか怖かった。人の威厳とかって見た目だけじゃ判断つかないみたい。
「でもどうして明日?」
「……あれこれ言ったけど、比奈も辛かったでしょ? サッパリした気持ちで明日を迎えた方がいいかなと思って」
「というと?」
「今日は気分転換とストレス発散をしようってこと。嫌ならやめておくけど」
私は首を横に振る。
「そんなことない。最近気分が沈みがちだったし……」
「なら、決まりだね」
彼女は厳しい顔を崩していつもの愛らしい笑顔を浮かべる。
「久しぶりに隣町のアウトレットモールに遊びに行こう!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
アウトレットモールはクリスマスの影響で人がごった返していた。その多くはやはり恋人達で、家族連れの人も多かった。その二つに比べると少ないけど、同性達の団体も幾つか見かけた。
まずはアウトレットモールのブティックやファンシーショップを見て回り、気に入ったものがあったら購入した。
一通りショップを回った後は体を動かして嫌なことを忘れようということでアウトレットモールから少し外れたボーリング場に向かった。久しぶりのボーリングだったので、スコアは酷かったけどとても楽しかった。
体が暖まった後は上の階に上がってゲームセンターをうろついた。途中、UFOキャッチャーの景品になっていたうさぎのぬいぐるみが可愛くていいなあなんて思ったのでチャレンジしてみたりもした。結局取れなかったけど。
その後は再びアウトレットモールに戻って二人でもう一度色々な店を回り、暗くなってきた所で夕食を取った。
楽しい時間はあっという間に過ぎていき、空はもうすっかり暗い。けれどイルミネーションが光り輝いていて昼以上に明るく感じられた。
私は今一人だった。恵はさっきまでいたレストランに忘れ物をしたらしくて、取りに向かってる。私はちょっと一人で飾り付けを見たくて先に入り口に行くと告げていた。
ここの入り口のクリスマスツリーはこの時期の一番の見所だ。クリスマスツリーを正面から見ようと私は移動しようとして――よく知った人物が目に入った。
それが誰なのかは一瞬で分かった。だって私の好きな人だったから。見間違うことなんてありえない。
カズ君がどうしてここに……?
疑問は湧くけれどそれ以上に彼に声をかけたい衝動に駆られた。彼と会うのがとても久しぶりな気がして、あの時のことを忘れて、とにかく話したかった。
思わぬ幸運に感謝して私はカズ君の元に向かおうとするが――彼に夢中になっていたのと、クリスマスツリーの影になっていたということもあって、私は一人の女の子の存在に気付くのが遅れた。
カズ君は真剣な面持ちでその女の子を見つめていて。ただ女の子の顔はここからは見えなかった。
入り口は太陽が昇っている時以上に賑わっていて、話し声や足音、アウトレットモールにかかるオシャレなBGMが混ざった雑踏音が常に鳴り響いていた。
カズ君が見つめる女の子が口を動かして、言葉を紡ぐ。それは周囲の雑踏音を無視して、私の耳元に転がり込んできた。。
私は彼女の言葉を聞いてしまった。
「……和晃君。私、ずっと前から和晃君のことが……あなたのことが――好きでした!」
――聞いてしまったんだ。




