五話「勘違いとすれ違いの果てに」
勉強会から数日が経った。休み明けから始まった期末テストも何とか無事終わった。
皆、結果は様々だが、やり抜いたことに意味がある。
正直、俺は今回あまりいい出来ではなかった。というのも、勉強会の後、俺はずっとあることを考えていたからだ。
比奈は隠し事をしている。それも推測するに色恋沙汰だ。公開恋愛の真実を知る仲にも話せないということは……周りには誰一人知られてはいけないということ。つまり、協力者がいないということだ。
それに気づいて、どうにか彼女を助けることが出来ないかと考えた。
結果、思いついた答えは――
「失礼します」
「こんにちは、高城君」
俺はマネージャーさんの元に訪れていた。
「今日はどうしたの?」
「一つ確認したいことがあって……」
「何かしら?」
マネージャーさんは軽い口調で尋ねてくる。
「今の比奈の人気はどうなんですか?」
「比奈の人気? 」
「はい。……少しは人気、戻ったんですか?」
「……そうね。ライブが終わってからは大分回復したわ。全盛期には及ばないけど、それでも駆け出しの頃よりは全然ましよ」
「そうですか。なら、比奈はもう一人でも大丈夫ですか?」
俺の言葉にマネージャーさんは目を見開き、驚愕する。
「高城君、あなた何を――」
「……少し考えたんです。元々比奈の人気をどうにかするための苦策でした。けど、その人気が一人でも大丈夫なぐらいまで戻ってるなら――」
ここでそれを言ったら、後戻りは出来ない。本当にこれでいいのだろうか。
……公開恋愛が比奈を縛っているのは確かだ。俺はあくまで補助。そんな俺の最後の仕事は彼女を解放してやること。
何にでも終わりはやってくる。きっと……今が潮時だ。
そして俺は数日間、悩み抜いた答えを言う。
「――公開恋愛を終わらせようと思うんです」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「お疲れ、比奈」
「お、お疲れ、カズ君」
今年最後の公開恋愛ラジオの収録が終了した。今回は何と豪華三本撮り。
年末までまだ二週間あるが、比奈がヒロインを務めるドラマの撮影がピークに入ったらしく、年末近くまで連日撮影らしい。
そのお陰である程度余裕のとれる今、一気にやったということだ。
「恵ちゃんは?」
「恵はスタッフの人と話してくるって。だから先に帰っても大丈夫って……」
となると、しばらく戻ってこないのか。……なら、今が切り出すチャンスかな?
「……比奈。時間、大丈夫か?」
「え? う、うん」
「オッケー。少し……どころじゃないな。凄く重要な話があるんだ」
俺の言葉を受けて比奈の顔つきも神妙になる。
「えっと、どんな話?」
「変な前置きもやめておいた方がいいな。いきなり本題に入るぞ?」
変な躊躇いは後々やりずらくなる原因になる。何も考えず、勢いでやってしまった方がいい時もある。
それが今だと信じたい。
「俺と比奈の公開恋愛。――もう、やめないか?」
「……………………え」
比奈が理解出来ない、といった顔をした。ポカンとして、何度も瞬きをしている。
「……やめるって、公開恋愛を? 私とカズ君の?」
「ああ、そうだ」
「そのやめるっていうのは、おしまいにするっていう意味のやめる?」
比奈は混乱しているようだ。意味を理解するため、確認をとるような言葉だったから。
彼女の問いに頷くと、彼女は思い切り立ち上がり、テーブルを両手で叩いた。バアンと大きな音が響く。
「な、何で!? どうして!?」
「……色々考えたんだ」
比奈は激昂するが、あくまで冷静に対応する。感情的になっちゃ駄目だ。
「そもそも、公開恋愛は比奈の芸能生命を繋ぎとめるためのものだ。苦肉の策だったけど、一応は成功した。マネージャーさんに聞いたら、ある程度は人気は戻ってるらしいんだ。つまり、比奈の芸能生命を繋ぎとめるどころか……修復すらしたんだ。なら、もうこの公開恋愛を続ける必要はない」
「待って! それは、違うよ。彩さんも今の私はカズ君がいるから成り立ってるって言ってた! だから、公開恋愛をやめたら私は――」
「俺も一度そんなこと言われたけど、それも少し前までの話だ。あの崎高祭のライブ覚えてるだろ? どうやらあれが人気再燃の大きなきっかけになったらしいんだ。あのライブをあんなに良い出来にしたのは全部比奈のお陰だ。俺は関係ない」
俺と比奈の仕事関係は例えるとお笑い芸人のコンビだ。
最初は二人で仕事をこなしていたが、人気が増えてお互いの良い点、悪い点が出てくる。
結果、片方はソロでも様々な仕事をこなし、もう一方はソロだと力が発揮されず、相方と一緒じゃないと駄目。
俺と比奈はまさにそんな関係なのである。当然比奈が前者、俺が後者である。
前者は一度火がつけば、相方がいなくてもやっていける。だから俺は無理にコンビだけで活躍させようとせず、相方を自由にやらせてあげたいと思うのだ。
「でも、考えてみて。 そんな急に公開恋愛をやめたら、また色々言われるよ? そしたら、また私、どん底に落ちるかもしれない」
「その点についてはいくつか考えがある。もう必要ないと証言するか、あるいは俺が比奈を振ったってことにするのもありだ。いっそ、全部正直に話すのもありかもしれないな」
「どれをやっても、私もカズ君も風評を受けるよ。やんない方が絶対いいよ」
「公開恋愛をやめるなら、引退するのは俺だけだ。どんな方法を使っても比奈に悪影響は及ばさないようにする。そこは心配しないでくれていい」
「いや、でも――」
「比奈」
彼女の言葉を遮る。
彼女が色々言いたいのはわかる。もう必要ないとはいえ、半年近く続いたことだ。それなりに愛着に似たものを感じられる。今となっては俺だって公開恋愛をやめるのは名残惜しいものがある。
彼女もきっと似た思いなのだ。それがどんなにこの公開恋愛に自由を奪われているとしても。
「さっき言ったろ? 散々悩んで導き出した結論だ。比奈が何を言おうと、それを論破出来る言葉を考えてある。だから、何を言っても無駄だ」
少々残酷かもしれない。けどやめると決めたなら、心を鬼にして彼女と対峙する。
…………たとえ彼女に嫌われようとも。
比奈は口を開けたが、その先言葉が紡がれることはなかった。
力をなくしたように口が閉じていき、代わりに瞳に涙のようなものが浮かべていた。
……分かっていても心が痛む。
「……どうして」
彼女は振り絞るような声を出した。
「どうして、そんな、急に。やめようだなんて思いついたの……?」
俺は目をつむって彼女の震える声を聞き入れる。
「この前、比奈と二人で話しただろ? あの後、考えたんだ。この公開恋愛はそりゃあ周囲から見れば、イチャイチャを見せ付けられてるようなもんだ。けど、実際それは虚構で、俺と比奈は動きを制限されてる。特に異性が少しでも絡んだら途端に自由が奪われる。だからこの鎖を開放して、比奈には自由にやってほしいんだ」
それでも彼女がアイドルという道を歩んでいくのなら、恋愛が御法度になるのは必然だ。
けど、本当に何も出来ない今に比べれば幾分かはましだろう。
「偶然とはいえ、こうして人気アイドルの彼氏の振りが出来て嬉しかった。夢のようだったよ。けど、俺なんかが君といるなんておこがましいにも程がある。だからさ、公開恋愛は一旦終わりにしよう。それでも、また俺に出来ることがあるなら必ず助けてやるから。だから、もう――やめないか?」
もう一度問いかける。
彼女は唇を震わせる。
「カズ君は……そんな理由で公開恋愛をやめるつもりなの?」
「そんな理由って……大切なことだぞ?」
「貴方は……私がそんなことを望んでいると考えているの?」
「……今回の件は比奈が望むか望まないかじゃない。必要なことなんだ」
「それは私の気持ちを無視しても必要なことなの?」
「……ああ。いつかは終わらせないといけないことだ」
「――違う! カズ君は何も分かってない!」
比奈が怒鳴る。悲しみと怒りが混ざった聞いたことのない声だ。
「カズ君は何も分かってない! 勝手に理由を決めつけて、勝手に終わらせようとしてる! これは私だけのものじゃないんだよ!? 私とカズ君、二人のもの。それなのに、あなたは私だけを優先させて。そうじゃないよ。今迄二人で過ごしてきたのは何だったの!? 公開恋愛のための、まやかしだったって言うの!? そうじゃないでしょ!」
「けど――」
「けど、じゃないよ!」
彼女は無理矢理俺の言葉を遮断させた。
「大体、私を開放させるって何!? 私は今も、昔も自分のやりたいことをやってきた。縛られてなんかいない! それはカズ君の勝手な言いがかり――私を突き放してるだけ。そんなの、そんなの……酷いよ……!」
ある程度反論されるのは目に見えていた。だが、ここまでは予想していない。
想像以上の彼女の豹変に俺は圧倒されていた。
「何だか馬鹿みたい。私だけが勝手に大事に想って、続けていければいいな、なんて思ってたのに。カズ君もそう考えてくれてたら嬉しいなって思ってた。でもそれは自分だけだった。私の都合の良い妄想だったんだね。少しでもそれを信じてた私が――馬鹿だった」
彼女は身を翻す。彼女の背後にある扉から出て行こうとしてるんだ。
「――待ってくれ、比奈!」
立ち上がり、咄嗟に離れていく彼女の手首を掴もうとする。だが、比奈に手を振り払われる。
「来ないで!」
拒絶の言葉を叫ぶ。
「私に近づかないで!」
彼女は明確な敵意を持って、俺を睨んだ。
鋭い眼光にひるみ、俺は動くことが出来なかった。
手を伸ばせばいつでも届く距離にいた香月比奈に届かない。いつでも感じることができた香月比奈の感触が離れていく。俺の手には――空虚しか残らなかった。
比奈が走り去っていった通路から「うわ、何!?」という声が聞こえた。その声の持ち主の足音が近づく。
「お、お兄ちゃん。今、比奈が泣きながら通路を走っていったんだけど……お兄ちゃん?」
「…………あ……いや……」
恵ちゃんの声で俺は現状を少しずつ認識しはじめる。
「な、何があったの? 比奈もお兄ちゃんも何か変だよ?」
「あ、ああ……いや、ちょっとしたことで口論になっちゃって……」
部屋を出る直前、彼女が睨んできた時の彼女の顔を思い出す。
比奈は泣いていた。綺麗な肌色の頬に一筋の透明な液体が伝っているのを見た。
「俺は大丈夫だから……比奈を追いかけてくれないか? 俺も頭冷やすために一人になりたい」
「で、でも……」
「頼む、恵ちゃん」
恵ちゃんは比奈の走っていった方向と俺の顔を見比べながら逡巡したが、比奈の方に行ってくれた。
一人、部屋に残される。嵐が過ぎ去った直後のような静けさだ。
ソファに深く腰をかける。
「くそっ……」
背中に体重を預けるとソファが沈み、自然と視線は宙に向かう。
「……やっちまった」
誰もいない空間で悔いるように呟いた。




