四話「はじめてのきもち」
<side Hina>
「うーん……」
私は机の前で頭を抱えていた。
今、自分には二つの問題が存在している。
一つは、明日から始まる期末テスト。二学期後半は特に仕事が忙しくなって、元々追いついてなかった勉強が更に追いつかなくなった。
そしてもう一つの問題は……私の恋心。修学旅行の終わりに気付いた想いに私は振り回されていた。
まず、カズ君と前のように接することが出来なくなった。顔を見ると、ああ、私この人のこと好きなんだなあみたいな考えが浮かんで、次の瞬間には正常でいられなくなる。
カズ君と仕事してる時は支障がないように心を鬼にしてるけど、プライベートにまで気を張り続けるのは無理だった。
そんな状態への対策は、私情ではカズ君とあまり対面しないという方法しか思いつかなかった。
お陰で、最近二人に何かあったの?とよく聞かれる。何かあったのは私だけなんです。カズ君は関係ないんです。とってもとっても素敵な男性です。
瞬間、顔がぼっと熱くなる。ストーブは切ってるはずなのに。今年は暖房器具いらないのかもしれない。
と、こんな風に少しでも彼のことを考えるとこれだ。常時ステータス混乱状態なのが今の私。
このままじゃいけない、大変なことになる、というのは充分に分かってる。
こうして勉強に手が付かないのも、この恋が影響を与えてるというのもあるし。
というのも、昨日、ついにカズ君にも問われてしまった。隠し事してないか、と。それが今の私を苦しめ、蝕み、論理的思考の足枷になってる。元から論理的思考能力は低いけどね……。
私に問い詰めてくる彼の顔は真剣で、所々悲しそうな表情を浮かべて。
チラチラ顔を覗く形でしか見てないけど、彼の心配する顔は私の心を痛めた。その度にごめんなさいという気持ちと、抱き締めてあげたいという黒い欲望が湧き上がった。
そして話し合いの結果、カズ君は少しずつ元の関係に戻ろうと結論を出し、私も自分の気持ちと真剣に向き合ってどうにかすると決めた。
けど、それが簡単に出来たら苦労しません。
だってだって、昨日の私の言い方はどう考えても日を改めて告白するって宣言したようなものだし! カズ君が鈍感じゃなかったら、絶対気づいてたよあれ!
ドラマや漫画では当たり前のような恋愛も、実際に経験するとものすごいんだね。はじめてのきもちに私、付いていけません。
でも、ああ言ったからには覚悟決めないといけないわけで。
こういう時はイメージトレーニングが一番。カズ君に告白する私を思い浮かべて――
「む、むりむりむりむりむり!」
転げ回るような勢いだった。
実際、ベッドに横になってゴロゴロした。
イメトレも駄目。ふさぎ込むのも駄目。どうすればいいの。詰んだ?
ううん、まだだ。カズ君だって男の子。私に惚れさせるように仕掛けて、告白してもらう? そのためにはやっぱり……色仕掛け?
想像してみる。
「うわあああああああ」
恥ずかしくて悶えた。
「さっきからうるさい!」
ドアが開け放たれる音と同時に怒声が飛んでくる。
「お、お姉ちゃん?」
「お姉ちゃん?じゃなくてね、あんたうるさい!」
お姉ちゃんはズカズカとこちらに近づいてくる。いつもの柔和な目を細め、視線が鋭くなってる。怖い。
「さっきからほんと何なの!? 三十分に一回は奇声上げてるじゃない! あああああ、とか、いやああああ、とか。その中でもほわああああって叫び声は何!? コーヒー吹いたじゃない!」
「詳細に語らないで!?」
どの叫び声にも私の煮えたぎった想いが籠もっている。
お姉ちゃんが特に注目したほわあああの件については正直私も思い出したくない。好きな漫画を読んで気分転換しようとページを開いたら、主人公とヒロインが口付けをしてて、それを私とカズ君に置き換えてしまって――。
「ほわあああああ!?」
「何!? え!? と、突然叫ばないでよ」
お姉ちゃんが私から距離をおく。
「……どうしたの、比奈? どこか頭でも打った?」
「うう……そんなおかしくなってないよ……」
「直前にあんな声を上げといてよくそれが言えるわね」
確かに一介の女子高生が……それもアイドルが出す声ではないと思う。
「本当に大丈夫? 私の知ってる妹はベッドで転がりながら奇声を発したりしないんだけど。何かあるなら相談乗るわよ?」
お姉ちゃんは私に向かい合うように座る。
「相談って言われても……」
何て言えばいいんだろう。
溢れ出る愛を抑えるにはどうすればいいのって聞いてみる? 確実に白い目で見られるからやめておこう。こんなところで姉妹仲を終わらせたくないもん。
そこで私は言い回しを変えて質問してみた。
「お姉ちゃんはこ、恋とかしたことある?」
「……………………ごめん、比奈。もう一回言ってくれる?」
「お、お姉ちゃんは恋というものをしたことがありますか?」
お姉ちゃんは私の質問にこれ以上ないくらい間抜けな顔で呆けて。私は私で恥ずかしくなって敬語になってしまった。
「えーっと、その、なに? ……そういうことなの?」
「そういうことっていうのは?」
「あんたがそれ聞くのね……。比奈、好きな人が出来たの?」
「た……ぶん……」
こうしてストレートに聞かれると逆に答えるこちらが恥ずかしい。
しかしお姉ちゃんは表情を明るくさせる。
「あの比奈が……ようやく……! 明日は赤飯ね。お母さんに報告しないと!」
「気が早いよ!?」
私に好きな人ができたぐらいでそこまで祝福する必要もないし。
お姉ちゃんは這いよるように顔を近づけてくる。
「ね、ね。どんな人のことが好きになったの?」
「そ、それは、言えないよ!」
「あのよくわからない公開恋愛の相手……確か高城和晃君だっけ? 彼のことを好きになったり?」
「ソ、ソンナコトナイヨー」
「わかりやすいわねー、あんた」
二言目で想い人が特定されるとか早すぎる。
お姉ちゃんは終始私を見てニヤニヤしてる。何なの。私の痴態を見てどうしてそんなに嬉しがってるの。
「ひどいよお姉ちゃん。乙女の気持ちを踏みにじるなんて……最低! ……あ、でも嫌いになったりはしてないからね」
「残酷になりきれないあたりがあんたらしいわ……」
お姉ちゃんはふうと息を吐く。
「とにかく、本当の本当に恋をしたのね。しかもお相手は擬似恋愛中の高城君。いやー、これはとんでもないことになってきたわね」
「と、とにかくそういうわけで悩んでるの。お姉ちゃんはこういう時どうしてるの?」
「んー、私ねえ……。普通に仲良くなって、いい雰囲気になったら告白って感じだけど、ここ数年は独り身だしねえ」
「あれ、お姉ちゃんこの前出かけたのは……?」
先日、お姉ちゃんは上位階級の令嬢のような格好をして家を出た。冬なのに寒くないのかな、なんて思ったりしたけど口には出さなかった。
「馬鹿ね。あれは知り合いにちょっとしたパーティに誘われたから行ったのよ」
「そうだったんだ。気合入ってるから、恋人に会いに行くのかと」
「いや、いくら彼氏に会いに行くにしてももうちょっとラフな格好で行くわよ。比奈の知識も変に偏ってるね」
「……お姉ちゃんほどじゃないと思う」
お姉ちゃんは凄い人だ。いわゆるプロデューサーというので、一般人をスカウトして有名モデルに仕立て上げるのが仕事。表には決して出ることはないけど、裏ではかなり有名な人物で、大物のテレビ関係者と対等に話せるとか。
けど、自宅ではかなり豹変する。お姉ちゃんはその……いわゆる腐っている乙女で、部屋には大量のBL本が置かれている。私も一時期勧められて、危うく堕ちそうになったことがある。カズ君はどちらかというと受け、なんて思うようになったのは一途にお姉ちゃんのせいである。
そんなギャップのあるお姉ちゃんだけど、私は今でも尊敬していた。家でのお姉ちゃんも、外でのお姉ちゃんも、どちらも自然な彼女で魅力がある。私のお姉ちゃんは昔と変わらない、憧れの人だ。
……腐の世界に引きずり込もうとしなければ、もっといいんだけど。
「腐女子を敵に回したら怖いわよ。高城君と男体化した比奈のカップリングを考えてあげるんだから」
「お願いだからやめてえ!」
実の妹にまで手をかけるなんて……もう誰を信じていいかわからなくなりそう。
「ま、今は私のことはどうでもいいのよ。比奈が煮詰まってる理由は十分に分かったけど……それの何にそんな悩んでるの?」
「そ、それは……」
「謙遜しなすんな。あんたがそういったことを自分から中々言わないってのはわかってるんだから。実の姉にすら打ち明けられなかったら、あんた誰にも話すこと出来ないでしょ?」
反論したかったけど、出来なかった。ある意味で一番信頼してるのはお姉ちゃんだ。そのお姉ちゃんにも話せなかったら……私は一生この想いを誰にも伝えることはないだろう。
「わ、わかったよ。ちゃんと話す……」
そうして私は近況を話した。修学旅行の時からこの気持ちに翻弄されてること。お陰で変な態度になっちゃったこと。カズ君に問い詰められたこと。昨日のことが気になって勉強に手が付かないこと。
全てを話し終えるとお姉ちゃんは目を瞑って、うんと一度だけ頷いて、
「聞いた限り、全部比奈が悪い」
お姉ちゃんは目を細めながら私を指差した。
「う……はい、わかっております」
「比奈が引っ込み思案なのはわかるけど、そこまで来たら擁護できないわね。相手の高城君が一番可哀想。何も知らないのに勝手に巻き込まれて。とりあえず、彼に告白云々の前にちゃんと謝った方がいいよ」
「はい」
申し訳なくなって、正座で返事をする。
「あと、ある程度はきちんと説明した方がいい。彼、もしかしたら勝手な勘違いしてる可能性もあるしね。……高城君って鈍感なのよね?」
「うん、凄く」
それはもう私と同じくらいに。
「なら、なおさらね。このままだとその勘違いを勝手に発展させて、とんでもないことをするかもしれない。それは未然に防がないと」
後は……そうね、とお姉ちゃんは人差し指を顎に当てる。
「聞いた感じ、比奈は高城君に守らないといけない人物……例えると娘のように思われてる部分があるから、そこもどうにかしないとね。もうちょっと同年代の女の子であることを意識させないと、実る恋も成就しないわよ?」
「はい、その通りです」
私、カズ君にいつも守ってもらってばっかりだもんなあ。やっぱりあんまり異性として見られてないのかな? 考えたら凄く悲しくなってきた。
「ま、アドバイスする以外は応援するしかないんだけどね。今の助言を生かすも殺すも、比奈にかかってるわ」
袋小路気味だったけど、お姉ちゃんの登場でいくらか光明が消えた気がする。
「ありがとう、お姉ちゃん。私、頑張るよ」
「うん。暖かく見守ってるわ。後で結果を教えてね。あと、もし恋が実ったら高城君と会わせてね」
「それはどうして?」
「私の大切な妹に相応しいかどうか見極めるため。もし、比奈を傷つけるような野郎だったら……」
「だ、大丈夫。すっごく優しくていい人だから!」
この後、お姉ちゃんの気を鎮めるのは大変でした。
そんなわけで私、香月比奈は今回ばかりはアイドルとしてではなく、普通の恋する女の子として頑張ろうと決心したのだった。




