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三話「勉強会の後にて」

 この日、一人の女子高生がある戦いに挑んでいた。



「……こんなところで、挫けるわけにはいかない」



 彼女にとって敵はとてつもなく強大で、今迄幾度となく負けてきた。



「……けど、今日の私は負けない……!」



 紙にペンが走る音がする。

 解答欄の空白を彼女は埋めていき――



「……私の……勝ち!」



 その手を天に突き上げた。



「おめでとう、若菜!」


「まさかお前がこんなに成長するとは……!」


「俺たちも嬉しいよ、中里さん!」



 仲間達がこぞって彼女を祝福する。


 今日はテスト前恒例の勉強会。いつもなら「無理難題」だの、「私にはまだ早い」などと理由を付けて目の前の壁から逃げていた若菜ちゃん。

 しかし今日の彼女は違った。どんなに難解な問題でも、目で追うのすらめんどうな長文でも、彼女は臆せず立ち向かったのだ。

 そして彼女はついに……勝利をその手に掴み取ったのだ。



「まあ……答えが合ってるかどうかはまた別だけどな」



 見ると自分の解答欄と同じ答えは数える程度しかない。俺の方が間違いが多ければいいのだが……その可能性は低そうだ。



「ねえ若菜、今日そんなに頑張ったのには何か理由でもあるの?」


「……秘密」



 若菜ちゃんが口を僅かにつり上げる。ああ、悪い顔してるなあ。



「採点もしなきゃいけないし、一旦休憩にするか。簡単なお菓子と飲み物でも持ってくる」


「……私も手伝う」


「お、サンキュー」



 今しがた激闘を終えた若菜ちゃんと台所に向かう。



「しかし若菜ちゃん、そんなにご褒美欲しかったのか?」



 今日の若菜ちゃんは見たことないほどのやる気を出していた。多分、その原因は先日約束したご褒美の件だろう。

 台所を漁りながら彼女に確認を取ってみる。



「……欲しくなかったら、こんなに頑張らない」


「…………ああ、そう」



 いやまあ予想通りの答えでしたが。



「それで、どんなことして欲しいとか希望ある?」


「……うん。けど、今度改めて頼む。和晃君の予定の有無もあるから」


「ん、了解。テスト終わった後の楽しみだな」



 トレイにジュースとお菓子を載せ、皆のいる部屋に体を向ける。



「……ちなみに」


「ん?」


「……後半戦のために頭を撫でてもらうのはご褒美に含まれる?」


「いや、含まれない」



 笑いながら空いた手で彼女の頭を撫でた。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「……………………無理」


「死んだ魚のような目をしてるな」



 なんやかんやで夕方になり、勉強会も終わりを告げた。勉強以外の後片付けも大体終わっている。

 若菜ちゃんは最後まで諦めず頑張ったが……精根尽き果て、このように真っ白に燃え尽きてしまった。



「帰ったらゆっくり休むのがベストだね。俺たちはそろそろ帰ろうか」



 久志の言葉で、勉強会に参加した面々が立ち上がる。



「あ、すまん。比奈はちょっと残ってくれるか? 次回のラジオのことで話したいことがあるんだ」


「……え? 私?」



 比奈が素っ頓狂な声を上げる。彼女の疑問に頷いて答えを返す。



「わ、分かった」


「じゃあ私達は先に帰るわね」


「月曜はテストだ。二人も精進しろよ」


「……また月曜」



 四人と手を振って別れる(恵ちゃんは今回不参加)。部屋には俺と比奈の二人が残され、賑やかさが消える。



「……さてと。比奈、お腹空いてたりするか? 空いてるなら、簡単に何か作るけど」


「い、今はそんなにお腹空いてないから大丈夫」


「そっか。じゃあとりあえずお茶だけ入れてくる」



 もう一度台所に行き、二人分のお茶を汲む。



「はいよ」


「ありがと」



 お茶をテーブルに置いて、彼女に向かい合うように座る。

 無言でお茶を啜り、喉にお茶を通したところで、



「それで……ラジオの話って?」



 比奈が先を促してくる。



「それなんだけど、半分本当で半分嘘なんだ」


「というと……?」


「半分本当の方はこれ」



 昨日梨花さんから受け取った紙を見せる。



「次回、恵ちゃんも出演するだろ? この前の修学旅行の報復としてこの恥ずかしいポエムを全国に流す!」



 この前の修学旅行はほんと散々だった。というか、恵ちゃんの作ったクッキーは一歩間違えれば入院させるほどの重傷を負う可能性がある。

 そんな悲劇を起こさないために、このポエムで自分が大変なことしたと自覚させる。

 決して思いついた時に面白そうだ、とチラッと思ったわけじゃない。そうじゃないからな、違うからな。



「スタッフからの了承も貰ってるから、次回は協力よろしくな」


「りょ、了解」



 彼女を家に留めるための口実は早くも終了する。半分どころか二割にも満たないんじゃないかこれ。



「ラジオについての話はこれだけだ。本当に聞きたいのはこっちの方なんだけど――」



 本題はもちろん最近の彼女の異変についてだ。

 どうやって聞き出すのが正解なんだろう。ストレートに河北慶って男と何かあったのかと聞くのはちょっと抵抗がある。だからと言って俺のこと避けてる?って聞くのもなあ……となると――。



「――最近、何か隠し事してない?」



 これが精一杯の配慮だった。これはこれでどうかと思うが……いずれにしてもちゃんと聞かないといけないんだ。うじうじしててもしょうがない。

 比奈は分かりやすく動揺していた。ビクッと震える姿は怯えてるようにも見える。



「隠し事って私が……カズ君に?」


「まあ、そうなるかな」


「だよね……」



 比奈は俯いた。



「いや、責めてるわけじゃないんだ。ただここんとこ様子がおかしいからどうかしたのかと思ってさ。その……何だ。なんだかんだで俺たちここまでやってこれたし、それなりに仲良くなったと思うんだ。だから……俺なんかで良かったら遠慮せず言ってほしいなって思ったりしたわけで」



 何で俺、こんな畏まってるんだ?

 比奈は俯いたまましばし無言のままでいた。そしてチラッとこちらを窺ってから話し始めた。



「隠し事に関しては……うん、してる」



 彼女はとても申し訳なさそうに言う。



「やっぱり……そうか」


「いつもの私のまま振る舞いたかったんだけど、どうしても出来なくて……心配かけちゃってごめん」


「まあ、その辺は仕方ないさ。それだけ追い込まれてたってことなんだし」



 彼女の回答に関してはある程度予測出来ていたことだ。

 問題なのはその内容。あの週刊誌の記事が本当ならば、必然的に河北慶のあの言葉も本物になるわけで。

 つまり、比奈と河北慶は嘘ではない本当の――



「その隠し事は――俺にも話せない内容なのか?」



 彼女はこの質問にどう答えるのだろう。今の状態が続くくらいなら、何もかも曝け出してくれた方が隠すままより何倍もありがたい。ただ、真実を聞くのも怖いと感じているのも確かだ。



「ご、ごめん。……それはまだ話せない」


「…………そっか」



 落胆と同時にどこか安堵した自分がいた。

 しかし傍から見ると相当気落ちしてるように見えたのか、先ほどまでテーブルを見つめていた彼女が顔を上げる。



「そ、そんなに落ち込まないで。カズ君は何も悪くないんだから。私が……どうしたらいいか迷ってのがいけないんだし……」



 彼女は必死に俺を励ましてくれる。

 環境の変化はいついかなる時も訪れる。今回はそれが唐突に来てしまっただけのこと。彼女は自分の非を認め、励ましてくれているというのに、男の俺はああだこうだと見苦しい。

 最後に一つだけ質問をして、終わらせよう。俺は俺に出来ることをして、比奈と関わっていけたらそれでいい……はずだ。



「最後に一つだけ教えて欲しい。その隠し事は……人間関係に関するものか?」



 これ以外の隠し事だというなら、幾らでも思いつく。だがもしこの系統の隠し事なら、何を隠しているのか決まったようなものだ。



「……そう、だね。どちらかというとだけど」



 彼女は頷いた。

 それであの写真は本物だと確信を得る。そうか。そうなのか……。



「悪い。女々しいな、俺」


「そ、そんなことないよ」


「いいや、ある。俺はなんだかんだで今までの関係が好きだったんだ。それが突然変化して焦ってたんだと思う。けどもう愚痴愚痴言わない。俺は受け入れるよ。それでいて比奈が良かったら……また今までみたいに接してくれると嬉しい」



 現状に対して自分が出した結論がこれだった。



「私も……同じだよ。その、私に勇気がないから今すぐは無理だけど、ちゃんと向き合えるようになったら、今までみたいに接することが出来るようになったら、きちんと話すから。私の想いを……あなたに伝えるから」



 比奈は胸の前で手をぎゅっと握る。その姿は飛ぶことを決意した小鳥のようだった。



「じゃあ、湿っぽい話はこれでおしまいだ! 喧嘩してたわけじゃないけど……仲直りということで」



 手を高く掲げる。俺たちの意思伝達の手段ハイタッチだ。



「う……えっと、その、はい」



 彼女の手のひらと弱々しくぶつかりあう。彼女はハイタッチ時も俺と目を合わせようとしなかった。

 色々な出来事があったんだろう。今は仕方ない。ゆっくり、少しずつでいいから関係を修復していこう。

 今回のこの時間がその発端になればいいなと思ったのだった。




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