EX.1「中里若菜」
<side Wakana>
「……む。また大きくなってる」
鏡と向かい合って、その大きくなった身体部分に手を当てる。
そこは女性の特徴の一つ――胸だ。
先日までの修学旅行中、なんだか息苦しかったが、下着のサイズが小さくなっていたからだと思う。
「……これは一体どこまで大きくなれば気が済むの……?」
別に胸を大きくするために何かしているわけでもない。それに身長に対して胸が大きいだけで、もっと背が伸びていれば普通の女性より少し大きい程度で収まったはずだ。となると、私の背が低すぎるのがいけないんだろうか?
胸が大きい人は小さい人から見れば羨ましいって思われるらしいけど、そんなことない。重いし、肩こるといった一般的な辛さが普通にある。
もしも好きな人が胸の大きな女性だった場合なら、私は素直にこの身体で良かったと思える。
けど私の好きな人は普通の男の子として意識したりすることはあっても、胸が大きいから良い!とはならない人だ。色仕掛けをしたとしても彼には通じないと思う。
寝間着に着替え、私はベッドに横になる。天井の明かりをボーっと見る。
思い出されるのは親友の顔。私の親友、由香梨は私の好きな人が好きだったという事実を修学旅行で知った。以前からなんとなく二人の雰囲気に疑問を感じていたから、その辺はすっきりできた。
しかし分からないのは今の由香梨の気持ちだ。彼女は今は恋をしてない、などと言っていたけど、本当なのかどうか少し疑わしい。
例えまだ由香梨が和晃君を好きだとしても、私は一歩たりとも引いたりしない。
由香梨じゃなくて、比奈の場合もきっとそうだ。どんな相手がライバルになろうと私は諦めたりしない。
それは自分が彼を好きだと認識してからずっと――彼が「公開恋愛」を始めた時も揺るがなかった決意だ。
私は自分の想いの強さを再認識するため、私は過去を振り返る。私の想いは過去から今まで続いてきたものだから。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
私の性格は昔何かあったからこうなった、というわけじゃない。私は私なりに生きて、自然とこうなった。
感情を大きく表に出さない性格のためか友達は少なかった。けどいなかったわけじゃない。
小さなコミュニティの中で存在する私。別段前に出なくても楽しくて私はその生活に満足していた。
異変が起きはじめたのは中学生の時からだ。第二次性徴期に入り、胸が大きくなっていった。
周りの女の子達も当然成長していたけど、私は目に見えて大きくなっていった。
これ事態は別にいい。男子にジロジロ見られるのは不快だったけど。
中学三年の秋ごろだろうか。一人の男子が私に告白してきた。
その男子とは事務的な会話をしたぐらいの接点しかなく、普通に断った。だがその翌日に面倒なことが起きた。
「……私に何か用?」
「ねえ、若菜ちゃん。昨日高橋君に告白されたって本当……?」
私を呼び出したのは同じクラスの女の子二人だった。一人が私と会話して、一人はもう一人の影に隠れるようにして立っている。
「……本当」
「そっか。若菜ちゃんはこの子が高橋君を好きだったって事は知ってる?」
彼女の影にいる子が高橋君を好きだっていう話はかなり広まっていた。だから私も知ってたわけで。
「……うん、知ってる」
「――知ってるなら、何で」
後ろの子が呟いた。
「知ってるのに、そんなのって酷いよ。私、この前高橋君とあなたが話してるの見たんだから」
「……あれは次の日の宿題を聞かれただけ」
「そ、そんなの嘘よ! 高橋君と会話して、その胸で誘惑でもしたんでしょ! 誘惑して、勘違いさせて、高橋君をたぶらかして……」
被害妄想もいいところだった。
「……どういった考え方したらそうなるの?」
「だって、そうじゃないと高橋君があなたの事を好きになるわけなんかない! 胸以外なら絶対私の方が魅力あるはずだもの!」
「ちょ……あんた言い過ぎ!」
ああ、この人は残念な人だ。他人に責任を押し付けて納得のいかない事柄を納得させている。
「……別に何を言っても構わない。ただ最後に私からも言わせて。――あなたみたいな醜い人を好きになる人はとんでもないろくでなしよ」
言いたいことを言って、私はその場を離れた。
翌日になるとその日の出来事が広まってしまったらしく、私の周りから人が消えた。三年間一緒にいた友達も私を無視するようになった。
あの残念な子をチラリと見ると、勝ち誇ったような顔で私を見下していた。そんな彼女の周りには他の女の子達が下僕のように取り囲んでいた。
それから中学校を卒業するまでは私は孤独だった。幸いなことにいじめはなかった。受験が近かったのもあるだろうし、会話を聞いたところどうやら私は冷酷な女と見られてて近づきがたいと思われていたのが理由だった。
そんな中学時代を経て、私は他人を信じなくなった。高校では友達ごっこをするつもりはなく、恋とかいうものは絶対にしないと誓っていた。
高校に入って最初の数ヶ月が経過して、私は見事口数の少ない寡黙な少女ポジションを得ていた。一人でいるのは慣れていたためか、苦痛は感じなかった。
だがその私は間もなく崩れ去ることになる。きっかけは一回目の席替えだった。
「そういえばあまり話したことなかったよね。よろしくー!」
イェイ!と語尾に付きそうなテンションで話しかけてきた前の席が菊池由香梨の席だった。
「……うるさい」
「挨拶がうるさいって!?」
こういう対応をしておけば、これから先話しかけてくることもないだろうと思っていた。けれど、彼女にはそういったことは関係ないらしく、
「若菜って駅前のハンバーガー店の期間限定商品食べた?」
「若菜ー! 次は体育よー!」
「私も若菜みたいに胸大きくならないかなあ……。ボン・キュッ・ボンが私の夢よ」
……全く懲りずに話しかけてきた。
由香梨はクラスの中でも明るく元気で、女子の中心的な立ち位置のメンバーの一人だった。こそっとクラスの子が教えてくれたのだけど、どうしてか由香梨は私のことを気に入ってしまったらしい。だから馴れ馴れしく何度も声をかけてきたようだ。
最初は鬱陶しくて仕方なかったけど、私の返答は徐々に長くなっていった。気が付けば私と由香梨はクラスの名物コンビみたいなものになっており、クラスの中に溶け込んでいた。
和晃君と始めて話したのは、私と由香梨が仲良くなる過程でのことだった。
「おーい、由香梨いるかー?」
クラスに男の子の声が飛ぶ。彼――和晃君は一年時は違うクラスだったが、由香梨に用事があるとこのクラスに訪問してきた。お陰でクラスメイトのほとんどが彼のことを覚えてしまったという。
「突然やって来て何よ。私は今若菜と親睦を深めている最中で……」
「親睦を深めるのは勝手だが、先に教科書返せよ!」
「はいはい。和晃、今やってる範囲分かってる? 分からないならこの私が教えてしんぜよう」
「お前がちゃんと教科書持って来てればその優等生ぶりも素直に認められたんだけどな」
そこで和晃君は二人のやり取りをじっと見ていた私に気づいた。
「あー……君、大丈夫? 由香梨が授業中騒がしくないか?」
「…………私?」
クラスに溶け込んでいたといっても女子の中だけで、男子とはほとんど接点がなかった。というのも中学時代のあの一件のせいで下手に異性と関わりを持つと面倒だと考えていたから、あまり関わりを持たないようにしていた。
だから男子と喋る機会は随分久しぶりに感じて、私は一瞬呆けてしまった。
「そうそう。この馬鹿が騒がしかったらごめんな。邪魔だったら頭はたいてもいいから」
「あんたは私の親か!? あと勝手に私の頭をはたく権利を与えないで」
由香梨のツッコミ中に予鈴が鳴り、彼はじゃあねと手を振って自分の教室に帰っていった。
それが私と和晃君の最初の接点だった。
時間が経つにつれて由香梨と一緒にいる時が増え、そうなると自然と和晃君と話す機会も増えていった。といっても話す時はいつも由香梨が傍にいて、彼と話す時、由香梨は一種の精神安定剤みたいな役割を果たしてくれていた。
そんな私が和晃君と由香梨抜きの二人で会話したのは二年生――今の学年に上がってからだった。
崎ヶ原高校は学年が上がるたびに親睦を深めるためのイベントがある。新しいクラスになっておおよそ一ヶ月程経った頃、クラスメイトの顔を覚え始める頃に行われる。
そのイベントというのはいわゆる遠足だった。班を組み、いつもとは違う地域に出かける。
由香梨と同じクラスになった私は当然の如く同じ班にさせられ、和晃君も流れるように同じ班にさせられていた。
遠足当日、最初は順風満帆だったが、班員のテンションが上がってきた頃(主に由香梨)から平静が乱れ、集団行動は崩れ去った。気が付けば私と和晃君の二人だけになってしまっていた。
「えーっと……中里さん、この後どうする?」
「…………えーっと……」
この頃の私は男子と関わりたくないというより、男子とあまり話したことのない女の子みたいだった。
「まあ、どうとでもなるだろ。ここで立ってるだけってのももったいないし、二人で回るか」
口ごもってる私を先導してくれて、私は彼の後ろについていく形で歩いた。
私は例の如く口数が少なく、顔も無表情だった。けど和晃君はそんな私にも笑顔で楽しそうに話しかけてくれた。
色々回って、少し休もうということでたまたま見つけたベンチに腰掛けた。
「……ごめん」
休憩を開始して一番最初に放った言葉がそれだった。
「え? なんで急に謝られた?」
「……私、ずっと無言だったから。高城君に気を遣わせちゃったかなって思って」
「……ああ、そういうこと」
よかった何かしでかしたかと思ったと和晃君は胸を撫で下ろしていた。そこから彼はこちらを向き、
「別に気を遣っちゃいないさ。中里さんってあんまり話すような性格じゃないってことだろ? 俺が勝手に喋ってただけだ。気にするなって」
「……でも私といてもつまらないはずだから」
「でもも何もないって。由香梨がうるさいぐらいだったから、少し静かなくらいが丁度いい」
和晃君はカラカラと笑う。
私はお礼を言って、しばし二人とも黙った。静かな風が吹いて春を感じられた。何も話してないのに心地よかった。
その感覚をしばらく味わい、私は彼になら話してもいいんじゃないかと思い、過去の事を切り出した。
「……高城君。実は私、男の人と話すのが少し苦手で――」
凄く唐突な過去話だったと思う。けれど和晃君は真剣に聞いてくれて。
「なるほどね。中里さんも中学時代は色々あったんだ」
「……うん」
「けどあんまり問題ないんじゃないか? 男の人が苦手って言ってるけど、俺と話せてるし」
「……高城君は由香梨と仲いいから信用できる。話も正面から聞いてくれた」
それに和晃君に対して自分から話しかけることが出来たのも、初めて会った時から半年以上経っている。ここまで氷が溶けるのも随分と時間がかかった。
「中里さんは、昔の自分は間違ったことをしたと思ってる?」
「……どういうこと」
「中里さんに文句言ってきた女子に自分の意見を返したこと。告白してきた男子を断ったこと。今までやってきたことは間違ってたと思う? 後悔してるのか?」
「……それはしてないと思う」
私は私が言いたいことをすっぱり言っただけ、やっただけ。過ちを犯してしまったという気はなかった。むしろあの時何もせず、流されてしまうだけだったら、そっちの方がきっと後悔してたと思う。
「それなら気に留める必要ない。中里さんは中里さんらしさを貫いたんだ。それって凄いことだと思う。ゆか……俺の友達も自信の気持ちを押さえつけすぎて感情が爆発しちゃったって経験があるらしくてさ。自分のしたいこと、やりたいことを前に出していけるのって難しいけど――素敵なことだと思うんだ」
彼は立ち上がり、私の正面に立つ。
「だから、変に無理するより、自分らしく生きるのが一番だ。その方が中里さんみたいな女の子はきっと魅力的だしさ」
そう言って、彼は笑い、私の頭を撫でてきた。
「……あ、悪い。手が置きやすかったからつい……」
頭に手を置かれた時は驚いたけど、撫でられたことはとても気持ちよかった。
「……怒ってないから、大丈夫」
その一言を言うだけでも胸はとても高鳴っていた。
今にして思えば、これが彼に抱く想いの発祥だったのだと思う。
彼はばつのわるい顔を浮かべて手を離す。
「それと嬉しくてつい。中里さんが自分のことを話してくれて嬉しかったんだ」
彼は照れ笑いをしながら言った。
「これが直弘の言ってたクーデレってやつだな!」
次の一言はよくわからなかったけど。
「ま、これからもよろしく頼む、中里さん」
「……その中里さんだけど」
「ん?」
「……下の名前で呼んで」
「……それはちょっと恥ずかしいんですが」
「……私も高城君のことを……か、和晃君って呼ぶから……」
この時の私は顔を真っ赤にしてたと思う。
「わ、わかった。若菜……は恥ずかしいから若菜ちゃんでどう?」
「……オッケー」
こうして私達の呼び名が決まった。
この後、無事由香梨達と合流することが出来たけど、互いの呼び方が変わってることに彼女はまた騒ぎ立てた。それは賑やかでとても楽しい時間だった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
遠足以降、私と和晃君は交流を重ね、いつしか私は彼を好きになっていった。
中学のあの子みたいに変なトラブルはおかしたくないから、好感度を上げて卒業時に彼に想いを伝えようと考えていた。
けど、そんな余裕はなくなった。原因は勿論、比奈との公開恋愛だ。
あれのお陰で悠長にしてる暇はないと気づき、私は焦った。今までよりも積極的に彼とコミュニケーションを図ったつもりだ。
修学旅行の夜にライバルになりえそうな由香梨と比奈の気持ちを聞きだす気でいた。そこでの回答次第で私の勝負どころは大きく変わってくるからだ。
結果、今は大丈夫そうだ。けど、その「大丈夫」はいつ崩れるか分からない。些細なきっかけで状況は大きく変わってしまいかねない。
だから私は待つのをやめた。勝負を仕掛けようと思う。
カレンダーを見る。私が見るのは一年の最後の月のページ。終わりの方には恋人たちの日とも言われる日が存在する一ヶ月。
学校が終わった冬休みに私は――告白する。和晃君に私の想いを伝える。
もうすぐ冬がやってくる。恋人達の季節はもう目の前だ。
これにて六章完結です。
七章も引き続きよろしくお願いします。




