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九話「修学旅行二日目」

 修学旅行二日目。今日は楽しい楽しい自由行動だ。なのに、



「ね、眠い……」



 寝不足だった。

 一応、最低限の睡眠はとった。それでも普段の睡眠時間よりは全然少なく、ただでさえ前日は体調が優れなかったこともあって気だるさが増大していた。

 俺以外の男子達はもちろん、女子達も同じような感じだった。やはりあちらも濃厚な夜の時間を過ごしたのだろう。

 とまあ、この通り修学旅行第三班は一日目に続いてまたもや不調の状態で行動するはめになった。

 疲労状態で人ごみの中を歩いていたせいか、流れに逆らうことができず、各々と嫌でも距離が離れてしまう。そんな状態がずっと続き、気が付くと周りには俺と比奈しかいなくなっていた。



「あいつらどこ行ったんだ?」


「……分からない」



 俺達が迷子になったのか、他の四人が迷子になったのか分からない。



「とにかくこのままじゃ埒が明かない。どこかの店でも入って少し休むか」


「そうだね」



 時間的には昼食を食べ終え、一時間程経った頃。人ごみに流されて歩くというある種の食後の運動も終えたことだし、のんびり休んで体力回復に努めるのも一つの手だ。疲労があるまま皆を探し回っても途中で力尽きそうな気がしないでもない。

 そんなわけでどこでもいいから座れそうな店を探す。通行人の中には制服姿で歩く同じ年頃の子が結構いた。あちらも修学旅行か何かでこの地にやってきているのだろう。

 辺りの状況を分析しながら通りを歩いていると、



「あ、あの」



 突然後ろから声をかけられた。



「ま、間違ってたらごめんなさい。香月比奈さんと高城和晃さんですよね?」



 振り返ると制服姿の女の子が二人いた。



「ええ、そうですけど……」


「私達、比奈さんのファンなんです。良かったらサインください!」



 二人から紙とペンを渡される。比奈が横目でいいのかな、と確認を送ってきたので頷いて返す。

 比奈は渡された紙にサインして、二人に返す。



「やったー! 一生の宝物にします! ありがとうございました」


「うん、こちらこそありがとね」



 二人の女子高生は万歳して喜ぶ。こういった生のファンと会うとやっぱり芸能人なんだなと改めて思わされる。あとどうでもいいけど俺のサインはいらないのだろうか。一応練習はしたんだ。最初のお披露目が女子高生相手とか最高に嬉しいのに。



「……カズ君、ちょっとマズイかも」



 くだらないことを考えていると、比奈が耳元で呟いてきた。彼女の視線はこの通りにある。俺も周囲を見てみると、通行人のほとんどがこちらの方を見ていた。



「道のど真ん中でサインは駄目だな……注目を集めちまう」



 さっきみたいに直接応援されるのはとても嬉しいことだけど、逆に面倒なのは今の状況のように注目を浴びてしまうことだ。有名人として避けられないことだと思う。

 何かしてくるってわけじゃないが、人にジロジロ見られるのはあまり好ましいことじゃない。このままボーっと二人で歩いてて何か起こされるのも嫌だし、ここは早急に離れた方が無難だろう。



「人が少ないところに移動しよう」



 そう言って、比奈の手首を掴み、歩き出そうとする。



「か、カズ君!? 何で手を……?」


「今俺達がはぐれたらもっと面倒なことになるだろ? 早々ないと思うけど、こうすりゃ離れ離れになることは絶対ないと思ったんだ。……嫌だったか?」


「そういうわけじゃ……ないんだけど」



 こうして二人で会話をする間にも人は増えてくる。というかむしろ今のやり取りが人の目を引いてるんじゃ……?



「……ならちょっと急ごう」



 これ以上注目が集まる前に彼女の手を引いて歩き出す。移動している最中、比奈は無言でいるか、何故か小さな唸りを上げていた。一体どうしたんだろう。

 早足で通りを出て、人通りの少ない道を歩く。その途中で小さな公園を見つけ、中にベンチがあったのでそこで休むことにした。



「ここまでくれば大丈夫だろ。……で、どうして比奈は手首を押さえているんだ?」


「え!? これはあの、そのう……」


「あー……強く握りすぎたか? 加減したつもりんだけどな……。ごめん」


「い、いやそれは大丈夫。ちょ、ちょっとね……」



 比奈の様子がどこかおかしい。昨日の夜の影響か……?



「とりあえずベンチに座るか」



 自分、結構ヘロヘロです。睡眠ってものすごく大事なものだと再認識。

 二人してベンチに腰掛ける。絶妙な距離を空けて。いや、普通というか、当たり前のことなんだけど、今日の比奈さんは二人の間をものすごく意識して座っていた。座ってから何度も俺との距離を測るように座りなおしてた姿はとても滑稽だった。



「なあ、比奈。昨日の夜何かあったっか……?」



 昨日まではいつもどおりだったことから、今日の彼女については会ってない間――すなわち夜に何かあったとしか考えられない。



「そんな大層なことはなかったけど……やっぱり恋とかの話をされちゃうと色々意識しちゃうよねというか何と言うか……」


「ああ、そういうことね」



 その言葉だけで大体察した。コイバナをしたせいで普段以上にこの偽恋人関係を意識してしまっているってことだろう。



「別に俺とこうしてるのを意識する必要はないぞ。世間では恋人として認識されてるんだから近くにいるだけで大丈夫。それにあまりにも意識されると俺も困惑するし、意識しちゃうからさ。気楽に行こう」


「わ、わかってるんだけど……」


「難しいんだろ?」



 彼女は頷く。比奈の性格上、次にその言葉が来るのは容易に想像できた。



「まあ、仕方ないか。じゃあ話でもして気を紛らわせるか。何か話したいこととかある?」


「えっと、カズ君のほうは昨日の夜どんなことがあったの?」


「昨日の夜のことを意識しちゃってるのに自ら聞きにいくのか……」



 困惑するしかない。



「男子の方は途中まで馬鹿騒ぎしてたって感じだなあ。内容を話すと引かれるかもしれないから割愛させてもらうけど。その後は比奈の方と同じように直弘や久志とコイバナしてたって感じかな」



 その大半が俺の話で占められていたけど。



「そっちはどうだったんだ?」


「女子会の生々しさを味わった後に由香梨と若菜と話してたね」



 女子会と言った時の比奈は苦々しい顔をしていた。しかし気になるのはそこだけじゃなくて、



「由香梨達の呼び方変わってる?」


「うん。さん付けじゃ距離感じるから名前で呼んでほしいって言われて」


「大方由香梨が言ったんだな。そういうやつだしあいつ」


「……うん。でも、昨日はそういった普段の由香梨だけじゃなくて、色々な由香梨を知れたんだ。恋してる時の、由香梨とか」



 公園に小さな風が吹いた。彼女の綺麗な髪がなびく。彼女の顔はいつもより大人びていたように見えた。



「……俺と由香梨のこと聞いたのか」


「うん。由香梨の心情を全部聞いた。普段の彼女を思うとちょっと驚いちゃった」



 コイバナっていうからなんとなく予想はついてたけど、やっぱりそっちでも話されていたか。



「私は本当の恋は経験ないから、凄い新鮮だったよ。あとカズ君がモテモテで純粋に凄いなーって」


「いやいやいや。告白受けたことあるの由香梨と沙良……のことは聞いてるよな。と、その二人だけだよ。小さい頃から付き合って女の子ぐらいだよ、俺に好意を持ってるやつ」


「あ、カズ君やっぱり気づいてないんだ」


「……はい?」


「あ、ううん、今のは聞き流して」



 彼女は首を振って言葉を取り消す。何だ今の言葉。凄く気になるんだが!



「そ、そうだ。沙良さんは今どうしてるの?」



 無理矢理話題を変えられた。



「今はどこか違う国に滞在してるはずだけど。ちょっと前に連絡したけど、元気そうだったよ。来年帰ってくるらしいし。その時はきちんと紹介するよ」



 沙良と比奈は相性が良さそうな気がする。きっといい友達同士になれるはずだ。



「楽しみにしてるね。……それにしても皆、恋してるんだね。私遅れてるのかな」


「そんなことないだろ。俺も自分がしたことはないし。直弘の受け入りだけど、恋は焦ってするものじゃないと思う」



 そうだね、と彼女は少ししんみりとした顔で答えた。

 いつもとは違う地にいるからだろうか。昨夜色々な話をしたせいか、単に寝不足なだけか。理由は分からないけど、俺達の間の空気が少し違っているような気がする。居心地のいい、暖かな感じなのが、ちょっとひんやりとした感じ。でも決して重い空気ってわけじゃない。不思議な気分だ。



「……よし」



 時計を見る。今から移動すれば丁度いい時間にたどり着けそうだ。



「どうしたのカズ君」


「実は超オススメスポットがあるんだ。比奈が町を回りたいなら、話は別だけどどうする?」


「今日は疲れちゃったし、町はいいかな。そのオススメの場所って所に行ってみたい」


「決定だな」



 二人の今の感じは、多分だけど心境の違いのせいなんじゃないかと思う。今まで様々な局面で心を一つにしてきた。けど幸か不幸か、昨日の夜が今日までの二人の心にズレができた。

 今のままが悪いってわけじゃないけど、比奈といる時は常に心地よい気分でいたい。そのためには同じものを同じ心境で見ればいいと思った。

 そもそも昨日の時点で決めていたことだ。あの湖に映える夕日を比奈と見に行こう。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「ここがカズ君のオススメスポット?」


「そうだ」



 俺達はバスに乗って昨日訪れた牧場に再びやってきた。牧場の裏を回り、例の湖に比奈を連れてくる。



「……拍子抜けしたか?」


「そういうわけじゃないんだけど、私、昨日ここ見ちゃったんだよね。もったいないことしたなって」


「俺がただ湖を見せるだけなわけないだろ?」


「というと?」


「あともう少ししたらわかるさ」



 冬になって日が沈むのも随分早くなった。空はもうオレンジ色に染まり始めている。

 俺達は暫く無言でその場で待ち、そして――



「うわあ……」



 あの幻想的な風景が再びやってくる。水が橙色の結晶となり、夕日を水面に写す。夕日が照らすこの湖と俺達だけが別世界にいるような錯覚を起こさせる。二度目の鑑賞なのに、昨日と同じ感動が湧き上がる。何度見てもこの景色だけは美しいと心から言えよう。



「どうだ? 綺麗だろ?」


「凄い……」



 比奈はくいいるように瞳に目の前の景色を映していた。気に入ってくれたようだ。見せてよかった。



「昨日、一人で散歩してる時に偶然見たんだ」



 俺は歩いて湖の端に近づく。



「こんな綺麗な風景、俺一人が独占するのは欲張りかなと思って。比奈に見せたら喜んでくれるかなとか考えたりしてさ」


「うん、凄い……本当に綺麗……見せてくれて、ありがと」


「いやお礼を言う必要はないけど……まあ、一応」



 俺は彼女に向かって飛び切りの笑顔を向ける。



「どういたしまして」



 彼女の顔も夕日に照らされていつも以上に輝いていた。頬がほんのり赤みがかっているように見えるのが実に色っぽい。



「まあ、残念なことはここにるのは俺と比奈だけじゃないってことかな」



 耳を澄ますと、「うわ凄い」、「……おお」、「これが地球の神秘か」、「綺麗だ」なんて聞きなれた声が聞こえてくる。

 ここに来る前、他の班員たちにはこの時間に牧場の湖に集合とメールを打っておいた。折角だから色んな人に見せたかったし。

 夕日が湖に吸い込まれるように消え、あたりは一気に暗くなる。異世界への旅路はここでおしまいだ。



「……これ和晃君が見つけたの?」


「ああ、偶然な」


「先に言っておけば写真撮れたのに。何やってんの馬鹿和晃」



 数時間ぶりに再開したと思ったらこれだ。



「お前なあ、時にはただ見てるだけってのが風情だろうが。これだから現代人は」


「あんた一体どこの時代の人よ……」



 こんな風にいつもの調子で全員と合流する。実にならないどうでもいい会話をして、わいわい騒ぐ。



「おーい、比奈もこっち来いよ」



 その場でずっと放心していた比奈を呼ぶ。彼女は少し遅れて返事をして、俺達の輪に加わった。


 こうして今日という一日が過ぎていく。当たり前のように、当然のように、日常として。

 だけどこの世界から変化が消えることはない。俺達の当たり前で当然な日常もまた少しずつ変化していく。

 まだ見えてないだけで、それは確実に訪れていたんだ。





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