七話「二人の幼馴染(前編)」
俺と由香梨の出会いは至って普通だった。
小さい頃、近所の公園で同じぐらいの年の子と集まって遊んでいた。その一人が由香梨だったというだけだ。
まだ男女の性別の壁など存在せず、男女混合で好き勝手暴れていた幼少時代。今と比べて何も考える必要はなくて、あの頃はあの頃でとても楽しかった。
さて、ここから俺と由香梨の現在まで語るとしたらもう一人忘れてはならない人物がいる。
その人物の名前は三条沙良という。
彼女はこの町に引っ越してきたらしく、気がついたら公園にいた。
けど彼女は小さい頃から控えめな女の子だった。俺達がはしゃいでいる様子を遠くから見てるだけで一緒に遊んだりすることは滅多になかった。
彼女を誘ってみようって意見が出なかったわけでもない。ただ、静かな子がグループに入ってもつまらない、というのが俺達の意向だった。純粋な子供たちはその純粋さと同じくらい残酷なものだ。
俺達が沙良と親友になるきっかけは些細なものだった。
その日はたまたま俺と由香梨の二人しか遊ぶ人間がおらず、どうしようかと考えあぐねていた。俺達は沙良が入っても別にいいんじゃないと肯定側の人間だったため、彼女を誘ってみようという結論に至るまでそう時間はかからなかった。
「なあ、お前、一緒に遊ばねー?」
その日も砂浜で遊んでいた沙良に話しかけた。
「わ、私……?」
「そうそう。あなたを嫌ってる人今日いないしねー」
「で、でも私、あまり喋らないし、つまらないから……」
「和晃よりつまらない人間なんていないから大丈夫だよ」
「おいお前どういうことだよそれ!」
「うるさい静かにして。三人で遊んだら楽しいよ? 一緒に遊ぼうよ」
「え、えっと……」
「俺も由香梨なんかのうるさいやつと一緒だと疲れるからさー、お前みたいなやつといれば……えーっと、そう、いやされるからさ」
俺と由香梨が猛烈に誘っても彼女は躊躇っていた。埒が明かないと判断した当時の俺達は顔を見合わせて、
『ええい!』
と二人で彼女の腕を片方ずつ掴んで彼女を引っ張りあげた。そして、ニヒヒと俺達は笑った。
その後、ほぼ強制的に彼女を数に入れて遊んだ。最初は沙良も戸惑いながら参加する形だったけど、日が暮れるころには笑顔を見せていた。
「なんだよお前、笑うと可愛いじゃん。もっと笑えよ。そうしたらいつものやつらも入れてくれると思うぞ」
「でも私ひっこみじあんだから……」
「でも今日だって俺達と普通に遊べたじゃん」
「私は和晃君と由香梨ちゃんとは違うから……」
「あ、そうだ大事なこと忘れてた! 名前何!?」
由香梨が今までの話を聞かずにずかずか訊ねる。
「さ、三条沙良……」
「沙良ね! よし、明日は皆に沙良は面白い子だって言いふらそー!」
「え、ちょ……」
「あー……うん、もう遅いと思うよ」
そんな一日があって。沙良はその日以降、グループに加わった。最初は受け入れられなかったけど、最後にはグループの一員に溶け込めていた。
だが幼少時代もいつまでも続かない。俺達は小学校に上がった。俺と由香梨と沙良は同じ小学校だった。元々沙良が入ったきっかけが俺達だったせいか、彼女は俺と由香梨と特に仲が良く、小学校時代でも付き合いは続いた。
一度だけ、女子と絡む男子とかかっこ悪いみたいな風潮があり、まだまだ子供だった俺はそれにあやかった思い出なんてのもある。
「アキ君アキ君」
沙良は俺を見かけるとのんびりした声で俺を呼んでいた。
「あ、沙良……もう俺に話しかけるなよ。沙良みたいな女子と話してるとかっこ悪いからさ」
「え……」
当時はこれが大人なのだと、男子たる宿命だと本気で思っていた。しかしそれも次の瞬間には崩れることになった。
「……ひっく」
「……沙良?」
沙良は目に涙を溜めていた。
「アキ君が……アキ君が私のこと嫌いになったあああああ」
「え、ちょ、ええ!?」
マジ泣きだった。
どうしたらいいかわからずオロオロしていると由香梨が飛んできて、「何沙良を泣かしてるの馬鹿和晃!」と蹴られたのを覚えている。
それ以来、俺は沙良を拒絶することが出来なくなってしまい、今まで由香梨のセットだったはずの沙良が、沙良と俺がいたから由香梨も来るなんて関係になってしまった。
いつしか俺と沙良と由香梨はお互いの誕生日やクリスマスの日などの特別な日は三人で過ごすようになったりして大層充実した日々を送るようになった。
「今日で三人が同じ学校に来るのも最後か……」
「和晃と沙良が一緒にいるのが普通になってたもんね」
小学校の卒業式。沙良は居住地の関係でギリギリ違う中学校に行くことになってしまった。俺と由香梨は同じ学校で、沙良は違う学校。親しい幼馴染と今際の別れだった。
「二人がいないなんて……寂しいです」
もう中学生になるというのに沙良は相変わらず大人しくて、仲間想いで泣き虫だった。この日は由香梨が沙良を優しく抱きしめていた。
「ま、学校が違っても会えないわけじゃないんだし、また三人で遊ぼうぜ」
「私達が出会った公園でまた遊びたいね」
「うん、うん、遊ぼう、遊びましょう。毎日放課後公園で遊びましょう」
「それは無理だと思うぞ!?」
そんなわけで、中学生になって新たな生活がスタートした。
が、前もって言ってたように三人で遊ぶ機会も多かった。流石に毎日とは行かなかったが一、二週間に一回の割合で沙良と会っていた。
誕生日や特別な日は相変わらずだったが、由香梨を抜いて俺と沙良で会う機会も徐々に増えていった。
「アキ君アキ君、この服可愛いですか?」
「おー、いいんじゃないか? でも沙良にはこういうのも似合いそうだ」
「こ、これ? スカート短くありませんか?」
「それがいい!」
「アキ君は変態ですね!」
沙良とはそんなセクハラも普通に出来る相手で。
今にして思えば凄くデートっぽいことをしてたんだなと感じる。
平和で楽しい、変わらぬ日常がそこにはあった。だがその「普通」が崩れだすのも突然だった。
中学二年の冬。頻繁に会っていた沙良と会う機会が減り、完全に会わなくなってから一ケ月ほど経った頃、、由香梨が俺に切り出した。
「和晃、沙良の父親のこと聞いた?」
「沙良の? いや何も」
「やっぱりそうだと思った。あの子、和晃に心配かけないように黙ってたのね」
「……何かあったのか?」
「こういうのは多分本人から聞くのが一番だと思うけど……沙良と和晃だものね。教えてあげる。真面目な話よ」
由香梨はその頃の沙良の親のことについて話した。
何でも、元々病弱だったらしい沙良の父親が重い病気にかかってしまったらしい。手術をしないと治らないらしく、しかもその手術代が高く、決して裕福とはいえない三条家は下手に手を出せないらしい。そのためか沙良の父親はもう未来を諦めているらしく……そんな父を励まそうと沙良は病院に毎日顔を出している、という内容だった。
「でも沙良は諦めてないみたいでね。高校に行かないで就職するって言ってるらしいわ」
「なっ……!? このご時勢でか!? 家族も黙ってないだろそんなの」
「当然、反対はされたらしいけど、沙良って見た目や普段と違ってここぞって時の意固地さは知ってるでしょ? あまりの意固地さに親が根負けしたらしくて……一応、卒業まで考え直せとは言われてるらしいけど」
由香梨からその話を聞いて俺はすぐさま沙良に会いに飛んでいった。
「何で俺には言ってくれなかったんだ……」
「ごめんなさい。アキ君には今の私の顔を見られたくなかったから……」
一ケ月ほど見なかっただけなのに、沙良はとてもやつれていた。顔にははっきり疲れが浮かんでいる。
「でも大丈夫です。疲れてはいますけど、私は健康ですから。だから心配しないでください。由香梨やアキ君に気を遣われたり、悲しそうな顔をされるのが私にとって一番辛いですから」
それでも彼女は笑ってみせた。誰がその笑顔を無理してるだろ、なんて言えるものか。
「――沙良」
だから俺は代わりにある決意をした。
「今回の件は三条家の問題だから俺は多分何も出来ない。もしやるとしたら沙良か、三条家の誰かになると思う。きっと、今後の人生も大きく変わってしまう。それでも何が何でも沙良の親父さんを助けたいっていうなら、そのための道を開いてやることが出来るかもしれない。どうする、三条沙良」
「……詳しく話を聞かせてください」
こうして沙良とある会話を交わした。
結果的に彼女の了承をとり、俺はどうにかするための相手――親父の前に立った。
「親父。俺の幼馴染の三条沙良って知ってるよな?」
「ああ。知っているとも。愛しい我が息子の小さい頃からの友達だ。当然、今の彼女の事情もある程度は把握してる」
普段の――家の中での父親はもっといい加減でいかにもダメ親父って感じだ。しかしその実態は何千何万……いやそれ以上に、関わる全ての事業を考えれば何百万もいくかもしれない部下を持つお偉い人物である。
その日はある程度俺がどんな話をするのか予測できたのか、普段の様子を全く感じさせない威圧感を放っていた。
「なら話は早い。――三条家を助けてほしい。もっと直接的なことを言うなら、金を出して欲しい」
「……確かにお前の友達ではあるが、今回の件は三条家の問題だ。お前がどうこうするのは――」
「そんなのわかってる。もう既にそのことは沙良に話してある。もしも親父が了承してくれたら沙良の家族にもきちんと話す。その過程でののしられたり、嫌われたり、悪魔とすら思われるかもしれない。それを分かってる上で正面から伝える。俺と沙良はもう覚悟決めてる」
「なら話は早いな。……彼女はどうしたいと?」
「助けたい。今のままでは父を助けることが出来ないから力を借りたい。そのためには何でもする覚悟だって言ってた。だから彼女を……三条沙良を親父の下で働かせてやってくれないか? 沙良が優秀なのは俺が保障する。家事も何でもできるし、パソコンとか機械も使いこなせる。教養がなってないとか言うなら、俺が猛勉強して沙良に教え込む。だから――」
「和晃」
親父は静かに俺の名を呼んだ。聞きなれた四文字の言葉が突き刺さり、俺の覇気を奪う。
「一旦、彼女のことは全て置いておこう。勿論お金に関わることもだ。お前は簡単に物を言ってるようだが、お前が思っている以上にお前のしようとしてることは重いぞ」
「だからそれは――」
「お前は人の未来を決め付けようとしてるんだぞ」
その言葉はずしんと俺の心に乗っかる。
「それも分かって言ってる……!」
「いいや、お前は分かってない。分かってるつもりだけだ。自分の人生を他人に決められ、沿った道しか歩めない。そのことの重さをお前なんかがわかるわけがない」
親父は立ち上がって背を向ける。その先の窓に映る景色を見ていたようだ。
「……手術費やその他諸々でかかる金については出してやろう。当然、三条沙良への給料の前払いとしてだ。先日秘書が寿退社してしまってね。新しい秘書を雇おうと考えていたところだ。彼女と、彼女の両親がきちんと納得したならば、私が責任を持って雇わせてもらおう。だが例え了承を得られたとしても一つ条件がある」
「条件……?」
親父は振り返り、俺を見た。見下した。それは親と子供の関係なんかじゃない。勝者と敗者、上司と部下といった格差があるものの見方だ。
「お前にも人生の重さを自覚してもらおう。とはいっても、三条沙良のように未来をどうするかどうかを決めるような話ではないし、今まで言わなかったからお前が気づかなかっただけで、俺はずっとそうしていたつもりだ。それを言葉にしてお前に知らせてやるだけだ」
親父の言葉には力がある。聞いている者を萎縮させ、戦慄させ、縛り上げる。その時の俺も、その力に圧倒されていた。彼の言葉から逃げることは許されない。
「和晃」
彼は静かに俺の名を呼んだ。
「お前の未来に鎖を付けてやろう――」




