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四話「修学旅行一日目」

 閉じた瞼にぼんやりと明るいもやがかかる。それによって俺の意識は引っ張り挙げられる。



「うーん……?」



 上半身を起き上がらせて寝ぼけ眼を擦る。窓の隙間から差し込む太陽の光が目覚めを見守ってくれていた。



「いーい朝だあ……」



 暖かい日差しを存分に堪能する。優雅に伸びなんかをしてみる。

 そこでふと違和感を覚えた。いつもと違って何かおかしい。起きた時に見る景色も、ベッドの感触も違う。

 何故、と辺りを見ますと、直弘と久志が泥のように眠りこけていた。

 俺はいそいそと携帯を取り出し、今日の日付と今の時間を確認する。

 十一月某日の午前七時。この日は確か修学旅行があるのではなかったっけか。



「なかったっけか、じゃねーよ! あるよ! 予定より三十分起床時間遅いよ! おい、お前ら、今すぐ起きろ! 無理やりでも起きろ! 遅刻だ、遅刻だー!」



 修学旅行一日目の朝。高城家は朝っぱらかてんやわんやの大騒ぎを繰り広げることになった。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「第三班揃ったなー。時間ギリギリだぞお前ら。もっと急いで来いって今言うのは野暮か?」



 担任の越塚先生はのんびりとした口調なのに哀れむような目で俺らを見ていた。

 ちなみに先生の問いに答えられるものはいない。俺達は駅、それから乗り換え時、それと集合場所にたどり着くまで全力疾走を繰り返していた。お陰で俺達の周囲一メートルくらいはは周りと比べて五度程温度が高くなっていたかもしれない。


 さて、どうして我らが修学旅行第三班はこんな大失態を犯してしまったかというと、原因は全て恵ちゃんのお手製地獄行きチケット(クッキー)のせいである。

 比奈と由香梨は俺を含めた脱落者四人を介抱し、その後二人は簡単に片付けようという話になったらしい。その際、クッキーの入ってた袋に残った僅かなクッキーの残滓が二人の目に入る。

 四人の高校生をダウンさせる程の何かを持ったそれに二人はちょこっと興味が出てしまったらしい。ほんのちょびっとなら流石に大丈夫でしょ、と軽い気持ちでクッキーの欠片を食べた彼女たちは――案の定というかなんというか、とにかく俺達脱落者と同じ運命を辿ってしまった。

 結局はあの場にいた全員が被害をこうむり、目覚ましがかけられることがなかったということだ。

 もし俺が七時に起きる習慣を付けていなかったらと思うと……ゾッとする。



「ま、まあ……これ、これから、だよ」



 比奈が荒い息を繰り返しながら前向きにコメントする。はあはあと息遣いをする彼女はそこはかとなくエロい。



「……確かに比奈の言うとおりだ。まだ修学旅行は始まったばかり。こんなんで挫けてたまるか! 次は――北海道行きの飛行機だ!」



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 結論から言おう。飛行機に乗ってる間は全く楽しめなかった。



「何なんだあのクッキー……神経系をおかしくしてるとしか……」



 我らが第三班は皆頭を抱え、さらにぐるぐるとした気持ち悪さを感じていた。

 原因は勿論恵ちゃんの(以下略)。

 あれを食った後遺症なのか、酔いに強いはずの俺や比奈、果てには若菜ちゃんまで酔いに似た気持ち悪さに苦しんでいた。酔いやすい他三人についてはご愁傷様と言わざるを得ない。



「おいおい……まだ修学旅行の工程を二つしか通り過ぎてないのにこれだぞ? 前途多難にもほどがある」


「そ、そんなことないって。次こそはきっと大丈夫だよ」


「……確か次って、バスで小さな牧場に移動して、色々な体験をしたり、見学したりするはず」


「説明ありがとう若菜ちゃん」



 説明役の直弘が死んでいる今、若菜ちゃんがまさかの代役だった。



「……今、バスって言った?」


「え?」



 死に掛けに近い久志がバスという単語に反応する。そう、冷静に考えてみたら次に乗るのはバス。

 つまり、飛行機なんかよりも数倍酔いやすい。



『い、いやああああああああ!』



 第三班が乗るバスからは、そんな悲鳴が上がったそうな。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 飛行機からのバスはまさに地獄行きのバスだった。バスという乗り物にトラウマを持ちそうなくらい酷かった。

 それでも牧場に着いてからはのんびり景色を楽しんだり、中々拝めない大自然を眺めたり、普段は出来ないような貴重な体験が出来た。

 それらが心と身体のケアにつながり、体調不良は一時的に収まっていた。自由時間はもう少しあるので男子はベンチでのんびり座っているわけである。



「ようやく調子が安定してきたな……」


「まさかこんな引きずることになるとは予想外だったね」



 直弘と久志はのん気に会話してるが、昨日のワイルド久志のことを本人は覚えているのだろうか……?

 ううむ、気になる。



「カズ君、この馬可愛いよー!」



 遠くから笑顔で手をブンブン振る比奈。

 女性陣は男子よりも立ち直りが早く、腑抜けな俺達と違って牧場の動物たちと戯れている。三人とも生き生きとしていてるのは何より。だが、どこにそんな元気があるのだろう。



「……俺、少し散歩でもしてくる。一緒に行くか?」



 長距離を走り終えた後に立ち止まって息をするよりも少し歩いた方がいい、という理論に基づき、少し動いた方が治りもよくなるんじゃないか、という持論を編み出した俺はそう提案する。

 が、男二人はどちらも首を振り、



「変に動いてリバースはしたくないからな……大人しくしてる」


「俺も直弘に同意かな」



 文句の一つぐらい言ってやりたかったけど、二人とも顔色が良くないのは確かなので仕方ないと割り切る。

 女子は女子で楽しくやってるし、たまには一人でゆっくりするのもありかな。



 小さな牧場をゆったりとした足取りで周る。

 この牧場は都市部からちょっと歩いたところに存在する牧場だ。牧場としては本当に小さい。ここが北海道ならなおさら。けれどどちらかというと都会に住んでいる自分たちからしたら土地を凄く使ってるなとか思ってしまう。

 ちなみにこの牧場、明日の自由行動で指定した場所からものすごく近い。

 二日目の自由行動は班毎に行きたい場所を指定して、贅沢にタクシーを使って移動し、自由に観光しようといったものだった。

 初日と二日目の場所が被るのは少々残念だ。それだけ見所が減るわけだし。まあ、他のところを回れば……。



「お、湖か」



 牧場の裏を少し奥に進むと湖があった。透き通った水面なんて都会じゃそうそう拝めない。

 そのまま何も考えず、ボケーっと間抜けな顔で湖を見つめる。特に意味はない。ただこうしているのが気持ちよかった。


 そして幾らか時間が経った。湖の広大さは十分に堪能した。うん、そろそろ戻ろう。

 来た道に足を向けて歩き始める。すると足元の影が急に濃くなった。



「は……?」



 何だ、と後ろを振り返り湖を見る。

 そこに広がっていた景色は――幻想的な光景だった。大きな夕日が湖に沈んでいく。夕日が放つ橙色の光が水面に反射し、いくつもの粒子となってその表面を照らしている。

 目の前の光景はまさに切り取った絵画のようだった。

 


「すげー……」



 一瞬でその風景に目を奪われる。今の感情を言葉でどう表していいのか分からず、感嘆の呟きしか口から出ない。


 夕日が最後まで沈むのを見届ける。さっきまで明るかった周囲がふっと暗くなる。今日のパレードはここまでだったようだ。

 


「携帯で撮っときゃよかったな。これを俺一人独占はちょっともったいない」



 この美しい光景を皆にも……比奈にも見せてあげたい。反応がとても楽しみだ。

 明日、自由行動の最後にここに来ようと心に決める。

 いつしか身体の不具合はどこかに飛んでいた。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 夜になった。ここからはクラス毎、性別毎にそれぞれのペンションで一夜を過ごすことになる。



『いただきまーす!』



 男子の元気な声が食堂に響き渡り、



『お前……でかいな。よければこの後俺の部屋に来ないか……?』



 なんてお風呂で裸を見せ合ったり、



『俺は幼女が好きだー!』

『ポニテは正義!』

『……寝取られ、俺は好きだぜ和晃!』



 とお互いの性癖を暴露したり。

 そんな暴走しまくりの、修学旅行特有の夜が訪れる。


 

 ――前回の彩さんと伊賀さんの件が銃に弾薬を込める行為だとしたら、この修学旅行の夜はその銃の引き金を引く行為に値する。

 それはすなわち、この夜は俺達の関係が大きく変わり始めるもう一つのきっかけになるという意味であった。




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