八話「大人と子供」
俺は走っていた。否、走らざるを得なかった。
伊賀さんとマネージャーさんの話を聞き、いても立ってもいられなくなったのだ。
浅ましかった。軽々しく二人の過去を聞こうだなんて考えが浅ましかった。
比奈が知ろうとしたから、といった理由なんかで聞いていいものじゃなかった。
そう思うほどに二人の過去は予想以上に壮絶で……凄まじいものだった。
俺はがむしゃらに伊賀さんがいるであろう場所に向かう。
伊賀さんと会って何を話せばいいのか、どうしたらいいのかはわからない。
それでも伊賀さんに会わなければいけないような衝動に駆られていた。だからひたすらに足を前に動かした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「伊賀さん!」
「和晃君?」
ぜーぜーはーはー、と息を切らしながら伊賀さんのいる部屋に突撃した。
「その……ぜー……話が……はー……」
「と、とにかく落ち着いて。何があったかわからないけど……」
あたふたと慌てる伊賀さんはコップに水を汲んできてくれる。コップを受け取って喉に水を通す。
「ああ、上手い! 生き返る!」
「それはよかった」
ニコニコ笑う伊賀さん。
いや違う。こんなミニコントをしにきたわけじゃない。
「あの、伊賀さん。話があって」
「そうみたいだね。そんなに急いで、どんな急用だい?」
伊賀さんは優しく聞いてくる。
いいのだろうか。この人にあなたの過去を聞かせてもらいました、なんて軽々しく言ってしまって。
「その、俺……伊賀さんとマネージャーさんの過去を聞いて……それで……」
「ああ、聞いたのか。……そうか」
伊賀さんはどこか遠いものを見るような目をしていた。
やはり言わないほうがよかったのだろうか。
「勝手に過去を詮索してすいませんでした。警告してくれたのに……俺なんかが聞いていいような浅ましいものじゃなくて……」
申し訳ない気持ちがあふれてくる。伊賀さんも記者さんも聞かないほうがいいと事前に言ってくれた。
不快な気持ち……になったのかどうかはよくわからない。だけど聞き終えてただ悲しい気持ちだけが残ったのは確かだ。
「和晃君」
伊賀さんの語りかけるような声が、逆に恐怖を感じた。何か怒られるんじゃないかと。伊賀さんはそういう人じゃないとはわかってる。それでも怯えてしまうほどに彼の過去に強い感情を持ってしまったのだ。
「この後、暇かい? たまには男二人、サシで飲まないか?」
だが伊賀さんはそんな提案をしてきたのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
伊賀さんに連れられてやってきたのは小さな居酒屋だった。
「俺、未成年なんですけど……」
「もちろんわかってるよ。普通の飲料もあるから安心して。後料金は全部僕が払うから、遠慮せずにどんどん注文していいからね」
「えーっと、いいんですか?」
「僕が誘ったんだから当然構わないよ」
道中、そんな会話を繰り広げながら。
「この居酒屋は僕と彩が二人で会うときによく来る店なんだ」
伊賀さんはそう口にしながら案内された席につく。
そういえば彼はマネージャーさんのことをいつも「さん」付けで呼んでいるはずなのに、今は名前で呼んでいた。
「二人で会うときにって、昔のことですか? それとも……」
「昔も今も、だ。といっても現在の僕達に何かあったりとかは考えなくて大丈夫だよ。本当に何もないから。あったのは昔だけだから」
爽やかな笑顔でさらっと凄いことを言う伊賀さん。行き慣れている店だから気を緩くしてるのだろうか。
「さてとりあえず飲み物とつまみを頼もうか」
と言って伊賀さんと俺は注文をとる。俺はコーラ、伊賀さんはビールだ。
「ごめんね、僕だけ。本当は飲むべきじゃないんだろうけど……君が聞きたいことを僕が喋るのはちょっとシラフじゃきついからねえ」
彼は苦笑いを見せてそう言った。
注文の品が届くまではここ最近の世間話をした。この前のライブはどうだったとか、学校生活はどうだったとか。
飲み物が届いたら、意味はないけどとりあえず乾杯。伊賀さんはジョッキの半分を一気飲みして、いい飲みっぷりだろ?とニカッと笑った。
「でもお酒の一気飲みはあんまりやっちゃいけないよ。急性アルコール中毒になったら洒落にならないからね。自分の上限を見極めることが大切だよ」
「は、はあ」
さらに追加で説いてくる伊賀さんである。アドバイスされても実践できるのはまだ二年半先の話だ。
「さて……茶番はもうおしまいにしようか」
伊賀さんはジョッキを置いて、こちらを真剣に見つめてくる。
今までの和やかなムードにピリッとした緊張感が走る。
「高城君は僕たちのことをどれだけ聞いたんだい?」
「そうですね……」
記者さんから聞いた話をざっと口にする。
「やっぱり彩の事柄が多くなるか。まあ当然だよね。初期は僕の名前も挙がってたのに、騒動が終わると全くといっていいほど話題に出なかったからなあ。ほんとにあの時彩は何をしたんだか」
彼はぶつぶつとマネージャーさんに不満をぶつけていた。
「じゃあ、僕主観の当時の話を教えるよ。被る話もあるからつまらないかもしれないけど、そこは目を瞑ってほしいかな」
伊賀さんはそんな前置きをして語り始める。
記者さんに聞いた二人の過去はどちらかというとマネージャーさんの方に比重が置かれていたため、伊賀さん視点となるとまた変わった思いを抱かせる。
伊賀さんは終始淡々と喋り、あくまでも事実だけを述べようとしてた。しかし言葉の節々に彼の感情が漏れ、無理して気持ちを抑える姿に悲痛を感じてしまう。
「――とまあ、こんなところだ」
話し終えた伊賀さんはジョッキに残ったビールを一気に飲み干す。ただ飲んでるだけのはずなのに、それは沸いてきた感情をかき消すために行ったようにしか見えなかった。
「つまらない話でごめんね。そもそも語る必要事態なかったかな?」
「いえ、そんなことないです……!」
彼の行いが必要ないだなんて言えるはずもないし、思うわけもなかった。
今まで隠していた過去を曝け出してくれた。この俺に対して。その思いを無下にするわけにはいかない。
「話を聞いて思ったんですけど、公開恋愛を提案したのって伊賀さんですか?」
彼の話の中には「関係を暴露してみることを考えた」というのがあった。過去、同じような経験をしてその答えを導き出したのなら、その発展の形として公開恋愛を生み出したのもおかしくない。
「ああ、そうだよ」
彼はさらりと言ってのけた。
「やっぱり、そうだったんですか」
「今の話を聞いたら普通にわかるものね」
「はい……。そう考えたら俺と比奈は伊賀さんに助けられたってことになりますよね。伊賀さんの考えは間違ってなかった。それをきちんと証明できたんですね、俺達」
伊賀さんが遂行できなかったもの。それを俺達が成し遂げた。彼は躊躇してしまったけど……それでも俺達が公開恋愛を成功させたことで彼の無念も少しは晴れるのではないか。
そう考えてみたが、
「……いや、それは違うよ」
伊賀さんは首を振っていた。
「和晃君と比奈ちゃんが今こうしていられるのは僕のお陰でも何でもない。和晃君――君自身の力だよ」
伊賀さんは俺の瞳を見据えていた。力強い表情と意思が俺に向けられる。
「公開恋愛は失敗した。関係を暴露してみても非難の声ばかりが増え、結果的に悪い方向にしか働かなかった。その影響で君は今もファン達には嫌悪を示されているだろう? これのどこが失敗じゃないんだ」
「それは最初だけの話です」
「そう、最初だけだ。そして僕が考えたのは最初の部分だけで、後の事は丸投げだ。あの時の僕の不安は当たったんだよ。当時僕と彩が公開恋愛をしても――失敗に終わってた」
「そんなものわからないです。やっていたら何か変わっていたかもしれません」
「それもそうだ。上手く事が運べば成功していたかもしれない。例え失敗してもその後の悲劇は避けれたかもしれない。そうだ、何もかも『かもしれない』だ。昔のことをあれこれ言っても、時間を巻き戻すことなんてできないんだ」
俺は何をムキになっているんだろう。もうどうしようもないんだって何度も釘を刺されているのに。
昔の伊賀さんは間違ってなかった主張しているだけだ。なのに何で逆に間違っていたと指摘したようになってしまったんだ……!
「……と話が逸れたね。昔の僕を出して同情を誘いたいわけじゃない。僕が言いたいことは――僕は君を尊敬してるんだ、和晃君」
「俺を、尊敬……?」
じっと見つめてくる伊賀さんの目は子供を見ているような目じゃなかった。年齢とか、身分とか性別とか全ての要素を無視して同等かそれ以上の立場で俺を見ている。
「ああ、そうだ。公開恋愛は失敗した。君も比奈ちゃんも危ういところまで堕ちかけた。けど君はそこで止まらなかった。自分なりに動いて、考え、自分の出来る範囲で逆転のきっかけを掴んだ。それが僕と君の大きな違いだ」
「それは過剰な評価です。あの時は――何ていうか必死だったんです。勢いに任せただけの大馬鹿野郎だった。若さゆえの暴走です」
結果的に何とかなったからよかったものの、一歩間違えてたらきっと目も当てられないような未来が待っていたはずだ。比奈に無断であんなことをするなんて、暴挙だったとしか思えない。
「何か勘違いしてるようだけど、その必死だったり、勢いだけの大馬鹿野郎だったり、そういった若さが違うんだよ」
「へ……?」
しかし伊賀さんは何を思ったのか俺のことを全肯定してきた。いくらなんでも過剰評価すぎる。
「もし彩のスキャンダルの時、僕が学生だったなら関係を暴露なんていうありえない無茶もやってのけたかもしれない。あの時僕が思い切ることが出来なかったのには恐らく自分が社会人だから、大人だからっていうのもあったと思う。例え僕が覚悟を決めて関係を暴露していたとしても、その後に待ち受ける困難は突破できなかったはずだ。それは自信をもって断言できる」
伊賀さんはうん、と勝手に頷いて納得する。
「和晃君は大人だ、子供だって決める判断は何だと思う?」
「えっと、年齢ですかね」
「年齢は特にわかりやすい目安だよね。いくつになったら大人ってはっきりわかるから。それが普通の感覚だ。ただ僕の場合ちょっと違った考えを持っているんだ。僕が大人と子供を判断するのは、心のもちようだ」
伊賀さんは掌をグーの形にして自分の胸に当てた。
「大人になると責任っていうものが発生する。責任はとっても大事なものだ。これがなかったら社会が成り立たないぐらいにね。悪い言い方になっちゃうけど……学生の内にはこの責任っていうものの全てを感じ取るのは無理だと思う。責任っていうのを理解して初めて大人になれるんだと思う」
けど、と彼は言い置いて、
「子供には子供の強さがある。子供は大人に守られている。守られているから多少の無茶ができる。この『無茶ができる』っていうのが大事なんだ。無茶は大人になったら出来ないものだ。責任が無茶を邪魔するんだ。ある種、あの公開恋愛宣言も無茶だろう?」
「そうですね。無茶というか、我侭というか、破天荒なだけな気もしますけど」
「我侭で、破天荒で、馬鹿でいいんだ。……といっても親や周りを迷惑にかけるのは駄目だよ。僕が言ってるのはそういったことじゃなくてね、自分が何か大切なものを掴むため……自身が成長するための無茶なら構わないってことだ。別の言葉で言い換えるならそれを挑戦っていうんだと思うけど。というかそうだよな。こんな回りくどい言い方する必要なかったな……」
顔に手を当てがっくりとする。いまいち締まらないないなあ……。
「まあ、そうだね。僕が言いたいのは和晃君はその『無茶』ってやつがちゃんと出来てたってこと。そしてこれからもそれをしていけっていうこと。君と比奈ちゃんは今は安定しているように見えるけど――」
気を落としていた伊賀さんが頭を上げて、再び顔をじっと見てくる。
そして彼がこれから言うことは、とても大切なことだと直感した。
「二人にはこれから先、色々な困難が待ってると思う。そのほとんどが当人同士だけじゃ解決できないものばかりだと思う。今までの人生で経験したことのないような非常で残酷な壁にぶち当たることになるかもしれない。そんな時、君は簡単に逃げたりしたらいけない。逃げるのは簡単だし、楽だ。けど壁を乗り越えたらそれ以上の成長と充実が待っている。それを得るためにも君は何が何でも、『子供』である利点を活かして、乗り越えるんだ。無茶をしろ。僕達『大人』はそんな君を全力で支援する。『大人』は『子供』を成長させるためにいるんだ。だから全力で前に進め」
それは人生の先輩として、そしてかつてアイドルの元恋人であった青年の大切な助言だった。
一気に言葉を吐き出した彼は一息ついてから、
「……あ、でも前を見続けるだけじゃ駄目だよ。関係を暴露しようなんて思いついたのも、高校生の時、友達の彼女が援交してるんじゃないかって疑惑が出て、そんなことありませんって関係をバラして彼女との愛を力説したっていうエピソードがあったからなんだ。お陰で友達は両親にも関係を認められて今でも仲睦まじくやってるそうだ。こんな風に過去の出来事から何か策が思い浮かぶことだってある。だから前に走って、時々後ろを振り返るぐらいの気持ちをもつんだ」
彼はニカッと笑った。清々しい笑顔だ。
「前に進もうとする君たちを僕は応援してるし、何も惜しまず全力で協力するよ。だから――」
伊賀さんは俺に指をつきさして、
「――全力を尽くせ、若者よ!」
と高らかに言い切った。
「返事は!?」
「は、はい!」
「心もとないな……もっと自信をもって!」
「――はい!」
さっきの返事と違って、彼のいった「子供」であると宣言するかのように、言った。
伊賀さんは満足そうな顔を浮かべた。
「ようし! いいぞう! 立派だ! よし、大サービスでお酒を奢ろう! 男二人の秘密だ!」
「いや、あの……」
俺は伊賀さんの人生観に近い大事なものを教えてもらった。俺が憧れるそんな「大人」は。
「伊賀さん大分酔ってますね?」
「ビールジョッキ大で酔うと思わないでくれ!」
ガハハハハ、と普段の伊賀さんじゃ見られないような豪快な笑い。
そんな彼の笑顔は純粋無垢な子供のような笑顔だった。




