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十三話「対峙」

 今までめんどくさいだとか、あんまり行きたくないなあ等と思ったことは何度もあった。だが部室に入ることに強い躊躇いを覚えたことは今回が初だった。

 いくら部活に出たくないと思っても部員はいい人達ばっかだし、面白い人も多くてこんな俺でもいつも暖かく迎え入れてくれる。いつも小うるさい祥平もその一人だ。

 俺は今からその人達に大事な約束を果たせないことを伝えねばならない。そう、伝えなきゃいけない。逃げずに真正面から謝らないといけない。

 ドアノブに手をかける。回す時、異様に重く感じた。

 扉を開き部屋に足を踏み入れると空気の質が変わったのがわかった。ドアが見えない境界を作っていたようだ。中は張り詰めた空気が敷き詰められている。

 ドアの開いた音につられて中にいた部員達が一斉にこちらを見る。皆視線をぎらつかせ、邪魔をした存在を狩りとってしまいそうな凶暴さを突きつけられる。

 部員達は俺だと気づくと元の表情に戻る。張り詰めていた空気も緩やかになったように感じた。そうなっても俺はあまりの気迫に一歩後ろに下がってしまっていた。



「和晃、来てくれたのか!」



 部長を筆頭に他の部員達も俺の元へやってくる。



「開演時間までもう少しあるけどな。その前に俺達に応援の一つでもしてくれようと来てくれたんだろ? このツンデレめ、この、この!」



 部長に脇を小突かれながら引っ張られ、部室の中央に立たされる。



「……和晃君。来てくれたんだ」



 多分、演劇用の衣装だろう。いつもと見た目の雰囲気が違う若菜ちゃんも嬉しそうだ。



「高城先輩。ちゃんと約束果たしてくれるんですね。少し不安でしたけど……信じててよかったです。ちゃんと俺や部長、中里先輩や皆の演技見てくださいね」



 祥平も上機嫌だ。

 皆が俺の周りに群がって何かと声をかけてくれる。ここに来てくれたことに感謝してくれている。

 けど……それはプレッシャーだ。これから俺が告げるべきことは上がった士気を下げてしまうものだ。口から言葉を出すのが躊躇われる。早く言わないとどんどん言える雰囲気じゃなくなってしまう。



「あの!」



 意を決してわいわいと声を上げる皆に向かって大声を上げる。一斉に黙り、俺に注目が集まる。

 後戻りは出来ない。言おう。言うんだ。俺の最低な決意を。



「違う……んです。皆さんに応援だったり励ましの言葉をかけに来たわけじゃないんです……!」


「じゃあ何だ? やっぱり何か手伝いとかか? 残念だけどそれはもう――」


「それも違います。俺は……謝りにきたんです」



 皆の顔を見ることが出来なかった。床に向かって言葉を吐き出している。

 周りがざわざわし始める。



「謝りにってどういうことですか?」



 その中で一番最初に声をあげたのは祥平だった。



「俺……この後行かなきゃいけない所があるんです」


「それってどこなんですか?」


「……比奈のところにだ」


「香月先輩の? 一体どういうことですか?」


「実は――」



 皆に今起きている状況を説明する。



「……そんなことが。でもそれって先輩が行く必要はあるんですか?」


「ない。俺が行っても普通に待つより時間がかかるかもしれない」


「じゃあどうして!? 何が何でも見に行きますってあの時先輩は言ってましたよね」


「言ったよ。ちゃんと覚えてる。その上で俺は行くって言ってるんだ」


「何でですか!?」


「……わからない」



 俺は素直に首を振った。



「……わからないって。そんなの無責任にも程が――」


「祥平。その辺にしとけ」



 激昂する祥平の肩を叩き、部長が前に出てくる。



「お前の気持ちは分かるが、落ち着け。……和晃」


「はい」


「……見れないんだな」


「……はい」


「そうか」



 部長の顔がまともに見れない。彼はどんな切ない顔をしているのだろうか。

 部員達の中に部長が戻っていく。そこに祥平が問い詰めている。

 まだこれで終わりじゃない。俺は祥平からバイクを借りなければならない。



「祥平」


「……何ですか!?」


「失礼を承知で頼みがあるんだ」



 俺は今度は真剣な眼差しで祥平を見る。そして言葉を紡いだ。



「比奈を迎えに行くためには乗り物が必要なんだ。お前のバイクを貸してくれないか」


「は……?」



 これには祥平だけじゃなく、周りの人達も同様に驚いてるだろう。お前は何言ってるんだ、と。



「大事な約束を破っておいて、さらにバイクを貸してくれって……言うんですか?」


「そうだ。……頼む」


「――ふざけるなっ!」



 直後、頬に鋭い痛みが走る。身体が地面に投げ出されたのがわかった。衝撃で頭を床にぶつけてしまう。口の中からは鉄の味が染み出してきた。

 和晃君、と俺を呼ぶ声がした。きっと若菜ちゃんだ。彼女は倒れた俺のすぐ傍に駆け寄ってきてくれる。

 視線を少し変えると拳を握った祥平が俺を睨みつけ今にも殴りかかろうとしている。それを必死に周りの部員達が押さえつけている。

 周りが慌しく動く中で、自分の状況を冷静に見つめなおしていた。ああ、俺は祥平に殴られたんだ。人に殴られたのはこれが初めてだ。痛いな、くそ……。



「ふざけんな! あんたは人を馬鹿にしてるのか!? わけもわからず迎えに行くとか言って、それを理由に大事な約束を破りやがって! それでいて俺のバイクを貸してくれだと!? 俺はあんたに憧れていたのに……例え部活に出なくても、人間としては尊敬できる人だったのに……! 見損なったぞ! この屑が!」


「おい祥平!」



 祥平の激しい怒りの声が叫ばれた。

 それまで俺の傍で大丈夫?と声をかけてくれていた若菜ちゃんが祥平の方を向く。彼女は目を鋭くして彼を睨みつける。



「……黒瀬君。いくら何でもそれはやりすぎ」


「待て、若菜ちゃん……」



 若菜ちゃんから怒りの色がにじみ出ている。



「……それ以上何かするなら、私も本気で――」


「若菜ちゃん!」



 名前を叫び、彼女を停止させる。



「お願いだ。今は落ち着いてくれ。俺の事を気遣ってくれたのは感謝してる。けど今だけは……俺のために引いてくれ」


「……わかった」



 若菜ちゃんは黙って下がってくれる。ありがとう。

 俺はゆっくりと立ち上がる。頭をぶつけたせいか少しふらつく。右腕で唇についた血を拭う。そうしてフラフラになってまで祥平と真っ向から対峙する。

 いい機会なのかもしれない。俺と祥平の間には溝がある。それは全部俺が作ったものなんだけど……とにかくその溝を埋めるために、本音でぶつかり合い、相手の事を理解する。口に出さないと理解されないことがあるっていうのは今までで散々学んできた。



「お前、俺に憧れてるって言ったな? もう分かっただろうけど、俺は尊敬されるような人間じゃないぞ」

 

「ええ、今回の件ではっきりわかりましたよ」


「ちなみに俺なんかのどこに憧れてたんだ?」



 また祥平を激怒させてしまうかもしれない。そんな考えが一瞬頭をよぎったが彼は質問に答えてくれた。



「俺は先輩の演技に憧れました。俺の中の演劇のイメージがひっくり返りましたよ。他の先輩達も凄かったですけど、先輩のはそれよりも更に一歩目を引く演技をしてました。それが先輩に憧れるようになったきっかけです」



 祥平は目を瞑り、あの時の事を回想する。



「けど先輩は俺の思ってた人とは違った。部活もサボり気味で、たまに顔を出しても練習はほとんどしてなかったですし。正直その時点でも幻滅しましたよ」



 けど、と祥平は言葉を続ける。



「先輩の周りにはいつも人がいました。さっきまでもそうだ。部室に来て皆にちやほやされてたじゃないですか。俺は演技の上手さだけが先輩の凄いところじゃないって気づいたんです。先輩には人を惹きつける魅力がある。自分もいつしかその魅力に引き込まれていたんだと思います。先輩は良い人です。どんな些細なことでも親身になって聞いてあげたり、何か出来ることがあればすぐさま実行して出来る限りを尽くしたり。けど一番は人の気持ちをきちんと汲めることだと思います。先輩は相手のことを考えてくれる。それがひしひしと伝わるんです」



 ここまで聞いていると単に俺をべた褒めしてくれてるみたいだ。通常時に聞けたなら素直に喜べただろうに。



「だから公開恋愛なんていうわけの分からないものを始めた時も妙に納得できました。香月先輩のために先輩が頑張ったんだなって考えていました。部活をサボるのはいいことじゃないですけど、それでも先輩はいつも先輩のままだと思いました。それは当然今回の約束もそうなると思ってました。……けど! 先輩は約束を破ろうとしている。俺や部長とかの気持ちが分からない先輩じゃないでしょう!? だから何が何でも行くって言ってくれたんですよね!? けどどうですか。理由もなく香月先輩を迎えに行くとか言い出して。彼女が大事なのは分かります。ライブが大事なのも分かります。ですが、それよりも大切なものもあるでしょう! 俺達なんかよりそんな曖昧な気持ちの方が大事だって言うんですか!? 俺には……先輩のことが理解出来ません」



 結局、祥平が言いたいことは最後の一言が全て表しているのだろう。

 俺はふうと息を吐き出し、気持ちを整える。そして口を開いた。



「……さっきも言った通り、俺はそんな人間じゃないよ。残念ながらな」



 視線を床に落とす。それは祥平の顔を真っ直ぐ見ることなんか出来ない、自身への軽蔑からくる行為だ。



「俺は祥平や皆のことを眩しく感じてたんだ」


「眩しく……?」


「ああ、そうだ。俺は一つの物事に集中して取り組めない。……いや、違うな。先の事を考えすぎて手につかなくなるんだ」



 祥平が首を傾げる。これだけじゃわからないよな。



「俺は入学当初、この学校全部の部活を見学したんだ。一通りやってみて興味ある物を探そうと思って。。勿論演劇部も行ったさ。演劇部も自分の想像してたものと違って少し興味も湧いたりした。書道とかもさやってみると案外奥が深くて楽しいもんだって思ったよ」



 凄く地味なものかと思ったらそうでもなかった。色々な発見は俺を刺激し、どれも楽しませてくれた。

 その気持ちを思い出し、少し緩んだ頬もそこまでだった。



「……だけどどれも続かなかった。さっき言ったように先の事を考えたせいでやる気が起きなくなったんだ。例えばだけど、高校野球ってのは甲子園出場、そして優勝ってのが大きな目的だろ? 三年間の目標としては凄くいいもんだ。けど実際甲子園に行く学校はほんの一握りだ。うちの学校だってトーナメントは二回戦落ちだ。甲子園に行けなくて悔しくて涙だって出る。それはとても美しいものだ。けどそこからは普通の人生だろ。甲子園を目指した経歴が残るだけで後は何もない。三年間頑張った成果は大会で負けたら全てパーだ。いい思い出にはなる。が、それだけだ。どうせ野球をやるなら、甲子園、果てにはその先のプロ野球選手を目指さないと意味がないだろ」 


「待ってください。先輩の言ってることは極端過ぎじゃ……」


「そう、極端なんだ。俺は先の事を極端に考えすぎるんだ。陸上をやるなら陸上選手に、サッカーをするならプロのサッカー選手に、書道だって書道の道を極めないと……って俺は思ってしまうんだ。当然この演劇部に対してもそう思ってる」



 数年間も費やして、その結果残るのは思い出だけ。それが俺には怖くて出来ない。どうせやるなら最後までやらないと意味がない。それが部活に入らなかった理由。それと何でもかんでも基礎の基礎でやめてしまう原因だ。



「別に三年間努力する人間を否定する気はねえよ。むしろ俺は尊敬してる。自分がどうしてもやりたくても出来ないことだから……。そんなこと考えなければ俺も一つのことに打ち込めるのかなって。だから俺は部活に一生懸命な祥平が眩しくて……正直見てられないんだ」



 初めて吐露する俺の本音。今まで見せてこなかった自分を曝け出している。

 


「さっき人に対して親身になれる、気持ちを汲み取れるって言ったな。親身になれるっていうのは、悪く言えば暇つぶしだ。俺が出来ることは一瞬のことだから、その一瞬のために全力を尽くしてその場限りの満足を得てるだけだ。気持ちを汲み取れるっていうのも、ただ単に面倒ごとを避けたい一心だよ」



 祥平から見た俺の美点は俺にとっては汚点である。外面がいいだけで内面は屑の極みだ。



「聞いてもらってわかるように俺は皆が思っている以上に最低な人間なんだ。誰かのために思える行動も全部自分のためっていうのが多い。わかりにくい自己中ってやつだ」



 祥平も周りの部員達も俺の独白を聞き入っていた。誰も彼も複雑な表情でこちらを見ている。



「比奈に対しても始めはそうだった。公開恋愛をしようと思ったのだって、最初は比奈を救うためなんかじゃない。ただ今まで体験したことない『非日常』に足を入れてみればまた何か変わるんじゃないかってそう思ったんだ。あくまで自分自身のために始めたものだったんだ」



 俺の一人語りは今や誰に対して発信しているものなのかわからなかった。



「そんな甘い考えで上手くいくはずもなくて。一度はどん底まで落とされたよ。その時に俺は比奈の口から聞いたんだ。子供の頃から見ていた夢を叶えたって。この十七年間色々な人間を見てきたけど、小さい頃からの夢を本当に叶えたやつを見たのは始めてだった。そこで初めて俺は比奈のために頑張りたいと思えた」



 吐き出せば吐き出すほど俺の心の内が晴れていくような錯覚を覚える。ああ、そうか。そういうことか。



「同時に比奈に興味が湧いたのもその時からだ。俺とは正反対の夢を実現させた少女。彼女といると色んなことを扇動されたよ。特に恵ちゃんの問題が起きた時の彼女は衝撃的だったね」



 この一人語りはまさしく自分自身に対しての語りかけなんだ。今まで隠し続けていた自分の本音を自分に聞かせているんだ。



「彼女は俺にはない何かを持ってる。俺はその正体が知りたい。彼女ともっと触れ合って彼女の事を知って、その正体を暴きたい。そのためには少しでも長く彼女と一緒にいたいんだ。同時に彼女がしてやりたいことに手を貸したい。彼女が望むものをさせてあげて、俺もその喜びを分かち合いたい。そうして……自分自身を見つけたいんだ」



 俺が比奈を迎えに行くと口にしたのはそういった理由なのだ。彼女と過ごすために、彼女に手を貸して夢だったというライブを達成する瞬間をこの目で見たいんだ。

 何のことはない。結局は自分自身のためであり、ただの我侭だ。俺にとってはその我侭がとても重要なものだっただけだ。



「俺は……あいつのために何かしてやりたい。あいつが喜ぶ顔を見たい。だから祥平。お願いだ。俺にバイクを貸してくれ。そして皆、こんな俺をどうか行かせてくれ……!」



 手と膝を床につけて頭を深々と下げる。いわゆる土下座ってやつだ。



「……先輩。顔を上げてください」



 言われたとおり顔を上げる。祥平がこちらに何か投げてくる。慌ててそれをキャッチする。俺の手に握られていたものはバイクのキーだ。



「祥平、これ……!」


「……許すわけじゃありません。これは貸しです。約束を破ったことと、その上でバイクを借りようとしたことの。この貸しはいずれ返してもらいます」


「あ、ああ! 俺に出来ることなら何でもするぞ!」


「今はその言葉を迂闊に信じられないんですけどね」



 はあと祥平がため息をつく。



「そんなことより、こうして話している時間が勿体ないんじゃないんですか? 香月先輩が待っているんですから」


「……ああ。ありがとう、祥平」



 感謝を告げると、次に部長が肩に腕を回してきた。



「冷や冷やしたけどこれで一件落着だな! 好きな女の子ために奔走するのは男としては仕方のないことだ! な、里美?」


「……私、あんたが奔走したとこなんて見たことないけど」


「いや夜は奔走してるよ夜は!」


「成敗!」



 里美先輩がどこからか取り出したハリセンで部長を吹っ飛ばした。



「シリアスな空気をぶち壊して全くこの男は……。ま、とにかくかっこいいとこ見せてきなさい高城君」


「……和晃君。行ってらっしゃい」


「よっしゃ行ってこーい!」

「頑張って先輩!」



 里美先輩と若菜ちゃんに続き部員達が励ましの言葉をかけてくれる。



「皆、本当にすまない。そしてありがとう!」



 バイクのキーを握り締め比奈の元へ走り出そうとする。だが、



「そうだ、祥平」


「何ですか?」


「バイクどこに停めてあるんだ?」




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