十話「思わぬ再会」
「今日の午前中は若菜と回ってたんだ」
隣で由香梨がニヤニヤ笑う。今日は珍しく二人で帰っていた。
「まあな。別に普通に学園祭を楽しんだだけだ。お前のニヤニヤ顔は無意味だよ」
まあ、メイド喫茶の出来事を話せばそこをイジってきそうだけど。絶対に話さない。絶対にだ。
「でも今日の若菜凄くご機嫌だったよ。演技もキレキレだったし」
「演劇見に行ったのか?」
「友達と一緒にね。中々面白かったよ」
「そうか。ネタばれは禁止な」
見に来てくれと頼まれたのは最終日の最後の演劇だ。その時までは大人しく期待してよう。
「そうだ。由香梨この後暇か?」
「暇だけど」
「ならスーパーでお一人様一点限りのタイムセールの協力頼めるか?」
「別にいいけど……和晃って高校生なのに主婦力高いよね」
主婦力って何だ。それに一人暮らししてたら節約のために嫌でもこうなる。お金は結構ありあまってるけど、だからって変に散財するのも違う。それに商品をゲットするために主婦の波に呑まれ、変に鍛えられるからそれはそれでありだ。
商店街は買い時なのか人が多い。それに崎高で文化祭が開かれているため、いつもより活気で溢れている。人ごみの中をすり抜けながら進んでいく。
「あ、君は……」
その最中、知らないおじさんが俺の顔を見て声を上げた。悪質なキャッチセールか何かだろうか。スルーしようと思ったら、肩をガシっと掴まれた。
「……何ですか? 急いでるんで放してくれませんか?」
というか直接捕まえるのってどうなの。やってはいけないことなんじゃないのか。
「違うそうじゃない。よく見てみろ。俺のこと覚えてないか?」
「んー……?」
男をじろじろと見る。中肉中背で三十代前半ぐらいの男。顔はきちんと整えているのか、髭とかはきちんと剃られている。記憶のデータベースを探しても目の前の男の特徴に一致する人はいない。
「これでどうだ?」
男はバッグから何かを取り出す。高そうな一眼レフカメラだった。
「カメラ……三十代のおじさん……」
そこで頭に閃きが走る。後ろで由香梨も「あー!」と声を上げた。
「あんた……まさか、比奈のスキャンダル写真を撮った男か!?」
「そ、そんな大声を上げるなって」
大声を上げるなだと? 俺はこいつを許したわけじゃない。無性に腹が立ってきた。顔を見るだけで怒りのボルケージが上昇していく。
「何でお前は俺に軽々と話しかけられるんだ!? ふざけんなよ! 俺はまだあんたのことを――」
「ま、待て。落ち着いてくれ。呼び止めたのは君に謝りたかったからだ」
謝りたかった? あれから数ヶ月経った今頃? 一人の女の子の人生を狂わせたことを謝罪しただけで許されると思っているのだろうか。
「お前な、ごめんなさいで許されると――」
「本当に……すまなかった!」
男は地面に土下座して謝罪の言葉を放った。予想外の行動に思わず驚いてしまう。
周りが何事かとザワザワしはじめる。いい年こいたおじさんが高校生男子に土下座する場面を不審に思わないはずがない。
「ちょ、ちょっとこれじゃ俺が悪人みたいになってるじゃないか!」
「すまなかった! 本当にすまなかったああああ!」
男は地面に頭を何度も打ち続ける。このままだとおでこから血出てくるんじゃなかろうか。
「和晃、とりあえず話を聞いた方がいいんじゃない?」
「あ、ああ。そうだな。とにかく頭を上げてくれ。頼むから」
人がどんどん集まってきてる。大きな騒ぎになる前に速やかに離脱した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「突然の土下座はビビったぞ……」
「すまない。けど、こうでもしないと俺の謝意は伝わらないだろ」
確かに公衆の面前で土下座をするのは中々出来るものじゃない。
俺達は近くにあった喫茶店に逃げ込んだ。ここならさっきとは違ってゆっくり話せるだろう。
「で、まさかお前は俺に謝るためにあそこにいたのか?」
「そういうわけじゃない。ただもう一度君か香月比奈に出会ったら誠心誠意心を込めて頭を下げるつもりだったのは確かだ」
頭を下げるどころの話じゃなかったんだけど……。
「しかし何でまた。前に会った時は反省の色とか全く見えなかったぞ」
「ああ……そうだな」
男はテーブルに目を落とす。その横顔は物憂げな表情を浮かび上がらせていた。
「君達に説教をされた後はガキの癖に調子乗りやがってって思ってたよ。けどちょっとした事から家内にバレてな。酷く怒られたよ。あの時の傷は数日間治らなかった」
一体何をされたんだろう。
「俺には小さい娘がいるんだ。娘と嫁を食わすために働かないといけない。家族のためにどんな汚いことでも金を手に入れてやると思ってた。あの時は必死になりすぎてた。その結果が、あの香月比奈のスキャンダルだ」
男の口から当時の状況が語られる。俺達が知らなかっただけで当時の彼にはスキャンダルを捏造する理由がちゃんとあったのだ。
「嫁に洗いざらい全部話したよ。当時の俺の心境も、スキャンダルの捏造も。暴露した上で、ちゃんと話し合った。結果的に嫁は俺のことを信じてくれるって言ってな。その言葉で俺は必死になるのをやめた。俺も家族のことを信じる。そのためにも捏造とかそんなもんせず、きちんと真っ当に記者やって稼ごうって。もう一度一からやろうって。俺が夢見た真実を暴く記者になるために。……とまあ、こういうことがあった次第だ。一回り年が離れてる君に言うのは不思議な気分だ」
言い切った男の横顔は清々しかった。そういえばこの前対峙した時は無精ひげを生やしていた。今の彼にはそれがない。身も心も綺麗になった証拠なのかもしれない。
男の顛末は良かったと思う。彼なりに右往左往の結果まともな道に戻れたのだから。けれど、
「……あんたの事情はわかったよ。けど一人のアイドルの人生を大きく変えてしまったのは事実だ。その罪が許されるわけじゃない」
改心してそれで解決なら法律も裁判も必要ない。
男は再び憂いに沈む。テーブルに肘を置いて組んでいた手が震えていた。
「……ああ、分かってる。わかってるさ。俺はとんでもないことをしでかした。大切な物を取り戻すために、やってはいけないことをした。それこそ、さっきの土下座程度で許されるようなことでもねえ。これは俺にとって一生の罪だ」
男は自分がしたことの責任を重く感じていた。俺なんかが言わなくてもちゃんと自覚していたのだ。
「……そこまで分かってるなら俺はもう何も言わないよ。後はあんたがまた道を踏み外さないのを祈るだけだ」
もう俺が彼を気にする必要はないだろう。自分自身で枷を感じているのだ。誠意を見せてもらった以上、余計に追撃する必要はない。
「ありがとう。俺なんかにそんな言葉をくれて。それで他にも話があるんだ。少し待ってくれ」
男はそう言うとバッグを手にし、中を漁る。そして名刺を渡してきた。
「この名刺には俺の連絡先が書いてある。君……高城君と呼ばせてもらうよ。今の高城君には立場上様々な情報が必要になるかもしれない。些細なことでいい。俺に出来ることや、欲しい情報があるなら無償で提供する。すぐに連絡を返すことは出来ないが、なるべく早く返すようにする。俺に頼るのは嫌かもしれない。高城君が望む時に連絡をくれ」
男の名刺には名前と電話番号、それにメールアドレスも書いてあった。下の方にはホームページのアドレスも書いてある。
「連絡先の下に書いてあるアドレスは俺のホームページだ。独自の情報を発信するサイトで結構人気あんだ。雑誌や新聞じゃ書けないことを独自の目線で書いてる。それとこのサイトでは香月比奈を推してるんだ。特設記事を設けるくらいで、香月比奈の魅力や経歴とかも詳しく書いてある。情報発信サイト兼香月比奈のファンサイトだ。明日、香月比奈はライブをやるんだろ?」
「ああ」
「そのライブのことも魅力的に伝わるように書いてある。良かったら読んでみてくれ。……あ、そうそう。君のことも取り上げてるぞ。賞賛してるよ」
「う……俺のことはいいよ」
俺の事を賞賛したって何の得もない。
「あのー……何でそこまでするんですか?」
傍で聞いていた由香梨が訊ねた。
「……少しでも罪滅ぼしがしたいんだ。そこで俺なりに出来ることを考えた。これが罪滅ぼしになってるかはわからないけどな」
男は小さく笑った。全てを吐き出して少し楽になったのかもしれない。
「なあ、俺や比奈に無償で協力してくれるんだよな?」
「俺が出来る範囲内になっちまうけどな」
「じゃあ、早速一つ協力を要請したいんだけど、いいか?」
俺は何となく薄気味悪く笑う。
「お、おお……」
男は怯えた表情を見せながら頷いた。
俺は男にその要求を突きつける。
「お一人様一点限りのタイムセールに協力しろ!」




