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二話「大切な約束」

「うーん、今日もいい天気」



 比奈が隣で気持ちよさそうに体を伸ばす。背中が若干反り返って胸のラインが強調される。朝からいいものが見れた。



「いつもよりご機嫌だな」


「うん! 最近、嬉しいことが続いてね。テンション上がって、すごく元気なんだ」



 貴女が元気なお陰で俺も色々と元気になりました。



「嬉しいことって、ライブが決まったことの他に何かあるのか?」


「えーっと、お仕事が増えてきたことかな。ドラマのメインヒロインとして出演するかもってお話も出てきたみたいだし。あと今週末はオフで、皆と遊園地行くし。それからそれから……」



 嬉々として語る比奈を見てるとこちらまで嬉しくなってしまう。それに遊園地に行くことに関しては俺も楽しみにしてる。目的はお化け屋敷の研究のためだけど、そんなもの霞んでしまう予感があった。

 

 俺は先ほど偶然比奈と出くわし、一緒に登校している。朝から本当にいい気分だ。いつもはだるくて眠いだけの通学路が輝いて見える。

 そういえば恋人同士という設定のはずなのに、一緒に並んで歩いたりする機会は少ない気がする。


 終始笑顔の比奈の言葉に耳を傾けながら学校を目指す。後ろからブオンブオンとバイクのエンジン音が迫ってきている。うるさいなあ。こっちはヒロインの言葉を聞き取ることで忙しいのに……!



「あれ、和晃先輩に香月先輩。朝から二人って珍しいですね」



 と思ったら、バイクは俺達の横で停止し、あろうことか運転手は馴れ馴れしく話しかけてきた。というか、この声って……。



「……その声、祥平か?」



 俺の質問に答えるように目の前の人物はヘルメットを脱いだ。部活の後輩である、黒瀬祥平だった。推測は当たっていたようだ。



「ヘルメット被ってたら誰だかわからないですよね。すいません。あ、あとおはようございます」



 彼はバイクに乗ったまま片足を地面につけていたので、頭だけ下げられた。



「お前、バイク使って登校してるのか?」


「見ての通りですよ。許可取るまでが大変でしたけど」


「えっと……崎高ってバイク通学、そもそも免許取ったりしていいの?」



 比奈の疑問は一般の高校生として正しいものだろう。普通、高校生がバイク通学なんてするはずがない。というか普通は校則で決められてるはずだ。



「比奈は知らなかったか。うちはちょっと特殊なんだ。成績優良で、部活や郊外活動で実績持ってて、かつ自宅から家が遠い生徒は許可さえ貰えば例外的にオッケーなんだ」



 崎高は元々自由な校風の学校だ。他の高校に比べると校則は大分少ない。今では制服があるが一昔前までは私服高校だったらしい。細かいことは知らないけど崎高は学生運動で有名な学校で、その名残が未だに残っており、それが自由な校風へと繋がっていったらしいのだ。

 とはいっても、バイク通学は大会前や、文化祭の準備期間など、帰りが遅く朝は早いといった特殊な時期のみの適用である。それに少しでも成績が落ちたら即許可が取り消される。



「今は文化祭の準備と、演劇部の活動で忙しいですから。文化祭が終わるまではバイク通学です」


「祥平がバイク乗るのって意外だな。あんまりそういうイメージなかったっていうか」


「俺、バイクとか車とか好きなんです。かっこいいじゃないですか。洗練された車体、綺麗な造形美、男のロマンです……!」



 祥平の目がいつになく輝いている。案外ブイブイいわすタイプなのかもしれないな、こいつ。



「それより先輩」



 少し可愛げがあった後輩が一転、部活をサボる先輩に対しての態度へと変化する。



「梨花から聞きました。部活、近いうちに来るんですよね? いつ来るつもりですか?」



 祥平はジッとこちらの目を見てくる。睨まれてるわけじゃないのにどうも睨まれてるような錯覚に陥る。

 部活に顔を出すのは梨花さんとの約束だ。彼女には恩があるゆえ約束をないがしろにすることは出来ない。とはいっても、出たくないのが本音なんだが……。



「わ、わかった。今日だ。今日、行くよ」



 もうどうにでもなれといった感じだった。祥平は俺の答えに納得したらしく、



「わかりました。約束ですよ。必ず来てくださいね。待ってますから」



 と強く念を押して、「それじゃあクラスの出し物の準備があるんで」とヘルメットを被りバイクを発進させた。



「ああ、一気に憂鬱に……」


「カズ君も愛されてるね」



 愛されてる? そんなことはないだろう。



「でもバイク乗れるって凄いなあ。年一個しか変わらないのにああいうのが出来るって何だか憧れちゃうな」


「比奈もバイクとか興味あるのか? あんなのコツさえ掴めば簡単に免許取れるぞ」


「まるで免許持ってるみたいな言い方だね」


「まるでというか持ってるんだけど」



 え、と比奈は目を丸くする。

 俺は財布を引っ張り出してそこから免許証を取り出し比奈に渡す。



「うわー、ほんとだ。生で見たの、両親以外で初めてかも」


「あんまりジロジロ見られると恥ずかしいな。写真あんまりよくないから……」



 免許証の顔写真が納得いかない出来であるのは結構あるあるなエピソードだと思う。



「でもカズ君がバイクに乗ってるところ見たことない」



 はい、と免許を返される。



「まあ、あんま乗らないしな。たまーに乗るぐらいかなあ。免許取ったのも一年以上前の話しだし」



 確か去年の夏休み中に獲得したはずだ。あれからもう一年か……。



「そうなんだ。凄いなあ」


「全然凄くないって。他の資格に比べたらこんなの小学生の算数並だ」


「他の資格って……何か持ってるの?」


「えっとだな」



 俺は自分の持つ資格を頭に思い浮かべる。



「有名どころだと簿記とか、ITパスポート、応用情報技術者。他には、証券外務員二種とか秘書技能検定に公認会計士とか、ウェブデザイナー、カラーコーディネータ、インテリアコーディネータ、国内旅行業務取扱管理者試験、世界遺産検定。面白いものだと気象予報士、調剤薬局事務、土地家屋調査士とかだな。他には――」


「ちょ、ちょっとタンマ!」



 比奈が手を前に出して止めてくる。



「どうかしたか?」


「いやあの、どうかしたかの一言で済まされると非常に困るんだけど。聞いたことがあるのもいくつかあったけど、基本聞いたことないから、よくわかんないよ。というか資格そんなに持ってるの!?」



 非常に狼狽しているというか、頭を抱える比奈がそこにはいた。



「そんなにって……こんなのほんの一例だぞ?」


「カズ君って案外万能!?」


「案外ってどういうことだよ!?」



 和やかなムードから一転、お互いが少々不審になってしまった朝だった。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 扉を開けて中に入ると熱気が襲ってきた。暑いとかそういった気温的なものでなく、人の熱気だ。気合が入ってる。それもかなり。前回ここに訪れた時のアットホームさが嘘のようだ。

 そうなるのも当然だ。文化祭は文化部の発表の場でもある。吹奏楽部とか文化系の部活でもコンクールがある場合はまた変わってくるが、大半の部活は一年間の活動の成果をここで披露する。

 演劇部もその例に漏れない。うちの部活は他の場所でもいくつか発表の場があるが、一番客が入るのは文化祭である。また三年生最後の活動の場……三年生にとっては今までの集大成となる。なので三年生は勿論、先輩達を慕う後輩達も、先輩達のために持てる全てを出し尽くす。

 今は彼らの最高の舞台を作るための最後の追い込みかつ調整期間だ。熱が入らないわけない。それこそふざけてる余裕なんてないし、俺みたいな幽霊部員に構ってる暇もないはずだ。

 場違いな気がする。俺なんかがここにいていいのだろうか。邪魔かもしれない。俺を見た部員のやる気が削げるかもしれない。今すぐこの場から離れたい……。

 玄関の時点で耐え切れなくなった俺はくるりと一回転して外に出ようとする。



「先輩。約束通り来てくれたんですね」



 が、後ろから声をかけられる。この声は祥平だ。



「あ、ああ。約束だったしな」

 

「……けど何で帰ろうとしてるんですか?」



 完全に不機嫌声である。



「いや……皆が真面目にやってるところに俺なんかがいたら邪魔かなと思いまして」


「別に誰もそんなこと思ってませんよ。活動してくださいとは言いませんから、挨拶ぐらいしていってください。先輩方には特に」



 手首を掴まれて強引に熱気の渦中に連れていかれる。



「おー、和晃。来てくれたのか」



 丁度休憩中だった部長が俺を発見する。汗だくになりながら爽やかな笑顔を向けてきた。



「ええ、まあ。本番前に一度くらいは顔出しておこうと思って」



 嘘だ。俺ははなから行く気なんてなかった。ここに来たのは梨花さんに恩があったからだ。もし恵ちゃんの件がなかったら……ここに足を踏み入れることはなかったはずだ。



「はは、嬉しいな。本番近いからもう毎日リハーサルだよ」


「どうですか、今年の劇は」


「オリジナルの物語なんだけど中々いいぞー。ちなみに考案者は祥平だ」



 近くにいた祥平を見る。彼は裏方の人間(音響や演出など、舞台の裏側を担当する部員達)と何やら話し込んでいた。



「あいつ、創作なんて出来るのか……」


「話作っただけじゃねえぞ。台本もあいつ作だ」



 手元に置いてあった台本をパンと叩く。俺が見たことある台本の中で一番分厚い。



「劇の長さは去年とあんま変わらねえんだけど、これでもかって補足とか書かれててすんげえ気合入ってるんだ。俺達もあいつの想いに答えてやんねえとな」



 違う。逆だ。祥平が先輩達の想いに答えようとした結果がこれだろう。三年間の努力が実を結べるようにあいつなりのことをしたのだ。祥平は見た目じゃわかりにくいけど、先輩想いで真面目な熱血野郎だから。野球部にでも入っていたら公式戦ごとに涙を流してそうだ。

 そして部長もそのことに気づいてる。祥平を含め、他の部員がいる手前、そういう風にしか口に出せないのだ。


 ああ、くそ。だから来たくなかったんだ。目の前の部員達が眩しくて見てられない。

 去年は助っ人で軽い気持ちだったからよかった。今年は違う。目の前の人間を知っていて、好いている。感情が入ってしまう。だから駄目なんだ。彼らは俺なんかとは違う立派な人間だから。



「こういったオリジナルの劇が出来るのも全て和晃がいたからだ。祥平が入った理由、お前がいたからだしな」



 部長は懐かしみながら笑う。



「劇のヒロインである若菜ちゃんもお前が連れてきたんだ。彼女も立派にやってるぞ」



 ほら、と部長が指す方には若菜ちゃんがいた。劇で使うだろう見慣れない衣装を着ていた。彼女はこちらに気づくと微笑んで小さく手を振ってきた。



「彼女はなあ、普段から一緒に過ごしてる方が魅力出るんだよな。いつもはクールな、いわゆるクーデレタイプの女の子なのに、舞台に立つとどんなタイプの女の子にも変身できる。羨ましい。ベッドの上でも様々なシュミレーションができ……」


「裏方で悪かったわね!」



 部長が凄まじい音とともにいきなりのけぞった。部長の背後にいた女性の先輩が彼の背中を全力で蹴ったらしい。

 この先輩二人は部内でもっとも騒がしいカップルである。二人の面白おかしなやり取りは演劇部名物だ。



「しかもあんたまだ童貞でしょうが!」


「そ、それは言わない約束……」



 本気で痛がりながら童貞を気にする部長。さっきまでの爽やか系男子はどこいった。

 周りにいた女の子達が部長の彼女……もとい里美先輩を宥めて、悶えている部長を俺が介抱した。



「とまあ、そういうわけだ!」


「どういうわけですか」



 復活した先輩の一言目はそれだった。わけがわからないよ。



「とにかく、今までの最高傑作……なのかはわからねえな。どちらかというと最高傑作にしてみせる。その自信もある!」



 彼はガッツポーズする。



「部長達ならきっと出来ますよ。応援してますよ」


「……和晃はもう出る気ないのか」



 部長の声のトーンが落ちる。



「……今更俺が何かしようとしたって水を差すだけですよ。もう役割は全て分担してあるはずですし。俺が入り込む余地なんてない。そうでしょう?」


「まあ……その通りだ。お前が来ない前提で組んでるからな。裏方の仕事でいいならどっか捻じ込めるだろうけど」


「勘弁してください」



 苦笑する。助っ人で入ったからなのか、あまり裏方のことは教えられなかった。というよりむしろ周りがお前は演じてくれみたいな感じだったし。



「……正直なことを言うと、和晃ともう一度舞台に立ちたかった。お前がいると何故か皆纏まるし、一緒に()ってて気持ちいいんだ」



 感慨深げに部長は言った。俺は口を噤むことしか出来なかった。。



「ま、こうして感傷な気分になっててもしゃあないわな。配られたカードで最高の舞台を作りあげるだけだ、俺達は」



 先輩は前を向いてはっきりと言葉を口にする。



「なあ、和晃。手伝いに来いとは言わんし、リハーサルも見ろとは言わん。むしろ、お前は当分ここに来るな」


「へ?」



 急になんだ?



「普通の一生徒として俺達の劇を見てくれ。いや、違うな。見て欲しい。俺達の最高の劇を。ただ見てくれるだけでいい。俺達の三年間の結晶をお前に見てもらいたい」



 先輩のそれは懇願だった。そこに一体どれだけの感情や想いが含まれてるかはわからない。



「……わかりました。必ず見に行きます。見させてもらいます」



 それを断れるほど俺は冷徹じゃない。



「おう、ありがとな。三日目の最後の劇場で、最後の力を振り絞る。それを見に来て欲しい。時間、空いてるか?」



 三日目の最後となると俺も後夜祭ライブの準備で慌しく動いていると思う。けど……。



「埋まってても空けます。何が何でも見に行きます」


「よし、よく言ってくれたな!」



 部長はニッと笑うと、腕を肩に回してくる。そして更に豪快に笑う。つられて俺も笑ってしまう。やっぱり俺はこの人が好きだ、と改めて思う。



「あ、あとさ、お前――香月比奈とはもうヤッたのか?」


「里美せんぱーい! 部長をどうにかしてください!」


「おい馬鹿やめろ!」



 立派だし、尊敬できるけどこういうところはまあ……。憎めない部長ではあるよ。

 俺は部長以外の三年生とも話し、三日目の最後に見に行くのを伝えるのと、そこまでの応援も言っておいた。後輩や同学年の部員にも頑張れと労いの言葉をかけていった。


 その最中、里美先輩がどこからか持ってきたハリセンで部長を叩く心地よい音が鳴り響いた。

 


 

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