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十一話「普通の少女達」

 俺と比奈は隣町にやってきていた。恵ちゃんが通っている高校は隣町にあるからだ。

 電話やメールで恵ちゃんに連絡を取ってみたがどれも返事は返ってこなかった。なので彼女が帰宅するところを出待ちしようということになった。一応、彼女の高校に突撃する主旨のメールは送ってある。



「そろそろ来るかな……」



 隣にいる比奈がぽつりと呟く。

 校門からはぞろぞろと高校生達が出てくる。その実に八割以上の生徒達がこちらを見てくる。比奈はやはり伊達にアイドルをやっているわけじゃない。



「……本当に来たんだ」


「あ……」



 待っていた人物がやってきた。彼女の言葉からメールはきちんと読んでくれたことがわかる。

 久しぶりに見た気がする恵ちゃんはとても憔悴してるように見えた。



「ごめん、勝手なことして。どうしても話がしたくて」


「その男の指示じゃないの?」



 恵ちゃんは俺のことを睨んでくる。そういや前回そんな風に見える演技をしたな。結局空回りして状況を悪化させてしまった。完全に俺の落ち度だ。



「ううん、違う。私の意志だよ。それにカズ君は……そんな人じゃない」


「比奈をいいように利用してるのに?」


「それも違う。というかこの前のあれは演技なんだ。ちゃんと全部……私とカズ君の本当のことも、話す。だからお願い。もう一度きちんと話をさせて」



 比奈の懇願に恵ちゃんははあとため息をつく。



「……比奈もつくづくおかしいよね。自分を嫌っている相手に話がしたいだなんて。これっきりだからね」


「ありがとう、恵」


「比奈、お礼は後だ。今は場所を変えよう。場所が悪い。恵ちゃんもとりあえずそれでいいな?」



 周りは何事かと騒いでいる。このままだと恵ちゃんに風評が立つ可能性がある。

 恵ちゃんが頷くのを確認すると、俺達はひとまず移動を始めた。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「まずはきちんと謝るよ。突然会いたいなんて言って勝手に恵が来るのを待って。凄く迷惑だっただろうし、結果的に周囲の生徒を利用しちゃったみたいで……本当にごめん」



 比奈は頭を下げる。恵ちゃんが俺達に付き合うって言ってくれたのも同じ学校の生徒に見られているからというのもあっただろう。別に意図していたわけではないのだが、そこまで考えが回らなかったのはこちらの不備である。



「別にいいよ。……それに、私もまだモヤモヤしてたから。この前は感情が昂ぶりすぎて、比奈のこと嫌いって言っちゃったし。流石にそれは言い過ぎたかなって思って」



 恵ちゃんは罰が悪そうな顔を浮かべる。



「でも、比奈に嫉妬や憎悪に近い感情があるのも本当だから……」


「うん、わかってる」



 それは恵ちゃんに限った話ではない。俺達が人間である以上、才能ある者や成功した者にはそういった感情を持ち合わせるのはむしろ正常なことだ。前回の恵ちゃんの場合はタイミングが悪かった。そういった不満があったところに、オーディションの失敗というダメージが重なり心が弱っていた。だから気持ちがあらわになったとき必要以上の言葉が出てしまったのだろう。



「話したいことは色々あるけど、まずはカズ君の誤解を解かしてほしい。それから私とカズ君の本当の関係を知って欲しい」



 比奈の言葉を発端に語りかけが始まった。

 まずは前回の俺について。どうしていきなりあんな演技をしたのか。あの場を抑えるために自らを犠牲にしようとしたことを俺の口から語る。

 次に比奈から俺達のことが語られる。最初の出会いから、公開恋愛の発案、一時の失敗に公開恋愛宣言による問題解決、そこから更に自分達がどのように振舞ってきたのかを。

 この二つを話し終えるだけで結構時間を使ってしまった。



「ふうん、じゃあお兄ちゃんは普通にいい人だったんだね」


「そのお兄ちゃんって呼び方が今は純粋に嬉しいよ」



 何だかひどく懐かしかった。日数はあれからそんなに経っていないはずなのに。



「でもそうなると、比奈はやっぱり恵まれているんだね」



 恵ちゃんはふっと笑う。自分を卑下するような乾いた笑いだった。



「……そうだね。きっと私は恵まれているよ」



 対して比奈は恵ちゃんの皮肉を肯定した。



「一度私はグループに入ることが出来た。最後には解散しちゃって、私は挫折しかけたけど恵に助けられた。次に、今の事務所の社長に拾ってもらえた。そこから軌道に乗りはじめた。けど、今度はスキャンダルを撮られてまたもや芸能生活を終えるところだった。それをカズ君に救ってもらった。私は助けてもらってばっかりだ。人に恵まれてる。それはとても嬉しいことだよ」



 自分が体験した人の善意に彼女は恩恵を示す。



「いいね、比奈は。人生順風満帆で。羨ましいよ。私と違って。……私と話がしたいんじゃくて、この前の仕返しがしたいだけなんでしょ」



 恵ちゃんの声が低くなる。どす黒い感情が湧き始めている。

 人の気持ちに敏感な比奈がこのことに気づいてないわけない。けれど彼女は静かに首を振り、あろうことか微笑を浮かべた。



「そうじゃないよ。決めたの。素直になろうって。私がしたいことを、思っていることをきちんと恵に伝えたくて」



 そして比奈は『我侭』を口にする。



「前に恵は夢を諦めるって言ったね。私はそれを止めにきた。恵にまだ諦めてほしくないから。あなたに夢を叶えてもらいたいから、夢を追い続けて欲しいから。あなたを説得しに来たの」


「つまり比奈は私にいらぬお節介をかけにきたんだ。私は養成所を止める。もう決めたんだから」


「それでもだよ。私もかつてあなたと同じ気持ちになったことがある。その時恵が私を踏みとどませてくれた。今度は私が恵を救う番」



 そういえば恵ちゃんが比奈を助けたっていうのは初耳だった。



「……私にはもうそんな気力ない。疲れたよ。必ず夢が叶うわけじゃないし」



 恵ちゃんの言うことは大半の人間に当てはまる。甲子園を目指した高校生球児のほとんどは地区予選で涙を流している。極端な例だが、わかりやすいはずだ。



「それなのに養成所に通って、将来に活かせないダンスや歌を学んで。その代償に人生の華……大切な青春時代を犠牲にして。比奈だってそう思ったことあるでしょ? 私だって普通の女の子みたいに……それこそお兄ちゃんみたいな男の子と話して、友達と恋がどうとかーって語りたいよ」



 恵ちゃんの切実な願いだった。

 比奈だって仕事のせいで私生活は上手くいっていなかった。前の学校で友達が少なかったのはそれが原因なのだから。



「でも私達の夢を追えるのは今しかない。確かに私も一度思ったことがあるよ。普通に生きたいって。けれど自信はあるんだ」



 比奈は胸に手を当てて目を瞑る。何か見えないものを見ようとしている。



「いつかもっと年齢を重ねた時、学生だった私はやりたい事が出来て幸せだったって。あれが私の青春だったって胸を張って言えると思う」


「そうね。未来の話をしたら、私だって若い時があったなあって言えるよ。けど、今話してるのは遠い未来のことじゃない!」



 ふと梨花ちゃんのことを思い出した。昔のことを回想していた彼女はどこか淋しそうだった。



「俺も一人、アイドルを辞めたって子と話したんだけど」



 この場で俺が口を挟むのは場違いな気がしないでもない。けれど梨花さんの寂寥感に満ちた顔を思い出すとどうしても話さずにはいられなかった。



「その子は凄く淋しそうにしてた。彼女は吹っ切れてたって言ってたけど、見てる俺は……辛かった。彼女は駄目だったんだ。蹴り落とされた人間なんだなって思っちまった……」



 いまいち「夢」ってやつを分かってなかった俺もそう感じてしまった。



「このまま辞めたら恵ちゃんもその子みたいになっちゃうんじゃないかって思う。嫌だぜ、そんなの。俺の勝手な都合だけど」



 恵ちゃんの初対面のイメージは元気で明るい子だ。そんな彼女が憂いてるところは見たくない。



「だから、未来の話をしたら何でもありだよ! いつか私もその子みたいになるかもしれない。けど、私は今が辛いの! こんな辛い思いをして、明るい未来を迎えられる気がしない! もう私のことは放っておいて!」



 彼女の心はきっととっくに折れている。目の前の現状から目を逸らすしかないのだ。

 意気込んできたけど駄目かもしれない。比奈がどんな説得をしても彼女を立ち直らすことは出来ないかもしれない。



「じゃあ、今の話をしましょう。少し残酷な質問をするよ」



 比奈の声質が一気に変わる。

 彼女はまだ諦めていない。恵ちゃんの中にある願望が残っているのを信じている。



「恵は今養成所に行ってるの?」


「……最近は行ってない」


「そう。じゃあ、恵は恵が望んだ普通の高校生活をしてるってことだよね。ねえ、恵はそれに満足してるの?」



 恵ちゃんは黙り込んだ。



「……もし満足してるなら、そんな表情浮かべるはずないよね?」


「……っ! 何が言いたいのよ!」


「多分、困惑してるはずだよ。私も経験したから。苦しみから開放されたけど、何をしていいか分からず、胸にぽっかり穴が空いたようになって……虚しさが残る。そうじゃないかな?」



 比奈は静かに淡々と比奈ちゃんを追い込んでいく。その姿に少しの恐怖を感じる。



「自分が経験したから全部わかるって? 私の気持ちが……?」



 恵ちゃんの様子もおかしかった。



「そうやって自分のものさしで人をはからないで!」



 大声で叫ぶ。言いように言われて我慢の限界が訪れたのだろう。



「なら教えて。今の恵は満足してるかどうかを」


「……っ!」



 恵ちゃんは悔しそうに唇を噛み締める。



「そうだよ! 比奈の言う通りだよ! 失ったものはでかいって私だって充分わかってるよ! けど、けど、それでも駄目なの! もう私には無理。どうしようもないから……」



 恵ちゃんの声に覇気がなくなっていく。



「どうしようもなくなんてない。諦めない限り希望は絶対にある」



 力強い声で比奈は言った。



「希望なんてもうどこにも――」


「お願い、聞いて、恵」



 恵ちゃんの小さい手を比奈が優しく包む。



「夢を叶えるのは簡単なことじゃない。恵も今迄のこと、それと今回のことで嫌ってほど味わったと思う」



 比奈は優しく、宥めるように言葉を紡ぐ。



「それはきっと、夢を目指す人なら誰もが通る道だと思う。夢を叶える人っていうのは、困難にぶつかってもそれでも諦めずに壁を乗り越えた人なんだと思う」


「だから、私にまだ夢を見ろって言うの……?」


「……結局はそういうことだね。ここで諦めたらカズ君が言った子のようにきっと後悔する。チャンスは今しかないから! 夢をなくして、ただ流されて生きるなんて虚しいだけだよ。どんなに辛くても苦しくても、こうして夢を追うことが出来るのは幸せなことなんだよ! その辛さや苦しさが幸せの裏返しなんだと思う」


「やめて……もう……やめて……」



 恵ちゃんは耳を塞ごうとする。比奈は彼女の腕を掴んでやめさせる。



「ちゃんと自分と向かい合いなさい! 自分の正直な想いから逃げちゃ駄目! あなたの心はどう思ってるの? デビューして舞台に立つ自分の姿と、普通に暮らす自分の姿、どっちが先に思い浮かぶ?」


「それは……」


「もしあなたが後者を思い浮かべたなら、私はもう何も言わない。一人の友達としてまたあなたと過ごしてく。もし前者を思い浮かべて嘘をついたなら……私は恵を軽蔑する」



 きつい言い方だった。けど彼女の残酷さは優しさの裏返しだ。



「もし……もし、だよ。まだ夢を諦めきれてないって言ったら?」


「私にはあなたをデビューさせる力はない。けど、あなたを勇気づけることができる。一緒にいてあげられる。私がついてるから。恵は決して一人じゃないから。だから……これから何があっても恵の傍にいる。ずっと、ずっと……」



 比奈が恵ちゃんに出来ることは微力なものだろう。しかし誰かにいつも支えられてるっていうのはとても力強いことだ。



「選んで、恵。あなたは本当はどうしたいのかを。私はどっちを選んでも恵を受け入れる。恵の『我儘』を私に押し付けてちょうだい」


「私は……」



 恵ちゃんは泣いていた。瞳からポロポロと涙が零れている。



「――私はアイドルになりたい! まだ諦めたくなんかない!」



 叫んだ。それは彼女の心からの咆哮だ。



「恵……!」



 比奈は本音を吐き出した恵ちゃんの体を包み込んだ。彼女の頬にも涙が伝っていた。



「今迄頑張ってきたんだもん! 凄く凄く憧れて! それなのにこんな所で諦めたくなんてないよ!」


「うん、うん、わかってる。恵の努力は他の誰よりわかってる。少しでも恵が夢を叶えられるように出来る限りのことは何でもするから……!」



 夢を持つ普通の女の子達は抱き合いながら互いを想い合って声もなく泣いた。

 俺はそっと席を離れる。ここで女の子の涙を眺める邪魔者なんて無粋でしかない。

 俺は俺で出来ることをしよう。



「もしもし。お、沙良か。久しぶりだな」



 携帯から懐かしい声が届いた。



「悪い。今日はちょっと真面目な話なんだ。……うん、うん」



 ――少しずるい手なのかもしれない。けれど関わってしまった以上、力になると約束した以上、俺は力を行使させてもらう。



「今大丈夫だって? ああ、ありがとう。また近いうちに連絡するよ。その時ゆっくり話そう」



 耳にはごそごそと電話の持ち手が変わる音がした。あんまりこいつに頼みごととかしたくないんだけどな。



「よう、久しぶりだな」



 ――でも俺はただきっかけを作るだけだ。夢を叶えるとしたら、それは結局、意思を表明した彼女自身なのだから。




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