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十話「香月比奈」

【side Hina】


「私もアイドルになりたい」



 私がお母さんに具体的なお願いしたのはこの時が始めてだったと思う。

 小さい頃の私はいつもお姉ちゃんの背を追い続けていた。お姉ちゃんは私と違って頭も良くて、可愛くて、皆に好かれてて……ずっと私の憧れだった。

 お姉ちゃんに依存していた私はお姉ちゃんの友達とは仲良くなれたけど、私と同じ年齢の友達はいなかった。

 小学校に上がってから、それは顕著に表われた。お姉ちゃんとは学年が違うし、お姉ちゃんと私の教室の階層も違ったせいか、学校では中々顔を会わせられなかった。

 お姉ちゃんのいない私は独りだった。クラスメイトはテレビの芸能人の話で盛り上がり、いつも楽しそうに笑っていた。それを何度羨ましいと思ったことか。

 友達のいなかった私は家で時間を潰すのが当たり前だった。特によくテレビを見ていた。学校でクラスメイトがテレビの話をいつもしていたからだ。

 そんなある日、私は音楽番組を見ていた。その音楽番組には当時流行っていたアーティストが勢揃いしていて、その中に一人だけ異色の人物がいた。昔の話だから顔も名前もうろ覚えになってるけど――私はその人物の歌を、ダンスを、見ている人を元気にする愛想の良さを一目で気に入ってしまった。

 それ以来、彼女が出演する番組や雑誌を漁って、人知れず歌やダンスの真似もするようになった。

 アイドルにドップリ嵌った頃、クラスでそのアイドルの話題が出た。いつもならただ聞いてるだけで、自分から口を開こうとしない。けど――その時だけは話に加わりたいと自然に思えた。それをきっかけに私は学校で初めての、それと初めて自分から作った友達が出来た。

 私はテレビに映るアイドルに感謝を捧げ、いつしか自分もそのような存在になりたいと思えるようになった。私の夢はどんどん膨らんでいき、抑えきれなくなった私はお母さんにお願いしたのだ。

 お母さんは最初困惑していた。けど、見る見るうちに笑顔になった。



「比奈。アイドルになるっていう夢は立派だと思う。けど、とても大変なことよ。普通の女の子のように暮らせなくなるかもしれない。辛くて辛くて泣いちゃうようなことがあるかもしれない。それでもやりたい?」



 お母さんの言葉を聞いても、私の意志は変わらなかった。 

 私の意志を汲んでくれたお母さんは私を芸能養成所に入れてくれた。それとほぼ同時期に養成所には数人入ってきた。その内の一人が安岡恵だった。



「比奈ちゃん、よろしくね」



 恵は人懐っこい女の子だった。まだ完全に引っ込み思案が治ってなかった私はすぐには素直になることが出来なかった。けど、話をしていく内に彼女も同じアイドルに惹かれて同じ夢を志したということを知った。

 それから私たちはいつも一緒だった。レッスンも、プライベートも……。

 何もかも順調に思えた。しかし、養成所だってプロの世界の一端だ。私たちは嫌でも芸能世界の舞台裏を見せられることになる。

 人間同士の激しい牽制、羨望、嫉妬、憎悪。デビューするために手段を選ばず、お金や親の権力の行使、果てには枕営業をしているだなんて噂を持つ人もいた。誰もが何かしらの「裏側」を持ち、決して表には出さないようにする。そんなドロドロした人間模様が展開されていた。

 自分で言うのもなんだけど、私は純粋だった。他の人のように汚く、地を這い蹲うようなことは出来なかった。周りから見たら甘い人間だった。競争社会でいの一番に脱落する部類だろう。

 まだ小さかった私たちにはとにかく厳しすぎる世界だった。私も恵も、何度も悪意に当てられ、挫折しそうになった。けど互いに励ましあい、手を取り合ってひたすら夢を追いかけた。

 

 中学生に上がると、ついにチャンスが訪れた。アイドルグループの一員に選ばれたのだ。

 養成所には小学生のような子から、大学生やそれ以上と幅広い年代がいる。結成されたグループの内訳は高校生三人と中学生の二人。グループのリーダーや目玉の子は当時高校生だった三人であり、中学生の二人――私と梨花は中心に立つことはないサブ要因として採用された。

 このことは私以外のメンバーにとっても初めて訪れるチャンスであり、心意気は高かった。中学生って高校生のことが何だか大人に見えて、近づきにくいなあとちょっと思ってた。けどそんなこと吹き飛ぶぐらい、先輩達は優しくて、勿論梨花も含めて年の差なんて感じることなく、グループ一体になって人気が出る未来を目指した。

 しかし――その未来は永遠に訪れることはなかった。

 夢が簡単に叶うほど世界は甘くなかった。宣伝のためにPR活動をしても、誰の目にも留まらない。公園でゲリラライブをしても集まってくるのはお年寄りや近くにいた子供達数人。日によっては観客がいないこともあった。一般人と距離を近づけるため握手会なんてのも行った。けれど集まった人達は女の子を厭らしい視線を向けてくる男性とかだった。

 とにかく有名になるための道は険しすぎて。私たちの神経はどんどん磨り減っていった。最初はグループメンバー全員で励ましあってた。けど、励ましの言葉はどんどん減っていった。



「大丈夫、今回もダメだったけど、まだ明日があるから。頑張ろう」



 そんな風な言葉を言うようになったのは、いつしか私だけになっていた。

 時間が経つに連れて、目に見えるようにメンバーの不満は溜まっていき、それはメンバー間の絆ですら崩壊の一途を辿っていた。

 そして決定的な出来事が起こった。



「なんでリーダーの貴女が練習に来なかったんですか!」



 無断で練習をサボったリーダーに糾弾したのは梨花だ。リーダーだった先輩はめんどくさそうに適当に言葉を返す。



「だってどうせ練習しても、人気が出るわけじゃないし。やっても無駄じゃん」


「何もしなかったら、出る人気も出るわけないじゃないですか!」


「……ねえ、梨花」



 リーダーのその時の顔はよく覚えている。悪ぶれたわけでもない、年下の愚かな女の子に対して向ける、見下しの表情。



「私はね、高校生の女の子なの。人生で一番華の時期。わかる? そんな人生のピークに無意味なことしてさ、生んでくれた母親に失礼だと思わない? 一度きりの人生よ。思い切り楽しまないと損じゃない。あのね、彼氏をもつって素晴らしいことよ。下らない話でも、もの凄く楽しくて嬉しくなるの。どうでもいいレッスンをすることより断然有意義だから。あ、でもお堅い梨花には分からないよね。そうやって叶うはずのない理想を夢見て、いつも全力で練習に取り組む貴女には男の味なんて分かるわけないものね」



 リーダーはくすりと嘲笑する。



「……ああ、そうですね。そんなの私には分からないですし、分かりたくもないです」


「負け惜しみね」


「でも貴女と話して分かったこともあります」


「へえ、何かな?」



 リーダーが鼻で笑った次の瞬間、部屋にパアンと音が響き渡った。梨花がリーダーの頬を叩いたようだ。



「もうこのグループは完全にお終いだってことです」



 梨花はそう吐き捨てて部屋を出て行った。彼女が戻ってくることは二度となかった。

 その事件がグループ崩壊へのスイッチとなった。メンバー間で態度が気まずくなり、練習をサボるのも当たり前になっていった。

 そして――気がついたら残っていたのは私だけになっていた。


 私は何も出来なかった。全てが無くなっていくのをただ傍観してただけ。他のメンバーの最初の希望がもう一度湧き上がってくれることを願って――それは結局幻想となった。

 グループの内情からいつかこうなることは予測できた。それこそ梨花がリーダーにキレる前から、まだ皆が夢を捨てきれなかった時から。

 分かっていたのに私は何も行動しなかった。それはきっと罪だ。例え結末は一緒でも、そうならないよう足掻くか足掻かないかで大きく変わったはずなのに。


 この件は私に大きな傷を残した。グループが解散して、私だけは練習を続けようとしたけど、もう夢を達成することなんて出来ない、リーダー達のようになるだけ……そんな負の想いが心を支配していった。

 かつてリーダーが言ったように練習することに意味を見出すことが出来なくなっていた。

 自分がそのことに気付くと心の内にしまっていた欲望が溢れてきた。

 養成所が忙しいせいで、友達と遊べないし、そもそも友達も中々出来ない。私だって色々な洋服を着たい。学校の帰りにお店に寄って、夜までお喋りしたい。男の子とも仲良くなって、恋……とか女の子らしいことをしたい。

 したい、したい、したい! 私だって、アイドルを目指している私だって――普通の子なんだから!


 少しの間私は悪い子になった。養成所に行くと親に嘘をついて、憧れの街へ繰り出すようになった。

 しかし私は絶望した。普通の子のように過ごしたいと願った私は、普通の子は何をすればいいのか分からなかったのだ。

 アイドルなんかに憧れたせいで、養成所に入りたいとお願いしたせいで、私の人生はめちゃくちゃになってしまったのだった。


 中学生にはデカ過ぎた心の負担のせいで私は鬱になりかけていたのだと思う。養成所にも行かず、目的もなく街をウロつく。

 もしこの時、一歩でも道を踏み間違えていたら私の人生は本当に無茶苦茶になっていただろう。

 全てに絶望し、何もかもどうでもよくなり始めた。そんな時私の手を引いたのは恵だった。



「――比奈はそれでいいの!?」



 当時の私は茫然自失としており、その頃の記憶が曖昧だった。けどこの時のことはよく覚えている。



「私がついてるから。貴女は決して一人じゃないから。また私と頑張ろう」



 恵の言葉を聞き、最後のその一言で私は私を取り戻すことが出来た。


 その後は再び芽が咲くのを祈って養成所に通い始めた。

 この頃高校のことや、家庭の事情で恵は違う養成所に行ってしまった。

 けど私は前みたいに諦めず、元メンバーの意思を背負い、恵に掛けられた言葉を何度も反芻して、ひたすら芽吹くのを待った。



「香月比奈さん。あなたに用があるって人が」



 高校も決まり、中学の卒業を控えた頃にあの人はやってきた。



「君が香月比奈か」



 その人は見た目もでかかったけど、それ以上に態度が大きい人だった。



「君の経緯は聞いている。一度挫折したというのに、ここに戻ってきたんだね?」


「は、はい」


「うむ、そうか。どん底に落ちてなお、這い戻ってきたのだな。……聞かせてもらおう。何故君はそこまでアイドルになろうというのだね?」



 目の前の男の人は私を測るように――実際この時は私を見定めようとしていたのだろう――視線をこちらに集中させていた。

 アイドルになり始めたいと思い始めた時から今までのことを思い返した。私は自然に湧きあがってきた言葉を素直に口にした。



「それが私の夢だからです」



 理由はわからないが男の人は笑い始めた。



「くっくっく、夢、夢か。なるほど。シンプルだ。それ故に力強く、美しい」



 彼は微笑みながら顎に生えた髭をさする。



「少し個人的な話になるが、私は『夢』といった言葉にちょっとばかり含んだ意味を持っていてね。自分自身をまだ理解できておらず、ただ流されるままに生きている人間を知っている。流される道の中、夢を見つけようとしている人間を知っている。そいつのことを少々思い出してしまってな。元気でいてくれるといいんだがな」



 彼は寂しそうに、それでいてどこか温かみのある顔をしていた。



「私の言った者と君が関わることは多分ないだろう。しかし知らぬ所で君の希望が彼の希望に繋がるかもしれない。君を見るものに夢を叶える喜びを、夢を持つ素晴らしさを伝えて欲しい」



 彼はそう言って私に体を向け、ニッと豪快に笑った。



「香月比奈。――君に新しく設立するプロダクションの目玉になってもらいたい」



 彼、いや改めて私が所属する事務所の社長はそう言った。

 

 そこから慌しくなった。

 養成所を出て、新芸能事務所への移籍。マネージャー、彩さんとの出会い。事務所の方針に合わせて、今まで学んだことを合わせてレッスンを更に重ねた。地道な活動を繰り返し、名を広げていく。

 異動しても結果はすぐには出なかった。しかし、確実に成果は上がっていった。

 そして――、



「比奈、やったわ! オリコン一位、それとゴールデン番組のレギュラー化よ!」



 ついに私は夢を叶えた。


 カメラの前や舞台に立って私は思う。

 ここまで諦めなくてよかったと。あの時、恵の言葉がなければここまで絶対にたどり着けなかった。だから彼女には言葉では表せないくらいの感謝している。

 とても辛い道のりだった。現実を知った。でも長い道のりの中たくさんの困難があってようやくたどり着けるものだったと。

 私は忘れない。高い壁を乗り越えられず、無念にも脱落していったメンバー達のことも、彼女達の意思も。全て背負って私は前に進む。そしていつか私を通して知って欲しい。夢とは辛く悲しく、けれど純粋で美しいものであると。


 これが私の想い。香月比奈の想い。

 いつかのアイドルのように、今度は私が夢を送るために私はあり続けるのだと。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 顔を上げる。目の前には真剣なカズ君の顔。私の心からの答えを待っている。



「私は――恵にまだ夢を見て欲しい。夢の本当の素晴らしさを知って欲しい。私は助けたい。かつて恵が私にしてくれたように。だから押し付ける。私の『我侭』を!」



 過去を思い返して選んだ選択肢。心の底からの嘘偽りない気持ちだった。



「……そうか」



 カズ君は頷きながら私の言葉を聞き入れる。そして、かつて社長が見せてくれたように豪快に笑う。彼のその笑顔はいつしか私を安心させてくれるものになっていた。



「それが比奈の答えだな。よし、ちゃんと受け取った。これで恵ちゃんに何かしてやる理由ができた。皆も聞いたろ? ここからは俺達の仕事だ。何するか改めて考えるぞ!」



 カズ君はガッツポーズをして皆の方を向いた。しかし彼のやる気に反して皆は私達のことをジーっと見つめる。



「なんか完全に二人だけの世界になってたんですけど。しかも和晃、言ってから短期間で女の子泣かせてるし」


「俺達、完全に置いてけぼりくらったな」


「録音して後で聞かせて悶えさせてやりたかった」


「……羨ましい」



 菊地さんと久保田君はなんだか冷めていた。岩垣君はちょっと酷い。中里さんの言葉には疑問を感じる。



「……え、何。この温度差」



 自信満々だったカズ君も想像以上の場の盛り上がらなさに唖然としていた。

 何だかそのギャップが面白くって。私はつい笑ってしまった。



「ま、しかし俺一押しのアイドル香月比奈のお願いだ。俺がやらなきゃ誰がやる」


「和晃の熱血さに香月さんの想いを聞いて何もやらないのは男として失格だしね」


「女の子泣かせるようなやつには任せられないしね。この菊地由香梨、喜んで手を貸すわ!」


「……和晃君にここまでさせた恵って子に一言言うためにも本気出す」



 ……一人だけ動機が不安かな。



「俺達も考えよう、比奈」


「うん。必ず、恵を改心させてやるんだから。そのために、女の生々しさをぶつけることになるかもしれないけど!」


「……ごめん、出来たらそれは勘弁して」



 冗談(?)を言う余裕も出てきた。

 やる気が湧いてくる。待っててね、恵。あなたに私の『我侭』をぶつけさせてもらう。恵に教えてもらったことを今度は私があなたに教えてみせる。

 それが私、香月比奈なのだから。




初の他視点です。極力和晃以外の視点は使わないよう心がけますが、今回のように他者視点じゃないと描写できない時に限り他者視点にさせていただきます。とはいっても本編では比奈か和晃のどちらかの視点にしかする気はありませんが。

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