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八話「元アイドルの想い」

 連絡先は持っていたがこうして連絡するのは初である。不本意ではあるが……。



「えいっ」



 可愛らしい掛け声で送信ボタンを押すのを後押しする。

 後は返事を待つのみだ。ディスプレイの電源を消し、ポケットにしまおうとした所で携帯が震える。携帯の画面には先ほどメールを送信した人の名前が出ている。



「早っ!」



 思わず声に出して突っ込んだ。

 気を取り直してそいつ――黒瀬祥平の返信を見る。「彼女じゃないですよ」と顔文字も絵文字もないそっけない文だった。こちとらどうするか迷った挙句、汗ダラダラの顔文字付きメールで「梨花さんって祥平の彼女?」と送ったというのに。まあ、メールでも部活来てくださいと催促されないだけマシか。


 直弘の説教を受けた後、真っ先に『理解』したかったのは梨花さんだった。

 話し合って互いに理解し合うとは言ってもそれが必ずしも可能というわけでない。やはり、人それぞれ価値観やら思想が違うのでしょうがないことではある。

 今回の問題の中心である恵ちゃんを理解したいのならば、価値観が合い、長い間を共にした比奈が適任であろう。だが、今の状態では顔を合わせるのもきついだろう。奮起させるためにはまず比奈をどうにかしないといけない。

 そう考えた上で比奈をよく知る梨花さんをまず理解しようと思い至った。

 あの比奈に会いたくないと言われた梨花さん。彼女と話をすればその謎も、比奈の気持ちも知ることが出来るかもしれないと思ったのだ。

 希望的観測かもしれないが、とにかく話を聞いてみたい。だから彼女と繋がりのある祥平に連絡をとることにしたわけだ。



「そうなのか? まあいいや。梨花さんと話がしたい。どこのクラスか知ってる?――っと。送信」



 送信ボタンをタッチする。さっきもメールは速攻で戻ってきたし、すぐに返信が来るだろう。

 案の定、携帯は刹那の如く震えた。メールの文面には「俺と同じクラスです」と書かれている。

「わかった。今からそっち行く」と送り返して祥平のクラスへ向かう。

 祥平のクラスに辿り着くと、ドアの前に梨花さんが立っていた。多分、祥平から事の流れを聞いて待っててくれたんだろう。



「こんにちは、高城先輩。話、あるんですよね? やっぱり二人きりで話した方がいいですか?」


「そうだな。あまり他人に聞かれたくない話だ」


「わかりました。――では移動しましょう」



 梨花さんはスタスタと歩き始める。俺は特に何も言わずついて行く。そして到着した場所は校舎裏。直弘と話した所だ。

 梨花さんはそこで俺から少し距離を取ると、クルッと振り返り、正面から向き合う。優雅な動きだった。



「先に謝っておきます。――ごめんなさい」



 だが次の瞬間頭を下げられた。



「……ん?」


「私今好きな人がいるんです。高城先輩も知ってる人です。別に付き合ってるわけじゃないけど彼を裏切れません。だから、申し訳ないけど――」


「ちょ、ちょっとタンマ!」



 梨花さんがキョトンと目を丸くする。そうしたいのは俺の方だ。



「梨花さんは何か盛大な勘違いをしている!」


「え? 違うんですか?」


「違う違う。なんかこうもっとシリアスな感じの対話をするつもりだったんだけど!」


「告白もある種シリアスだと思うんですけど」


「いや確かにそうかもだけど。断じて告白じゃないです。何でそのような勘違いを?」


「祥平君が『滅多に連絡なんかして来ない先輩が私に話があるって言ってた。梨花、これはきっと告白だぞ』って」


「あいつが諸悪の根源か!」



 祥平のせいで何もしてないのにフラれてしまった。案外ダメージがでかいものである。



「……まだ告白とか自分からはしたことないのに……」


「あれ、比奈さんから告白を受けたってことですか?」



 やべ、余計な言葉を漏らしてしまった。ど、どう切り抜けるべきだ?



「あー、そうそう、そうなんだよねー」


「凄く怪しいんですけど」



うわー、これはまずい。



「あ、怪しいって一体何が……」


「隠す必要はありません。別に言いふらしたりはしませんから。本当のことを教えて下さい」



 これだけ言われて隠し通せるはずがない。やっちまった、と自らの失態を恥じる。


梨花さんに俺と比奈は本当は恋人関係ではないことを告げる。

それを聞いた梨花さんはどうしてかふふ、と微笑んだ。



「ああ、やっぱり。そうだと思ってました」


「やっぱりって……?」


「比奈さんに彼氏がいるのはおかしいってずっと思ってたんです」


「恋人のフリをしてたのがバレてたのか。ってことは……不味いぞ」



 公開恋愛は俺と比奈が恋人関係にある、と周囲が認識して初めて成り立つものである。それが破綻したとなると、比奈の芸能活動問題が再び勃発する。というか世間を騙したということも問題に上がって、事態は余計に複雑になる。ただでさえ恵ちゃんの問題で手一杯だというのに、もし世間に真実が出回ったりしたら……。



「ああ、いえ。多分、私だから見抜けたんだと思います。比奈さんのことを知っていたから。きっと普通の人は仲の良いカップルだって思ってますよ」



 こりゃあ凄くラブラブしてるところを写真に撮ってもらって自分達でスキャンダルを捏造した方がいいのか? と混乱し始めた所で梨花さんが救いの言葉を発した。



「本当に?」


「本当です」


「よかった……」



 心の底から安堵する。

 少々冷や冷やしたが、話の流れ的には好都合だった。梨花さんの知っている比奈を聞きたかったわけだから。



「……俺が話したかったことは梨花さんの知ってる比奈についてだ。良かったら教えてくれないか。梨花さんは比奈をどう思っているのか?」


「別に良いですけど、理由は聞いちゃダメですか?」


「色々と込み入った事情がある。端的に言うと、一人のアイドルの卵がピンチに陥ってる。その子をどうにかするために、参考として聞きたいんだ」


「わかったような、わからないような……。想像ですけど、比奈さんがこの前調子悪かったのって関係ありますか?」


「ある……と思う。あの時梨花さんに会った時の比奈は何と言うか、怖がっているように見えた。特に君が『私たちのこと忘れないで』って言った辺りから反応が大きくなった」



 きっと梨花さんのその言葉が鍵だ。ここに隠された意味があの時の比奈の心の内に繋がるはず。

 梨花さんは物憂げとした顔で俯いている。



「そっか。そうですよね。比奈さんはそういう人だ」



 申し訳なさそうに。謝る時のようなか細い声だった。



「すいません、配慮が足りませんでした。多分、いやきっと――比奈さんは責任を感じているんだと思います」


「責任?」


「はい。……私のことは聞いていますか?」



 頷いた。かつて比奈と同グループで活動しており、活動中辞めた一人。



「なら話は早いですね。私たちが活動していたグループは伸び悩んでて、メンバーの鬱憤はどんどん溜まっていきました。そして徐々に内から崩壊していったんです。私はどんどん堕落していくメンバーに嫌気が差していました。そんな時に一人のメンバーがある問題を起こしました。私はそれでもう駄目だと見限り、グループを抜けて芸能活動もすっぱり辞めたんです」



 梨花さんは己の過去を語る。そんなことがあったのか……。



「私が抜けてからグループは程なくして解散したそうです。グループのメンバーもそれをきっかけに大半が辞めたと聞いています」



 それでも比奈はアイドルになることを諦めなかった。お陰で比奈だけは夢を叶えることが出来た。



「最終的には皆がどう思っていたかは分かりません。けど、確かにグループ結成時はメンバー全員がメジャーデビューする野望を抱いていました」



 かつての彼女達も目的は一緒だった。それこそ、比奈や恵ちゃんみたいに。



「比奈さんは責任感の強い人でした。唯一そんな比奈さんだけが人気アイドルになることが出来た。多分、自分だけがこうして舞台に立っていいのかと申し訳なく感じてしまっていると思うんです。比奈さんは夢に敗れた私たちの想いを一心に背負っているんだと思います」



 彼女自身、恵ちゃんに対し、自分だけいいのか、と打ち明けてくれた。だから梨花さんの考えはきっと正しい。



「私の言葉に反応したのは――今の話と共通した何かがあるんでしょうね」



 同じ夢を志し、共に目指したグループのメンバー達。その彼女達の無念。


 ――ああ、そうか。ようやく繋がった。彼女が梨花さんと会いたくないと言った理由が。

 同じなのだ。今回の件と昔の出来事は表向きはまるで違う。しかし、その裏に隠された想いや、辿りそうな結末は――似ている。あまりにも似過ぎている。

 彼女は恐れたのだ。恵ちゃんがかつての仲間達のように夢を諦め、自分から離れていくのを。

 梨花さんとの再会でその恐怖が生まれた。これが梨花さんを拒絶した理由。

 そして最悪なことに――今回の件も前と同じ終着点に向けて一路に進んでいる。


 少しの間黙り込んでしまった俺に気遣うように梨花さんが口を開く。



「私はあの時辞めたことを後悔していません。むしろ良かったと思ってます。ですがたまに思うんです」



 目の前の彼女は遠い昔を見ているようだった。



「私も諦めずに頑張り続けていれば――人気アイドルになれたのかなあって」



 寂しそうだと思った。悲しむ訳でもなく、過去に夢見た栄光を思い返して。遠くない未来、恵ちゃんが目の前の女の子と同じ表情を浮かべる情景が浮かんでしまった。



「……梨花さんは」



 このことを聞くのは怖い。同時に知りたい。梨花さんは比奈に対して現在どう思っているのか。



「夢を叶えた比奈を恨んでいるか?」



 彼女だけが階段を駆け上がることが出来た。下から見上げる梨花さんや恵ちゃんは彼女にどんな憎しみや嫉妬といった黒い感想を持っていても何らおかしくない。



「私が比奈さんを恨んでる?」


「ああ。恨むだけじゃない、嫌ってたり嫉妬してたりってのも……」


「あの、いくら祥平君のお気に入りの先輩でも怒りますよ?」



 どんな答えだとしても受け止めるつもりだった。けど、返ってきた言葉は予想に反していて。声には明らかな怒気すら入っていた。



「何で私が比奈さんを恨んだり、嫌ったりするんです?」


「同じゴールを目指していた相手だ。自分は辿り着けず、比奈だけがゴールした。そんな彼女に何か思わないのか?」


「……正直に言うと、やっぱりちょっとした嫉妬や憧れは抱きました」



 けど、と彼女は語気を強める。



「私は比奈さんを素直に凄いと思っています。逆境に負けず、本当に夢を叶えるなんて。本人が努力して掴んだものを部外者である私が嫌ったり恨んだりなんてするわけないじゃないですか!」



 胸に手を当て、力説される。前に乗り出してきて顔の距離が近くなっていた。



「比奈さんはあのグループの中で一番健気で頑張り屋でした。失敗しても次があるから、と最後まで励ましていたのは彼女だけです。辞める時に心残りだったのは比奈さんのことだけでした。ずっとずっと心配してたんです。だから、人気になれて――その後また危うくなったりしたけど、今もこうして活動してくれていて嬉しいんです」



 梨花さんの比奈に対する想いが伝わる。強く、強く。



「だから、私、高城先輩には感謝してるんです。高城先輩は比奈さんを救ってくれたから!」



 想いが溢れ出る。それはこうして話さなければ「理解」出来なかったものだ。



「比奈さんを尊敬してます。そして大好きです」



 彼女は全て吐き出したようだ。

 自分のことじゃないのに、どうしてこんなにも嬉しいのだろう。



「……梨花さんには意中の人がいるんじゃなかったか?」


「あ……いや、別にそういう意味じゃないですから! シリアスな話じゃなかったんですか!?」



 彼女は顔を真っ赤にして反論してくる。ははは、と心の底から笑ってしまう。



「告白もある種シリアスな話、だろ?」


「……はあ。まあ、確かにそうですね」



 梨花さんは毒気が抜かれたようだった。



「――ありがとな。お陰で光明が見えてきた。感謝してもしきれない」


「役に立ったのならよかったです。といっても過去の話をして、比奈さんへの想いを口にしただけですけど」


「でも梨花さんが話してくれたその二つが聞きたいことだったんだ」



 比奈があんな態度をとるもんだから、正直梨花さんにはあまり良い印象を抱いていなかった。しかし蓋を開けてみればどうだ。先輩を慕う優しい女の子だ。



「……でしたら、私の頼みを一つ聞いてくれませんか?」


「おう、俺に出来ることなら何でもするぞ」


「文化祭前に一度でいいから演劇部に出てください」


「……どうして?」


「祥平君が来て欲しいってぼやいてたからです。余裕で聞ける頼みですよね?」



 梨花さんはニヤリと笑う。さっきの反撃のつもりだろうか。

 少し訂正しよう。先輩を慕う優しいけどちょっと小悪魔な後輩の女の子だ。



「わかった。不本意だけど、出てやろう」



 それに部活に出るだけで満足してくれるというならありがたい。彼女の素直な言葉はそれ程に価値があるものだったから。



「じゃあ、お願いしますね」



 梨花さんが言うとタイミング良くチャイムが鳴った。



「折角の休み時間に時間を取らせて済まなかった。本当にありがとう」


「もういいですって。それに高城先輩と比奈さんが本当に大変になるのはこれからですよね」


「――ああ」


「お二人のことも、それとアイドルの卵である子のことも私は応援しています。もし私に何か手助け出来るようなことがあったら言ってください。喜んで協力しますので」



 彼女は背を向けて歩き出そうとしたが、首だけこちらを振り返ってまた微笑する。



「あ、でも高城先輩の連絡先知らないんですよね。教えたくても時間ないですし……祥平君に私の連絡先を送ってもらうことにします」


「なあ、梨花さんは俺が祥平を苦手なことを知ってて発言してたりする……?」


「それはどうでしょうか。でも、これだけは言っておきます」



 彼女の笑顔は明るい。



「女の子は人の気持ちに敏感なんです」



 それは――さながら曇天の中に一筋の光が差し込むような笑顔だった。




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